繕う
大神殿前の広場を抜ける時、アシュアを探してみたが見当たらなかった。
長居をすれば、本当に食事にもありつけなくなる。早い段階であきらめて、街の外へ向かった。大通りを南に進むと、様々な種類の看板を目にする。商店もこのあたりだろうと目星をつけていると、やがて南門にたどりつく。外に出れば魔物がいる。狩れば、金銭になる……。
「ちょっ、兄ちゃん! 背中、だいじょうぶか!?」
「……いや、もう怪我は塞がってるんで」
服の背中の破れを見たらしい門番が、唐突に声を張り上げた。今まで忘れていたが、そういえばほったらかしていた。
槍を片手に門番が駆け寄り、背中を見る。そして、首を傾げた。
「んー、確かに塞がってるがなあ。せめて直してから出たらどうだい?」
「それが……先立つものが何にもなくって」
「あー? 文無し? 兄ちゃん、ひょっとして東通りのひとか。そうか……ちょっと待ってな」
もう一人立っている門番に声を掛け、その男は一旦奥へ入ったかと思うとすぐに戻ってきた。そして、一枚の紙きれを差し出す。
「うちの実家が、人手を探しててな。宿なんだが、よかったら手伝ってやってくれないか」
カルドの宿、報酬一泊二食。仕事内容、夕食時の雑用。
ざっくりすぎる依頼内容だったが、夕食時というのが助かる。いきなり宿無しを回避できるではないか。
門番の男に感謝し、即、回れ右である。案内を受けたカルドの宿は、南門から僅かに戻った大通り沿いにあった。ベッドにジョッキがくっついているマークのある看板の下に、カルドと書かれている。昼食時が近かったが、扉から覗いた食堂にはあまり人影はない。
「あら、いらっしゃい」
野太い声が、なよやかに歓迎してくれた。
肌の浅黒い、前掛けをした人物が口元に笑みを佩いて寄ってくる。すらりとした長身、大きな手、喉仏……男?
「好きなところへどうぞ。今、お水を持っていくわ」
「いや、あの」
客ではない、と告げようとして上手く言えず、咄嗟に門番からもらった紙切れを差し出す。
すると、相手は微笑みの種類を変えて頷いた。
「ラムスの紹介ね。いいわ。採用!」
面接早!
その人物の名は、カルド……カルドの宿屋の主、そのひとであった。どこのサーファー?と言いたくなるような薄い色合いの短髪に、片耳ピアス。女口調でありながら、仕草は別段女性めいていない。いっそ、オネェ系だとはっきりするほど、仕草も女性めいていればわかりやすいのだが。いや、本当に男だろうか。とりあえずスカートではない。
先に部屋へ案内する、と言って、カルドは受付から鍵をひとつ取り、階段のほうへ向かう。食堂には他にもひとり、年若い少女が料理を運んでいた。
「リリ、今夜のお手伝い見つかったわよ。えっと、シリウスね。仲良くしてあげてね」
「はい」
擦れ違い様にカルドは少女に声を掛けた。ミラよりも年若い。現実でいうなら小学校高学年くらいではなかろうか。それでも木の盆に載った料理を危なげなく、しかも丁寧にテーブルに並べている。引き換えに代金を受け取っているようだ。
二階が客室のようで、細い階段を上がっていく。そのさなかも、カルドは楽しげにことばを紡いだ。
「ラムスはね、弟なんだけど……客商売よりは街を守る仕事のほうがいいらしくって。ふふ、ちゃんとおしごとしてた?」
似てない。
NPC然していた門番に比べて、こちらの店主はキャラが濃すぎる。客商売故か、運営のお遊びかはわからないが、名前は緑だったので、れっきとしたNPCである。
「よく見ているな、と思いました」
素直な感想である。道行く者の背中に、傷があろうがなかろうが、普通は声を掛けることもないだろう。彼は自身の役目として、確かに自分を気遣ってくれたのだ。それは幻界が負わせたものかもしれないが、必要な手助けを、施してくれた。
「そう? よかった」
客室の一つを開け、どうぞ、と店主は促した。中へ一歩進むと、悲鳴が上がる。
「何なの、その背中! ちょっとあんた、先にそれを言いなさい!」
入ったところで、服を掴まれる。
兄(?)弟そろって、この背中が気になるらしい。自分では見えないのだが、それほどひどいのか。服を見ると、既に耐久度が半分にまで減っていた。服(黒)、守備力五、耐久度五十/百。
「替えはあるの? じゃあ脱いで。繕ったげるわ」
「え」
何故だか身の危険を感じるのは気のせいか。
「裾のほうから生地を取ってきたら、多少誤魔化せるでしょ。着替えたら降りてきなさい」
服の裾をめくり、余裕があるのも確認している。ゲームでも本当に繕い物ができるようだ。
差し出された鍵を受け取ると、カルドは部屋から出ていった。着替えのため、ご丁寧に扉まで閉めていく。
もう一枚の服が、ここでも役立つとは。
ベッドと小机のみの部屋だが、小さいながら明かり取りの窓もある。射し込む日射しを頼りに着替え、部屋を出た。見下ろすと、テーブルの一つにカルドは何か箱を開けているようだ。
裁縫箱だとわかったのは、黒い服を手渡した時だった。手早く裾から糸を外し、少し布を取ると繕って元に戻す。表からは同じようにしか見えない。そのほんの少しの布で、背中の裂かれた部分を重ねて、黒い糸でかがっていく。まるで稲妻のマークにもうっすら見えてしまう形が、模様にも思えてきた。おそらく、そんなふうに繕ってくれているのだろう。
「はい、できた」
「ありがとうございます」
受け取った服は、耐久度が回復していた。八十にまで戻っているのは、本当に助かる。
鋏を裁縫箱に片付けつつ、カルドは仕事について口にした。
「ここ、夜のほうが忙しいの。俺も受付で手一杯になるから、お運びさんとか、テーブルの片付けとか、厨房の手伝いとか、そういうのを助けてほしいのよ。時間的には、閉門の鐘から……ある程度、お客さんが捌けるまで、かしら」
妥当な話だった。
逆に、閉門までは自由にしていてもいいと言われ、心底助かる。ここからなら南門までも近い。少し戦って稼いで、戻ってきてというのも可能だろう。
「一応、客商売だから、破れた服を着るのはそういう意味でも困るの。身だしなみはきちんとしてね」
なるほど。
そういう意味でも、門番はこの仕事を勧めてくれたのだろう。ここに勤めれば、全自動で服も繕ってもらえることまで見越して。
あとで礼を言わなければと思いながら頷くと、カルドと自分の前に食事が運ばれてきた。リリ、という少女はちらりとこちらを見て、それからカルドのほうへ向く。
「ごはん、先に食べちゃってって」
「あら、気が利くわね。じゃあ、シリウスもいっしょにどうぞ」
これはサービスにしておくわ、のひとことが強力だった。
朝はもちろん、昼もまだだったのだ。無一文で食べる食事は美味しかった。貧乏ってつらいんだなと痛感する。パンひとつ、スープひとつでもありがたいのに、ウィンナーの入った野菜炒めまで分けてもらえた。空腹度が完全に回復し、合わせて疲労度も回復しているのがわかった。多少、連動しているようだ。水の一杯ですら美味に感じる。
しかも、余ったパンを裁縫箱の底にあった布切れに包み、持っていけと分けてくれた。
「外に出るんでしょう? 帰る前に食べておきなさい。その剣が飾りじゃないといいんだけど」
「はは……」
今のところ、まだ未使用品なのでただの飾りである。
笑って誤魔化しておいて、とりあえずパンは道具袋に入れた。空いた食器と裁縫箱を手にカルドは席を立つ。
「じゃあ、またあとでね」
どこかで聞いたような台詞を残して、店主は厨房へと消えていった。
入れ違いに、リリが駆け寄ってくる。
「シリウス、お外行くの?」
「あ、うん」
「お外、花が咲いてるから……よかったら、摘んできてほしい」
彼女が指さした方向には受付があり、そこにはやや咲き終わりを迎えている花束が生けてあった。意図を理解し、頷く。何か見かけたら取ってくればいいだろう。
リリが嬉しそうに破顔する、その表情が離れた神官見習いを思い出させて……やけに懐かしかった。