あなただけを・・・(9)
お盆休み前の週末となっている日曜日は本来であれば純一郎とのデートのはずだった。だが、あの合宿の際に不意をつかれたキス事件以来純一郎を避けていた由衣は昨夜詳細を確認する為に純一郎からかかってきた電話でその約束は反故にすることを一方的に告げていた。どういう風に言われようとも絶対に行かない覚悟を決めていた由衣だったが、何と純一郎はあっさりと引き下がったのだ。あれほどデートに執着し、テストでいい点数を取ったにも関わらず、拍子抜けするほど簡単に諦めた純一郎が何を企んでいるかはわからない。とりあえずホッとした由衣は昨日の気まずさもあったのだが、周人との待ち合わせ場所である自宅近くの交差点に立っていた。昨日は結局別れてからも気まずかったせいもあって、一言謝罪のメールを送ったのみで今日の事に関しては何も触れていなかった。元々純一郎とデートしない事に決めていた由衣がこの日にデートをするよう予定を入れたのだが、果たしてあのメールだけで周人の心の中でどう気持ちを切り替えてくれたかは謎である。家に帰ってよく考えれば、たしかに周人の言うように純一郎の攻撃は周人にしか向けられていなかった、いわば周人と純一郎との問題なのだ。それを周人がどういう形で解決しようが自由なのだ。ここ最近、常に自分の前では強い周人しか見せていなかったと思っていた由衣だが、昔の彼は、先生と生徒の関係であった頃の周人はそうではなかった事を思い出した。自分がいかに馬鹿にしようとも、悪い態度を取ろうとも、決して何もしてこようとはしなかった、昨日のように軽くかわすのみだった事を思い出した由衣はなかなか眠れないほどに反省したが、周人がどう思っているのかが怖くて連絡出来ずにいたのだ。自分が打った謝りのメールの後に『こっちもな、おやすみ』と来ただけでそれからやりとりはない。それだけに、今日、待ち合わせ時間の今この場所に周人が現れなくとも仕方がないと思いつつ、いつまでも待つ覚悟で交差点の横断歩道から少し離れた場所に立った。タクシーなどが間違って止まらないように通行する車に背を向ける格好で待つ由衣は祈るような気持ちでスマホを握りしめると左手の時計を見た。約束の午前10時まで、あと3分ほどだ。普段の周人であれば5分前、早ければ10分前には姿を見せているはずなのだが、今日はこの時間になっても姿を現す気配がない。何度かチラチラ振り返るものの、一向にそれらしい車の姿が見えないのだ。大きなため息をつく由衣は自業自得だと思いながらもやはり失望感が大きい。もはや泣きそうになるのをこらえるのが精一杯になってしまったその時、自分の真横、道路の脇に1台のバイクが停止した。うつむき加減ながらナンパかと思う由衣はそっと目だけをバイクの方へと向ける。そのバイクの乗り手は男性のようで、バイクの後ろに紐でくくりつけているヘルメットを取ろうとしていた。由衣はそんな男に背中を向けると再度スマホに目をやる。やはりそこにはメールも来ていなければ着信履歴も残されていない。またも大きなため息をついた由衣は携帯を閉じると名残惜しそうに持っていたバッグにそれをしまい込んだ。
「はい、これ」
急に後ろから声をかけられた由衣はビックリした様子であわてて背後を振り返る。周人の事で泣きそうな精神状態にある自分を奮い立たせてよく見れば、バイク用のヘルメットが差し出されている。どうやらこのバイクの運転手がそれを差し出しているようだ。なんとなくだが恐怖を感じてしまった由衣はその人物を見ることなく胸の前でギュッと両拳を握ると拒否反応もありありに数歩後ろへ下がった。
「まだそんなに怒ってるのかよ」
フルフェイスのヘルメットをかぶっているせいか、声はよどんでいるが確かにそれは周人のものである。目をぱちくりさせながらじぃっと見れば、見えている範囲からも周人の顔だとしっかり確認できた。安堵の表情を浮かべながら力を抜く由衣はさっきまでの心細さはどこへやら、ふつふつと怒りがこみ上げてくるのを感じていた。
「な、なによ!ビックリするじゃない!しかもなんでバイク?」
「さっきこっち見たとき手を挙げたんだけど・・・無視したっしょ?」
何故バイクかという質問には答えずに逆にそう質問を返す周人は再度ヘルメットを差し出すと自分のヘルメットを脱ぎ去った。
「・・・だって、変な人かと・・・・・」
「変って・・・お前なぁ・・・」
明らかに不快感を表す由衣の返事に脱力する周人は普段と全く変わらぬ様子を見せていた。昨日の事などまるでなかったかのようなその口調は拍子抜けするほどだ。
「それに、車が整備中だからって昨日言っただろ?」
その言葉にハッとした顔をしてみせた由衣はテヘヘと照れた笑いをして誤魔化すしかない。確かに昨日塾へ向かう際に車が定期整備のために明日はバイクになるかもしれないと話していた事を思い出したのだ。相変わらず笑って誤魔化す由衣の態度に渋い顔をして肩を落とす周人は苦笑しながらヘルメットをかぶるとバイクにまたがって由衣を待った。何も考えていなかったとはいえ、薄いブルーの色合いのパンツを履いてきていた由衣は髪を気にしながら受け取ったヘルメットをかぶるとバイクの後ろにまたがり、その腰に手を回した。体を密着させると日差しも手伝って暑さを倍増させたが、今はそれが心地良い。
「懐かしいね・・・・このバイク」
「アメリカにも持っていったからなぁ・・・年季が入って渋いだろ?」
「・・・途中で止まったりしない?」
「・・・・止まらないよう祈っててくれ」
周人のその言葉に笑顔を見せた由衣はギュッと周人の背中に体を押しつけた。それを感じた周人はスタンドを解除してバイクをゆっくりと進めていく。幸いにも信号は青になっていて進行するのに問題はなかった。バイクを加速させながらすぐ先の交差点を右に曲がる周人は密着している由衣の温かさを感じながら幹線道路へと続く道を軽快に飛ばし始めた。風が夏の日差しを受ける肌を癒し、爽快感が心を駆け抜ける。昨日の険悪な雰囲気を持ち込まない周人のおかげで自然な会話が出来た由衣は満足そうにしながらも決してそういう気配すら見せなかった周人に心の底から感謝した。
「ありがとう」
聞こえないとわかっていてもそう言いたくて仕方がなかった由衣は風に流されてしまったその言葉が伝わるようにと、もう1度そっと周人の背中にありがとうとつぶやくのだった。
最近、桜ノ宮に出来た総合ファッションビルは二十年の歴史を持つ7階建てだったデパートが倒産したために改装されて新規オープンとなって存在していた。そのデパートはそう高い商品を扱っていなかったのだが、世間の不況のあおりを受けてか全国チェーンで展開されていながらもあっけなく倒産してしまったのだ。駅前の大きな交差点の一角からは離れているとはいえ、メインとなる縦貫の大通りに面しているこのビルを廃ビルとして置いておくわけもなく、すぐさま多数の企業が名乗りを上げて改修、新装されたのだ。地下は食料品店が軒を連ね、近くにある大手デパートの食料品街に対抗しての低価格を売り物にした戦略で大いに賑わっていた。ビルの1階と2階は婦人物を、3階が紳士服をメインに男性物を、4階には子供服をメインに構成されていた。また、5階には大型電機店がフロアを独占し、6階にはレストランなどが並ぶフードコートを兼ねた飲食店街となっていた。最上階にはアミューズメント施設がフロア全てを占拠していて、元がデパートなだけにかなりの規模の店舗が軒を並べるビルとなっていた。そして、このビルの大きな特徴はこの豊富な店舗だけではなく、屋上にあるのだった。なんと、ぐるりと周囲を囲む全面をガラスで覆われたそこはプールになっているのだ。夏にはプール、冬はスケートが楽しめるその屋上には緑がふんだんに使われており、春と秋にはプールの部分にもカバー型の庭がかぶせられ、完全に都会の中の憩いの場となって存在出来るようになっていたのだ。どういった発想でこのビルが設計されたかはわからないが、とにかく雑誌やテレビで全国的に紹介されており、連日多くの人で大いに賑わっているのだ。そのせいか夏休みに入ってからは毎日入場規制もかけられており、それによって待つ人には整理券が配られていてその間に買い物をしたりアミューズメント施設で遊べるようにと工夫されているのだった。とりあえず泳ぐ気は無い周人と由衣だったが、一応水着は持ってきている。混んでいるだろうと思っての事だったが、今なら待たずに入れると聞いて心が揺れてしまった。新しい物見たさの誘惑に負けた2人はそれならばという事でプールに入ることになったのだ。プールにオプションとして付いているバスタオルも用意し、2人は更衣室に分かれて入り、5分後にプールサイドで落ち合う。周人は緑を基調としたヤシの木が描かれた膝まであるパンツを履き、由衣はオレンジを基調としながら所々に白いラインが入ったビキニの水着を着用していた。着替えて出てきた由衣はビルの屋上とは思えない光景を目の当たりにして目を輝かせていた。そんな由衣を見やる周囲にいる男たちは由衣の水着姿に目を輝かせていた。ビルの壁に合わせて高さ4メートルのガラスの壁が覆い、ビルの中央に位置するプールの周囲には公園のように木があちこちに植えられている。さながらジャングルに近い雰囲気だが、真上から降り注ぐまばゆい太陽からさんさんと降り注ぐ光によってかなりの明るさが保たれていた。すでに空いているベンチも無いことから壁際の空きスペースにバスタオルを置くと、すでに多くの人で一杯のプールに向かった。熱せられた体が適度な水温によってじんわりと冷まされていく。去年は忙しくてプールに来れなかった2人は付き合いだして始めてのプールに開放的となり、我を忘れて無邪気にはしゃいだ。そして小一時間ほど遊んだあげくに由衣の水攻撃を受けてヘロヘロになった周人は休憩を取るために一旦プールから上がった。周人に続いてプールから上がった由衣もバスタオルで顔を拭くと、それを羽織って壁にもたれるようにしてプールサイドに腰掛けた。濡れた髪も拭く由衣を見ながら小さく笑う周人だったが、由衣が自分の背後に向かって視線を投げている事が気になって何気なしに後ろを振り返った。そしてそこに立っている男女に目を留めた周人は一瞬驚いた顔をしながらも徐々にそれを引きつったものへと変化させた。
「まさかここでお前の顔を見るとは・・・ついてないぜ・・・」
「それはこっちの台詞だ・・・全く、最悪だ!」
膝上までの赤い柄のパンツを履いた遠藤はそう言い切ると周人から座っている由衣へと視線を移した。由衣は小さく頭を下げるようにしながらさり気なくバスタオルで全身を包み込むようにしたが、それは無意識的ではなく、意図的である。明らかに鼻の下を伸ばして自分を見ている遠藤にゾクリとした冷たい物が背中を走ったせいだ。そんな遠藤の視線に気付いた周人は1歩前へ進むと遠藤の視界を遮るようにして仁王立ちした。腕組みして自分を見る周人の鋭い目つきに負けることなく睨み返す遠藤をよそに、その横に立った連れの女性が頭を下げて挨拶してきたため、周人は表情を緩めて同じように挨拶をかわした。
「こんにちは、木戸さん」
「こんちは・・・まさか君らがここでデートとは思わなかったよ」
周人にそう言われた女性、理紗は気まずそうな顔をしながらもにっこりと微笑んだ。そのままチラッと座ったままの由衣へと視線を投げる。その視線を受けて立ち上がった由衣は胸を隠すようにバスタオルを巻くと周人の背中に隠れるようにしながらも2人に挨拶をした。
「どうもです」
「オレの彼女、吾妻由衣」
はっきりそう言い切った周人を薄い目で見る遠藤を無視して、理紗にそう紹介された由衣はにこやかにしながら頭を下げた。
「吾妻です」
「宮崎です・・・エメラルド、読んでます」
直感的にこの理紗が周人を誘った金曜日の相手だと感じた由衣は短くそう自己紹介したが、理紗はあまりその事を気にしてないのかにこにこしながらそう言った。由衣は愛想笑いに近い笑顔を見せながら無意識に周人の腕を掴むようにしてみせる。周人は遠藤と罵り合いをしているせいか、その行為が自然すぎてなのか、何の反応も示さなかった。理紗もチラッとそれを見たのみで何の反応も見せなかったが、遠藤は明らかに不快と羨ましさを全開にした顔をしてみせた。しばらくそこで周人と遠藤は小競り合いをしていたが、由衣と理紗はほとんど目を合わせる事もなくその2人の様子を黙って見ているだけだった。
「遠藤さん、私、そこに座ってますから」
そう言うと理紗は周人たちの拠点としている場所から少しだけ離れた場所に腰を下ろすと手に持っていたバスタオルを羽織って髪を掻き上げた。そんな理紗を見てちょっと唇を尖らせた由衣がギュッと周人の腕を掴んでいる手に力を込めたせいか、ここでようやく周人は由衣を見下ろすようにした。上目遣いに自分を見る由衣の顔は普段と変わらない表情をしていたが、周人にはそれがいやに寂しそうに見えてしまい掴んでいる手に自分の手をそっと置いて遠藤を見やった。もちろん、その行為を見た遠藤がムッとした顔をしていたのは言うまでもない。
「自分のデート相手をほったらかしにして同期の彼女相手に目をハートにしていた色男がいたってメールでばらまいてやる」
不意にそう言われた遠藤は顔を真っ赤にして周人を睨むが、周人は知らん顔をしてそっぽを向いている。さすがに理紗をほっておくのはまずいと感じたのか、遠藤は周人をねめつめるようにしながら由衣に会釈して理紗の元へと歩いていった。
「金曜日の相手、彼女?」
「え?あぁ・・・・そうだよ」
理紗に背を向けたままそう言う由衣の言葉からさっき見た寂しそうな表情の由衣が自分の気のせいでなかった事を認識した周人は由衣の頭をむんずと掴むようにしてみせる。
「ヤキモチ・・・・うれしいよ」
「思ったより可愛いし・・・そりゃ嫌われてても行きたくなるよねぇ・・・」
腕組みして横目で睨みながらそう意地悪く言う由衣にたじたじの周人は掴んだ手を離すとその手で自分の頭をぽりぽりと掻くしかない。
「昨日から刺々しいねぇ」
「そうかな?これでも反省したんだけどなぁ」
その言葉に苦笑する周人を見上げる由衣はいたずらな笑みを浮かべて見せた。そんな2人の様子をバスタオルで顔を拭きながら見る理紗は胸の奥がズキズキ痛むのを感じながらも平静を装う自分を嫌いになりそうだった。
昨日からの新作映画ラッシュのせいで混み合う劇場だったが、恵と光二が見る映画は公開から結構な日にちが経過しているせいか、かなり空いていた。アカデミー賞がらみの話題映画が2本あり、その為チケット売り場には長蛇の列が出来ていたのだが、あらかじめチケットを持っている2人はチケット売り場ではなく受付カウンターへ直接行けるせいでかなり快適な時間を過ごすことができた。恵にとっては久しぶりの映画だったが光二にしてみれば生まれて初めてのデートな為、かなり緊張してしまったせいか最初の方の内容は正直あまり覚えていない。もっとも、かなりのハードアクションな映画だったのでのめり込んでしまえば映画の中に引きずり込まれて緊張もくそもなかったのだが。午前中、つまりは一番最初の上映を見た2人は昼食を取りに同じビル内にある飲食店街へと向かった。恵のリクエストで中華となったその昼食は映画の中のワンシーンと似た雰囲気の店とあって、自然と話が弾んでいく。相変わらず原因不明のまま恵の思考だけが読めない状態にあった光二だったが、そんな事など全く気にならないまま終始笑顔で店を後にした。手こそ繋いでいない2人だが、ごく自然なカップルに見えるほど仲むつまじい。他愛ない会話に笑い合い、冗談を言えば体を叩く。そんなに気を許しても全く思考が入ってくる気配がないせいか、光二は恵が何を考え、どうして欲しいかを一生懸命考えながら1日を過ごしていく。並んで歩く歩幅に気を付け、目線を追いながらも話に集中させる。歩き疲れてないか、のどが渇いていないかなど、様々な気配りをさり気なくしていく光二のその好意を、恵はしっかりと感じ取っていた。今でも周人が好きだと、そう言ってしまった光二に対してどう接すればいいか昨日は随分悩んだりもしていた。だが、塾の話になっても、周人の話題が出ても、光二は何を気にするでもなくしっかりと返事を返してくれた。知らず知らずのうちに周人を褒めていたりしていても、光二は笑って返事を返してくれるのだ。なぜなら、光二は男として周人を尊敬し、そんな彼を目標としているからだ。だからこそ、いくら恵が周人を褒めようとも、それを真正面から受け止める事が出来るのだ。いつかはああなりたいと思うが故の行動だったが、恵はそれに対して深く感謝した。何も言わずにただ黙って話を聞いてくれる光二に周人を重ねている自分に気付きながらも、恵はどうすることも出来ない感情をただつらい思いで抱えるしかなかった。
「ちょっと、トイレ」
休憩がてら入った喫茶店でそう告げた恵は光二には素直に『トイレ』と言える自分がいることに苦笑した。以前、大学時代に何となしにデートした相手にはそれが言えず、苦労したのだ。塾でも一緒な為に気が知れているからだと思いながらも、こうしてデートしている事が楽しいと思える恵は光二ならば自分の中の周人を消してくれるのではないかと期待したが、結局はそれも自分の心の持ちようだとかぶりを振った。
「私は・・・最低だね」
蛇口から流れる水をそのままに鏡の中の自分を睨むようにしてそう言う恵は揺れ動く自分の気持ちをどうしていいかわからずに表情を曇らせるのだった。
センター街の中にあるこの喫茶店は通りに面した側をガラス張りにしているため、そこに座れば行き交う人々を眺めることが出来るようになっていた。たまたま案内された席がそのガラスの壁際だった事もあり、肘をついてぼんやり外を眺める光二は今日1日一緒にいながら恵の思考が全く読めない事に関して複雑な思いを抱いていた。すれ違う男などからは恵と歩く自分をうらやむ思考など、様々な思考が頭の中に入ってきている。それはそれで正直うっとおしいのだが、全く思考が読めない恵に対しても少し疲れを感じていた。何を考えているかわかれば会話もより弾み、どこへ行きたいか、何を食べたいかなども手に取るようにわかるためはっきり言って楽なデートになる。しかし恵に関してはそれが出来ないため、仕草や口調、視線、それら全てに気を配らなくてはいけないのだ。つまりは普通の人間と変わらないのだ。あれだけこの力を忌み嫌っていた自分がどれだけこの力に頼っていたのかをあらためて思い知らされた光二は日常生活においてこの力を封印しなければいけないと感じ始めていた。普通の男性は皆こういう気持ちで女性と接している。特に自分が目標とする周人などはこういう力がなくともまるでわかっているかのように気配りが出来る男なのだ。だからこそ男として自分が惚れ込み、由衣や恵が彼を好きになったのだ。まだまだ周人にはほど遠いと自虐的な笑みを浮かべる光二が何気なしに通りへと目をやったその時、目を見開いて食い入るようにしてみせた。
「え?」
見慣れた顔が2人、すぐ目の前を通過していった。向こうは全く気付く様子がないまま通りを西方面へと進んでいく様子を見る光二は昨日周人に相談すべき事があったのを思い出し、苦々しい表情を浮かべながらもその2人から視線を離さないようにした。
「横山・・・・・お前・・・・」
仲良く腕を組んで歩くのは同じアルバイト講師である忍と、生徒で中学三年生の紀子だ。合宿の夜に感じた思念から、2人が深い仲にあるのは知っていた。身を乗り出すようにして2人が向かう先を見続ける光二は背後から近づく足音にも全く気付く様子はなかった。
「気になるの?」
「えぇ・・・・すごく・・・・・・・・」
怒ったような声にそう答えた光二だったが、ハッとした顔をして振り返る。そこにはトイレから戻った恵が腕組みして仁王立ちしているのだ。光二が見ていた方向からかなり露出度の高い服装をした2人の少女が色っぽい仕草で西から東へと通り過ぎていった。そんな2人をチラッと見ながら思いっきり誤解を受けていると思う光二だったが、あまりの恵の冷たい視線に冷や汗を流しながらしっかりと椅子に座り直した。静かに目の前の席に座る恵を見ながら真相を話すか話さないか迷った光二だったが、余計な心配はかけさせないと自分に言い聞かせ、この際誤解も止む無しと平謝りすることにした。
「すみません・・・見た顔の人が通ったものでして・・・・申し訳ないです」
「知らなかったなぁ~・・・三宅君、結構ああいうタイプが好きなんだぁ」
光二同様汗をかいたコップを手にアイスオーレを口にする恵の表情はこれ以上ないほど穏やかである。それが逆に光二の中に恐怖心を植え付けていった。
「いや・・・どっちかというと・・・・ああいった少女みたいなのは・・・・」
「へぇ~・・・じゃぁ、ちなみにどういう人がタイプなのかな?」
どこまでが本気とも取れない言葉に、今恵の心が読めない自分を歯がゆんだ。さっき力を封印すると誓ったとはいえ、この緊急事態にはそうは言っていられない。ダメ元で能力を使用するがやはり聞こえてくるのは周囲の人間の思考ばかりで恵の意志は全く感じられなかった。もはや困り果てた光二は悩んだあげく、ここは正直に貫き通す事を決めた。意を決した光二はまっすぐに恵を見て、そんな視線を受けた恵はその真剣な目にドキッとさせられた。
「タイプで言えば、吾妻さんか、青山さんです。はっきり物事を言う人、それでいて可愛い人・・・・ですね」
「・・・・上手く逃げた感じ?」
「どう取ってもらっても結構です。けど、それが僕のタイプですから」
全く目を逸らすことなくはっきりそう言いきった光二を男と意識してしまった恵はドキドキ高鳴る鼓動をかき消すようにそっぽを向いた。だが、より一層高鳴る鼓動は、やがて恵の頬をほのかに赤く染めた。そんな恵からアイスコーヒーの入ったコップへと視線を移した光二は残ったコーヒーをストローで吸い上げていた。
「ゴメン・・・意地悪すぎた」
相変わらず外の方を向いたままそう小さく口にした恵ににこやかな笑顔を返した光二はストローから口を離すと一口水を含んで間を置いた。
「いいです。悪かったのは、僕の方ですから」
そう言う光二に小さな笑顔を見せた恵は同じように残ったアイスオーレを全て飲み干すと、外を行く人波をぼんやり眺めている光二の横顔を見やった。たしかにそう美形ではないにしろ、普通よりかはいい男と思える。それに1年前には考えられなかったほどにはっきり物を言える部分も好感を得るにふさわしいと思えた。
「でもぉ・・・ホントに悪いと思ってる?」
小首を傾げてそう言う仕草に思わず可愛いと意識してしまった光二はやや顔を赤くしながらも大きくうなずいた。
「じゃぁ、次のデートの日にちと場所、考えておくこと!面白い場所へ連れてってくれたら、そしたら許してあげるわ、いい?」
予想もしなかったその言葉に一瞬きょとんとした顔を見せる光二だったが、徐々にそれは驚きと嬉しさを表すものへと変化させていく。そんな光二に意味ありげな笑顔を見せた恵は少しだけだが胸の奥につかえていた何かが取れていくような、そんな気持ちになる自分を悪くないと思うのだった。
いちごのショートケーキはこの世に数あるケーキを代表するだけあって、かなりオーソドックスながら根強い人気がある。甘い物がそう得意ではない周人ですらショートケーキは普通に食べられるほどのケーキなのだ。そのいちごのショートケーキを頬張る自分の彼氏を見ながら微笑む由衣は目の前に置かれているチーズタルトをフォークでつっつくようにしながら小さく切り離すと、それをその愛らしい口へと運んだ。ついさっきまで光二と恵が座っていたこの席に、何の因果か今は周人と由衣が座っている。会話もなくただ黙々とケーキを食べながらお茶を飲んでいる2人の空気が若干ぎこちないのは、隣の席に座る1組の男女のせいだと言いきれる。しかし、隣の男女にも会話がない。こちらも黙々とケーキを食べているのみだ。
「口の端、クリーム付いてる」
チラッと周人を見てそう言う由衣はまるでどこかの貴婦人のような仕草でアイスティーにささったストローをくわえた。その視線は常に前、目の前に座っている周人を通り越してガラス越しに通りを行き交う人々へと向けられていた。そんな由衣の指摘を受けて指で口に付いたクリームを取り除くと、黙ったままアイスコーヒーにささったストローを口にくわえる。どこか気まずいこの空気の原因が隣に座る男女のうち、男の方にあるとわかっている周人は我慢ならずに横目で隣に座る男を睨み付けた。
「お前・・・・・・・・見すぎ」
「俺が景色を見て何が悪い」
プールに入ったせいか、いつもは逆立てている短い髪も今日はへたった芝生のように寝そべっている。薄いブルーのフレームでできたメガネを人差し指のみでついと上げる仕草をする遠藤はチョコレートケーキをもぐもぐ噛みしめながらそう言うも、視線はやや斜め前に座る由衣へと注がれていた。
「景色なら・・・・ちゃんと前見ろよ」
「このアングルが一番楽なんだ」
店内を見ていると言わんばかりの仕草をしてみせる遠藤だが、店内よりも由衣に視線を巡らせているといったほうがいい。もはや由衣は完全に無視を決め込む態度で外を見たまま首すら動かす事はなかった。
「一回、死んでこい・・・」
「一回死んだらそれで終わりだろうが・・・バカか?」
もはや子供のケンカじみた罵り合いを開始した2人を後目に、由衣はチラッと自分の隣に座る理紗を見やった。かなりの茶色い、金色に近い髪をパーマした理紗はこちらもプールに入ったせいか、いつもは濃いめの化粧も今は薄い。やたらマスカラで目を強調している普段を知らない由衣はナチュラルメイクの理紗に普通の女性以上の可愛さを見いだしていた。そして全く周人を見ようとはしないそのかたくなまでの姿勢に少しだけだが不安を感じてしまう。周人の口からも自分は彼女に嫌われていると聞かされ、プールでも、そして今も素っ気ない態度を取っているがそれは好意の裏返しではないのかと思えてしまうのだ。かつて世界で一番嫌いだった周人を、今では世界で一番愛している。何がきっかけで嫌いが好きに転ぶかわからない事を身をもって体験している由衣にしてみれば、理紗の存在は微妙なのである。
「エメラルド・・・読んでくれているんですね。嬉しいです」
相変わらず目の前ではくだらない口げんかが続いている。由衣はごく普通にそう理紗に話しかけながら少し探りを入れてみようと考えた。
「ええ、読んでますよ。読みやすいし、いろいろ参考にもなるし」
にこやかにそう言う理紗の反応から自分に嫉妬しているような感じはない。
「でも、モデルって大変でしょう?」
「う~ん・・・まぁ多いときなんて百着ぐらい用意されてますからねぇ・・・その時はもう、うんざり」
苦笑混じりにそう答えた由衣だが、彼女が周人をどう思っているかが知りたい。目の前に座る2人に目をやることすらしない、ましてや、そこには連れの男性がいるのだ、これはちょっとおかしいと思う由衣はその辺から攻めるようにしてみせる。
「彼氏さん、ですか?」
チラッと遠藤を見やった由衣は理紗の反応を待つ。だが、理紗は遠藤を見たものの、弱々しく首を横に振った。
「違います・・・・会社の、先輩です」
この反応を、由衣は微妙な心境で受け取った。その反応は遠藤に恋しているが進展がないというものか、はたまた遠藤に誘われたがいまいち乗り気でないのかといった風だ。そんな事を思案する由衣は理紗がここで初めてチラッと周人を見るのを見た。その瞬間、何かが頭の中を駆けめぐるような感覚に襲われた。見た時も、そして後も、全く表情すら変えなかった理紗。普通に考えれば何も思う事などないはずだ。だが、由衣は直感的に感じていた。この人は周人を気にしている、いや、好いている、と。
「でも、写真で見るより、実際、すごく可愛いですね」
「え?」
不意にそう言う理紗は実ににこやかである。由衣の直感が外れていると思えるほどのその顔に、怪訝な顔をして理紗を見ていたであろう自分を誤魔化す為にあわてた様子でアイスティーを口にした。
「雑誌で見た時も可愛いなぁって女ながらに思ってたけど・・・木戸さんの携帯画面見た時もかな、まぁでも実際会ったら、ホント可愛いですね。木戸さんが自慢の彼女だって言うのも納得」
「・・・ありがとうございます」
照れた顔をしながらそう言うのが精一杯な由衣は内心どこか引っかかるものを感じながら、その後も理紗と会話を続けた。その中でも周人に対する想いのようなものは全く感じられなかった。だが、由衣の中の不安、直感はより大きく膨らんでいく。
「じゃぁ、そろそろ行こうか?」
しばらく話をしていた由衣だったが、自分の中で膨らんで止まないその心に耐えきれなくなり、きりのいい所でそう周人に切り出した。周人もそれに納得し、うなずいて店を出る準備を始めた。名残惜しそうに自分を見る遠藤も後に続こうと考えたが、まだ理紗のお皿の上には半分以上のケーキが残されていた。周人たちより後から入ったとはいえ、いくらなんでも遅いそのペースに苛立つ遠藤だったが、それをグッと堪えて泣く泣く由衣を見送った。
「遠藤さん・・・彼女が好きなんですね」
店の前を通り過ぎていく由衣はガラス越しに小さく頭を下げたが、周人は小馬鹿にしたように舌を出した表情をしていた。
「ばっ、バカ言うなよ・・・・・・なんで俺がアイツの彼女を・・・」
「でも、わかる気がします。彼女、可愛いから・・・・」
そう言う理紗は少し悲しげな顔をしていた。彼女こそ、高木青空に言わせれば全てにおいて『上の上』たる女性だろう。
「い、いや・・・・別に外見で判断してるわけじゃ・・・・」
「同じですね、遠藤さんは、私と」
その理紗の言葉の意味が全く理解できない遠藤は少し困った顔をして見せたが、すぐに明るい表情でこの後をどうするか聞いてきた理紗の言葉に拍子抜けしたような顔をする。考え込む遠藤から視線を外した理紗はさっきここにいた由衣の態度、言葉から溢れんばかりの周人への愛情を感じ取っていた。そして、2人が同じ空気を持っていることになぜか嫉妬に似た感情が沸き上がって来るのを感じていた。周人が彼女を好きでいる分には問題ない。だが、どちらかと言えば由衣の方が周人を好きでたまらないという印象を受けた理紗は顔と社会的地位、そして財力で男を選んでいる自分がひどく虚しく、格好悪いと思えてしまったのだ。自分にひどい仕打ちをした青空に対する復讐じみた行動からそうしてきた理紗だが、さっきの由衣はそれを真っ向から否定しているように思えたのだ。『上の上』たる女性が『中の上』の男性を好いている。その事実に、理紗の中で何かが壊れていくのを感じるのだった。




