夜襲
乾いていた黒の服に一人で着替えるところまでは、何とか成功した。箱にあったほうは念のため道具袋に仕舞っておく。着替えはあるほうがいい。
そして、恐々と白の神官服の背中に尋ねると。
「どこでって、一緒に寝るけど?」
やはり、予想通りの返事が来た。
これで、デスペナルティの解消は遠ざかる。まあ、仕方がない。
このテのイベント、みんな喜ぶんだろうか。喜ぶのかな。喜ぶんだろうなあ。
「え、何で溜息つくの?」
「……別に」
視線を逸らして答えると、わざわざ顔を覗き込んできた。
怪訝そうに、ミラは問う。
「まさか、一緒に寝ないつもりじゃないよね?」
「その年になって一人で寝られないのか?」
「ずっと一緒に寝てたじゃない!」
「知らん!」
一緒一緒と繰り返されたところで、知らないものは知らない。
不満たらたらに言い募るミラに断言すると、途端に衝撃を受けて目に涙が溜まり始める。
――しまった。
いきなり詰まれた。
みるみるうちに、雫は零れていく。
「もうわたしたち、二人きりなのに……お兄ちゃんは、本当にもう、わたしの……」
ふぐっ、うぐっ、ふぇっ……。
ミラの泣き声が狭い部屋に響く。
流れ落ちる雫が、テーブルに模様を描き。
そして、戦いなど開幕から勝敗は決していたのだった。
「ふふ、よかった。本気で嫌がられてたらどうしようかと思っちゃった」
即敗北を告げると、泣いた子どもはもう笑った。奥の壁にひっつくレベルで身体を押しつけ、出入口側に背を向ける。寝てしまえ。本当にもう知らん……。
無言で目を閉じると、背後で明かりが消えた。ベッドに別の人間の重みが加わる。無視だ、無視。
今って何時だろうと思えば、目を閉じているのに幻界時間と現実時間が表示される。一応、このあたりは親切設計のようだ。時計がないと、現実を忘れてしまいそうである。ログイン後、現実時間にすると一時間も経過していないようだ。朝には勝手に起きるだろう、と思って眠る。眠る。眠る。暗示のように繰り返せば、本当に意識が落ちていった。
目覚ましのアラームは、爆音と付属する振動なのか。
心臓に悪すぎると思いながら目を開けると……繰り返される爆音に合わせて、何もかもが揺れていた。ミサイルの着弾か、ついに戦争が始まったのか、と焦っても、ここは幻界である。血相を変えて身を起こせば、同じベッドに横たわっているはずのミラはいなかった。
「ミラ?」
呼べば、爆音が返事をする。いや、おまえは呼んでない。
あまりにも着弾地点が近いのか、家まで揺らいで、上から何かパラパラ落ちてくる始末だ。ベッドから降りて土間に行くと、表への扉が開いているのが見えた。
――外に出た!?
まさかファンタジーな幻界にいきなり戦闘機が炸薬をバラまくとは思っていなかったが、似たようなことは魔法でも起こり得るだろう。
あわてて表に出ると、当の本人に怒鳴られた。
「お兄ちゃん、出てきちゃダメっ!」
その向こうには、何もなかった。
確かに、この家に来た時には、向こうに家も、街壁もあったのに。
今、ミラの向こうには、ただ闇が広がるだけだった。
「なっ!?」
「黙れ」
ミラの腕を掴み、強く引く。文句が口から出そうだったので、低く呟いて黙らせた。よりにもよって、何故こいつは白の服なんてものを着てるのか。どこでもいい、建物の影を探すと、自宅の向かいに隙間があった。何とかその小さな体を押し込み、自分で蓋をする。顔さえ向けなければいい。黒ければわからない。
「ようやく出てきたか、『命の神の祝福を受けし者』よ」
その闇から、声が聞こえた。胸元でもぞもぞと動く頭を押さえつける。ここで声を上げられては台無しだ。
『命の神の祝福を受けし者』は、それこそβテスター全員である。この近くにどれだけの人数が集まっているのかはわからないが、爆音でのこのこと顔を出した者は多いはずだ。主人公は、オレだけじゃない。
再び、爆音と――次いで、爆風を感じた。背中に痛みが走る。
直撃は避けられた。建物の影にいたことで、少なくとも、ミラは無事だ。小さな頭を見下ろしていると、光点に合わせてウィンドウが表示された。
PT加入要請、とある。
触れると、「PTへ加入する旨をミラに申し込みますか」と出た。はい、いいえの二択である。はい、を選ぶと、視界に出たステータス表示にミラが追加された。
『オープンチャットとPTチャットの切り替えは、ウィンドウのアイコンをタップするか、もしくは意識でも切り替えられます』
脳裏にアナウンスが流れる。
PTチャット、と意識しながら口を開く。
『ミラ、次の爆発で逃げるぞ』
『た、戦わないの?』
『何が敵で、どこにいるかもわからないのに? 無茶言うなよ』
今の攻撃ではっきりした。相手は少なくともオレたちを認識していない。他にいる『命の神の祝福を受けし者』の誰かか、もしくは適当に攻撃している。それなら、闇に紛れて逃げるの一択だ。できるだけ建物の影に身を潜めつつ、この場を離れるしかない。
夜の闇に慣れた目が、道行きを助けてくれた。
悲鳴が、聞こえる。
嘆きが、聞こえる。
そこかしこで命が失われたのだろう。
そして、その叫びはきっと、同じβテスターのものだ。
ミラを見ていればわかる。目立つ、白い神官服。爆音に飛び出していく様。
これは明らかにイベントだった。戦って勝つにしろ、逃げ出すにしろ、サポートキャラクターは死ねば消える。自身は死んだところで、アイテムをランダムドロップして大神殿に出戻るだけである。
それでも。
肉親という親しい間柄の者と、寝食を共にしたあとだ。
――幻界、かなりダークすぎないか……?
えげつない展開に、溜息が漏れた。
同時に、再度爆発が起こる。遠方だ。その音の下に散った命を知りながらも、自分は運がいいと感じてしまう。
生きるか死ぬかの瀬戸際、選別イベント。
罪悪感に負けてしまえば、死ぬ未来しかない。
唇を噛み、一気にミラを引き出した。その腕を掴んだまま、走る。背中が引きつるように痛む。ステータス表示もHPが黄色になっていた。連動するように、息が切れる。それでも、足を止めることはできなかった。
地図をあてにして、大神殿の方角へとひた走る。足元の石が白っぽいおかげで、闇の中でもぼんやりと道を示してくれた。一つ目の角を曲がった時、そこには崩れ落ちた家や露出した地面があり、ここもまた攻撃を受けたのだとわかった。瓦礫で道が塞がれている。このまま進むのは危険だ。少し戻って、もうひとつ向こうの道へ、と思った時。
光が、降りた。
夜の闇の中、きらきらと落ちてくる光。
振り向けば、そこには光の柱が立っていた。
――Congratulations, you defeated the boss.
The MVP is given honor.
Bless to all.
幻界文字が浮かぶ。
ボスがいたのか? ボス戦だったのか? 誰が倒したんだ?
幾つも浮かぶ疑問に、答える者は何もなかった。
ただ、光の欠片が、自身の前にも降りてきて、一本の剣の形になった。
手を伸ばして、触れる。その長剣は、銀色の鞘に収められていた。
ブロードソード、攻撃力三十、耐久度百/百。
戦利品だ。
ボス戦だから、全員に行き渡ったのだろうか。
腰帯の短剣の鞘の位置をずらし、ブロードソードを佩く。
生によって得られた報酬は、ずっしりと重かった。
何もわからないまま、戦いは始まり。
何もわからないまま、天の恵みのように剣を得て、戦いは唐突に終わった。
困惑したまま、神官見習いは降り続ける光を見上げ、命の礼を行なう。
それはまるで、死者への手向けのように、オレには見えた。