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闇に光る紅玉


 指先を伸ばす。それに触れると、ねっとりとした感触がまとわりついた。これは。


「蜘蛛の糸……?」


 よりにもよって、まだ敵影が確認できていないにもかかわらず。

 魔術師シエロはオープンチャットで呟きやがったのである。


 暗がりに浮かび上がる無数の紅玉。どれが一体なのかがわからないまま、その赤がこちらを視認したことを伝える。剣を構え、気付く。

 糸。

 これに絡まれてしまえば、やすやすと切れ味が戻るとも思えない。

 空気を切るような音が響き、とにかく下がる。だが、下がった先に。


「いってえな! ちゃんと後ろ見ろよ!」


 よりにもよって前に出ようとしたらしく、シエロにぶつかる。何とか飛んできた「糸」から逃れることはできたが、それ以上身動きが取れない。舌打ちが響き、弓弦が鳴る。

 その一矢は紅玉の中心を捉えた。短い絶鳴の後、光が砕けた。だが、まだいる。それこそ消えた紅玉を思えば、無数と言いたくなるほどに。


「シリウス、シエロを前に出せ!」


 いっそ蹴り飛ばすかと思っていた矢先に、弓手の恐ろしい指令が飛ぶ。次々と空気を切る音が続く。いずれも、糸を吐き出す音だ。


「話わかるな、アンタ!」


 魔術師の腕が、オレごしに闇へと伸ばされる。このままだと巻き込まれる。

 セルヴァの言う通りに、シエロに場を譲る。まともに糸の攻撃を受けるはめになるだろう、と予想した通り、まともにシエロは糸を浴びていく。だが、魔術師は詠唱をやめなかった。


我が(クゥム・)力と(フォルディドディー)ともに(イネム・メィアム)……」


 そして、力は結実する。


「――炎の矢(ケオ・ヴェロス)!」


 糸でべとべとになった術杖の先から、複数の炎が放たれる。糸という糸が、その炎に触れて消えていく。炎を放った当の本人の身体の糸はそのままだったが、通路に巡らされていた糸は消えた。


 行ける。


 その空隙へと、身を滑り込ませる。間近に見る紅玉の瞳は四つで一対だった。火蜘蛛(ディー・アラネア)と頭上に名を刻んだそれは、一抱えほどもある大きな蜘蛛だった。その巨大な顎が開く。糸を吐き出すよりも早く、剣を突きこむ。そしてまた一匹、火蜘蛛(ディー・アラネア)は消えた。

 火蜘蛛、という名にひっかかりを覚えながらも、更に剣を振るう。壁に貼りついた火蜘蛛の背を貫いた、その時。


「――炎の矢(ケオ・ヴェロス)!」


 第二波が、オレごと通路を襲う。

 身体を、肌を焼く炎の衝撃に、言葉を失った。


 HPが削られる。無数に放たれた炎の矢のひとつが、まったく無防備だった背中を穿っていた。容易くHPバーを黄色にまで染める。その痛みに、周囲の炎に炙られた熱い空気に、喉が干からびたようだった。前から寄って来る紅玉が見えていても、頽れる身体を支えきれない。


「ふ、ぐっ!」

「わが手に宿れ癒しの奇跡(クラシオン・リート)!」


 背後で何か呻きが聞こえ、続いてミラの祈りが響く。やわらかな神術の光がオレを包み、焼けただれた背中ごと癒してくれた。MPの消費が目に見えて大きく、その分だけ、オレのHPバーが緑へと引き戻す。痛みが薄れ、剣を持つ手に力がこもる。


「――網矢陣フィレ・フレッチャー!」


 頭上を飛び越えて、その弓術アルス・ノーミネは放たれた。視界に広がる銀糸の網が、紅玉を捕える。ようやく周囲を見回す余裕ができ、先ほどの火で、殆どの糸が消えたとわかった。しかし、いずれの蜘蛛もHPが削られている様子はなかった。

 銀糸の網を抜け、また一匹蜘蛛が迫る。右上へと切り払えば、びりっと背中が痛んだ。歯を食いしばり、更なる痛みを覚悟しつつ、手首を返して長剣で斬り下ろす。

 徐々に、銀糸の網から抜け出てくるという形は助かった。数が制限されるために、背後からの弓矢(セルヴァ)の援護が受けられる。だが、その網もそれほど長くはもたなかった。

 巨大な四対の紅玉が、近づく。

 あれが親かと一目でわかるほどの大きさだ。我が子を殺されていく嘆きか、網を裂く時に悲鳴のようなものが聞こえた。


光撃の矢(ペイル・グリッター)!」


 閃光の矢がすぐとなりを抜け、紅玉のどまんなかを射抜く。その衝撃に、大きな火蜘蛛ディー・アラネアの動きが一瞬止まる。駆け出しながら、オレもまたその剣術の名を叫んだ。


突斬撃インペトゥム!」


 アルス・ノーミネに反応し、身体が動く。

 長剣を両手で腰だめにまで引き、踏み込んで長剣を水平に突き込んだ。火蜘蛛ディー・アラネアの巨体の端に、剣が深々と刺さる。そのまま身体をひねり、右上から左下へと、斜めがけに力任せで振り下ろした。

 足が何本か飛ぶ。しかし、まだだ。

 眉間に矢を受けながらも、火蜘蛛はなお、その紅玉でこちらを睨む。認識したということは、(ターゲット)と認識されたということだ。スキル発動直後の硬直に、オレは身動きが取れない。

 

「――炎の矢(ケオ・ヴェロス)!」


 馬鹿のひとつ覚えかよ、と言いたくなるほどに、その炎の矢は飛来する。

 火蜘蛛には、炎の矢(ケオ・ヴェロス)のダメージは一切入らない。それは先ほど視認している。

 だが。

 炎の矢を受けた火蜘蛛ディー・アラネアは、確かに反応を示した。

 ――炎の魔術師を、(ターゲット)と認識したのである。

 足を何本か欠いたにもかかわらず、それは軽く後衛へと向かって跳躍を果たす。硬直が解ける。剣を重さに任せて動かし、身体ごと背後に振り返った。


「うああああああああっ」


 その剣が、再度火蜘蛛の身体を捕えるより早く。

 魔術師の身体が、絶叫と共に地面へと頽れた。身動きひとつしないその姿と、視界の黒いHPバーが重なる。火蜘蛛がその上に乗り上げ、顎を動かす。ずぶり、と体重を掛けた一撃が、火蜘蛛の中へと沈んでいく。腹から背へ、その継ぎ目に向かってオレは剣を振るった。

 両断された身体が、光に散る。

 軽快な音楽が響く中、その火蜘蛛の下から、肩から胸にかけて血まみれの身体が出てきた。目に、光がない。HPバーの黒は死を意味している。


「ミラ!?」

「ダメ、もう……ダメなの……っ」


 法杖を握ったまま、彼女もまた床へと膝をつき、顔を覆う。零れ落ちる涙の雫が、地面に染み込み、消える。


「だから、タゲ取るなって……」


 苦々しく、セルヴァもまた呟き……血まみれの遺体のそばへと膝を落とした。

 その時。

 硝子が割れるように、魔術師シエロの身体が砕け散った。


 プレイヤーの死。


 それを改めて目の当たりにし、オレたちはしばらく、何も言えなかった。


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