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面影


 夜から昼へ、一気に時間帯が変わると感覚的にきついかもしれない。夜だからと眠ったはずなのに、こちらはまだ正午すぎである。時差ぼけのような気がしつつ、いろいろなパーツが散在している自室のソファで身を起こした。VRユニットを外しリビングへ行くと、母親が冷やし中華の皿をテーブルに並べているところだった。満面の笑顔で、こちらを見る。


「あら、ちょうどいいところに」

「あ……うん」


 狙ったわけではないのだが、セルヴァの忠告に従っておいてよかったと思った。食事の支度ができているのに来ない、ともなれば、そのうちキレ始めるのだ。こちらの身体はまったく動かしていないのに、頭の中を動かし続けているせいか、不思議と腹は減っている。洗面にまで戻り、手を洗ってから食卓につくと、いきなり褒められた。


「ちゃんとお昼ご飯の時間って出てきたのね、エライエライ」


 高校三年生に対しての発言とは思えないが、前科何十犯と重ねているので返す言葉はなかった。「いただきます」をしてからガンガン頬張る。あまり時間はない。すぐに幻界ヴェルト・ラーイの夜明けが来てしまう。


「もっとゆっくり食べたら? もうすぐ結名ちゃんも来るし」

「……何で?」


 呆れ声から続いたことばに、口の中身を飲み下してから尋ねる。そういえば、とテーブルに並んだ皿の数を見ると、三人分である。母はあっさりと、今日の夏期講習が午前で終わることと、結名の母であり、母の妹にあたる叔母が夕方まで留守にしている旨を述べた。なので、結名は昼食後、図書館で勉強するらしい。真面目なことである。

 ふうん、と生返事をして、残り少なくなった冷やし中華をかき込んだ。すると、玄関のチャイムが鳴る。マンションのエントランスのチャイムは鳴らなかった。要するに、コンシェルジュが顔パスで通す相手=結名だ。「ごちそうさま」と言い置いて、席を立つ。迎えに出ようとした母が、にこやかに「じゃあお願い」と見送る。部屋に戻るついでというだけだ。

 玄関のカギを外し、ドアを開ける。廊下にも空調があるはずだが、設定温度の差だろうか。やや冷えた空気が入り込んできた。だが、大きなデイバッグを背負った結名は、暑さに負けた顔をして立っている。自転車で移動しているためだろう。汗だくになっていて、ハンカチで顔の汗を拭きながら、こちらを見た。


「皓くん、こんにちはー」

「――お疲れ」


 一瞬。

 その声に、どきりとした。


 改めて結名を見る。

 Tシャツが汗で張り付いてひどいことになっているのだが、本人は気付いているのだろうか。濃い色合いでよかったと思いつつ、中へ促す。


「ほら、入れよ」

「うん。ホント、暑いよねー……」

「そっか」


 四六時中エアコン内の生活なので、暑いという感覚から遠ざかっている。故に、微妙に同意しにくい。

 結名にしてみても、塾はエアコンが効いているはずなのだが。ほんの十分とかからない自転車の道のりでも、真夏の日差しに焼かれるとこうなるという健康的な中学生の一礼である。自分よりもよほど肌の色が濃い。室内にいると快適過ぎてわからない上に、心は幻界ヴェルト・ラーイに飛ぶという、れっきとしたひきこもり生活を満喫している自分には縁遠い話である。

 自室のほうへ戻ろうとすると、後ろから呼び止められた。


「え? 皓くん、ごはんは?」

「もう食った。オレ、幻界ヴェルト・ラーイのβテスト中なんだよ。じゃあな」


 何事かぶつぶつ聞こえた気もするが、構わず部屋に入る。パタン、と扉の閉まる音がどこか冷たい。カーテンを閉ざしたままの室内は日中であるにもかかわらず薄暗く、足の踏み場を見つけて何とか水分補給と備え付けのミニ冷蔵庫に辿りつき、スポーツドリンクを出した。一口呷って、すぐに戻す。


 ――髪、くくってると、そんなに似てない、かな?


 誰と。

 ふと過ぎった面影に、溜息が漏れる。


 一緒に遊ぼう、といつも追いかけてきていた従妹がいなくて、よく似た妹ができた。

 ただそれだけで、妙に苛立ちが増す。

 違う、という違和感が、拭えない。


 ――何で、違うんだろうな。


 所詮NPC。

 神官職、使える駒、いつか死んでしまう相手。

 そう自分に言い聞かせながら、ソファに横たわる。すると、眼鏡がずれた。そのまま外し、テーブルの上に置く。ぼやける視界が、現実を思い知らせてくる。VRユニットとおぼしき影に手を伸ばす。指先が触れる。しかし、取れない。掴もうとすると、それは無情に床へと落ちた。寝返りを打ち、もう一度、今度は床へと手を伸ばす。ようやく、ユニットを拾い上げる。頭につけ、電源を入れ、カウチに横たわった。

 現実の自分の無様さに嫌気がさし、幻界のシリウスの身体が羨ましくなる。

 大神殿から出て、初めて眺めた夕暮れのガディード。大神殿よりも高い建物が何一つとしてない町。広々とした遠い空の下、街壁が町と森を区切っていて……。


「Start to connect!」


 音声入力により、VRユニットが認証を開始した。

 目に映る世界が、変わっていく――。






 開門の鐘が鳴り響く中、一晩世話になった部屋を出る。この鐘に合わせて目覚める者も多いようだ。同じように二階の客室の扉が開かれ、階下へ降りる者の姿が見えた。一方で受付にはすでにカルドが立ち、既に旅支度を済ませた客人の旅立ちを見送っている。


「ちょうどだったね。おはよう」


 弓を肩に担ぎ、セルヴァも現れた。そして、彼からPT要請が届く。おはようを返しつつ、はいをタップした。そのあいだに彼はやや早足で階下へ向かう。その先へと視線を向けると……何故か、ミラが働いていた。注文を受け、客のテーブルにパンを運び終えたタイミングで、セルヴァが声をかけていた。


「おはよう、ミラ」

「あ、おはようございます」

「どうしたの? 今朝も仕事?」

「……昼食分も稼いでおこうと思いまして」


 盆を神官服の胸に抱き、ミラは視線を落とす。それは明らかに、セルヴァの後ろから追いついてきた自分から逃れる意図があった。溜息が、漏れる。

 同じ年ごろでも、片方はひたすら勉強、片方は働き蟻……生真面目なところなど、つまらないほど共通だ。


「あのさ、それくらい気にしなくても何とかするから。ちゃんと休んだのか?」

「――昨日、いっぱい寝てたから」


 弱弱しい声音で、あまり眠れていないことがわかる。セルヴァが要請を出したようで、PT表示にミラの名が追加された。疲労度は緑にはなっているが、完全に回復していない。勝手なNPCである。


「おはよ、シリウス」

「ん、おはよ、リリ」


 盆に飲み物やパンなどを載せて、小柄な少女もまた朝から働いていた。だが、彼女は目の前の空きテーブルの上にそれを並べ始める。対価を持つ者がいるようには見えない、と思っていると、リリはこちらを見て首を傾げた。


「シリウスたちの朝食、足りなかったらおかわりしていいって」


 昨夜の対価か、と一つ頷く。セルヴァは別枠でリリに朝食を注文していた。オレは先に椅子に座り、テーブルの上を指先で打つ。


「リリ、ミラも食べていいんだよな? ほら、食べたら出るぞ」

「え、でも」

「もう、開門の鐘は鳴ったわよ。だから、ミラちゃんはもうあ・が・り! お昼の分は食べ終わるまでに持ってきてあげるわね」


 従業員同士のやり取りが気になったのか、カルドがミラの盆を取り上げていく。その言い残したことばに顔をしかめつつ、同じテーブルに座ったセルヴァはPTチャットで注意をしてくる。


『開門の鐘前から、結構働いてたってことか……もっとちゃんと面倒見てあげなよ』

『いえ、シリウスのせいじゃなくて、わたしが勝手にしたことだから』


 幻界(この世界)のNPCは、こういうものなのだろう。そろそろあきらめが入ってきた。再度、テーブルの上を指先で打つ。


『いいから、もう座れって。イヤでもオレとお前はセットってことなんだからさ』

『シリウス』


 うんざりしながら言い放つと、セルヴァからまた注意が飛んだ。ミラの表情が暗くなっているのを見て、ちょっと言葉が足りなかったと反省した。ミラが望まなくても、命の神の祝()福を受けし者()その血族(ミラ)はひとくくりにされるという意味合いで言ったつもりだったのだが、どうやら通じなかったようだ。


『――悪かったよ』


 場の空気をどん底まで落とし込み、幻界ヴェルト・ラーイ時間三日目の朝は始まった。

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