炎と水の輪舞
「遅いっ!」
天上に描かれた魔法陣は、その大きさを増していた。
杖を掲げた貴族の姫君の額には、一筋の汗が光る。オレは吐き出した呼吸を、取り戻すように吸い込んだ。
「――間に合っただろ!?」
四の鐘はまだ鳴っていない。
となりには自分以上に呼吸を荒げた炎の魔術師が、顎先を手の甲で拭っていた。次いで身を起こし、ふわりと赤の術衣を翻す。その手には彼女と同じく、木製の術杖が握られていた。
それへ視線を走らせた水色の姫君は、口の端を上げる。
「多少は使えるようで何よりだ。中級までは修めておるか」
「……一応」
「轟火陣は?」
「いける」
短いやりとりのあと、炎の魔術師は何かを飲み下した。途端、MPバーが半分以上回復し、一気に緑表示にまで戻る。市販されているMP回復薬……ではない。
こちらが驚いていると、したり顔で姫君は頷いた。
「魔力の丸薬か、よい心掛けだ。――全力で、あの陣目掛けて放て!」
魔術師は、詠唱でもってその声に応えた。
複雑な術式は聞き取れない。よくそんなものをおぼえていられるなと、以前シエロに対して抱いた感情が更に上書きされるほど、それは長かった。
たったひとつでも間違えば、発動しないという幻界の魔術である。初級の炎の矢とは異なり、扱いにくいが故に、彼もまた先ほどまでの戦闘では使わなかったもののはずだ。
姫君を守る騎士たちが、一瞬騒めく。彼女もまた詠唱を重ねたことにより、術式の発動を予見したためだろう。
二つの声音が、転送門広場へと響く。
セルヴァが、息を呑む。ミラもまた呆然とその光景を見上げていた。
天上に描かれた魔法陣が、空に混じりそうな色合いへと光を帯びていく。術式が編み出す魔力の渦が、広がる。
それは、水の魔法陣の上に、炎の魔法陣が築かれる。そこに描かれた文様の意味はわからずとも、色合いが属性を伝えた。ゆっくりとその二つが回り始める。
しかし、そのさなかにも魔術師の疲労度が瞬く間に減少していく。もともと、魔術師たるスヴァローグのステータスで、体力の数値は高くない。そのうち、立ってすらいられなくなるだろう。何一つ手伝うことも、手出しすることもできないまま――MPも、疲労度までも濃い赤にまで染まった時、ようやく術式が完成した。
「――轟火陣!」
「結水陣!」
術句により、炎と水の魔法陣は互いのあるべき場所へと嵌ったかのように、動きを停止する。途端、二つの魔法陣が一つとなり、ジャンヴィエを覆うほどに広がっていった。そして、白色の光へと変わり、雨のように降り注ぐ。
――Congratulations on quest clear!!
視界に打ち上がった幻界文字に、レベルの数値までもが増加していく。
だが、それと引き換えに、魔術師の身体が頽れた。
石畳に木製の杖が転がる。何とか、その痩躯は抱きとめた。驚くほど、軽く感じる。力へのステ振り故だが、男の身体に触れたこと自体が疎ましかったようで、酷く顰められた顔と共に、すぐに体は離れていった。
「だいじょうぶだ」
「強がるな、炎の魔術師よ」
スヴァローグと異なり、姫君はけろりとした様子で杖を肩に担ぐ。
「中級程度の腕前で、よく我が術式に合わせることができたな。魔法陣に魔力を注ぐ程度は期待していたが、貴殿のおかげで、こちらは楽だった。協力、感謝する」
そして、彼女は術衣を翻した。
中にまとっていたドレスがはっきりと見える。
「我はオセアン領ラメール伯が一子、水の魔術師ローラだ。ジャンヴィエは我が父の所領。結界が張り直されたことにより、闇の魔物たちは魔族の影響から脱し、今は本性を表していることだろう。
あと一押しだ」
無茶言うな。
貴族らしく誇り高く彼女は口上を述べたが、身体を離したもののスヴァローグの息はすっかり上がり、今もなお膝をついたままだ。セルヴァもミラも、HPはもちろんすべてのバーの数値が減少し、すぐに戦いへと赴くどころではない。
それは、オレもまた同様だった。
その様子は承知の上だったようで、姫君はこちらを眺めて鼻で嗤う。
「フン、命に代わりがあるのなら、いくらでも戦えばよかろうが……これ以上貴殿らは戦えまい。下がれ。これよりは、我が水の魔術が戦場より魔物どもを一掃するであろう。
馬を曳け――!」
見た目だけは凛々しく、ローラと名乗った姫君は馬を駆って西門のほうへと去っていく。騎士たちもまた彼女の護衛の任に就くべく、後を追った。
すぐ傍で「くっくっく」と魔術師が肩を震わせる。
「あれが貴族か、面白いな」
ツボに入ったようだが、オレ的には面白くない。手を貸すのも嫌がられるかと、ひとり先に立ち上がる。
「プレイヤーなんて、代わりがいくらでもきく駒なんだろうよ」
「その通りだからな。あのお姫様にとっては、俺でなくてもよかったんだろう」
杖を地につけ、小さく気合いを入れてスヴァローグは立ち上がる。その暗い赤の瞳が、こちらを柔らかく見つめた。
「だが、シリウスが誘ってくれていなかったら、この結果もなかった。感謝するなら、俺じゃなくてそっちにが正解なのにな」
そして、彼は術杖を軽く上げた。
「お疲れ。俺はそのへんの宿で、アーシュが来るのを待つことにする」
「――行かなくて、本当にだいじょうぶかな」
「ああ、西門の向こうでは、白い死神が鎌を振るっている。すぐに死が降りつもるだろう。魔物自体が弱体化したなら、あのお姫様が到着するよりも早いかもしれない」
不安げなセルヴァのことばに、魔術師は愉快そうに告げた。白い死神、のことばに、ふと、あのガディードの夜を思い出す。魔族の傍にあった、白い、人影。
「じゃあな」
しかし、問いを発するより早く、魔術師は身を翻した。同時に、PTからは外れている。
弓手は肩を竦めた。
「ドライだね。あの神官さん、放置したままなのに」
「味方が来るって言ってたからな。合流できたならだいじょうぶなんだろう。こっちも休むか」
「うん……さすがに、ちょっときつかったかも」
法杖を握り締めたミラが、苦笑する。その身体中が土埃に塗れていて、うっすらと汚れているのがよくわかった。
「温泉行ってきてもいいんだぞ?」
「え、ほんと?」
途端、その表情が輝く。頷けば、ミラは声を弾ませた。
「ありがとう! じゃあ、宿が決まったら行ってくるね」
そのことばに、魔術師が去った方角を見る。宿の看板はいくつか大通り沿いに見えているが、そのどこにも赤い術衣の姿はなかった。
礼を言いそびれたのは、こっちのほうだ。
次会った時に言えばいいかと、オレはその時、安易に考えていた。




