戦いの果てに
癒しの術がなくても。
ダメージを受けたって、平気になればいい。
傍に誰もいなくても。
ただひとりでも、前に進める力があればいい――。
長剣スキルと、HP自動回復スキル。
この二つを抑えておけば、あとはどうとでもなる。
使い慣れた長剣は容易く魔物を裂く。たとえ服を傷つけられても、しばらく放置しておけば身体は勝手に回復した。
雷のような縫い目のあとは、もう、どこにもない。
ガディードを離れ、ひたすら経験値を稼ぎながら先へ進んだ。幻界ではあまりソロは美味しくないと思っていたのだが、フィールドボスを一人で狩ることの旨味を特別な戦利品で堪能してしまい、野良で声掛けをしてくる連中を横目に、何かをあきらめて戦うようになった。
セルヴァは約束通り、この世界に戻ってきているようだ。ただ、どうしてもまだ、会う気にはなれなかった。顔を見れば、また思い出してしまう。それがわかっていたからだ。声すら聴けなくて、今はまだ、メールでやりとりをしている……。
「で、何でフレンドチャット出ないのよ?」
フン、と鼻息荒くも仁王立ちしている神官さまのお姿に、オレは視線を逸らすことくらいしかできなかった。
こんなにぶざまなところを晒したくなかったからです、と言えばわかってくれるだろうか。
ぐいっ、と服の袖を引かれる。既に擦り切れまくったそれを見て、なおも彼女は眉をひそめた。
「どういうことなの? あの弓手はどこよ? アンタ、ソロでこんなとこまで来たの?」
見た目はぼろぼろだが、HPには問題はない。
ただ、素早い質問の連打に、やはり返事が遅れてしまう。
「――後ろには、誰もいないようだな」
「見りゃわかるわよ!」
赤い術衣をまとった魔術師も、オレをおぼえていたようだ。木製の術杖を肩に担いで、冷静に指摘してくれた。だが、かえって神官の逆鱗に触れたようだ。
「わかってるなら訊かなきゃいいのに」
「ボス部屋にソロで突撃とか、改めて確認しなくちゃやってらんないでしょ!?」
「はいはい……」
お手上げだと、しぐさでも魔術師は表して身を翻した。
その向こうには、あの、白き死神がいる。
ラストアタックを決めた彼女だったが、疲労度が限界だったらしい。今は特別な戦利品である大きな魔石と、巨大な大鎌を手に、座り込んでいる。
今回の戦いはレイド戦で助かった。他のPTが戦っているボス部屋への乱入も、横殴りも文句は言われない。但し、戦闘における貢献度によって最終的なMVPは決まる。
βでも名だたる大鎌使い……白き死神、エスタトゥーア。
遠目では真白の髪と大鎌くらいしかわからないが、その瞳は血の深紅であるという――。
「ちょっと、ひとのはなし聞いてるの!?」
「あー、うん。
……助かった、ありがとな。アシュア」
HP自動回復スキルであっても、まかないきれないダメージだった。
重い一撃直後の追撃に死を覚悟したはずが、それを拾い上げてくれたのはまぎれもなく彼女だった。
光り輝く聖域が、オレの命を守った。
タゲから外れさえすれば、勝手に回復していく。しかし、ついでとばかりに彼女は癒しの奇跡も降らせてくれていた。
おかげで、ボス戦直後だというのに、ほぼHPは緑という奇妙な状況になっていた。
するっと口から出た感謝に、毒づいていたアシュアの矛先が消えた。
青い瞳は大きく見開かれ、次いで苦笑に変わる。
「どういたしまして。で、帰るんでしょう? 一緒に……」
「いや、あっちはまだかかるだろ。オレはいいや」
また、と短く別れを告げ、踵を返す。
ボスは倒した。これでまた、前へ進める……。
耳に届く深々とした溜息はどこまでも呆れ返っていたが、それ以上の追撃はもう、なかった。
癒しのことばすらも、まだ胸を裂くのだと。
そんな情けないこと、言えるわけもなかった。
いよいよβ2三日目、これで、βも終わりとなる。
今回は運営も予め苦情が多発することを覚悟していたようで、予定日数はやはりかなり短く切られていた。それでも、サーバーに対する大量接続負荷実験などは行なっていたので、一応れっきとしたβにはなったのだろうと思う。
殆ど三日間、寝続けていたオレは、最後の休憩にと起きた。パックのエナジー飲料も尽きて、スナック菓子ももうない。ペットボトルは空ばかりがそこらじゅうに散らばっていた。部屋を出るのすらおっくうだ。そう思いながら、時間を確認すべく携帯電話を探す。
部屋のカーテンは閉めっぱなしだが、寝続けていたせいか、目は闇に馴れていた。その薄暗い中、携帯のランプが明滅しているのに気付く。
タップすれば、スリープ画面に通信履歴が残っていた。
――結名だ。
動かすだけでもしんどい腕だったが、スワイプして流れ星を読めば、ぼんやりしていた意識も、一気に覚醒した。
返信、ではなく。
結名の星を指定して、通話を選ぶ。
二度の呼び出し音だけで、その声を聞くことはできた。
『――あ、皓くん?』
明るい声が、耳元で弾ける。
『ふふっ、メッセージ、見てくれた? 合格したよっ』
息が止まりそうだった。
幻界で戦って、戦って、戦って。
ただひたすら前に進んで、強くなったつもりでいて。
ミラと見なかった景色をいくつも見た。意識を下ろして映し出された仮想現実は、現実にはありえないほどの風景を……断崖絶壁の峠に吹く風の心地よさや、本当に見える夕暮れの地平線をまぶしく見つめて、無数の星の下でいくつも夜を過ごした。
ミラも見たかったかもな、と、思うと同時に。
どうして、いないんだよ。
そう、何度思っただろうか。
ミラのことばかり考えているふりをしていた。
いないものだと扱われて、自分だけは絶対に、そんな真似はしないと頑なになっていた。
ミラは役目を終えた。
そして、結名は、結名でずっと、戦ってたんだ。
どれだけ努力をしても報われないかもしれない。そんな未来に震えながら、それでも、絶対にあきらめたりしなかった。
ふたりに今重なるところがあるとすれば、その一点に尽きるだろう。
まっすぐに慕ってくれたミラを思う気持ちと、今ここで広がる感情はまったく違う。きっと、ミラも、同じだったはずだ。ひとの手によって組まれたプログラムのかたまりでも、迷わず妹は、オレに寄り添ってくれた。
βが終わって、何もなくなったとしても――オレはおぼえている。
「ん、おめでとう。がんばってたもんな。ホント、すごいよ……」
そんなふうに。
オレも、結名に寄り添えるだろうか。
以前と同じように。
良い、従兄でいられるだろうか。
――好きなままでいたって、いいと思う……
そんな気持ちをずっと、閉じ込めたままでも。
傍にいても、いいのだろうか……。
『ねえ、もうすぐ卒業式だよね? わたしも、お祝い行くね!』
「マジで?」
『春からはわたしが通う学校だし、卒業式見てみたいもん。
先越されちゃったけど……追いかけて、皓くんと同じとこで勉強できるの、楽しみなんだよ?』
誰かのために。
何か、できることがあるのなら。
これはそんな曖昧さですらない。
ただ、自分をさておいてでもとは思う。
いつかそんなふうに向き合えるかもしれないという、夢を抱いたままでもいいじゃないか。
寒いばかりだった冬でも、徐々に春に近づいていく。
耳元をくすぐる、やさしいことばのやりとりを楽しんでいるあいだに。
β2は、終わりを告げた。




