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先輩

 卒業式が、近い。それは同時に、大学の卒業式も近いということを示していた。

 自分が入学するのと入れ違いに卒業してしまう先輩へ、ひとことくらいあいさつができれば、という感覚で大学を訪ねたのだが……その帰り道のことだった。


 本当に、彼女に会う目的でうろついていたわけではなかったのに。

 ただ、その姿を見たことで、どこか心の端で「会えたらいいな」程度には思っていたのだと、自分の心が素直にさらけ出されてしまったのも、また事実だった。

 ハイネックのセーターに薄手の紺のダウンジャケットを羽織った彼女は、すっかり緩んでしまったこちらの表情に呆れ返って溜め息をつき、長い髪を揺らした。


「アンタ、実はストーカーとかじゃないわよね?」

「そんなにヒマじゃないって……じゃないですよ」


 久々に会った割には、何も変わらない反応がそこにはあった。

 肩から重そうなトートバッグを下げたアシュアは、不審げにオレを見やると、ことばに迷うどころかそれ以上に会話は不要とばかりに踵を返した。

 そのまま別れるのが惜しくなり、後を追う。


「β2、来ましたね」

「よーやくね」


 会話をする気がないわけではないようだ。

 向かう先がまた図書館だと気付いたが、かまわず口を開く。


「どこまで変わるんでしょうね」

「かなり変わるんじゃないの? 苦情の嵐だったらしいし」

「あー……」


 特に、チュートリアルの開幕、例の死にイベントが不評を極めていた。あれはおそらく全廃されるだろうが、正直それでいいと思う。リアルを追求しすぎだ。

 思い出すのは、ガディードの街並みや、数々のNPCの姿ばかりだ。胸に響くなつかしい声音に、視線が遠くなる。


「神官職につくのもたいへんだったのよね」

「バイトしないとダメだったんですか?」

「……バイトといえば、そうかもね」


 ボス戦直後の転送門広場では、まさにそうだった。あれで金が稼げるとも思えないが、少なくともイベントとしてフラグは立てられたのだろう。


「剣士とかなら楽そうよね。剣スキルがあればどうにかなりそう」

「回復はやっぱり、スキル振るだけだと厳しいとか?」

「祈りがわかりにくいのよね……」


 ミラの様子からはたいへんさが少しも伝わらなかったが、今の先輩(アシュア)の声音からはしみじみとそれが感じられた。


 図書館の入口(ゲート)をくぐる時、少し先に行った先輩が立ち止まっていたのに、少し驚いた。

 そちらを見ると、視線を合わすこともなく併設のカフェのほうへと足を向け、やや早足に歩き始めてしまう。

 大学の図書館故か、皇海の特色か、グループでのレポート作成も多いために、談話のできる空間が用意されているのだ。ほかにも打ち合わせしているグループがいくつか見えるが、時期的に空席は多い。そんな中、彼女は四人がけのテーブルに陣取った。


「――待ち合わせとかあったりしますか?」

「そういうわけじゃないけど、話すなら、ここじゃないと迷惑でしょ。まあ、私も遊びで来てないから、あんまり長くは困るかしら」


 浮かんだ危惧をきちんと一蹴してくれるあたり、やはり気遣いのひとだと思う。

 そして、彼女はトートバッグから数冊の書籍とファイルを取り出した。そのタイトルの羅列に、オレは言葉を失う。


「アンタも皇海(ここ)に入るなら、エイフェスくらい知ってるでしょ? β2もだけど、新学期からは三年次だからゼミでも忙しくなるし、予めできることはしとかないと。……って、どうかしたの?」


 法学だとは、何となく物言いから気付いていた。

 だが。

 吐き出す先がなかったモノが、この時、不意に転がり落ちた。


「――先輩って、法律、詳しいんですか?」

「学部生が知ってる範囲なら、多少はね」


 そうして先輩(アシュア)が手に取った一冊には、六法、と書かれていた。


「何? トラブってるの?」


 その六法に手と顎をのせ、やや小さめの声で彼女はそう尋ねてきた。オレはかぶりを横に振った。トラブルはまだ、起こっていない。少なくとも、表向きには、何も。


「ちょっと気になってることがあって。自分でも調べたんですけど……」


 そして、言い淀んだ。

 この疑問を口にするのは、これが初めてだった。


「――いとこ同士って、結婚できますよね?」


 先輩(アシュア)は驚きを表さず、無言で六法を開いた。迷うことなくページをめくり、その内容をこちらへ示す。


「民法七百三十四条、簡単に言えば近親婚の禁止を定義してる条文よ」


 近親婚。

 その響きに、ぞくり、と背筋が凍る。

 示された六法の条文には、見覚えがあった。以前検索をかけた時、表示された内容と同じものだ。文面自体が専門用語ばかりでつづられており、それでも解釈や説明のページを見て自分なりに理解したつもりだった。


「もっとはっきり言えば、ここでいう近親婚にいとこ同士での結婚は含まれないわ。

 婚姻ができないという対象は直系血族……おじいちゃんやおばあちゃん、おとうさんやおかあさん、子どもや孫といった間柄ね。ちなみに、ひいおじいちゃんとかひいおばあちゃんとか、曾孫や玄孫でも直系だとダメなの。それと、三親等内の傍系血族……例えば、兄弟姉妹間、伯淑父(おじ)伯叔母(おば)、甥姪も禁止対象ね」


 さらさらと流れるように、彼女は欲しい情報をすべてくれた。

 馴れない文面を読み解いたつもりでいたが、間違っていなかったようだ。


 それならどうして、という疑問が、その解釈を得た時と同じように胸にくすぶる。


「で」


 一呼吸置き、先輩はこちらへと視線を合わせた。


「この前の子のことで、悩んでるの? まあ、そんなことを言い出すお年寄りはいそうよね。いとこ同士は対象外、血が近すぎる、とかなんとか。相手が言わないんだったらほっとけばいいんだけど」


 それは、浮かんだ疑問に対する明確な解答に思えた。

 自分の存在が、むしろすべての答えではないかと。


 先輩は、六法を閉じた。


「まあ、それにこれはね――ただの法律婚のおはなし」


 山積みになった書籍のほうへと押しやりながら、彼女は続ける。


「好きなものは好きなんでしょうから、法律婚さえ考えなければ、まるっと無視でいいのよ。婚姻と結婚は違うものだから、世の中には事実婚だってあるじゃない」

「違うんですか?」

「法的に認められた夫婦関係が婚姻、単に夫婦になるだけなら結婚。ちょっと違うのよね。だから、今の日本でもLGBTのひとたちが結婚式あげるのは問題ナシよ。ブライダル業界ならむしろ、大歓迎してくれるんじゃないかしら」


 ぐるぐると、頭の中で肯定と否定が渦巻く。

 暖房が効きすぎているとも思えなかったが、手は汗ばんでいた。それを感じながら、拳を握る。


「付き合ってる、相手じゃなくて」


 喉の渇き故か、声が、どこか乾いた音を響かせた。


「……前、父親に『ありえない』って言われたことあって」

「ああ、父親ってほんっとろくでもないわよね!」


 万感こもったことばに聞こえたが、思わずこちらからは否定が飛び出した。


「いえ、いいひとなんです。っつーか、ホント、何で父親やってくれてるのかなって思うくらいで」

「――ごめん、え、義理? 私このお話、聞いてていいの? 口は堅いほうだけど」

「言うあてなかったんで、マジ助かってたり」

「そ、そう?」


 今の両親からの話と、口さがない親戚の物言いで、もともと自分が養子であることは知っていた。パスポートの申請で、初めて戸籍抄本を見て……気になったのでそのまま戸籍謄本も確認し、より両親からの愛情を認識して、余計に訊けなくなったのだ。


「うち、ややこしいんです。母親は、本当は産みの母の姉で……」


 祖父母のもと、未婚のまま産みの母はオレを生んだ。父にあたる男は認知せず、その欄は空欄のままだ。そして、交通事故が祖父母と産みの母を奪い……ひとり生き残ったオレを引き取ったのが今の両親だ。しかも、単なる養子ではなく、特別養子縁組制度、というのを使って。

 何一つ不自由なく、ただ、オレはわがままに育った。

 ろくにおぼえていない産みの母よりも、伯母でもある母親はきっちりと母だった。仕事が忙しいくせに不器用ながらも関わり続けてくれた父親には、今も尊敬の念しかない。


「えっ、いとこってそのご両親の!?」


 何故か目が輝いているように見える先輩に、オレはかぶりを横に振る。


「いえ、三姉妹のいちばん上が今の母親で……いちばん下が、産みの母で、まんなかにあたるひとの子ども、なんですけど」

「あら、そうなの」

「えーっと、そのいとこが生まれた時からずっと近所に暮らしてて」

「幼馴染でもあるってわけね!?」


 先輩のテンションの上下が激しい。

 奇妙に楽しんでいると、不意にその表情がこわばった。


「……ねえ。生まれた時って? 同い年じゃないの?」

「今、受験生ですよ。中三」

「はああっ!?」


 思わず両手が出た。先輩(アシュア)の口元を押さえると、本人も状況を察し、あわてて周囲を見てぺこぺこと頭を下げる。

 そして改めて小声で、しかし明らかに非難めいた口調で言い放たれる。


「十五じゃなかったっけ? 中三って。それってそもそも婚姻可能年齢達してないし」

「だから、手は出していませんよ。付き合ってないって言ったじゃないですか……」

「別の子ってこと? アンタそれ最低じゃない?」

「期間限定のお付き合いでいいからって言われたんで……」


 目の前で黒く長い髪が揺れ、深々と溜息まで吐かれた。


「何となく読めたけど、今のおとうさんに『ありえない』って言われたから、あきらめてたってこと?」

「う……まあ」

「そのいとこさんはちゃんとアンタのこと好きなの?」

「……」


 しどろもどろが遂にもう何も言えなくなってしまった。

 顔をしかめたまま、先輩はメガネの向こうから鋭く睨む。


「もし、アンタのことが好きだとして。

 受験期の今、アンタは別の女の子と付き合ってるっていう時点で、そのいとこさんのハートはかなり砕けてそうなんだけど」

「うー……………どうなんでしょうか……」


 いろいろいっぱいいっぱい過ぎた。

 当の本人(いとこ)は、勉強かゲームかという石頭だ。こちらのことはあまり気にしていない気がする。せいぜいが、プロトポリスにログインしていなければ、面子が足りない時に不機嫌になる程度ではなかろうか。

 そもそも、恋愛に至るような思考をしていないのではなかろうか。あまりにも距離が近すぎて、意識されている気はしない。されても困る。


「高校合格したら、はっちゃけちゃってデビューして、そのまま彼氏できたりとか」


 そもそも、あまり他の男の存在は気にしていなかった。特に受験中はそれこそ、ありえないだろう。

 それに。


「まあ、他に彼氏でも作ってくれればあきらめがつくかもしれないんで……」


 希望的観測だと、自覚はしている。


「ここでこんな話してる時点で、ちっともあきらめつきそうにないけど?」


 呆れ返った声音に、返す言葉はなかった。


「――もっとも、ある意味、もうあきらめちゃってるみたいだけどね」


 爪切りできっちり切られているであろう指先が、視界で揺れた。


「複雑な個人の事情、他者からの介入、用意された逃げ道……あきらめたくないけどあきらめなきゃいけないように思える理由付けならいっぱいあるじゃない。

 だってもう、その子じゃないとダメってこと、ないでしょう?」


 唇が、痛かった。

 知らずに噛み締めていたようで、血の味が口の中に広がる。

 口元へと手を運んでも、まだ、緩まなかった。


 息が止まってしまうような感覚に襲われる。

 否定を否定する感情に、目がくらんだ。


「私はアンタじゃないから、わからないけど――」


 落とした視線の向こうで、六法を彼女の指先が弾く。


「世の中、なるようにしかならないんだから、好きなようにやってみたらいいじゃない。

 そんなにつらいなら、好きなままでいたっていいと思うのよね」


 投げやり気味な前半と、さらなる小声で付け加えられた後半。

 握られた拳が、持ち上がった。


「でも! とりあえずいろいろするのは十八くらいまでは待ってあげてほしいかな! 何てったってほら、歳離れてるし!?」


 頬を赤く染めた上での物言いに、肩から力が抜けた。唇を内側でそっと舐めとって、苦笑する。


「先輩の想像の範囲のことはしませんって」

「やだもーこの後輩……」


 自分でもわかるのか、アシュアは両頬に手を合わせて唇を尖らせていた。

 この、真摯に物事を受け止める先輩の存在に、心から感謝した。

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