114. スズキノヤマ帝国 ダナ(2)
「うぐっ!」
バインド・ローズの魔法が完成したと同時に、ローズが血を吐いてしまった。
「ローズ様!」
ハインズとエファインが驚いて、とっさに崩れてしまったローズを支えようと動いた。近くのエファインがローズの背中を手で受け止めた。
「はぁ・・はぁ・・」
「なんて無茶を!」
「無茶を・・して・・いない・・から」
「エファイン、姫を支えろ!」
「了解」
ハインズがエファインに指示をしながら警戒している。まだ敵がいるかもしれないと思っている。
「ハインズ・・」
「はい」
ローズがハインズを呼びかけるとハインズが振り向かずに答えた。
「敵を全部・・縛った。トドメ・・を・・して。6人だ」
ハインズが振り向いて、驚いた顔をした。そして頷いた。
「了解した」
ハインズが警戒しながら移動した。そして呻き声と悲鳴とともに、何かを切る音がした。最初に縛った弓を使った敵もハインズに切られたようだ。
「完了した」
ハインズが戻って、ローズの隣に来た。
「あれほど魔法を使ってはいけないと申し上げたのに」
「大丈夫よ。少し休めば・・治る。疲れた・・だけ・・だから」
「いいえ、大丈夫ではありません。少し移動して、リンカさんと合流しましょう」
エファインが文句を言いながらローズの体を抱きかかえようとした。しかし、さすがに怪我をしているから、ローズが首を振った。
「エファインの・・手当が先・・」
「私は大丈夫です」
「いいえ・・ダメ・・血が・・」
エファインが困った顔をしていて、ハインズと見合わせた。
「姫、エファインは大丈夫だと言っています。薬も飲んだから、リンカさんと合流してからでも手当できます」
「でも・・エファイン・・」
「それにここで留まるといつ次の敵が来るかわかりません。移動すべきかと思います」
「うむ」
「エファインが心配なら、直ちに移動すべきです。敵が来たらそれこそエファインにとって大変なことになるでしょう」
「分かった・・」
「では移動しよう」
エファインが怪我したのに、ローズを抱きかかえてリンカの所まで移動した。頭の中でリンカに合流のことを伝えたら、リンカも領主を連れてこちらに移動していると答えてくれた。
「エファイン、痛くない?」
「少し痛いですよ。でも薬を飲んだから大丈夫です」
「ごめんね・・私が油断したから・・エファインが、・・怪我をさせてしまった」
「これも役目ですから、大丈夫ですよ」
「うん・・魔法もできなくて・・ごめんね・・本当にごめんね」
「問題ありません。もう泣かないで下さい」
エファインが優しい声で答えた。本当は、ローズが出血止めの魔法をかけたかったのに、今それをしたら確実にローズが意識不明になってしまう。もう後はないと分かった。体が生命維持のモードに入るぎりぎりのラインになったことも自覚している。
「姫を泣かしてしまったと殿下にばれたらそれこそ一大事だ」
「そうですね。私は百人の敵と戦うよりも、殿下の怒りの方が怖い」
ハインズの言葉にさらりと答えたのはエファインだった。
「あはは・・秘密にする・・から・・大丈夫」
「お願いしますよ、姫。エファインのためにもくれぐれも、これから無茶をしないで下さい」
ハインズが笑顔で相棒のことを思って、ローズに言った。彼は警戒しながら前に進んで歩いている。
「ローズ!」
リンカの声が聞こえた。大きな黒猫の姿だ。いや・・猫というよりも、山猫か虎のサイズだ。かなり大きい、とローズはリンカを見て、瞬いた。彼女の背中に気を失っている領主がいる。
リンカは領主を地面に下ろして、人型になった。ハインズは周りにある大きな葉っぱを素早く切って地面に並べてエファインに合図した。エファインはハインズが用意してくれた葉っぱの上にローズを寝かした。
「ローズ、どうしたの?」
「ちょっと疲れた・・だけです」
ローズが答えると、ハインズが首を振った。
「血を吐いたんだ」
「うん・・でも大丈夫よ」
それを聞いたリンカが急いで彼女に駆けつけた。
「大丈夫じゃない。見せて」
リンカがそう言いながらローズを触れた。
「私よりも、エファインの怪我を・・診て・・手当を・・」
「後で診る。先にローズの状態を確認する」
リンカは彼女の脈や状態を確認している。
「リンカ、医療・・できるの?」
「応急手当ぐらいならできる。訓練受けたからね」
「そうなんだ」
「今のところ、大丈夫だね」
「ほら・・言った・・通り」
「もう静かにして。少し休んで」
「うん。エファインを・・」
「ええ。今から傷を診るわ。はい、エファイン、座って」
リンカの指示にエファインが素直に従った。
「私は肩の傷口を閉じることができるけど、傷跡が残ると思う。どうする?」
「お願いします、リンカさん」
「痛いけど、我慢できる?」
「痛み止め飲んだから大丈夫」
「分かった」
リンカは自分のポケットから小さな箱を取り出した。あの猫の毛の箱だ。リンカの猫の毛は純粋な魔力の結晶だから色々な使い道がある。右手に魔法を発動して赤く光った。傷口を当てて何かの魔法をかけた。
「今消毒した。これから縫うよ」
「はい」
「痛いけど、我慢して」
「お願いします」
リンカはその赤く光っている指で丁寧に自分の結晶を傷口に沿って一本ずつくっついて、そして傷口を指で引っ張って結晶を固定して皮膚に埋め込んだ。エファインの表情で分かったのは、この治療がかなり痛そうだということだ。痛み止めを飲んだにも関わらず、そんな表情をしたエファインが初めてみた。
「背中の傷口が閉じた。あと、そのおなかだ。ローズの隣で仰向けになって」
リンカの指示に従ってエファインがローズの隣で仰向けになった。リンカは傷の具合を見て、またその赤く光っている手をあてて魔法をかけた。
「あーー!」
エファインが思わず声をあげた。相当痛かったのでしょうか、とローズが瞬きながら彼を見つめている。背中よりもおなかの方が傷がひどかったでしょうか、と。
「よく生きているわね」
「ああーー!」
リンカは無表情で痛がっているエファインを構いなしに魔法をかけ続けている。
「そんなにひどかったの?」
「ええ、内臓までやられたの」
「え?」
「まぁ、鍛えられた体だし、傷ついた内臓を魔力で保護したから助かったけどね」
「そうなんだ」
リンカはローズの質問にエファインの傷の具合を説明してくれた。
「今リンカは具体的にどんな治療をしているの?」
「傷口を焼いている」
「えっ?!内臓にも?」
「そうよ。その方が血が止まるよ、内出血も。落ち着いていたら回復魔法ができる人にかけてもらえれば元通りに治るから、大丈夫よ」
リンカがエファインの表情に構わず、ずっと傷を焼いている。
「かなり・・強引だね」
「戦場では直ちに出血を止めないと、死ぬからね。次の攻撃を備えるために、まず出血を止める必要がある。敵が自然回復を待ってくれないから」
「そうか・・」
戦場という修羅場を体験した人の貴重な意見だ。ハインズもエファインもリンカの言葉に耳を傾けた。エファインは痛みが少し和らいだか、静かになった。
「これから傷口を閉じる」
「おね・・がい・・します」
エファインの答えにリンカがうなずいた。彼女がまた背中と同じように、丁寧に猫の毛の結晶をおなかに並べて指で放った魔法で固定して埋め込んだ。
「終わり。お疲れ様」
「ありがとう・・ござい・・ます」
「ええ。あなたもローズと同じく、一休みしなさい」
「はい」
「ハインズ殿、その領主もエファインとロースの隣に並べて頂戴。手当をしたけど、ずっと起きないんだ」
ハインズが領主を運んでエファインの隣に寝かした。ローズは隣のエファインの顔を覗いていたら彼が目を閉じている。
「エファインなら大丈夫ですよ、姫」
ハインズがローズの心配を気づいて、彼女の隣に座って、答えた。
「なら良かった」
「少し休ませてあげよう。夜がまだ長いですから」
「うん」
「姫も休んで下さい。私がおそばにいるから、大丈夫です」
ハインズが優しい声で言って、彼自身も休憩した様子だ。
「見はりは私がやるから、ハインズも休んで」
リンカはハインズに言うと、ハインズが首を振った。
「大丈夫ですよ、リンカさん」
「そう?なら良いわ」
「はい」
「じゃ、少し食料を調達してくる。すぐに戻るから」
「分かりました」
リンカは森の奥に入って行った。ハインズはローズの隣に座って周囲を見渡す。暗い夜に灯りもなく、敵にばれると困るから焚き火も作らない。本当のことをいうと、こんなに暗いと怖い、とローズは思った。
「姫も休んで下さい」
「うん」
ローズが適当に答えた。本当は、怖くて、眠れないのだ。
「眠れないのですか?」
「ちょっと」
「目を閉じれば、体の機能も自然に休みます」
「うん」
目を閉じてみたけれど、やはり眠れない。何度も寝返りをしたけれど、服や体についた血の匂いがやはりくさい。
「うむ」
「やはり眠れないのですか」
「うん」
「なら、横になりながら、何かを会話でもしましょうか」
「うん」
「どんな話が良いですか?」
「うーん、私はハインズのことがあまりよく分からないんだ。ケルゼックのことはダイナ町で少し分かった。オレファはあまり良く分からないけど、エフェルガンは護衛官の中で一番長くいると教えてくれた」
「そうですね。オレファ殿は以前護衛部隊の隊長をやっていて、今その役目をケルゼック殿に譲ったのです。そろそろ若い人に役目を継がないといけないと言っていました」
ハインズが微笑みながら、オレファの話をしている。
「そうだったんだ」
「私は殿下の護衛部隊に入隊した当時の隊長はオレファ殿でした」
「やはりエファインと同じく誘われて入ったの?」
「エファインがそう話しましたか?」
「うん」
ローズはうなずいた。
「はい、その通りですよ」
「じゃ、ハインズも優秀な人なんだね」
「ははは、優秀かどうかそれは判断した人によって違いますが、私が必要だとオレファ殿に言われた時、とても幸栄に思いました」
「そうだったんだ」
「当時、私が問題児とされていて、どの皇家の護衛部隊にも配属されず、イライラとした毎日だったのです」
「問題児?」
「そうですね。簡単にいうと、一言が多くて、喧嘩の原因になってしまいました」
「ああ、なるほど」
「ははは、姫までそう納得してしまうとは・・」
「あ、ごめん」
「大丈夫ですよ、事実ですから」
ハインズが苦笑いして、うなずいた。
「うん。続けて・・」
「暇だったから一人で武術の練習をしたら、偶然オレファ殿がその場にいて、練習相手になってくれました」
「ほう」
「強かったですよ。それでも私が負けないと、必死に立ち上がって向かったが、ぼこぼこにされました」
「あらま」
大変だ、とローズがそう思いながら、ハインズを見ている。
「でも気持ちが良かったです。私ごときの者の相手に本気でぶつかってくれて・・軍に入ってからそんな清々しい気持ちが初めてでした」
「そうなんだ」
「床に倒れた私に手を差し伸べて、私を引っ張って起こしてくれた。そして毎日練習相手にしたいなら入隊しろと言われてびっくりしました」
「それはびっくりしたでしょう」
「そうですね。聞き間違いかと思いましたよ。でも隊長・・いや・・オレファ殿は本気だって。私のような人が必要だから、ともに殿下を守りにいて欲しいと」
「そうなんだ」
「とても幸栄に思います。今もその言葉が私の誇りです」
「そうか」
「殿下も私の余計な一言や二言に気にしない様子でした。たまには「ハインズ、うるさい」と言っただけで済みました」
「あはは、よく言ったもんな」
「はい」
ハインズもローズも笑った。
「エフェルガンの近衛になることに、怖くない?」
「いいえ、殿下の盾になることは私にとって幸栄なことです。早死につもりがないが、死なないように日頃訓練を重ねています」
「そうですね。死んだらエフェルガンがとても悲しむから」
「姫にも分かったのですか?」
「うん。以前エフェルガンに言われたんだ。護衛官にも家族がいて、帰りを待つ人たちもいる。だから変わり果てた姿で帰ってしまったら、家族も悲しむ。彼自身も悲しむと打ち明けてくれた」
ローズが言うと、ハインズが微笑んでいる。
「殿下は優しいお方です。表向きでは怖いお方ですが・・」
「うん、確かに」
「姫と一緒にいる時に、とても優しい目をしていますよ」
「そうなんだ」
「特にかわいいと言われた時の顔が特別でした。ははは」
ハインズが笑うと、ローズが困った顔した。
「うむ・・あれはしつこく言われたから、他の言葉が見つからなかった。思ったままを言ってしまったんだ」
「それでよろしいことだと思いますよ」
「うむ」
「殿下はいつも一人で耐えているのです。権力や政治絡みの人間関係で疲れていて、心から素直に接触してくれる者がいません。我々の近衛や護衛官達はあくまでも殿下の守りであり、補佐をする立場にありますから、ある程度の信頼関係を築いているが、基本的に殿下の盾ですから、あまり深く関わらないようにすることが大事です」
「そうなんだ。聞いても良いなら、なんで?」
ローズがハインズを見つめている。
「万が一、我々が命を落としてしまったら、殿下が深く悲しむからです。殿下のためにもできるだけそうならないようにわざと距離を置いたりします」
「そうか」
「盾は・・失ったらまた代わりの者がおります。しかし、殿下はこの国にとって必要なお方ですから、代わりがいません」
「でも・・私も護衛官を失った時にとても悲しかった」
ローズがそう言うと、ハインズの顔色が変わった。
「姫もそのような体験がありましたか」
「うん。謀反があって、私の部屋を守ってくれた衛兵と護衛官が殺されたの」
「そうでしたか」
「彼らの棺の前でかなり泣きましたよ。大切な命を失ってしまったんだ」
「姫は優しいお方です」
「私はただ、私の身のまわりの人々を失いたくないだけです。彼らが私を守るように、私も彼らを守りたかった。それができなかった時の悲しみは、途轍もなく大きかった」
「だからエファインのこともあんなに心配なされたのですね」
ハインズが優しい言葉で言った。
「うん。エファインもハインズもリンカも大事だから」
「ありがとうございます。ロッコ殿の気持ちが分かる気がします」
「うむ。ロッコは護衛官以上に、友達だから」
「友達ですか・・。殿下と堂々と姫を巡り争っているように見えますが・・」
「うむ。私が難しい立場にいるの。自分の体や未来でさえ、自分で決めることができないんだ。夢があっても、思いがあっても、私が手を伸ばしても、この手でつかみ取ることができないものばかりなの。だから彼らの気持ちを答えることができないんだ」
ローズは悲しい視線でハインズを見つめている。かわいそうに、とハインズは思った。
「姫君の悲しい運命か」
「本当のことをいうとね、私が姫ではないなら、もっと自由に生きることができるんだ。好きなことをやって、好きな男性と暮らし、生活が大変でしょうけれど、自分の力で生きるのも良いと思うんだ」
「殿下はこのことをご存じですか?」
「うん。言ったの。でもやはり龍神のこともあるから、モルグ人のこともあるし、賞金首に狙われていることもあるし、何もかもすべてを捨てて、好き勝手に生きるのも難しいという結論になったんだ」
「政治と神様が絡むと複雑になりますね」
「うん。だからどうしたら良いか自分も分からない」
ローズがため息ついて、ハインズを見ている。
「殿下も同じ悩みを抱えているのですね」
「うん。彼はすべてを理解している。私が答えられないわけも・・理解している」
「殿下も姫も高貴の存在ですから、下々の我々が理解できないことが多くあるけれど、好きだったら好きだと言えば良いんだと私が思います」
「うむ」
「道がそれで開くのだと思いますよ」
「そうかもしれないね」
「神様はきっと味方になって下さいます」
「うん、そう願っている」
「そうとも」
ハインズが微笑みながら話してくれた。とても優しい人なんだ、とローズは思った。ローズはハインズと少し会話すると緊張が解けて、少し眠くなってきた。そしていつの間にかハインズとエファインの隣で眠った。
目を覚ましたら朝方になった。一晩野宿して、体が冷えるけれど、なんとか大丈夫だった、とローズが思った。身を起こすと、エファインも領主も起きていた。寝ぼけた顔で朝の挨拶をして、リンカが作ってくれた兎の丸焼きを朝餉に食べた。久しぶりの肉だ。美味しい。飲み物がないので、リンカが取ってきた果実で水分補給してから、これからダナへ向かうことになった。
領主はなぜ襲われたか、心当たりがないと答えた。またなぜこのルートを通るという質問も、先導した部隊の隊長がしか分からないと答えた。けれど、その隊長も襲撃によって命を落としてしまった。これで謎が深まるばかりだ。ローズたちを襲撃した者を一人でも生かせば取り調べができるけれど、そのような余裕がなかったから、ハインズに全員トドメをさせた。
一晩休んだことで、具合が良くなったエファインがまたローズを抱きかかえてリンカ達と一緒にダナへ目指して歩く。一人で歩けると言っても、ダメだと言われた。血を吐いた時点でアウトだそうだ。また疲れてしまうと今度こそ大変だとエファインに言われて、ローズがおとなしく従った。ローズはエファインの方が大変な状態なのに、彼女の面倒を見る場合ではない、と分かっている。領主も自力で歩いている。またハインズとリンカは周りの警護をしている。
歩いて二時間ぐらい、やっとダナに近い村が見えた。そこに領主の捜索に来ている地方部隊がたくさんいる。傷だらけの領主が見えると、ローズたちを村の医療施設まで運んでくれた。なんとかほっとした。簡単な治療を受けた後、ローズたちはダナの町にある領主の屋敷へ向かうことになる。




