迷惑行為
その男は、駆け寄りざま、いきなりセルヴァの腕を掴んだ。
驚いたのは、彼が振り払うでもなく、愉しげに笑みを浮かべたことだった。
「へえ、こんなふうになるんだ」
その碧玉のまなざしが細められ、何となく背筋が冷たくなる。こいつ、怒らせたらマズイやつだ。少し腰が引けたオレとは違い、空気を読めないその男は逆に身を乗り出した。
「頼みがあるんだよ! えーっと……セルヴァ?」
「ちょうどよかった。僕にもあるんだけど」
「おおっ」
「手、離してくれるかな?」
掴まれていないほうの指先が、宙に上がる。
ウィンドウ操作?と気づいた時、男も理解したようだった。
利用規約違反の迷惑行為に該当し、警告が出ているのだろう。
慌てて、セルヴァの腕を離す。
「げっ、え、通報とかしないよな!?」
「何で?」
「何でって……」
「いきなり人の行動を阻害した上に、厚かましくも一方的に頼みとか言いながら迫ってくるひとって迷惑だよね?」
笑顔のままで尋ねるセルヴァに、ミラもまた大きく頷いた。
「その通りです。あなたの所業を、神は決して許さないでしょう」
そして命の聖印を切る。
男は――その場に土下座した。濃い緑の頭が、床につく。その腰ベルトに……木の、棒が刺さっていた。
「申し訳ありません! 迷惑をかけるとか、そんなつもりは全然……っ!」
「いや、迷惑だからな? それも」
天下の、というよりは、公共のギルド出張所。その総合案内前で土下座である。
目立つ。
言い放てば、更に頭が下がって床にこすりつけられているようだった。
「どーか、どーか、俺もアンタたちと一緒にオーショードに連れてってくれませんか!?」
自力で行けばいいじゃん。
そう鼻白んだ時、セルヴァの手が下ろされた。
驚きに目を瞠ると、少し、彼の表情が変わっていることに気付いた。静かな怒りではなく、少し酷薄な笑みが口元に浮かぶ。
『――面白いね』
『おいおい』
PTチャットでの呟きは、男には届かない。
だが、男のことばを肯定する流れに、さすがに制止を掛けた。
『プレイヤーをカモ扱いするやつだぞ?』
『頭数がいたほうが、ダンジョンはクリアしやすいよ? それに、このひと……魔術師だ』
改めてその頭を下げっぱなしの姿に目を落とす。腰にある棒は、単なる棒ではなく……杖のようだった。
「とにかく、話を聞かせてくれるかな? ここだと目立つから……外で」
「マジっすか!?」
打って変わって愛想よく声をかけたセルヴァに、男は飛び上がって喜んだ。
魔術師と言えば、この場から見える出張所のギルドの者でも術衣を纏っている。初期服のまま、という男の様相に違和感を覚えながら、セルヴァと男が出ていく後ろを、オレとミラは付き従った。
『ああいう人、信用しないほうがいいよ?』
『まあ、信用しなくてもいいんじゃないか? 使えれば』
何となくセルヴァの意図を察して呟けば、弓手は振り向いてひとつ頷いてみせた。ダンジョン攻略に必要なものは、地図だけでも、アイテムだけでも、スキルだけでもダメだ。
火力が足りなければ、こちらがやられる。
その現実を、つい昨夜思い知らされたことを……今改めて、オレは思い出していた。
丸一日ぶりの、あたたかな食事だった。
豆のスープに数種類のソーセージ、チーズを挟んで炙ったパンが並んだテーブルを囲むと、自然と心までがあたたまるようだった。深夜だか早朝だかに食べた携帯食を遠くに感じる。あれも味はいいが、やはりあたたかさは重要である。ミラはとなりで感謝の祈りを捧げていた。そして、セルヴァはとても適当に相槌を打っていた。気前よく食事を奢り、次々とまくしたてる男……シエロをちらりと見る。
「とにかくさあ、みんな殺気立っちゃってて仲間って雰囲気じゃないんだよなー!」
ミラのようにサポートキャラクターが残っているプレイヤーはどうやら稀らしい。その前提もあって、ガディード周辺での狩りは、基本的に個人でも何とかなるレベルだ。実際、自分もセルヴァも最初はソロで戦っていた。
だが、オーショードではそうはいかないという。
誰かと組まなければ、多数の敵に囲まれることなく殲滅することは難しい。よって、一人で洞窟内へ突撃しようとすると、衛兵からやんわりと注意を受ける始末だそうだ。しかし、現実ではクローズドベータテスト開始初日にあたる今日である。まだPTを組む行為に馴れないプレイヤーばかりで、広場の掲示板にPT募集を出していても声がかからない。そのため、とりあえず装備を充実させようと金稼ぎに精を出していた……という下りまではあっという間に語り終えていた。
「この世界の魔術は、術式で発動するんだけどさ」
術式。
初めて耳にすることばに、スープを掬う手が止まる。
シエロは訥々と語った。
魔術は術式の詠唱によって発動するという。術式には決まった形式があり、その形式に則ることで設定の変更ができる。ただ、魔術の場合、慣れない詠唱に時間がかかったり、間違うこともある。ソロでは致命的となるミスだ。逃げやすいフィールドではなく、逃げ場の少ない洞窟内でのソロは魔術師にとって危険極まりない。むしろ自殺行為となる。
だから、仲間を探していたのだという。ただ呑気にゲームを楽しむ連中ではなく、前に進むために頭のキレる……プレイヤーを。
「だから、アンタたちは合格! ちゃんとNPCに話聞いてたしなー」
両手を広げて褒め称えるシエロに、オレは溜息を吐いた。ちっともうれしくない「合格」である。この件についてはさすがに口出しできないのか、ミラは黙々とスープを口に運んでいた。
一応話は聞いているのだろうが、セルヴァもまた食べることを優先している。オレも見習うことにした。せっかくのあたたかい食事が台なしになる。
沈黙が走る食卓で、居たたまれなくなったのか、シエロは両手を組んで顎を乗せた。
「見たところ、アンタたちバランスもいいじゃん? 剣士に弓手に僧侶だろ? ここに魔術師加わったらサイコーだよな!」
「で、どんな魔術が使えるの?」
きちんと口の中を空にしてから、セルヴァは尋ねた。途端、シエロの視線が宙を彷徨う。
使えないのだろうか? 魔術師を自称してるだけかと思えば、そうではなかった。
「…………………………炎」
ぽつりとシエロが答えた途端、セルヴァは即座に席を立った。シエロも立ち上がり、まくし立てる。
「いや、普通さ、最初のダンジョンって無属性だろ!? こんなのありえねーじゃん!? よりにもよっていちばん火力あるはずの炎魔術が効きにくいダンジョンなんてさ、マジひでえよなあ!!?」
「あー、おいしかった。ごちそうさま」
「いやもうホントマジお願いだから待ってー!!!」
炎の魔術師だから、PT募集でも誰も誘わないわけか。
人気のありそうな炎の魔術師だが、それが総じて絶望を感じてもおかしくはない状況だ。他の魔術師はどうしているのだろうかと気にはなるが、とりあえず目の前の魔術師のことだ。
セルヴァの腰のあたりに抱きついて泣き落としを始めるシエロに、肩を竦めて見せるセルヴァと視線が合う。
火力としては使えないかもしれない。ただ、無効化されるわけではないのなら。
「――そーだな。オーショード用の準備費用、全部そっち持ちなら手を打つか」
「くわぁっ」
ぷすりとフォークでカット済みのソーセージを一切れ貫く。シエロは自分が貫かれたかのごとく、身を捩らせた。だが、深々と溜息を吐きつつ、頷く。
「もうそれでもいいや。マジ頼んます……」
『うー』
不満げな声がミラから聞こえ、オレはソーセージの皿を顔を顰めまくりの彼女の前へと寄せてやった。
「もっと食えよ。おかわりもシエロが持つんだからさ」
「――はぁい」
カット済みのソーセージではなく、丸々形の残ったハーブ・ソーセージのほうを狙い、ミラもまたフォークを突き立てていた。




