我が力とともに
通路のように広場を区切っている岩の上に、その魔物は出現していた。
弓手は既に矢を番えている。その照準を火蛇に合わせたまま、魔術師へと促した。
「やってみたら? どれくらいダメージ出るのか、出ないのか。それがわかったら、シエロのオーショード情報がより最新になるよ?」
まだ売る気あるのかな、こいつ。
クリアしたあとも村長の屋敷の前に陣取って売り続けるとしたら、それはそれで根性があると言えなくもない。正直そのテの根性はいらない気がするが。初心者は事実を知れば間違いなく凹むので、やめたほうがいい。
オレの心の声など聞こえようはずもなく、セルヴァの声援が功を奏したのか、シエロは術杖を構えた。聞きなれないことばが流れ出す。
「我が力とともに……」
魔術の発動のための、呪文詠唱だと悟る。これは素直に「よくおぼえてるな」と感心した。
未だに攻撃には移らず、こちらの様子を見ている火蛇もまた大したものだった。魔術の詠唱をじっくり聞き入っている。
「――炎の矢!」
技名と同じく、呪文の起動にも魔法の名前が必要らしい。その術杖の先から、小さな炎の矢が迸った。
が。
こちらをじっと凝視していた火蛇である。その身体をにょろりと横たえることで、呆気なく躱した。チョロチョロと口元から漏れ出ている炎が、何となくひとを小バカにしているように見える。
魔術師は嘆いた。
「効かない……だと!?」
「いや、当たってないし」
さも意外そうに語らないでほしい。命中していないものは効きようもない。ミラの手首ほどの太さの蛇は、にょろにょろと身をくねらせてこちらを挑発している。攻撃を仕掛けてこない理由のほうが気になる動きだ。
「もう一回試してみます?」
「よし、クゥム……」
ミラの優しい促しにより、シエロはやる気になってしまった。しかし、悠長に待つ義理など最初から火蛇にはない。魔術師の術が完成するより早く、火蛇は口から炎を吐き出した。その勢いはさきほどの炎の矢と相違なく、ただ、若干炎の矢よりも短いようだった。こちらも同じく相手を眺めていたのであって、そのあいだは寛いでいたわけではない。まっすぐ魔術師を狙う炎の塊を、オレは剣で地面へ叩きつけた。次いで、セルヴァの矢が火蛇の口へと飛び込み、顎すら貫く。瞬間、火蛇は光となって散り、その赤と黒の文様の皮を残した。
「おー……すっかり一流剣士っぽいね」
「レベル十五で? 早すぎだろ」
褒められて悪い気はしないが、褒め過ぎである。
剣のスキルマスタリーはレベルが4まで上がったので、おそらくその影響で剣速も上がったように感じる。あの怒涛の街道モンスターハウスが効いた。斬って斬って斬りまくったからなぁ……。
「怪我、なくてよかったですね」
笑顔でミラが安堵している。その方向はこちらではなく、魔術師シエロに対するものだった。やはり神官見習い、どんな相手であれ傷つくのはつらいのだろう。
「それはいいんだけどさあ……俺の炎の矢、撃ちそびれちゃったじゃん」
「え?」
唇を尖らせて、シエロは続けた。
「試せっていうからやったのにさ、ひどくね? ちょっと気をつけてほしいかなあ、なんて」
オレたちは顔を見合わせる。互いがどれほど呆気に取られているのか、その瞳に映った自分でわかるほどだ。
途端、セルヴァはその美貌に満面の笑みを浮かべた。
「ごめん、ついうっかり撃っちゃったよ。次こそ撃たないから、がんばって!」
――わかった。今度は見殺しにするから勝手に死ね。
謝罪と応援のことばに、何となく意訳をかぶせてしまう。
見殺しはいいんだが、いいんだが……まあいっか。
フォローする気もまったく起きなくなり、オレもまた大きく頷いた。
「そうだな。そうする」
「いや、そっちが反省してくれるんならさ、別にいいんだよ。次から頼むわ、ホント」
ぐいっと服の裾を引っ張られた。腰の剣帯がずれてしまうのではないだろうかと思うほどで、オレは溜息をつく。唇を噛み締めるミラに、空いた手を伸ばした。
「たいへんなのはミラかもな」
「――わたし……どうしてたらいいの?」
自分と同じ色合いの漆黒の髪は、自分と違って柔らかな感触だった。
法杖を握り締める両手に、更に力をこめているのがわかる。サポートキャラクターに手を抜けと言うに言えず、その手を戻して頬を掻く。
「ミラはいつもどおりでいいよ。無理しないで」
その問いかけに応えたのは自分ではなく、セルヴァだった。苦笑している様子に、何となく、自分を責めているのではという気がした。
「ほんっとにしょうがねえよなあ」
周囲に聞こえるほどの大きさで声を張り上げながら、シエロは歩き出す。そして、火蛇の皮を拾い上げるべく足を岩へと掛ける。
その時、シエロの足元の岩が、ぼろりと転がり落ちた。
「っ、下がれ!」
セルヴァの制止は、間に合わなかった。
魔術師の足元。その岩が外れたくぼみの中から、無数の火蛇が姿を現したのである――。




