熱の痕跡
あけましておめでとうございます。
いよいよβも始動です。
不定期更新がいつのまにやら週一更新ですが、がんばります!
オーショードの洞窟の周辺には、微かに硫黄の匂いが立ち込めていた。
ところどころに薄い黄色の痕跡が残り、実際に湯が沸いているところまである。転送門広場前の噴水のように整備されていないわけだから、このあたりは相当熱湯になるはずだ。気温も高くなり、オレたちは外套を脱いでいた。袖までもまくり上げた腕を、伸ばす。
「何してるの!?」
「――!」
今ならばHPもオールグリーンだと、ほんの少し触れてみる。指先に熱さを感じ、ひっこめた。一瞬であれば、HPの減少はないようだ。何秒くらい浸かれば火傷判定かな、と考えた時、湯に浸した手を取り、目の前にミラが顔を強張らせながら迫ってきた。
「やめて、危ないじゃない!」
「あー……ごめん」
まさか火属性の洞窟だからと溶岩が噴出したりはすまい。そう望みをかけることにした。同じようなことを考えたのか、セルヴァが周辺を見回しながら呟く。
「むしろ、毒ガス判定ないといいよね」
想像していた内容が、もっと悪かった。それ、初心者向けじゃないよな。
「ガスマスクって売ってたのかなあ……」
「要るなら念押しするんじゃないか?」
さすがにファンタジーで中毒死はあんまりだ。最新のオーショード情報を売っていたはずのシエロの発言に、苦笑しか出ない。お前が知らないんだからイラナイはずだよな?
街道はご丁寧にも洞窟正面玄関……入り口近くまで敷設されていた。複数の出入り口があると地図には表示されているが、最も利用されているのでそのような表記になっているのだろう。切れ目には小屋があり、扉前に衛兵が立っている。詰所のようだ。この周辺に宿泊施設や施療院がないという旨の念押しを受けた。
「まあ、入ってすぐのあたりでぐるぐるしてりゃいいさ。任せたぞ」
奥に進めとは言われなかった。それなら地図がいらないのも納得がいく話だ。おそらく、ギルド出張所を訪れなかった者に対する救済策なのだろう。単に数を倒せばいいというだけなら道理である。
快活な衛兵のことばに背中を押され、丘陵地の一角にぽっかりと開いた洞窟の入り口へと向かう。ごつごつした岩肌を横目に、無数の人間が歩いたのだろう道筋を行く。すり減った足元は、砂利もまばらだった。すぐに洞窟の中、というわけではなく、まだ外の光が射し込んでいる。徐々に薄暗くなる道のりの途中で、シエロの術式が響いた。
「魔力光」
魔術のやわらかな光が、頭上から降りる。闇の顎の奥は、まだ見えない。
入り口でもそこそこ広さを感じていたが、通路に進んでも狭苦しさは感じない。幅も高さもあり、剣を振り回しても岩肌に叩きつけて刃こぼれを起こさずに済みそうである。
衛兵の言っていた「入ってすぐ」という場所は、ごつごつした岩肌がまるで隆起しているかのように残された広場だった。複数ある入り口の理由が、硫黄の匂いと熱気が風に流れていることから何となくわかる。空気穴が開いているのだ。
地図で通路とされている部分は、入り口同様すり減っている。洞窟内には、様々な音が入り混じっていた。笛のように鳴る空気、魔物の咆哮、複数の足音、小爆発音、剣戟も響いている。それらが天井に抜けていく様子に、空間の広さを感じた。洞窟自体もどうやらかなり大きい。そして、見上げて気付いた。他にも魔力光がいくつか、浮かんでいる。
横殴りは避けたいな。
開幕のガディード周辺でも感じたことだが、人が多ければ同じ敵を狙って攻撃が重なりやすい。攻撃した相手に対してターゲッティングするのは、現実であれゲームであれ同じである。どつかれたら痛かった、だからやりかえすというやつだ。魔物でそれを殆ど同時にやらかすと、どちらが先にタゲを取ったかで迷い、次手が打ちにくくなる。魔物はどつきたい、でも、これはどっちのだろう。そんなつまらないことで迷ったり、人同士が揉めているあいだにも魔物は待たない。ターゲットとなったプレイヤーに反撃を開始する。
広場ではなく、できれば通路へ。
そう判断し、地図を頼りに奥へと進む。
「あっつ……」
シエロもまた、魔術師らしくなく腕まくりをしていた。筋力をまったく上げていない腕は日焼けもしておらず細い。術杖を握らずとも、魔力光はオレの頭上に固定されている。便利な魔法だなと感心した。松明と違って手に持たなくていいのが良い。
一方で、ミラは長袖のままだ。短い神官服なので足元は涼し気だが、生地は厚めである。暑さは感じているようで、表情が暗い。少し立ち止まって前後を確認していると、首を傾げた。
「奥?」
「ああ、ここ人多そうだし」
答えると、セルヴァもまた同意した。
「確かにね。沸きもいいのかもしれないけど、巻き込みはいやだな」
「ここ、ボスいるから気をつけろよ」
微妙に他人事のように、魔術師が偉そうに言う。
弓を片手で振りながら、セルヴァが楽し気に指摘した。
「ここで遭遇したならラッキーじゃない? 声上げたらたくさん人、来てくれそうだよ」
「はぁ? 何言ってんの? そんなことすりゃMVP横取りされるかもだろ」
Most Valuable Player――最優秀選手を示す略語である。他のゲームでもよく見かけるシステムだが、幻界にもあるらしい。要するに、いちばんそのボスを倒すことに貢献したプレイヤーに対して褒賞が出るというものである。誰も倒したことのない初戦の場合にはMVPに特別な戦利品が、それ以外のメンバー全員に希少な戦利品が与えられる。初討伐が完了してもやや格は落ちるが、MVPに対しては希少な戦利品が、そして、戦利品はレイド参加者全員に贈られる。レイドモンスターの場合、戦利品を地面に落とすと争奪戦になってしまうために各個人の道具袋へ直接格納される仕組みになっているそうだ。
既に、オーショードの洞窟において初戦討伐は完了している。シエロもそれを知っているはずだが、やはりMVPという響きと希少な戦利品という存在は甘美なものだ。狙えるものなら狙いたい気持ちはわかる。
「言いたいことはわかるけど、お前そんなにダメージ出せるのか?」
「……やってみないとわからないだろ」
その通りである。
その前向きな気持ちで何故ソロ探索ででもトライしなかったのかと言いたくなるが、面倒になるのでそれは言わない。
だから、別のことを口にした。
「じゃあ、やってみろよ」
目の前に這い出てきたものは、全身を真っ赤に染める蛇だった。その名も火蛇である。チロチロと口元から出しているのは舌ではなく、炎だった。
場を譲るように身体を射線からどける。既に剣は抜いているので、いつでも対応は可能だ。だが、肝心の魔術師は怯えた表情で一歩後ろへと下がるのだった。




