アルス・ノーミネ
剣が、軽く感じる。
剣のスキルマスタリーはレベル一だが、それでも先ほどとはまるで違う感触に驚いた。にわか剣術が、少し剣を振り回すことに慣れたレベルにまで上がっている気がする。先ほどの草豚で反省し、戦闘を想像しながら素振りをしてみたが、たった一振りでその差は歴然としていた。
剣の振り方だけではない。持ち方もどこか矯正されている。身体から、慣れぬ武器を持つことの負担が消えていた。スキルマスタリーを取得する重要性がわかる。このままスキルポイントを振り続けていけば、アクティブスキルも取得できるようになるようだ。スキルツリーには剣だけではなく、筋力、体力、敏捷性なども表示されていたが、今のところ純粋に戦闘力として剣のスキルマスタリーを優先して上げていくべきだろう。
手っ取り早く、技のひとつくらい、使えるようになればいいのにな。
スキルツリーでは、スキルマスタリーを二まで上げるとアクティブスキルを取得可能となることが示されている。スキルポイントにして二ポイント。あと二ポイント上げるためには、恐らく二レベルの上昇が必要になる。
草豚の行動パターンも少しはわかったので、先ほどよりはまだ何とか対峙できる気がする。地道に草虫や草兎を狩るほうが安全ではあるが、あれでは技術は磨けない――と思っていると、早速また草虫を見つけた。レベルが上がったせいか、ぷすっと刺すだけだが、動作的に楽になっていた。具体的に言えば、剣の重さに慣れてきたような感覚である。
すぐに草地へ戻れる場所と意識しながら歩いているあいだに、十を越える戦利品を拾い上げた。その殆どが小魔石だったが、それだけ敵を倒したということもあって、軽快な旋律と共にまたレベルが一つ上がった。ステータスも多少、上昇する。たかがレベル三であっても、スキルマスタリーのなかったころに比べて段違いの剣速に、「少しくらいは大丈夫だろ」ともう少し奥へと足を向ける。あと一つでアクティブスキルという事実は、次なる獲物を求める理由として大きいものだった。
ほんの、少しだけ。
「森の切れ目は見える」程度にまで足を踏み入れると、木々の密度が上がり、やや歩きにくい草地も増えてきた。
「げっ」
背丈の高い草が生えているところも多くなり、その中に草虫がいたようだ。思い切り踏みつけることでアクティブ化した。草の向こう側に意識を向けていたせいで、下のほうにあった名前に気付くのが遅れた。草虫はその口で脚衣の上から噛みついてきた。鋭い痛みは、振り下ろした剣がその虫を砕いてもなお、残ったままだった。服には小さな穴が開き、噛み跡がついている。草豚に削られた分もあり、今のHPは全体の三分の二ほどになっていた。戦い続けていることもあるのだろうが、HPは簡単に回復しないようだ。色は変わっていないので、当然、痛みは堪えてレベル上げは継続である。
戦利品を拾い上げた時、それは聞こえた。
荒い鼻息……草豚、再びである。地を蹴る爪の音に、身を翻しざま、剣を振るう。牽制でも、攻撃になってもかまわない。その気合いの一閃は、見事に入った。体当たりの速度も乗って、草豚の鼻先を深く切り裂く。ぎーぅー、と高いのか低いのかわからない鳴き声を上げながら、草豚はその場でのたうち回った。開いた腕を、引き寄せる。もう片方の手も添え、長剣で右上から左下へと切りつけた。
――何?
空振りしたよりもなお、一連の動きが異様に軽かった。しかし、確かに草豚はその剣撃で絶命し、光が宙を舞う。残された戦利品はまた肉の塊だった。
身体が勝手に動いたような。
そんな不可思議な感覚が残っている。
今のをもう一度と、長剣を握り直す。
と、視界の端から、何かが飛び出してきた。森に紛れるような緑の小さなそれは、草豚の残した戦利品を掴んだ。
屈んでいるところを見ると、まるで子どものような大きさでしかない。頭上には、森小鬼という赤い文字が浮かんでいる。右腕で肉の塊を抱き、左手には太い木の枝を持っていた。
甲高い威嚇の声が、乱杭歯の間からこちらに向けて放たれた。それと共に、血走った赤い目に一瞬、気圧される。虹彩も瞳孔も赤く、名だけではなく存在が人ではないことを物語っていた。二足歩行していても、会話は通じなさげだ。
こちらが怯んでしまったことは、あっさり悟られた。左手の枝に剣を打ち払われ、びりっとした痛みが両手に走る。太さはあまり変わらない上、こちらのほうが鉄で作られているはずなのに、あまりにも容易に剣先は下へと向いた。枝はまた振り上げられ、今度は右肩を打った。先ほどの剣から感じた両手の痺れよりも、そちらのほうが痛みは軽い。相手も手を痛めたのかもしれないが、またもや枝が振り上げられた。繰り返される素振りに、慌てて下がる。枝は空を切った。
長剣を握り直す。その感触が、痺れを薄れさせた。当たりどころが悪かったのだろう。少し長剣にも歪みが出たかもしれない。痛みが戦いから気持ちを逸らし、焦りを生む。
威嚇の声が、森に響く。耳障りな音が、癇に障る。
悪手だ。
嘲笑うようにも聞こえたそれを黙らせるべく、頭を切り替え。
長剣を、振るった。
つい先ほど、草豚に与えた剣筋を再現――すると、本当に、全く同じように身体が動いた。枝ごと、森小鬼の左腕が飛び、更に腹部を裂く。威嚇の声は、悲鳴へと変わった。それでも肉の塊は落とさない。さすがゴブリンである。
妙なところで感心しながら、払った形の剣をそのまま真上へと跳ね上げた。肉を抱いた右腕を斬り、森小鬼の顎へと食い込む。刃が止まると同時に、体重を掛けた。ずぶりと、それが喉元までも入っていき――光に変わり、砕けていった。
ピロリロリン♪
レベルアップ音が聞こえた。はっ、とようやく息を吐く。じんじん痛みが戻るが、まずは、スキルである。剣の先を地面に触れさせたまま、右手で点滅するアイコンからスキルツリーを開き、アクティブスキルを選ぶ。
斬撃。
『剣のアクティブスキル、斬撃を取得しました。剣のアクティブスキルは当該スキルアイコンをタップ、もしくはアクティブスキルの発動を意図しつつ技名を発声することにより、発動します』
脳裏にアナウンスが流れる。
ようやく得たアクティブスキルに……喜ぶ暇はなかった。
どこからか、あの声が聞こえる。先ほどの、森小鬼の威嚇の声に似たそれを聞き、不意に思い出した。ファンタジーでゴブリンと言えば……オークと同じように、群れを作る習性を持つ。
慌てて肉の塊と、戦利品の森小鬼の爪を拾い上げ、道具袋に放り込む。そして、即座に森の外へと駆け出した。
だが、声は大きさを、その数を増していく。声だけではない。草を踏み分け、枯れ枝を折る音や、地面を何かで叩く音も聞こえてくる。背後から何かが投げつけられたのか、地面から小石が跳ね返り、足に当たった。
振り返ることはできなかった。地面が露出しているところだけを選び、ただ、駆ける。
森から、草地へ。
地図が切り替わった瞬間、周りの人口密度も膨れ上がった。痛いほどの視線が突き刺さる。森のほうから聞こえる声の気味悪さに、誰もかれもが頭を上げ、怪訝そうにこちらを見ていた。
「森小鬼だ!」
叫びながら、身を翻す。
視認できる数だけでも、十を軽く越える森小鬼が。
咆哮を上げながら、今まさに、森を抜けようとしていた――。
不定期でも週一更新は目指したいと思います!
あ、幻界のクロスオーバーのほうは毎日更新中です♪(←。