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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
95/127

あなただけを・・・(13)

同じ頃、1台のバイクが暗闇を切り裂くまばゆい白いライトを光らせながら、法定速度を遙かに上回る速度で信号待ちをしている車を後目に信号無視をしながら豪快にカーブを曲がっていった。ヘルメットをかぶらないその短い髪は赤く、それは夜目にもはっきりと確認できた。スキーの物とは違うバイク用のゴーグルをし、爆音ともいえる音を立てるエンジンを響かせて向かった先は池袋にあるサンシャイン60の地下駐車場だった。超高層ビルであるサンシャインへ来る事などまずないのだが、今夜は特別である。以前からわずかな人数だけで探りを入れていた『黒金一くろがねはじめ』の居所をようやく掴んだのだ。とりあえずどういった人物かと接触を図る目的だった芳樹はいざとなれば戦えるようにと腕の立つ人間だけをこの都心部へと送り込んでいたのだ。かつての『キング』を模倣している黒金はその所在を明らかにはせず、常に居場所を転々と変えているために、彼の部下でさえ居場所を把握できないようにしていたのだ。だが、今夜、この池袋のサンシャインで何かしらの集まりがあったために今ならばここにいるだろうという連絡を高木青空たかぎせいくうから得た芳樹は最短の時間で地下駐車場へと進入し、バイクを置けるスペースへと向かった。だが、そのバイクは駐車スペースに辿り着く前に停止してしまった。ライトを点けたままうなるエンジン音もそのままに、芳樹はゆっくりとゴーグルを上げる。ライトに照らされている人数はわずかに4つ。だが、地面を転がる人の影を合わせればその数は10を超えているだろう。バイクの明かりに振り返った4つの人影のうち、2人は青空と、その部下である三原である。そして残った2人はお互い向き合ったまま動こうとはしなかった。電気が灯っているとはいえ、薄暗い駐車場を照らすバイクのライトを浴びてもまぶしがる様子も見せない2人だが、1人は短い髪を紫色に染めたやや大柄の男であり、肩で大きく息をしていた。残るもう1人は肩まで垂れた長髪は女性を思わせるほど綺麗なストレートであり、色も艶やかすぎる黒い色をしていた。こちらは両手を前に組み合わせ、実に落ち着いた雰囲気で自分を睨む紫の髪の男を冷静に見つめている。血走った目をする紫の髪の男は190センチ近くある長身だったが、長髪の男は175センチそこそこしかないために紫の髪の男とはその体格の大きさもあって大人と子供に見てしまうほどだ。細身の長髪の男は全く動く気配を見せずに手を組んだままジッとしている。まるで演説でも聞いているかのようなそのあまりに落ち着き払った様子に眉をひそめる芳樹は、その穏やかな雰囲気の中に殺気のようなものを隠し持っていると見抜いていた。そんな芳樹の方をチラッと見た長髪の男は、そんな芳樹の心の中を見透かしたような笑みを浮かべてみせる。背筋をゾクリと走るものを感じながら知らず知らずのうちに拳を握っている自分に気付き、ふっと肩の力を抜いた。


「どこ見てんだよぉ!」


そう叫ぶや否や、紫の髪の男が一気に間合いを詰めてその丸太に思える筋肉質な腕を振り下ろす格好で長髪の男の頭に拳をめり込ませようとした。その動き、スピード、キレ、パワーは見ているだけで十分に伝わるほどだ。当たればただではすまされない一撃だったが、虚しく空を切るのはこれが初めてではなかった。さっきからキックにパンチと繰り出すも、まったく相手には当たらないのだ。だが、今回はさっきまでとは違う展開を見せていた。今までは攻撃されても避けるのみで反撃をしなかった長髪の男は一旦飛びのくようにしてその拳から身を守ると、着地した刹那、再度大きく一歩踏み出して間合いを詰めた。そしてそのまま踏み出した左足を相手の股間の真下付近に叩きつけるようにして置き、拳をふり回した勢いで流れる体をせき止めようとしている男に対して外側を向く状態でT字を作るように真横に身体を向けた。その状態もまばたきするほどの間のみで、すぐさま体を半回転させるように上半身をひねると右足を踏み込んだ左足と並行に、体半分ずらした状態で相手と向き合うように体を向けた。そのまま右足を踏み込んでバネを利かせた状態から背中に回していた右腕を真横からボールを投げるようにして振りながらその拳を相手の脇腹に突き刺したのだ。下半身で踏ん張りつつ上半身をひねることで強力なバネを作り、さらにそのバネを利用した腕を回し込む事で瞬発力に物をいわせた強力な打撃を加えたのだ。その威力は普通に放つパンチの何十倍もの威力を発揮し、自分よりも一回り以上大きい紫の髪の男を軽々と宙に浮かせ、そのまま数メートルも彼方へと吹き飛ばしたのだ。男はゴロゴロと固いコンクリートの床を転がると止めてあった高そうな車のタイヤに当たって動きを止めた。薄暗く、遠目なためによく見えないが、口から血と泡を吹いており、完全に意識を失っているようだった。もはやピクリとも動かない男を興味なしといった感じで見向きもしない長髪の男を見据える芳樹は、全身に泡立つ鳥肌とねっとりとしみ出て来るような冷や汗を感じながらも、それを顔に出さないように務めた。


「て、天龍昇・・・・なのか?」


そうつぶやく芳樹を振り返った三原と青空は身体の震えを抑えるように固く握った拳もそのままに青白い顔をしていた。


「てん・・りゅうしょう・・・・って言えば・・・・」


そう絞り出すのがやっとなのか、カラカラに乾いた喉を潤そうと唾を飲む青空だったが思った以上に唾は絞り出せなかった。たしかにあれは周人の十八番、木戸無明流きどむみょうりゅうの奥義『天龍昇』に似ていた。違うのは、周人のそれが野球でいうオーバースロー、真上から投げ出すようにして拳を打ち込むのに対し、この男のそれはサイドスローかアンダースローというべき横から拳を打ち込んだのだ。踏み出す足が上半身のバネを誘発して、そこからさらにそれを加速させながら力一杯振り下ろされるその一撃は芳樹の兄である茂樹を倒した技でもある。もっとも、最初の一撃をその鋼の筋肉で防いだ茂樹はその後、ダメージを受けていたその腹部に対して左右連続の天龍昇を受けて倒されたのだったが。男は芳樹の言葉に小さく笑うと、数歩だけ前に進みながらバイクのライトにまぶしそうに目を細めた。芳樹はバイクのエンジンを切ると地面に降り立ったが、いやな汗と鳥肌はまだ収まっていなかった。


「さすがに『魔獣』をよく知る男だね・・・ミレニアム2代目総長、『赤髪』、千早芳樹さん」

「・・・あんたは?」


無表情に自分の説明をする男を見る芳樹はやや低めの声でそう聞き返した。


「君の代わりに黒金一を倒しただけさ・・・コイツごときが『キング』の再来だなんて、『キング』を知る者にしたらバカにするなと言いたいぐらいの小物だよな」


質問に答えたのか、答える気がないのか、はぐらかすようにそう言う男は鼻であざ笑いながら倒れている紫の髪をした黒金の方を見やった。


「今の技、天龍昇・・・だな?」

「木戸無双流奥義、『豪天龍昇ごうてんりゅうしょう稲妻いづな』・・・と言う」


男の口から出た意外な言葉、『木戸』という名前に芳樹だけではなく、青空もまた表情を曇らせた。木戸の名を持ち、変形の天龍昇を使うこの男が周人の身内である可能性は高い。だが、周人には兄弟がいないことは幼なじみの青空も、そうでない芳樹も知っている。それに周人は『木戸無明流』であり、この男は『木戸無双流』と言ったことから同じ流派に属する者、親戚かなにかの可能性があると思えた。


「『魔獣』のと違って、こっちはかなり実用的だ・・・天龍昇は威力は大きいがモーションも大きいのが弱点だ。だが、この豪天龍昇は違う。相手の攻撃をかわした隙、反動を利用しながらもその威力は衰える事はない」


自慢げに技の説明をし終えた男は小さな笑顔を見せた。だが、それは作り笑いのようであり、芳樹には人形が笑ったような印象しか受けなかった。


「で、お前は何者で、どうして黒金を?」

「オレの目的は治安維持の為の、いわばボランティアだよ・・・『キング政権』の崩壊によって壊れた若者たちの秩序を立て直す・・・まぁ、平たく言えば国家公認の裏風紀委員さ」

「つまり、あんたこそが『キング』の後継者ってわけかよ」

「そうなるね・・・もっとも、オレがするのはチンピラどもの統率、風紀の正常化・・・特にこの渋谷や池袋といった都心の若い男女は壊れているからね・・・」


『キング』の時代には、売春や援助交際、麻薬を含んだ薬の売買に至る裏社会での行為は全てキング配下の7人の部下や、黒崎星たちによる各街の統率者によって管理されていた。『キング』に無許可にそれをやれば、たとえヤクザであっても処罰を受けたのだ。その唯一の例外がミレニアムと関東夜叉会だったのだが。とにかく、それが崩壊したために、今や街の風紀は乱れに乱れている。それを正すのがこの男の務めであり、国から認められたという事から『キングの後継者』というべき言葉が出てきたのだった。


「いずれ君には挨拶しようと思っていたから、会えて嬉しいよ」


その友好的な言葉と笑顔とは裏腹に冷たい目をする男からは周人とはまた違った怖さを感じる。芳樹は渋い顔をしたままジッと様子をうかがう姿勢を崩さなかった。


「ミレニアムはどこにも属さない」

「わかっているよ・・・君たちを従える気もないし、排除する気もないよ」


はっきりそう言い切った男の真意を探ろうと瞳を見つめたが、男は芳樹から顔を背けるようにして右側の方、駐車場のさらに奥の方へと視線をやった。もはや無防備な青空と三原はつられるように男の見た方へと顔を向けたが、芳樹は決して男から目を逸らさずにそちらから近づいてくる気配のみを感じ取っていた。何かを引きずるような音と高い靴音が徐々に近づいてくる。そんな気配を感じ取る芳樹は大型のワゴン車の影から姿を現したこれまた長身の男に目をやりつつも、長髪の男から目を離すことはしない。見た目も外人とわかるその容姿は金色の髪を短く刈り込み、青い瞳をライトに照らされながら右手には男2人の服を掴んだまま引きずるようにしている。服装はといえば、だぶだぶの迷彩模様のズボンに赤いタンクトップの上からグレーの上着を羽織っているのみだ。真夏だというのに長袖の上着を着ているのはおそらく袖から先が見えていない左腕が損失しているせいだと思えた。ブラブラ揺れる袖は肘の当たりまではしっかりしているため、肘から下を失っていることがうかがえた。顔にもいくつか切られたような傷があるその外人は切れ長の目をさらに細めながら芳樹の方を見やるとすぐに掴んでいた手を放して引きずっていた男を解放した。とはいえ、すでに気を失っている男たちは逃げることをしなかったのだが。


「1人は逃げた・・・追うか?」


日本語がダメなのか、英語でそう言う男に静かに首を横に振った長髪の男は小さく微笑むと芳樹の方へと向き直った。自分を見ている芳樹たちには全く興味がないのか、金髪の外人は無表情のまま元来た方へと歩み去っていく。


「あぁ・・・1つ質問に答えていなかったね・・・オレの名は『ゼロ』、そう呼んでくれていいよ」


そう言うゼロを見て少し眉を上げた芳樹はあの日、未来を助けた際に周人が言った言葉を思い出していた。


「『魔獣』に伝えておいてくれ・・・なんならいつでも相手になってあげる、とね」

「おい、ビャクレイ!」


芳樹に伝言を残すゼロを呼ぶさっきの外人の声が音のない駐車場にこだました。そんな声にやれやれといった仕草を見せたゼロはそのままスタスタと外人の後に続いて歩み去り、やがて遠くで鉄の扉が開き、そして閉じられる音が響いてきた。


「びゃくれい?名前か?」

「多分な・・・それより、『木戸無双流』の『ゼロ』か・・・」


青空の質問にそう答えた芳樹はいまだに意識を回復しない黒金を見てから小さなため息をついた。


「こいつは・・・ややこしいことになってきそうだぜ」


芳樹は言いしれない不安を胸に、さらに大きなため息をつくのだった。


「不満そうだな」


コンクリートのグレー一色で統一された狭い空間にある階段はそう長くはなく、すぐ上に錆びも見える緑色した鉄の扉が見えていた。地上へと繋がるその階段を、3段空けて前を進む外人に流暢な英語でそう声をかけたゼロは実に穏やかな表情をしたまま自分を睨むようにして振り返った傷だらけの顔を見ていた。


「あいつは『ジャバウォック』の知り合いなんだろうが・・・」


『ジャバウォック』という言葉に憎しみを込めているのは英語を知らない者でも理解できるほどだ。その言葉に小さな笑みを見せたゼロは立ち止まることなくすぐ1段下まで上がると鼻先がつくほどに外人に詰め寄った。


「君が彼に恨みを抱いているのは知ってるよ・・・でもね、君を引き取った条件はそれを晴らすことは含まれていないんだよ」

「国を追われた俺が俺でいるためにはお前には逆らえない・・・が、ジャバウォックが敵に回れば・・・その時は俺がヤる!」


まるでゼロをその『ジャバウォック』と見ているかのように激しい怒りをあらわにするその男に、ゼロは薄く笑うとその右肩に手を置いた。


「心配ない・・・その時は譲るよ、ちゃんとね・・・・・・それより、今はまだ無理だろう?その腕ではね」

「フルアームズは?」

「あと2ヶ月で完成するってさ」

「フン・・・ちんたらしやがって・・・」


唾を吐き捨てながらそう言うと、男は先に扉から外へと出ていった。そんな男の消えたドアが閉まるのを見ながら、ゼロは不敵な笑みを浮かべたまま喉を鳴らして小さく笑った。


「心配するな、『フルアームズ』が完成しても、お前じゃ『宗家』は倒せないよ、ゾルディアックさん」


英語ではなく日本語でそう言うと、笑みをそのままに鉄の扉を開くゼロだった。


恵の足の怪我もそう大したことはなく、入院の必要もなかった。不自由するのはほんの2、3日の事だろうと医者もその傷が軽傷であることを説明した。ただ、外傷が少し残るかもしれないと言われて光二はひどく落ち込んだが、恵自体はそう深刻に考えてはいなかった。純一郎は薬物の使用も認められ、そのまま警察のやっかいになることになった。本人は黒金のつてですぐに釈放、罪にすらとがめられないと楽観視していたのだが、まだその黒金がゼロに倒された事実を知らないからであり、彼の地位や権力も既に無効になっている事すらこの時点で知らなかった。幸いにも黒金がらみの事件のせいか、塾の経営自体に支障はなく、このまま西塾までが閉鎖になるという最悪の事態は避けられたが康男のショックは大きかった。5年前にアルバイト講師である大木雅史が起こした盗撮と由衣への暴行未遂事件の際は彼が『変異種』であり、周人のおかげもあって表沙汰になることはなかったが、今回は表だって警察が動いている。もちろん由衣の精神的ショックも大きかったようで、病院へ行く恵を見送った後、周人はかなり由衣に罵られ、ただひたすら謝ること2時間を費やしたほどであった。今回ばかりは光二の頑張りと、変なポリシーを持って由衣の心を掴もうとした純一郎の行動で事なきを得たが、恵を傷つけられ、光二もボロボロになってしまったショックは大きく心に残ってしまったのだった。予定外に盆休みを早めに取らざるを得なくなった西塾のおかげでモデルのアルバイトも盆明けまでない由衣は、ケアを兼ねた周人の反省の心から、毎日仕事帰りの周人とデートを楽しんだ。事件の事を忘れてゲームをし、美味しい食事を共にし、予想外のプレゼントも買ってもらった。なにより、お互いの肌で感じ合う温もりと、優しく抱かれる安心感は徐々にだが事件のショックを確実に和らげていったのだった。そしていよいよ土曜日からの盆休みを前にした木曜日の定時後、周人と由衣は桜ノ宮の駅前にある有名チェーン店の人気喫茶店で1組の男女を待っていた。この日は食事をしてカラオケでもと考えていた周人だったが、半ば強引に由衣に連れられてここへやって来たのだ。2人ともラテをオーダーし、空いている席に着いてそこで初めてここで待ち合わせをしている事を聞かされた周人はあからさまに渋い顔をしたが、それは本心から来ているものではないためにすぐに元の表情へと変化させた。


「おう!お2人さん!」


軽い調子でそう声をかけてきたのは周人の親友でもあり、由衣のモデル仲間でもある佐々木哲生だった。その後から続いてやってきたのは窮屈そうにキャミソールに収まった胸を揺らしながら周囲の男性の視線をそこに釘付けにする須藤ミカだ。


「いやぁ、悪いな・・・突然でよ。2人の仲を邪魔してるとは思ってるんだけど」


ヘラヘラ笑ってそう言いながらすかさず由衣の隣に座る哲生は馴れ馴れしく由衣の肩に手を回すようにしながら椅子の背もたれを掴んだ。


「てっちゃん、何で由衣ちゃんの隣に座るの?」


そんな哲生を見て不思議そうにそう言うミカの言葉は本心からか、はたまた嫌味かはわからない由衣だったが、哲生と周人はそれが単なる疑問である事を知っていた。


「あれ?・・・・あー、こりゃ失敬!」


大げさにおでこをぺしっと叩きながら愛想笑いを浮かべた哲生はそそくさと周人の隣に移動した。


「いけしゃあしゃあと・・・」

「マジ、たまたまだって」


わけのわからない言い訳をする哲生を横目で睨む周人を苦笑いして見やる由衣はおもむろに席を立つとミカを奥に座らせて自分は立ったままの状態を保っていた。


「何か買ってきますよ、何がいいです?」

「ゆいちゃん・・・君はマジ気が利くなぁ・・・もうサイコーだよ!」


遠慮というものを知らないのか、大げさにそう言いながらも同じくラテを頼む哲生に対し、何がいいかわからないミカは由衣と一緒にカウンターまで行くことになった。どうせ注文しに行くならば自分だけでいいと言うミカを制してついていった由衣にホッと胸を撫で下ろした2人は、ミカの天然ぶりを熟知しているだけに1人でカウンターへと行かせるのは正直心細かったのだ。


「ホント、いい子だよなぁ・・・彼女」


さっきまでとはうって変わって真面目な表情を見せた哲生は隣でタバコに火を点ける周人を横目で見やった。


「あの子なら、オレたちともうまくやってきてるし・・・何より恵里ちゃんが喜ぶだろ」


肘をついてアゴを乗せた哲生はカウンターの向こうにいる女性店員がミカの言葉に対して顔を引きつらせるのを見て苦笑したが、すぐに何かを言う由衣の言葉にうなずいたのを見て少し安心した顔を見せた。


「恵里は、彼女を歓迎しているよ」


何を根拠にそう言い切ったのかわからない哲生は無造作にテーブルの上に置いてある周人のタバコが入った箱を手に取った。


「ほぉ、言い切るねぇ」

「おたくの弟子がそう言ってたんだよ」


許可もなく勝手にタバコを1本引き抜く哲生にそう言いながら苦笑気味に口元を歪めてライターで火を点けてやる周人は何やら楽しそうに会話している由衣とミカの方を見て小さく口の端を吊り上げた。


「あぁ、三宅っち?なんて言ってた?」

「夏合宿とこないだ、由衣が2度事件を起こした生徒に襲われていた時、声が聞こえたんだとさ」

「声?」

「それも、女の声だったそうだ」


そう言うとゆっくりと煙を吐き出す周人はまだ帰ってきそうにない2人を見てから話を再開した。


「合宿の時には由衣が危ないってな声がね・・・そして、こないだの月曜日、めったくそにやられた彼が混濁する意識の中で、また女性の声を聞いている」


その事件の詳細は命を懸けて純一郎と戦った光二本人から全てを聞いて知っている哲生は少し驚いた顔をしてみせた。あの事件の次の日が道場の日だった光二はあちこち痛む体を押してちゃんと道場にやってきたのだ。顔も腫れ上がっている光二からその際に事情を聞いていた哲生は彼が教えてもいない『砕落さいらく』を使った事、そして内なる気によってダメージを軽減できたことを聞いて驚きを隠せなかったのだ。基本中の基本、基礎の基礎しか教えていない光二が上級者でもそう扱えない大技『砕落』を使用した事が信じられないのだ。だが、その素質、努力を誰よりも買っていた哲生にしてみれば驚くことではあったものの、いずれはそこへたどり着けると信じているだけに納得の範囲内の驚きであった。


「ぼんやりとした影を見たらしいけど、特徴的に恵里かなってね」

「お前の幸せを願う彼女なら、由衣ちゃんを助けようとしたってのには納得だな」


そう言う哲生は少し悲しげな顔をしてみせたが、ミカと由衣が楽しそうに笑いながら戻ってきたのを見てその顔を元の柔らかい感じに戻した。


「あのね、しゅうちゃんたちってぇ、いつから向こうに戻るのぉ?」


席に着きながらそう言うミカは見た目も童顔で中学生に見えるせいか、舌っ足らずな子供のように甘えた口調でしか話せない。その顔と声、口調こそ子供だったが、胸の大きさやスタイルの良さなどは完全に成熟した大人であり、由衣をも上回るナイスな体つきをしていた。綺麗に切りそろえられた前髪を掴みながらそう言うミカの言葉から、今日の集まりの主旨を理解した周人はポケットから財布を取り出すと会社の休日が記載されたカードタイプのカレンダーを取り出した。


「休みは土曜日から、え~13日か・・・・で、18日から仕事・・・・」


カレンダーを見てそう言う周人の言葉に眉をひそめた哲生は周人の顔に自分の顔をすり寄せるようにしてカレンダーをのぞきこんだ。まるで恋人同士がするようなその仕草に由衣は苦笑し、ミカはにこやかに微笑んでいる。カレンダーによれば13日の土曜日から17日の水曜日までがお盆休みとなっていた。普通に考えれば長いそのお盆休みだったが、周人にしてみれば入社以来この日程であるために普通である。


「っつー事は・・・14、15日だな・・・・14日の朝に出て、15日の夕方に帰る」

「・・・って事は、1泊するってか?」


何かを考えるようにしてからそう言った哲生は周人にではなく由衣にそう言うと、由衣はにっこり笑いながら大きくうなずいた。


「そっか・・・まぁ、おじさんやおばさんは優しいから、大丈夫だよ」


安心させてくれる笑顔を見せた哲生の言葉に、由衣だけではなくミカもうずいていた。確かに、周人の実家に行くことに関してはどうしても緊張してしまう。だが、行ってしまえば1泊する事も苦にはならないのだ。緊張こそすれ、打ち解ければ問題はないからだ。


「昨日まこっちゃんに電話したら、15日はみんなで出かけようって話になった。だからちょうどいいか」


哲生はそう言うと1人で納得したようにうなずいた。ちなみにまこっちゃんとは水原誠という棒術の使い手であり、周人たちの仲間である。


「14日は墓参りだし、それでいいんじゃないかな」

「うっし、オレたちは13日に帰るから、14日の昼過ぎに到着って感じでいいか?」

「だな・・・いいよな、由衣?」

「任せてるから、いいよ」

「由衣ちゃんきっと大人気だよぉ~!だってぇ、あのプリクラで、みぃ~んな知ってるからねぇ!」


言わなくていい事まで言うミカに頭を抱える周人に笑いを噛み殺してそっぽを向く哲生。そんな2人を見て不思議そうにする由衣に、ミカが説明を始めた。


「前にぃ、しゅうちゃんと付き合う前に取ったプリクラ・・・あれをみんな見たんだぁ」

「プリクラ?」


一瞬何のことかわからない由衣だったが、ハッと何かを思い出してにんまりと笑った。その表情を見てクックと笑う哲生を睨みつつ、ますます困った顔をする周人は由衣の顔に浮かぶいたずらな笑顔にいやな予感を覚えた。


「あ~、アレね・・・抱き上げられて・・・・・・っての?」

「そぉそぉ!」

「懐かしいなぁ・・・でもぉ、アレは最高だったね!」


そう言いながらその時の事を嬉しそうに話し始める由衣にミカと哲生は食いついたが、周人は困った顔をしてそっぽを向いたままだった。


助手席に座る由衣は流れ行くネオンや窓から漏れる明かりだけでビルを形作る景色をぼんやりと眺めていた。隣町に住む哲生とミカと夕食を共にし、ついさっき別れたところだ。話も弾んで少々お酒も入ったせいか、やや眠い目を開く由衣はフロントガラスの下に並んだ無数のボタンやスイッチ類へと目をやった。もはや乗り慣れたこのジェネシックだが、その機能全てを見せてもらったわけではない。外見的にも目を引くこのジェネシックに乗っているだけで周囲の視線を釘付けにしたが、由衣的には付き合う前に周人が持っていたダブルワンの方が気に入っていた。やはり思い出深いものがあるのもそうだが、由衣の感性にあのマシンはピッタリだったのだ。


「眠いなら、寝ていいぞ」


チラッと横目で見ながら優しくそう言う周人に対して小さく首を横に振るが、その口元には微笑が浮かんでいた。由衣はシートにしっかりと座り直すとあくびを1つしてから周人の方へと顔を向けた。


「明日だっけ?送別会」

「ん?あぁ・・・早めに帰るよ」


何も言っていないのにそう言う周人を周人らしいと思う由衣は、今も昔もまったく変わらない周人を凄いと思っていた。自分のわがままにも怒ることなく、かといって何かを強要するでもない。自然なまま由衣を見守り、正しい方へと導いてくれるのだ。他人に言わせれば何も言えない、頼りない男かもしれないけれど、それは周人という人間をよく知らない者がいう台詞であり、由衣はそういう意見は無視していた。誰よりも自分を理解して、誰よりも深い愛情をくれる周人を尊敬し、周人が自分を想う以上に愛していた。


「別に早くなくてもいいよ」

「でもさ、例の彼女も来るんだぜ?」

「いいんじゃない、来たら」


この前とは違う反応を見せる由衣に首を傾げながら、赤信号を認めてスピードを落とす周人は完全に停止してから由衣の方を見やった。


「随分違うな、この間と」

「まぁね」

「どういう心境の変化ですか?」


「信じてるだけ・・・他の誰かなら不安なんだろうけどね、木戸周人だから、私は信じられる」


目を見てはっきりそう言いきった由衣に小さく笑顔を見せた周人は膝の上に置いてある由衣の手をそっと握ると、そのまま重ね合わせた手をシフトレバーの上に置いた。周人の手の温もりを手の甲に感じながら、ひんやりした感触のあるギアを手の平に置いている由衣も手伝う感じでギアを1つ入れた。


「誓うよ・・・もう泣かせないから、2度と・・・・絶対に」


青に変わった信号のせいか、前を見たままの周人は由衣の手を動かす感じでギアを徐々に上げていく。そんな周人の横顔を見ながらクスッと笑った由衣は、あの事件にショックを受けていたのは自分だけでは無いことを悟った。自分の彼女の危機にのんびりコンビニへ行っていた周人は大泣きする由衣を見て自分を責め、純一郎に殺意を覚えたほど怒っていたのだ。そんな自分を押さえ込み、強烈なデコピンを喰らわすことで多少の発散をしていたのだが、やはり由衣をあそこまで泣かせた自分に対する憤りは拭い去れていないのだった。ヘタをすれば由衣を第2の『恵里』にしかねなかったのだ。もちろん、実際由衣の危機には間に合ったものの、あそこに光二がいなければ今頃どうなっていたかはわからない。由衣はギアと周人の手の間に置かれた手をそっと引き抜くと、逆に周人の手の上にそれを置き、強めに握りしめた。


「好きだよ」


にこやかな表情をした由衣を可愛いと思いつつ、突然そう言われた周人は照れた顔を見せたくないのか、前を向いたまま何だよ急に、と答えるのが精一杯だった。前の車のブレーキランプの赤さが反射して周人の頬を赤く染めたが、それだけではない赤味を感じる由衣はクスクスと小さく笑うと、優しい目で周人の横顔を見つめ続けたのだった。

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