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懐かしくない我が家


 ミラは迷わず先を行く。

 途中までは大通りを進み、路地へ入る。幾つもの角を曲がり、街壁に近いところにまで歩くと、不意に身体の角度を変えた。小さな、一軒家である。古びた木造のそれは庭もなく、何と、鍵もなかったようだ。ミラが扉に手を掛けて軽く押すだけで、それは開いたように見えた。


「ただいまー……じゃなくって、おかえり、だね」


 ミラは先に中へ入ってから、こちらを振り向いて微笑み告げる。それから目を背けるように、家に立ち入った。気分としては「お邪魔します」である。

 知らない家だ。開かれた扉からしか明かりが入っていない。外はもう残光が消えかかっているような状態なので、殆ど薄闇になっていた。


「――星明かりの加護(ルークス・ステラエ)


 ミラが何事か呟く。すると、彼女の杖がほのかに光を発し始めた。魔法だ。思わず口元が緩みそうになり、歯を食いしばる。それでも、視線はその光に釘付けで……ミラは面白そうに声を上げた。


「ふふ、前もそうやって見てたよね。油代掛からなくていいなって、喜んでた」


 その様子は、作られたものには見えなかった。

 そして、気付く。


 ――本当に、「シリウス」がいたのではないかと。


 幻界ヴェルト・ラーイの原理はわからない。

 自分が死んだのはつい先ほど、案内役に殺されたのが最初の死だ。しかし、彼女ミラの中には、確かに兄のシリウスがいて、かつてここで暮らしてきた時間があったのだと思わされるほどに、その口ぶりには懐かしさが詰まっている。それは、作られた、偽物の記憶なのだろうが――。


 思考が沈みかけて、慌てて頭を振る。

 どうでもいいことだ。シリウス(オレ)はここにいる。ミラの記憶の中のシリウスが誰であれ、関係ない。


 魔法に照らされた入ってすぐの部屋は玄関ではなく、ただの土間だった。小さなダイニングテーブルに椅子が二脚、木製の戸棚が一つ、水がめが二つにかまどがある。片方の水がめは底が割れていて、煤だらけの煙突がかまどの上に伸びていた。

 ミラはテーブルに明かりの灯る杖を立てかけて、戸棚に向かう。その前でうずくまり、戸棚の下から小さな鍵を取り出した。どうやら、家には鍵がかかっていないが、戸棚には鍵がかかっているらしい。変わった用心の仕方である。戸棚の中から鍋や何か食材を取り出していた。


「よかった、野菜のスープくらいは作れそう」


 ミラに食事は任せて、とりあえず家の中を見て回ることにした。自宅ならば文句はないだろう。土間にはもう一つ、扉のない出入口がある。そちらへ足を向けると、奥に大きなベッドが一つ見えた。毛布がぐちゃぐちゃになって乗っている。足元には木箱があった。

 以上――探索終了である。

 いや、マジで。


 片付いているというよりは物がない自宅である。風呂も当然、ない。


「おに……シリウス、着替えたら?」


 台所らしき場所で、夕食の支度を始めたミラが声を掛けてきた。こちらとしてもその勧めに従いたいのはやまやまである。


「服、ないから……」

「まさか! 木箱の中に何かあるでしょ!?」


 二つある木箱は、どうやら着替えらしい。薄暗い中、出入口から射す明かりで見えるように、少し木箱を動かす。蓋を開けると、薄汚い雑巾が入っていた。まさかと思いながら指先でつまんで取り上げると……それが服だとわかった。灰色の服ではない、汚れのこびりついた、服である。もともとは生成りの服だったようだが、薄茶色の染みやところどころ黒がついた服は、到底自分が着られるようなサイズではなく。


「ちょっと! それわたしのだよ! お兄ちゃんのはもう一個のほう!」


 激昂して、いつもの呼び方に戻ったミラが叫んでいる。

 摘まんでいた指先を離し、蓋を戻す。

 とりあえず、まったく裕福な生活をしていなかったことはよくわかった。神官見習いだからこそ、ミラも今あの神官服を着ることができているのだろう。マシな着替えは宿舎に置きっ放しなのかもしれない。雑巾にするつもりで残していると信じたい。できれば。


 もう一つの木箱を開けると、今の服と同じ形の、生成りの服が出てきた。こちらも多少糸がほつれたり、生地に傷みがあるが、汚れはさほど目立たず、まだ着られる。生成りの服、守備力二、耐久度五十/百。ありがたく、着替えることにした。気休めにしかならないが、入口からは死角になるような位置で、木箱の上に替えを置き、服を脱ぐ。歩いているあいだにかなり生乾きになっていたが、それでも濡れているのは気持ち悪い。下着は何故か替えがなく、脱いで軽く絞ると数滴雫が落ちたので、もうあきらめてそのまま履くことにした。すると、履いた時の感触がそれほど嫌悪感もなく……意外と乾いていた、驚いた。絞るという行為がよかったのかもしれない。生成りの服を着たあと、黒の服は固く絞って、木箱の上に広げておいた。そのうち乾くだろう。靴も替えがないので、そのままだ。


 着替えて土間に戻ると、かまどに火が点いていた。その上に鍋が置かれ、食材が投入されている。


「疲れたでしょ? 寝てていいよ。出来上がったら起こすから」


 椅子に座ろうとすると、振り向いたミラがベッドへと促してきた。

 なるほど、デスペナルティの解消はやはり、眠ることが必要なのか。

 頷いてベッドに行き、靴を脱いで、毛布を寄せ、横になる。つぎはぎだらけのシーツの下は、チクチクする何かが入っていて、しかも、少しも柔らかくなかった。まさに、木のベッドである。畳の上ほど寝心地がよくもなく、硬さ的には体育館で横になっているような感覚だ。

 こんなので眠れるのかよと思ったのは、ほんの一瞬で。

 目を閉じるとあっというまに……意識が融けた。




「――シリウス? ごはん出来たよー」


 幻界ヴェルト・ラーイの仕組みなのか。声を掛けられると、寝起きもよく目覚めることができた。

 どうやら、「寝る」となれば即、眠れるようで、普段とまったく違う環境でもぐっすりと眠れたのがわかる。明かりがあまり届かないのもよかったのかもしれない。とても寝やすかった。ただ、身体のあちこちがやけにギシギシ痛む上にやけに喉がひりひりするが、デスペナルティのステータス半減は僅かに改善されていた。

 起き上がり、靴を履く。靴も服も、もう乾いていた。これだけ早いのは空気が乾燥しているせいだろうが、正直、助かる。濡れたもの、というのはそれだけで不快になるものだ。

 そしてキッチン……というよりは台所な土間へと向かう。

 テーブルの上には木皿が並べられていた。まんなかの木皿にはやけに平らなパンが数枚、互いの席の前には深めの木皿に、見た目ドロドロのスープがある。きちんと木匙が添えられていて、カトラリーなしだときついと正直思っていたので助かった。

 木製のコップに水を入れたものが差し出され、受け取る。

 喉を潤す感覚が心地よい。


「ちょっとは楽になったみたいね。だいぶ、顔色いいし。ほら、座って」


 進められて腰かけた椅子は、異音を放った。体格故だろうが、小さな丸椅子なので、今にも壊れそうで怖い。おっかなびっくり座る様子に、ミラはくすくすと笑っていた。その両手が、命を刻む。


「生きて、また、兄とこうして糧を得られることに深く感謝いたします」


 そして、食べ始める。

 神に捧げる感謝の祈り、のようだ。真面目に神官見習いなのだろう。

 自分は両手を合わせ、「いただきます」といつも通り口にして、木匙を手に取った。すると、ミラは不思議そうに首を傾げる。だが、彼女はそれ以上何も言わず、食事を再開した。まあ、今までのシリウスとは違うのだろう、たぶん。

 別人なのだから当然だと思うが、この違和感を彼女に抱かせる理由がよくわからない。

 幻界ヴェルト・ラーイの演出なのだろうが、流れとしてはどう来るのか。ミラの「神官見習い」という立場からして、戦闘補助のためにいるのだと思うが、さて。

 木匙で野菜を掬い、口に運ぶ。手が、一口でもう止まってしまった。


 ――マズい。


 というか、味が薄い。

 ほんの少し浮かんだ燻製肉らしき肉片から出たもの程度しか、塩っけがない。野菜はドロドロにまで煮詰められていて、元が何なのかわからないほどだ。おかげでコクっぽいものを感じる。単に舌触りがざらざらしているだけかもしれない。野菜の甘みはあるので、それを頼りに食べるしかなさそうだ。

 平らなパンはパキパキ割れるほどで、クラッカーかと思った。食感的には、ドロドロとパキパキで、まあ、複雑なコントラストが……そんなものないほうがよかったのだが……生まれていた。

 それでも、作ってもらったものにケチなどつけられるはずもなく、根性で完食する。

 ごめん、さすがにおかわりはいらない。


 そこまで食べ切ると、さすがにステータスバーの空腹度が完全回復した。疲労度は未だに回復しきらないようだ。それでも、HP・MP共に、初心者だけあって数値は高くない。一晩眠れば、回復するだろう。

 完食した食器を嬉しそうに片付けるミラの背中を見ながら、ふと気付く。


 ちょっと待て。

 どこで寝るんだ?


 奥の部屋にはベッドが一つしかない、という事実に、オレは気が遠くなった。

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