湯治場
どこからともなく囃し立てるような口笛が短く聞こえた。
男は黒のボクサーパンツのみ、女は白のビキニという姿で、その集団はまるで真夏の波打ち際かと思うようにはしゃいでいる。一の鐘、鳴ったばかりだよな? 朝から何やってんだか。
「ほら、くらえーっ」
「や、もう、髪にかけないでよ!」
「隙あり!」
「きゃああっ」
「ほんと、あったかいねえ」
「気持ちいーっ」
ここは混浴か。
しかし、地図の表記には、確かに「転送門広場」とある。
思わず立ち止まったオレに、弓手が苦笑しながら尋ねた。
「服、脱いだことある?」
「――あー……」
それで思い出す。そうだ、あの黒のボクサーは、下着だった。
え、警告って出ないのか?
殆ど流し読みしかしなかった利用規約を思い出そうとする。
と。
いきなり、噴水の勢いが増した。
間欠泉、ということばが脳裏を過ぎる中、湯は高く、高く打ち上がる。
そして、まるで雨のようにそれは周囲に降り注いだ。半裸の男女は歓声を上げた。
オレたちの上にも。
「――冷たいっ」
ミラの短い悲鳴と、同じくそれを体感することで別のことに驚いた。
幻界における体感システムが、どれくらい現実に即しているか。
温かい湯が打ち上がったのだから、温かい湯が落ちてくるわけではなく、ちゃんと落ちてくるあいだに冷やされて水になるという。いや、あったかいほうがうれしいんだけどな!
土砂降りとまではいかないが、そこそこの水量で頭から肩が濡れてしまう。
小さく溜息をつき、オレは周囲を見た。そして、手近な商店を指さす。
「着替えと外套、買うか」
ミラの表情がパッと輝いた。
商店でガディードからの旅路で得られた戦利品を処分し、着替えと外套、そして消耗した回復薬を補充した。着替えや外套は何故か中古品が相当安く買え、一方で回復薬はやはりガディードよりも高かった。術衣に着替えたミラは、神官服の帯だけを身に纏う。オレは元から持っていた古着に着替え、胸当てをつけ、外套だけを購入した。
そこそこ金を貯めているらしい弓手は、短衣と脚衣、外套といろいろ買い揃えていた。王子様然とした様子から、森の狩人のようなイメージに早変わりである。お忍び感は拭えない。
「あんたたちも転送門を使いたいのかい? 温泉好きなんだねえ」
店主の老婆が、転送門開放クエストの要らしきジャンヴィエの長の家への訪問を勧めてくれた。ただ、最近は希望者が続出しているらしく、午前中のみ、鐘ごとに転送門開放の条件をまとめて説明してくれるという。まるで授業だなと思いながら、時間を確認した。まだ半刻ほどある。
ふと、老婆は窓のほうへと視線を向けた。その先には転送門広場があり、今もなお、半裸の男女がはしゃいでいる。
「ああいう変わったのも出始めたから、世の中わからないねえ」
物憂げに溜息を吐く様子から、歓迎されていないことがわかる。微妙に、同じプレイヤーとして恥ずかしくなった。
「あれ、衛兵とか注意しないんですか?」
「子どもならよくああやって遊んでるからね。温泉は湧くもんだし、かけ流しだから汚れとかも気にならないし……まあ、ふつうは湯殿に行くからねえ。お貴族様の目に留まらなきゃいいさ」
特に問題はないが見苦しい、というレベルらしく、セルヴァの問いにただ老婆は困ったような顔をするばかりだった。
「あんたたちも気をつけな。ここは湯治場だから、お貴族様が時折お見えになるんだよ。機嫌を損ねりゃひどい目に遭うからね」
その注意に、ミラは真剣な表情で頷くのだった。
そして、商店を出てもなお、あの連中は噴水で遊んでいた。頭上には名前とID、はっきりプレイヤーだとわかる。あれだけ長居していれば晒されそうだなと思ったが、この世界の写真・動画撮影といった機能はまだ実装されていない。一歩間違えればモテない男のひがみと受け取られて叩かれるだろう。
そこで、男女をもう一度見やる。立派に見目麗しい男女だ。装備をとっぱらって公共の噴水で遊んでいるという事実は見苦しいが、もうちょっといいように取れば何かのCMとかに出そうなワンシーンではある。特に女は出るところが出ていてひっこむところがきちんとひっこんでおり、なかなか……。
「シリウス、行くよ」
凍てついたようなミラの声に、びくりと身を震わせる。
服を引かれるままに、転送門広場の向こうへと足を進めた。くっくっと笑うセルヴァの声に、目を向けられなかった。
町長、というべきだろうか。
恰幅のよい壮年の男は、高価そうな服装に身を包み、自宅の前庭にこしらえた木製の踏み台の上へと乗っていた。従者か執事かわからないが、やせぎすの男が傍につき、こちらを警戒するように槍を持った衛兵が数名、取り囲んでいる。
プレイヤー規模は十数名、といったところか。それほど多くはない。二の鐘なので、一の鐘のほうがもっと多かったのかもしれない。
「うおっほん!」
わざとらしい咳払いが響き、ざわめきが引く。
にんまりと男の口元が緩み、次いで引き締まる。
「命の神の祝福を受けし者たちよ――」
両手を広げ、男は厳かにその呼び名を口にした。となりに立つミラの身体が、微かに震える。自分は場違いではないのだろうかという懸念が過ぎる表情を見て、思わず手が出た。肩に落ちた髪を指先で払うと、こちらに視線が向く。ぽんぽんとその頭を軽く叩くと、くすぐったがるように微笑んだ。
「転送門開放を望む者よ、私はジャンヴィエの村長ガシェである! 転送門とは何かを知らずにここを訪れる者も多いため、先に説明しておく! 転送門とは、国の要所に配備された転移陣である――」
ここって村だったのか。町かと思ってた……。
そのあとの説明は、ガディードで開いた転送門のヘルプ・ウィンドウの内容とほぼ同じだった。街道沿いの集落ごとに設置されている転送門の中で、現在はガディードとジャンヴィエの転送門のみ、使用可能となっている。その他の転送門に関しては、特別な状況を除き、プレイヤーの誰かが最初に集落の転送門開放クエストをクリアすることにより、プレイヤー全体が当該集落の転送門を使用可能となる。但し、当該集落の転送門開放クエストをクリアしていないプレイヤーの場合、利用料は非常に高価となる。逆に、転送門開放クエストをクリアした者は利用料が下がる。利用料は距離に応じて異なる――。
既に、ジャンヴィエの転送門はプレイヤーによって開放されている。よって、個別に料金を安くするためにクリアするというのが主目的となる。
「そこでだ。このジャンヴィエには、火山帯の洞窟が存在する。炎属性の魔物が増えすぎると湯温が上昇するため、一定の間引きを要しておる。これを諸君に頼みたい」
男のことばに合わせて、視界に水銀の温度計のような形のアイコンが浮き上がる。今は八十度の位置まで温度が上昇していた。
「ジャンヴィエの湯は源泉かけ流し! いっさいの加水・加温は認めておらん! よって、その温度計が四十五度にまで下がるほどの討伐を望む。これは討伐数のみでのカウントではなく、その魔物の強さにも影響があるため注意してくれ」
「零度になるまで討伐してきたらどうなるんだよ?」
無造作に問いかけるプレイヤーに、男は頷いた。その質問に慣れているのだろう。
「できるものならやってみてもらおうかと言いたいが、洞窟中の魔物を全滅させてもそこまでは下がらん。安心してもらいたい。では質問があれば衛兵に訊くといい。解散!」




