互いの道を
背中の傷は、ミラが癒してくれた。神官の力、神術というらしい。まだ未熟だからという前置きのあと、軌跡は起こった。彼女の神術によってHPが緑にまで回復し、傷みが和らぐ。どうやら服は背中の部分がボロボロになったようだが、今はどうすることもできない。
戦闘が終わったのなら、と自宅に戻れば、もうそこに家はなかった。幾度めかの爆発の際、どうやら吹き飛んだらしい。瓦礫と化した思い出の我が家を、ミラは呆けた様子で見つめていた。
闇が薄くなっていく。朝が近づく様子が、手に取るようにわかった。街の惨状が露わになり、自宅付近が最も被害が大きかったと知る。街壁は崩れ落ち、そこかしこに無惨な遺体が転がる中、生き延びた者たちを探索する作業が始まった。以前、自分が死んだ時には砕け散ったことを思い出し、ふと「遺体が残る場合もあるんだな」と訊くと、ミラは固い表情で答えた。「命の神の祝福を受けし者は死ぬと命脈の泉に還る。命の神の祝福を受けし者が他者の命を奪った場合、その者の身体は泉下に旅立つことも許されず、砕け散る」らしい。どちらも砕け散っているが、行先が違うということだろう。
どこからともなく現れたNPCたちが、遺体を運び去っていく。
瓦礫を多少動かす程度や、見つかった怪我人を運ぶくらいなら手伝える。夜が明けてもなお、その作業は続いた。具体的に言えば、ミラのMPがゼロになり、彼女が倒れるまで。
気づいたのは、足をくじいたという年配の女性をミラのところへ連れて行った時だった。椅子代わりに近く瓦礫に座らせ、振り向くともう彼女は倒れていた。
ミラは青白い顔をしたまま、何度声を掛けても目覚めなかった。抱き起こした身体は細く、妙に冷たい。
「兄ちゃん、寝かせてやれよ。寝ないと回復しないだろ」
同じように手伝っていた中年の男が、顔を顰めて言う。その連れ合いらしき女性が、ミラの汗ばんだ前髪を払った。
「神術の使い過ぎさ」
「あたしはもういいから、神殿へ帰しておやり。――ありがとねえ」
年配の女性は、痛む足からこちらへ顔を向けて、微笑んだ。
視線の先が、彼女から自分へ移る。その意味合いを察し、ひとつ頷いた。
ミラの神術は、最初、オレに施したもの以外、傷を塞ぐほどの効果はなかった。それでも、痛みが軽減すれば動くことができる。だからこそ、神術を使うこと自体はやめなかった。おそらく、彼女自身は知っていたのだろう。より多くの者に神術を施すために、限られたMPを少しずつ使う一方、時間によって回復させなければならないと。たかが見習いの身で、それでもなお、ミラは祈り続けた。
僅かに上下する胸元に安堵しながら、大神殿へと向かう。どれだけ急ごうとも、ミラがその分だけ早く目覚めることはない。ただ、休養が必要なら、誰かの腕の中よりはベッドのほうがいいだろう。彼女は普段、宿舎に寝泊まりしていると聞いた。被害がなければ、休むことくらいできるかもしれない。
神官もだが、騎士のような身なりの者たちも多く駆けつけて来ていた。おそらく、あの場はもう大丈夫だろう。
大神殿の前には、幾つもの天幕が張られていた。そこかしこから呻き声が漏れている。せわしく行き交う神官たちの合間を縫うように進むと、呼び止められた。
「ちょっと! 重傷者の受付はあっちよ!」
服を摘ままれて振り向くと、そこには濃紺の髪の少女がいた。肩口で切り揃えられた髪が、「あっち」ということばに合わせてさらりと揺れる。その同じ色合いの瞳が、自分の顔のほうに戻り、驚きに見開かれた。
「――あなた、プレイヤー?」
アシュア。
頭上の名と、IDが読み取れた。彼女もまた、命の神の祝福を受けし者のひとりのようだ。
髪や瞳と同じ色の服は、恐らく自分と同じ感性で選び取られたものだろう。違うのは、二本の脚が露出していることだ。キャラクタークリエイトで見た女性と、同じ形の服を纏っている。
「ああ。怪我じゃないんだ。神術の使い過ぎで」
「そうなの? なら、寝てたらいいわね。神官見習いさんよね。名前は……ミラ? ちょっと聞いてきてあげる。待ってて」
服を摘まんでいた手を離し、ぽん、と軽く触れて身を翻す。その後ろ姿はすぐに神官を捕まえて、何か尋ねて戻ってきた。本当に早い。
「大神殿も宿舎も無事だから、そっちで寝かせてあげてって。大神殿はわかるわよね。入って右手に進めば宿舎のほうに出るから、そこでまた彼女の部屋、訊いてもらえる?」
「わかった」
「妹さんでしょ。この子が起きるまで、あなたも休むといいわ」
労わりのまなざしを向けてくる彼女に、いや、とかぶりを振る。
「オレはいい。えっと、アシュアはここで何を?」
「ちょっと手伝いしてるだけよ。できること見つけて動いてる感じ? 別にクエストとかそういうのじゃないから、焦らなくったっていいわよ。
――ほら、行って」
促され、大神殿へと歩き出し。
あれ、このゲーム、フレンド登録とかないのか?とふと思い出した。他のMMOではプレイヤー同士の交流のために、お互いの連絡先を交換する仕組みがある。意識すれば、フレンドリストが表示された。タブで、PTMリストと切り替えができるようになっている。
申し込もうと振り返ると、もうアシュアの姿はどこにもなかった。
あとでいいか。
同じプレイヤーなら、行く道も重なるはずだ。
近い再会を想像しながら、腕の中の少女を抱き直す。そして、先を急いだ。
言われた通り、大神殿に入り、ホールを右手に進むと、回廊があった。回廊をこちらにやってくる神官に尋ねると、その先の建物が宿舎で、神官見習いであるはずのミラには、一階の奥まった個室を割り当てられているとのことだった。火事場泥棒を疑われても仕方がないような状況だが、幻界の人間はそこまで警戒心がないのか、それとも『命の神の祝福を受けし者』だからか、あっさりと通された。罪を犯せばIDが黄色になるわけだから、早々愚行を侵すこともないと思われているのかもしれない。
部屋の番号を確認し、中へ入る。鍵は掛かっていなかった。毛布が枕元に畳まれたベッドと、机と、椅子。自宅にもあった木箱がひとつ、寝台の足元に転がっている。オレはベッドにミラを寝かし、脇に挟んでいた杖を傍に立て掛けた。
これで、お別れだ。
最早、自宅はない。
彼女には神官見習いという自身の役割もある。
どこよりも安全な大神殿の宿舎に寝かせた。完璧だ。
あの選別イベントが物語るように、これから先、サポートキャラクターを喪失する類のイベントが重なる可能性は否定できない。むしろ、開幕プレイヤーに死を与えたゲームだ。可能性としては十二分にある。いつか失うとわかっているものを、わざわざ手元に置いておくような趣味はない。
ただでさえ、あの声で驚かれたり、呼ばれたり、心配されたりと、事あるごとにちらつく人影が気になるのだ。
心臓によくない。
そして、この自称妹の兄と自分を重ねられるのもうんざりする。
傷を舐め合うような時間を過ごすより、お互い、別の道を行くほうがいい。
扉を静かに閉じ、宿舎を出る。表の広場に全員出ているのか、すれ違う者はいなかった。
陽は、まだ高い。とりあえず、今夜の宿代や食費を稼ぐ必要がありそうだ。
腰に佩いた剣が、きっと自身の道を切り拓くだろう。
そしてオレは、大神殿を後にした。