夜襲
起き上がり、剣を引き抜く。既にセルヴァは弓に矢をつがえ、放っていた。何かを貫く音が闇の向こうで響く。しかし、地に伏せる音ではなく、土を蹴る音が続いた。目を凝らすと、こちらに何かが四肢を用い、駆けて来るのが見えた。背後にはミラがいる。退くわけにはいかない。
目覚めてすぐに、普通、意識も身体もこれほどは動かない。だが、ゲームらしさというべきか、一切の鈍さを感じさせず、思うままにオレは駆け出した。
剣技を、発動させる。
長剣が肉を抉り、骨を断つ。相手の速度も利用した強烈な一撃は、前脚から背へと入った。闇を裂く咆哮が上がる。その声に、一瞬たじろいだ。
負傷した魔物は怒り狂い、暴れ出す。攻撃の手を休めるわけにはいかない。とりあえずとどめを狙うべく、動きの鈍った魔物へとさらに剣を振るう。脇から振り上げた刃を、魔物は後方へ跳躍して避けた。殺意をみなぎらせた赤の双眸が、口から生えた四本の白い牙が、夜の中に浮き上がっている。その背には、セルヴァのものらしき矢が数本刺さっていた。
森猪。
近接戦に入り、ようやく魔物が何であるかがわかった。
『ヤバい、早く片付けよう』
声と共に、彼の索敵スキルの恩恵が視界の端に表示される。複数の|赤の光点が、索敵範囲の端にあった。
『了解……!』
猪は群れで行動しないよな?と頭の端で考えながら、両手で腰だめに剣を引く。そして、新しく身につけたばかりの技名を叫んだ。
「突斬撃!」
踏み込んで長剣を水平に突き込み、身体をひねって右上から左下へと斜めがけに振り下ろす。しかし、相手のがっしりとした筋肉に阻まれ、剣は途中で止まってしまった。そのまま、スキル発動直後の硬直に入ってしまう。
衝撃は、すぐにやってきた。
剣を生やしたまま、森猪《フォレスト・エーバ―》の身体がこちらを弾き飛ばす。体当たりを受け、オレの身体は草地を這う。身を起こそうと膝が地を着いた時、更に追撃を受ける。森猪《フォレスト・エーバ―》の前脚が、顎をとらえた。地面に、身体が落ちる。
「わが手に宿れ癒しの奇跡!」
悲鳴に似た祈りが、HPを回復させる。一瞬、吹き飛びかかった意識がすぐに戻ってきた。ぎりぎり、ちょうど森猪の前脚が地面へと降りたところで、目の前に自身の剣が突き刺さっている。オレは、長剣の柄を握った。その感触がわかったのか、森猪は振り払おうと身を捩った。
セルヴァの矢が、森猪を撃つ。その痛みに、森猪の動きが止まる。
森猪の胴へ蹴りを入れながら、長剣を引き抜く。森猪は横倒しになったが、オレはそのまま後方へ退いた。ようやく、息を吐く。頭がくらりとする感覚が、状況の危険度を物語っていた。
『危ないって』
『悪い』
セルヴァの注意に短く応え、これ以上は無理だと自分でも判断した。
早く片付けなければ。
「斬撃!」
剣技を自分の身体で発動させる余裕はなかった。技名は正しく発動し、起き上がりかけた森猪を斬る。こちらのほうがスキルレベルが上のためか、誤ることも止まることもなく森猪の骨肉を断ち、粉砕した。戦利品は猪肉であり、鍋の具に良さそうだ。
呑気なことを考えているのは思考だけで、身体からは力が抜けた。その場に腰から落ち、手の甲で顎を撫でる。べっとりと濡れた感触が、気持ち悪い。
「触らないで」
硬い声音による制止に、視線を向ける。法杖を手に、ミラは再度祈りを捧げた。既にMP回復促進薬は使っているようだ。じわじわと回復していたMPが、祈りによって消耗していく。付着した血液は消えないが、痛みは薄れた。血は止まったように思うが、触るなと言われているので確認はできない。それでも、自身のHPは未だに黄色のままだった。よほど、あの体当たりと蹴りが効いたようだ。HP回復促進薬を道具袋表示から使用する。出す、という物理的な動作が今はきつかった。
次いで、地図、と思考によって表示を呼び出す。既に、こちらの探知範囲内に複数の光点が映る状態になっていた。あまりゆっくりはできない。
そう思っていると、離れた位置に立ったままだったセルヴァが動き始めた。
『ちょっと行ってくる。引き離したら戻るから、待ってて』
『おい』
『ここまで来たのに神殿帰りは嫌だからね』
青い、彼を示す光点が赤い光点のほうへと駆けていく。とっさに剣を支えに立ち上がろうとしたのだが、ミラの手が肩を押し、地面へと身体を戻させた。彼女の軽い力ですら、反発するのがつらい。
「息、荒いよ。まともに戦えないのに、追っかけても……」
泣きそうな声に、否定をぶつけるつもりだった。薬と神術の相乗効果で、HPは何とか緑にまで戻っている。多少の痛みは我慢すればいい。頭がくらくらするのなんて、戦っていたらまぎれる。
白い神官服が、目の前に座り込んだ。その細い両腕が、広げられる。
「――もう死なないでよ……」
視界が白で覆われる。
包まれた温もりを感じて、少し冷えていたのかと気づいた。
背中に当たる硬い感触は法杖で。
あれ、何で……。
柔らかな感触が押し当てられる。鼻先だけではなく、頬までが触れた。
掻き抱かれたのは、誰だったのだろう。
それは自分ではなくて……シリウスという名の、彼女の兄だったモノに対する、悲痛な願いだった。




