表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
89/127

あなただけを・・・(7)

予想通りというべきか、ミレニアム内部はすでに満席となっていた。そこから見下ろされる夜景は見事としか言いようが無く、味も雑誌等のメディアで絶賛されるほど見事なためか、ここ最近では週末は予約でもしないと入れない状態となっていた。値段も高いものから安いものまで豊富であり、かといってボリューム自体はさほど変わらないため、家族連れやカップル、それにサラリーマンの接待などにも多く利用されているのだ。店の外で待っている人はいなかったが、『只今満席です』と白地に赤文字で書かれているプラスチックの板がメニューの上に置かれていた。ため息を漏らす周人はうなじを掻くような仕草を見せながら他にいきつけの店を思案する。この近辺であるとすればお寿司屋があるのだが、そこはなるべく避けたいと考えた。どうしたものかとため息をつく周人はここでこうしていても仕方がないと判断し、黙って自分を見ているだけの理紗を振り返った。だが、理紗は驚いた顔をしながら店の入り口を凝視しているのみで周人の方など見ていない。そんな理紗の様子に気付いた周人は自分の背後にせまる人の気配を感じ、やや神経を研ぎ澄ますようにしながら首だけを斜め後ろへと傾けた。


「満席だが・・・いつもカウンターに2つ、空席を用意してあるんだぜ、大将!」


聞き覚えのあるその野太い声の主が誰かはすぐにわかる。周人は完全に振り返らずに小さく微笑むと、呆気に取られた表情を浮かべて自分を見ている理紗に笑顔を見せて安心させた。


「いつ来るかわからないヤツの為に席を空けておくなら、他の客を入れた方が儲かるんじゃないか、オーナー?」


ここでようやく振り返り、声の主に体を向けた周人は笑みをたたえたまま自分を見下ろす格好で腕組みしている黒いスーツ姿の大男を見上げた。大男はきちんとしたスーツ姿の身なりをしているが、その黒いスーツに濃い紫のネクタイというシックな色合いに不釣り合いな金色の短い髪をしていた。左耳には5つ連なった小さな円形のこれまたゴールドのピアスをしている。どこからどう見てもヤクザにしか見えない風貌のせいか理紗はまだ怯えたようにしているが、周人はそんな理紗をエスコートするかのように先に店の中へと戻っていった大男の後に続いて人で賑わう店内へと足を踏み入れた。


「ああいう感じだけど、ここのオーナーだよ。古い知り合いでね・・・良くしてもらってるのさ」


めずらしくウィンクなどをしながらそう説明する周人をいつもなら小馬鹿にしたような表情で嫌味を言うはずの理紗だったが、何故かすねたような顔をしながら目線を外すのみだった。


「ここだ・・・メニューはどうする?」


客に対する言葉遣いじゃないと思う理紗だったが、指定された席に腰掛けた。カウンター席とはいえ、隣り合う椅子とはかなり間隔が空いているせいか、意外とゆったりしている。水を置きに来たウェイターは軽い会釈をしたのみですぐに理紗と周人の傍から去っていった。おそらくオーナーが傍にいるせいだろう。


「そうだなぁ・・・・このCコースっての、どうかな?」


カウンターの一番端に座ったおかげで壁との間にできたわずかな空間に鞄と袋を置いていた理紗は差し出されたメニューを受け取ってそのCコースの内容を確認した。前菜、コーンポタージュスープにおかわり自由のパン、魚のソテーに子羊のミニステーキがメインで食後のドリンクまでついて3千円となっていた。


「いいですけど・・・高くないですか?」


オーナーに聞かれてはまずいと思った理紗は最後の言葉は周人の耳元でささやくようにしてみせる。その言葉を聞いて小さく笑った周人は理紗に返事を返さずにそのCコースを2つオーダーした。


「給料入ったばっかだし、心配ないよ・・・遠慮なくどうぞ」


どこから取り出したのか、タバコをくわえながらそう言う周人はごそごそズボンのポケットをあさるとピンクのハートも目立つ傷だらけのジッポライターを取り出した。


「そう。遠慮することはないぜ・・・こいつは永久特別割引でな、どれも半額になっちまう、赤字の元なのさ」


容姿に似合わないというか、イメージすらない可愛らしいウィンクをしながらそう言うオーナーに対して引きつった愛想笑いを浮かべる理紗。そんな理紗を見て周囲の目すら気にせず豪快に笑いながら去っていくオーナーの大きな背中を見送る理紗は小さなため息をついてからタバコに火を灯す周人の方を見やった。その視線を感じた周人は用のなくなったジッポライターをテーブルの上に置いてからガラス製の灰皿を引き寄せて煙を揺らす。


「ま、いろいろあって・・・永久半額にされたのさ。悪いから断ったんだけどな。相変わらずの頑固オヤジだからなぁ、茂樹のダンナは」

「『いろいろ』・・・ばっかりですね」


そう言いながら視線はカウンターの上にあるジッポライターへと向けられていた。


「前から思ってたんですけど・・・そのライター、木戸さんのイメージとは合わない」

「オレもそう思うよ。でも、これは彼女が初めてくれたプレゼントでね・・・まだ付き合う随分前の事だけど、気に入ってる」


手には取らずに顔を向けてそのライターを見ながらそう説明をした周人の口調は優しく、それだけで彼女に対する想いが手に取るようにわかるほどだった。何故かはわからないが、理紗の中で嫉妬にも似た黒い感情が胸の中で沸き上がるのを感じる。


「それって・・・犯罪すれすれの頃ですね」


やや口調を強めてそう理紗に、周人は苦笑しながらもうなずいた。そして、理紗が自分に対して取っている態度を懐かしく感じている原因もそこにあると思う周人は、ジッポライターを見つめる目を優しいものへと変化させていった。


「お前は自分の彼女をここへ連れて来る気がないらしいな」


大きな体を揺するようにしながら近づいてきた茂樹は金色の髪をライトで照らされて輝かせるようにしながら座っている周人の頭の上に手を置いた。


「あんたに会わせるのが怖いのさ・・・昔話をされるのはイヤなもんで」


置かれた手をどけようともせずに素っ気なくそう言う周人は水の入ったコップを手に取るとそっと口をつけて唇を湿らすようにしてみせた。


「なぁんだ・・・何も知らねぇで付き合ってんのか?」

「まさか・・・彼女は全部知ってるさ・・・・・全部ね」


いやに『全部』という言葉を強調するなと思う理紗をよそに、その『全部』の意味をわかっている茂樹はにんまり笑いながら『そうか』と言う。コップを置く周人もまた小さく笑うとやっと手をどけた茂樹の方へと顔を向けた。


「なら余計に会いたくなった・・・お前への恨み辛みを話したい、絶対連れてこい!」


丸太に近い太い腕を組むとスーツが窮屈そうにしながらその筋肉質な腕の形を作り上げていった。


「恨み、まだ持ってるのかよ・・・」


苦笑する周人は肘をついてアゴを乗せると小さく意味ありげな顔をしてみせた。この茂樹と話をしている周人は会社では見られない一面を理紗に見せているが、当の本人は全く気付いていない。どういう過去があったにせよ、周人が思っていたより砕けた、それでいてどことなくだが頼りになるような、そんな感じを受ける理紗はそれを否定するかのようにそっぽを向いた。


「オレが負けたただ1人の相手・・・しかも病院なんて退屈な場所へ送ってくれたありがいたい相手だからな、オメェは」

「オレも重傷負ったけどな・・・だいたい『天龍昇』を3度喰らわせた相手もあんたぐらいなもんだ」

「あぁ、ありゃぁきいたなぁ・・・特に連続の方はな・・・・目を閉じなくても思い出せるぜ。あの衝撃と、お前の強さはな」


お腹の辺りを押さえながら苦笑気味にそう言う茂樹を見やった理紗は、これだけの巨漢、見ただけでも強そうなのが滲み出ている茂樹を相手に周人が戦い、しかも病院送りにしたとは信じられない面もちを見せていた。


「あんたは強かったよ・・・でも、戦ってて楽しいって思えたのは、あんただけだ・・・・」

「楽しかったなぁ・・・またやりたいところが、今のオレじゃ十秒もたねぇな」

「まさか・・・・3分はもつだろうさ」

「それでも3分かよ・・・・まぁ、3分なら、もった方だろうな」


そう言いあって2人は笑った。そんな2人の会話についていけない理紗はため息混じりに周囲を見渡す。その時、すぐそばの白い板で仕切られた即席個室から1人の若い男が姿を現すのが目に入った。胸元を大きくはだけた紺色のシャツにだぶだぶのズボンを履き、耳にはドクロのピアス、胸には金のネックレスをした派手ないでたちに短めに刈られた金色の髪を逆立てており、あきらかにチンピラといった風貌をしている。目は細く、眉もかなり細くなっており、その歩き方も周囲を威嚇するようにしたものからしてヤクザか、暴走族かといった感じがありありと出ていた。そんな男の方から目が離せない理紗は肩を小刻みに震わせ、息も荒くなっている。そんな不審な動きを見せる理紗に気付いた周人は理紗の視線の先へと何気なしに視線を走らせた。つられた茂樹もまた自然とそっちへ顔を向ける。


青空せいくう・・・・・高木、青空・・・・・」


震える唇でその男の名前であろう言葉をつぶやく理紗に気付いているのか、周人はやや険しい顔で青空と呼ばれた男の顔を見つめている。そんな3人の視線に気付いた男は驚いた顔をしながらも目つきを鋭くし、理紗の傍へと歩み寄ってきた。


「こりゃぁ、誰かと思ったら理紗じゃねぇかよ・・・・それに連れてる男が木戸とは・・・お前は相変わらず『中の中』だぜ。まぁ、見た目は『中の上』って感じになっちゃいるけどな、まだまだだよ」


巻き舌風にそう言いながら無造作に理紗の髪に触れようとした青空だったが、理紗がその手を振り払ったため、その手は宙をさまよった。


「で、こいつと付き合ってんの?」


見下ろす視線も鋭く、明らかに威嚇したその目つきは周人へと向けられていた。そしてその青空を見上げる周人は、普段にはない鋭い目つきとなっていた。


「連れて歩くなら『上の上』の女っしょ・・・女はどれだけ可愛いかが1番、どれだけ金持ってるかが2番だ・・・その点こいつは普通すぎ。まぁ、あんたにはピッタリかもな」


そういってケラケラ笑う今の言葉から、何故理紗が容姿と金にこだわって男を選んでいたかを完全に理解した周人はその体から鬼気のごときオーラを身に纏い始めた。その表情は険しいというより怒りに満ちている。


「男として『下の下、それ以下』のテメーの姿を自分で見てから偉そうに言いやがれ」

「あぁん?お前、誰に向かって言ってんの?」


周人のシャツの肩口を掴みながらそう言う青空を睨む周人はゆっくりと立ち上がる。そんな2人を見て息苦しいほどに胸が痛い理紗はどうしていいかわからずに息を弾ませる事しかできない。


「店を出て右に行きゃぁ大きめのトイレがある・・・あまり使われてねぇからもめるならそこでやってくれ・・・」


2人の肩にごっつい手を置きながらそう静かに言う茂樹の表情はどこか楽しそうだった。


「茂樹さんも茂樹さんッスよ・・・『敵』と仲良くしゃべってる場合ッスか?」

「もう『敵』じゃねぇよ・・・」

「こいつに負けたからッスか?言わせてもらいますけど、あん時、オレがいたなら勝ってたのはオレらだ!こんなヤツに!」

「負けたのはオレがこいつより弱かったからだ・・・それに負けて悔しくない相手もいるってこった」

「チーム辞めて・・・ふぬけになったんじゃないッスか?」


元リーダーを小馬鹿にした青空は周人にアゴで外に出ろとうながすと、自分は肩で風を切るように大股で去っていった。やれやれといった感じでその背中を見送る茂樹は周人の方を見て苦笑を浮かべた。


「木戸さん・・・彼は強いです・・・行かない方がいいんじゃ・・・」


理紗は緊張した顔を周人に向けてそう言うが、言われた周人は笑顔を理紗に見せた。


「話をしてくるだけだよ・・・・旦那、彼女に飲みやすい物を頼むよ」

「わかった・・・『ほどほど』にな」

「・・・努力するよ」


周人は小さく笑いながらそう言うと、青空の後に続いて外へと出ていった。残された茂樹はカウンターの向こうにいるバーテンダーに何かしらのカクテルの名前を告げると、心配そうに入り口を見つめている理紗の横に立った。


「心配ねぇよ・・・アイツも『本当に負ける』っつー意味を知ってもいい頃だ」


茂樹の言った『アイツ』が青空を意味することを理解するまでしばらく時間がかかった理紗は目の前にカクテルが置かれた事も気付かずにジッと入り口を見つめ続けるのだった。


茂樹が指定したそのトイレはかなりの広さを持っていた。ややオレンジがかった照明が白いタイルを照らし、横一列に並ぶかなりの数の便器も清掃が行き届いているのがわかる清潔感溢れる白さを輝かせていた。


「何が『魔獣』だ・・・・・・オメーなんかオレにかかればイチコロだぜ」


肩を揺らしながら拳を鳴らす青空は余裕の笑みを浮かべながら入り口の側に立つ周人を睨んだ。


「妹は・・・紫杏しあんは元気か?」


そんな視線を無視するかのように、周人は突然そう問いかけた。トイレの床に唾を吐き捨てながらも睨む事を止めない青空は答える気などないといった風に間合いを詰めるといきなり蹴りを繰り出した。だが、その蹴りは虚しく宙を舞うのみだ。あっさり蹴りを避けた周人のその動きは計算のうちだったのか、青空は唇の端を吊り上げるようにしてまた唾を床に吐いた。


「知らねぇよ・・・どっかの島にいるとか手紙が来てたらしいけど、オレの知ったこっちゃねぇしなぁ!」


またも言い終わらぬうちに蹴りを繰り出す。2度3度出される蹴りを全て避けた周人はトイレの入り口脇の壁に背中をついた。もう後が無くなった事を見て鋭い目つきのまま口だけ笑う形を取った青空に、周人は小さくため息をついてみせる。


「小学校の同級生としては・・・悲しい話だ」

「ハッ!うるせぇよ!」


周人の右側にも壁があるため、逃げられないように左足で回し蹴りを放つその放物線はもはや避けることが出来ない周人の腹部を直撃するはずだった。だが周人は右足を上げてその膝で蹴りをブロックすると、そのまま右足を目にも留まらぬ蹴りをもって青空の無防備な側頭部に叩きつけた。その凄まじい衝撃のせいか、一瞬で白目を剥いた青空は意識を失って脱力してしまい、力無く白い床に倒れ込んで動かなくなってしまった。


「お前がこうならなきゃ・・・紫杏も幸せな家庭の中で生きていけたんだ」


うつぶせで倒れている青空に吐き捨てるようにそう言葉を浴びせると、周人はフンと鼻をならしてから少々乱れたシャツを整えた。


「強さも、女の趣味も、全部が『下の下の、ずぅっと下』、だな」


わざわざ青空の背中を踏むように歩いてトイレを出た周人はやや早足になりながらレストランへと戻って行くのだった。


結局、理紗は周人が店に戻るまでの間、ずっと出ていった入り口を見つめ続けていたのだった。そして何事も無かったかのように店に舞い戻った周人は茂樹から新しいおしぼりを差し出され、それを受け取りながら元いた場所に腰掛けた。そんな周人の目の前に理紗と同じカクテルが差し出される。


「あいつは?」


心配そうにそうたずねる理紗は下から周人を覗き込むようにしてみせた。そんな理紗をいつもと変わらぬ表情で見た周人は丁寧に手を拭いたおしぼりをカウンターの上に置いてからゆっくりと口を開いた。


「話せばわかってもらえたよ・・・このまま帰るのは気まずいから先に戻ってくれって言われてさ」


話し合いですむような気配ではなかったし、青空の性格をよく知っている理紗にしてみれば今の言葉が嘘であることはすぐにわかる。だが、青空がケンカに強い事もよく知っている理紗にしてみればひとつの怪我も、衣服の乱れもなくわずか3分程度で戻ってきた周人の姿を見て、その強さはまんざら嘘ではないのかなと思い始めていた。まさか周人が青空をのして戻って来たとは考えられないからだ。


「ま、いいから、乾杯しよっか」


笑顔を向けながらカクテルの入ったグラスを持ち上げ、理紗の目の前に持っていく。しばらく何かを考えるような怪訝な顔をしていた理紗だったが同じようにグラスを持ち上げて周人のグラスの横に差し出した。


「ほんじゃ、お疲れさん」

「お疲れさま、です」


チンという小気味いい音を響かせ、2つのグラスが傾けあって合わさる。カクテルを一気に飲み干す周人を横目で見ながら、理紗もまたグラスに口をつけて少しだけその味を堪能した。甘い、まるでアルコールを感じさせない口当たりのいいその味に自然と表情が緩む中、隣にいる周人が小さな悲鳴を上げたためにあわててそちらを見やった。もしかして青空が舞い戻ったのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。カウンターに置かれたグラスに手を添えたまま、苦々しい顔をしてみせる周人はそのままの表情を理紗へと向ける。


「今日、車なのに・・・・・飲んじゃったよ」


トホホという情けない顔をする周人に普段の自分を取り戻した理紗はいつものように小馬鹿にした顔を周人に向けている事に気付いていなかった。


「いいじゃねぇか、一杯ぐらいよぉ・・・・」


そう言うと豪快に笑いながらカウンターの奥にある厨房の方へと消えていく茂樹の後ろ姿を見ながら小さく笑う周人はそうだなとつぶやくとウェイターが運んできた美味しそうなスープに瞳を輝かせた。そんな周人の醸し出す雰囲気のせいか、青空の事が気になりつつも落ち着きを取り戻した理紗はメインディッシュが運ばれて来る頃には会社についての批評や香の悪口に華を咲かせ、元の元気を取り戻したのだった。


全ての料理を平らげた2人は食後のコーヒーも終え、支払いをするために席を立った。無造作にレシートを持つ周人を見上げながら、やはりおごって貰う事には抵抗を感じる理紗が鞄から財布を取り出そうした時、目の前に山のようなものが立ちはだかり影を落とした。その影の主を見上げた理紗はそれが茂樹の背中だとわかるや急に青空の事を思い出し、あわてて青空が出て来た個室の方を見やったがそこにはもう誰もいなかった。


「ごちそうさん、美味かったよ・・・ホントここは美味しいわ」


財布を持ちながらにこやかにそう言う周人に満足そうに口の端を吊り上げる表情を見せた茂樹だったが、すぐに腕組みしながら憮然としたものへと表情を変化させる。その変化に片眉を上げる周人の顔を見てか、茂樹はそっぽを向くような、まるで外見には似合わないすねたような顔をしてみせた。


「今度は彼女を連れてきてくれるんだろうな?」


すねた態度がそのせいかと、周人は困ったような顔をしながら苦笑した。


「連れてくるよ・・・今度は絶対にな」

「クリスマスは、ちゃぁんと2名分でVIPルーム予約しておくからな」


来るとは言っても来そうにないとふんだのか、茂樹は腕組みしてそっぽを向いたままそう言い切った。


「わかったよ・・・必ず来るさ。でもVIPルームは勘弁してくれ、オレは貧乏なサラリーマンなんだからさ、裕福でもない」

「心配するなって、ちゃぁんと出世払いにしといてやるからよ」


ここでようやく周人を見た茂樹は嬉しそうな顔を噛み殺すようにしながらも、それを絶えきれずに少々緩んだ表情をしていた。周人はそんな茂樹を見て苦笑気味の笑みを見せると、キョロキョロ店内を見渡している理紗を残してすぐそばのレジへと向かい、さっさと支払いを済ませてしまった。そんな周人に気付いた理紗はしまったという顔をしたが、後で払えばいいと思い、すぐ目の前に背中を向けて立っている茂樹の横に立った。


「あの・・・彼は、青空は?」


おずおずとそうたずねる理紗の言葉はしっかり聞き取れた茂樹は小さな笑顔を見せると、その容姿には似合わないにこやかな笑顔を見せた。


「アイツは帰ったよ・・・用が出来たらしくって、連れの女と一緒に。ま、こう言っちゃなんだが・・・『上の上』には見えなかったぜ」


これまた似合わぬウィンクを理紗にしてみせた茂樹は支払いを終えた周人の方へと歩き出した。そんな茂樹の背中を見送りながら、連れの女性が帰った事も青空が店に舞い戻った事も気付かなかった自分に首を傾げたがすぐに茂樹の後に続いて店の入り口に立つ周人の方へと駆け寄っていくのだった。


「じゃぁ、また・・・ごちそうさま」

「美味しかったです」


2人にそう言われた茂樹は満足そうにうなずくと右手を挙げた。その仕草を見てから店を去る周人の後に続く理紗の後ろ姿を見やる茂樹は、元から細い目をさらに細めてトイレのある方へと視線を走らせた。2人の姿が完全になくなったのを確認した後、そのままおもむろにそっちの方向へと歩き出す。人気のないトイレの中から小声で何かぼそぼそ話をしている声が聞こえる。普通なら不気味に思うところだが、茂樹はお構いなしにその中へズカズカ入っていった。


「あぁ・・・すまねぇな、ほんじゃ、また明日な」


か細い声でそう言う青空は外から見えない入り口横にある角の方に座り込みながら携帯電話の通話を切った。ここがトイレであるにもかかわらず、床に完全に座り込んでいるのはそういうことを気にしないせいか、はたまた立てないからなのか。


「ちったぁわかったか?あいつの強さがよ」


手を洗う箇所は3つあり、その台は数に似合わず大きめに作られていた。そこへ腰を浅めにかけた茂樹は座り込んで自分を睨むかのように見上げる青空を見下ろした。


「芳樹は、あいつは最初、木戸の強さをみくびっていた・・・だが、その強さを認めて全力を出したが、結局負ちまった。これ以上ないぐらい全力を出しても負けたんだ」


茂樹は青空から目を外すと、トイレの中から外を見るように顔を向けた。


「お前は遠征でそれを見ていないからなぁ、無理もないって言やぁそれまでだ」

「けど、オレは・・・・」

「オレはな、今までコイツにだけは絶対勝てねぇって思った相手が2人だけいる」


何か異論を唱えかけた青空の言葉を遮るように、茂樹は視線を青空へと戻してそう言葉を挟んだ。


「1人は言わずと知れた『キング』こと久我晴海くがはるみ・・・そしてもう1人は、関東夜叉会元組長、青島玄吾あおしまげんご・・・通称『青鬼』だ」


その名前はミレニアムに属する者でも古参の者しか知らない名前だ。茂樹がその実力をもってのし上がり、日本最強の暴走族と呼ばれるようになってあらためて『敵』と認識したのが政府も認める『キング』の勢力と、ヤクザの世界でナンバーワンと言われた最大勢力である関東夜叉会だったのだ。実際、茂樹は『キング』とも、玄吾とも顔を合わせている。『キング』に関しては向き合っただけで鳥肌が立ち、嫌な汗を流しながらも睨み合うだけですんでいる。そして舎弟が夜叉会ともめた際に茂樹自らが事務所へと単身乗り込み玄吾と対峙、その時にも『キング』とは違う計り知れない強さを肌で感じていたのだった。結局、その時は玄吾にその意気を気に入られた茂樹は五体満足で事務所を出られたのだった。『キング』には人間として異質な存在と認識し、玄吾には男の器としてかなわないと悟った為にそれら2つの勢力とはぶつからないようにしていた茂樹は、今でもそれが間違いでなかったと思っている。


「ところがだ、木戸のアホは『キング』に真っ向から勝負を挑むと言ってオレの前に立ちはだかった」


芳樹が『ヤンキー狩り』にやられたという情報はすぐに茂樹の耳に入った。ちまたで噂の『ヤンキー狩り』が『キング』の配下の者、とりわけ都内の街を占める者に対してケンカを売っていたのは知っていたが、何故芳樹が狙われたかはわからなかった。とにかく、自分のチームの特攻隊長、しかも可愛い弟がやられて黙っている訳もなく、茂樹はヤンキー狩り率いる名もない5人の男たちをうまく港のさびれたコンテナ置き場におびき寄せた。そこで他の4人には手出しさせず、自分も1人で1対1での勝負を挑んだ。それは今でも語り継がれる伝説の死闘となった。当時『金色の野獣』と呼ばれた茂樹が『絶対無敵』と呼ばれた周人と五分の戦いをしていた。その戦いを見て熱くなった何人かが周人と行動を共にしていた哲生たちに襲いかかったが、逆に簡単にのされたりもした。2人はそんな外野での騒ぎも関係なく、お互いが持つ力を100%出し切って戦い続けた。今の今まで、本気で、力を一切加減することなく戦った事がなかった茂樹にとって周人との戦いは歓喜でしかなかった。たしかに、全力を尽くしても倒せない周人に怒りと恐怖を感じていたのだが、それよりも全力を出せる喜びの方が勝っていた。もっともっとこの戦いを楽しみたいと心からそう思ったのだ。戦いの結果は周人が左のあばらを折られながらも、1度は強靱な筋肉で受け止めた天龍昇を左右連続で放つ事によってダメージを2倍にした結果、からくも茂樹を倒していたのだった。


「倒された時に感じた悔しさは、もっと戦っていたかったって方が強くてな・・・負けた事じゃぁなかった・・・それにあの『キング』に真っ向から勝負を挑んだアイツを尊敬してもいる。だからこうして仲良くしてられるのさ、オレも、芳樹もな」


静かな口調でそう言いながら、茂樹は立ち上がってトイレの入り口の前に立った。その話の最中もうなだれるようにしている青空は何も言葉を発する事無くずっと座り込んだままだ。


「お前も持つべきだ。負けても相手を認められる器をな」

「けど、オレは・・・」

「負けを認めるのは弱さじゃねぇ・・・それは強さだ」


茂樹はそれだけを言うと青空を見ることなくトイレを後にした。残された青空は歯がゆい表情を浮かべながらトイレの床を睨むことしか出来ない。ギュッと握られた拳に力を込めるが、その拳を向けるべき相手は、もうここにはいなかった。


ミレニアムのあるビルを出た2人は市営の地下駐車場へと向かっていた。結局周人は最初の1杯しかアルコールを口にしなかった。周人がお酒に強い事は何度かした会社の宴会で知っている理紗は自分だけがお酒を飲むことに抵抗を感じて勧めたが、周人は一切それを受け入れようとはしなかった。たしかに、警察に掴まればいろいろややこしいし、罰金も取られてしまう。だが、それ以上にもし万が一事故にでも遭って理紗に何かあったらと考えて飲まなかったのだ。理紗は無言で歩く周人を何度か見上げるようにしてみせたが、そんな視線に気付かないのか、周人は理紗の方を見ることはなかった。仕方なく、ずっと疑問に思っていた事を口にする理紗。


「あの・・・青空と、どんな話を?」


その言葉にようやく理紗を見やった周人はとぼけるでも、困るでもない表情を見せた後、すぐにまた前を向いてしまった。


「女性に対して、特に昔の彼女に対してあまり失礼な事を言うなって、ただそれだけだよ」


淡々とそう答える周人は地下駐車場西入口と書かれた重い感じのする鉄のドアを押し開いた。そして先に理紗を中に入れ、後から自分も足を踏み入れる。


「あいつが、それで納得するわけない」

「そう、しなかった・・・・だから、ぶっとばしてやったのさ」


にこやかにそう言う周人の言葉が本気か冗談かはわからない。


「まぁ、とにかく・・・見かけと金で女性の価値を決めるのは止めた方がいいって事は言っておいた」


理紗は周人のその言葉にただうつむくしかなかった。結局自分もそうなのだ。たしかに昔、青空といろいろあって男を容姿と財力で判断するようになったのは事実だが、そういった事が人間として『下の下以下』であることはわかっている。わかっていても、それでいいんだと言い聞かせてきた理紗だったが、さすがに今日の事はそれらを反省させるに十分だった。


「私も、そうですよね・・・男の人を・・・・そういう目で判断してたから」


素直に反省した心を口にした理紗の言葉に、周人は暗い表情をしながら横を歩く理紗の方を見やった。


「そうだな・・・・でも、君が言った事で正しいことが1つあるよ」

「今日、ですか?」


理紗のその質問に、周人は静かに首を横に振った。普段周人に対しては厳しいことしか言っていないはずの自分が、正しい事など果たして言ったのだろうか。それが何かわかるはずもなく、理紗は困った顔をしてあれこれ考えを巡らすが結局頭に何も浮かんでは来なかった。仕方なくそれが何かを目で問いかける理紗に、周人は苦笑のような笑みを見せて理紗を見た。


「『横に並んで歩くなら美人の方がいい』っていうの。アレ、正解だよ・・・オレは自分の彼女を振り返る男たちに優越感を感じているのは事実だからね」


周人はそう言いながら小さく笑った。その笑みが何を意味しているのかはわからないが、理紗にはその笑みに嫌味なようなものを感じることはなかった。むしろ素直にそう言える周人を、ほんの少しながら凄いと思えた。


「彼女を、容姿で好きになったんじゃないっていうのは本当だよ。彼女が世間的にブスでも、オレはきっとあの子を好きになったと言いきれるしね」


人気のない地下の空間にあるのは色も形も様々な車の群れ。冷たい感じがするグレーのコンクリートに囲まれた駐車場には人気はなく、2人が歩く靴音だけがいやに不気味に響いている。周人のその言葉に嘘はないと、その時は何故か自然とそう思えた。青空が自分に向けて放った屈辱的な言葉に誰よりも怒りをあらわにした周人に対し、理紗の心は素直さをもって接していたのだろう。


「でも、心のどこかで今の彼女が隣にいることを自慢げにしている自分がいるのは事実だよ」

「実際、彼女は可愛いですし・・・エメラルドの中でもトップを行きますからね。女性ならアズマ・ユイ、男ならササキ・テツオ、エメラルドを読んでる人じゃ、それ、常識ですもん」


理紗のその言葉に、周人は苦笑した。まさか今出た名前のうち、由衣はともかく哲生もよく知っているとは言えない周人は理紗の不審がる顔をあえて無視して見えてきたジェネシックの方へと顔を向けた。


「でも、今日、君も結構見られていたんだぜ?」


周人は暗い表情をしたまま歩く理紗を見ながらそう言った。さすがにそう言われて顔を上げる理紗は今の言葉の意味がわからないといった風な表情をしている。そんな理紗を見ながら小さく笑みを見せた周人はすぐ目の前まで来た自分の車にアンロックと言ってから言葉の続きを言い始めた。


「今日、君とセンター街を歩いていた時に何人かの男が振り返ってた・・・前から思っていたけど、君は美人だよ」

「私より全然綺麗な彼女持ってる木戸さんに言われたくない!」


怒った口調でそう言うが、周人にしてみればこれは慣れたものであり、苦笑いしながら運転席のドアを開けた。そんな周人を見ることができない理紗は心の中の動揺を隠すためにそういった口調で言った事を少々ながら後悔していた。気を遣ったのか、はたまた事実だったのかはわからないが、胸の鼓動は自分が思った以上に高鳴っている。なんとか平静を装いながら車に乗り込んだ理紗はそそくさとシートベルト着用すると決して周人の方を見ようとせずに前を向いたままだった。


「ほんじゃ、帰りますか」


自分を無視している理紗など全く気にならないのか、周人は1人そう言うと出口方面と車を走らせるのだった。


その後理紗とはほとんど会話らしい会話もなく、家も桜ノ宮北側の山の手にあるためにすぐに別れた周人は少々焦りながらも空いた道で警察に掴まらないように気を付けながら急いで帰路へとついていた。このまま行けば由衣と約束した午後9時ギリギリに家に着くだろう。そしてそれは予想通りであり、車を止めて部屋に飛び込んだ時点で9時ジャストだった。鞄を放り投げるようにして着替えもせず、すぐさま家の電話を手に取った周人はメモリーされた由衣の携帯電話を呼び出すと通話ボタンを押した。時間には間に合ったものの、何故かドキドキして緊張している自分をさらに後押しするかのように長いコール音がいやに耳についた。そして長めのコール音が終わりを告げ、電話が繋がる音がはっきりと聞こえた。


「もしもし?」

『やっほー!やるじゃん!時間通りだね!』


その軽快な言葉にホッとしたのか、気が抜けたのか、とにかくここでようやく落ち着いてリビングに置いてある赤いソファに腰掛けた周人は気付かれないようにため息をついた。


「ギリギリだったけどな・・・悪かったな、待たせて」


ネクタイを緩めつつそう言う周人は部屋の暑さのせいか、はたまたホッとしたせいか、一気に汗が噴き出すのを感じていた。ソファの前に置いてあるテーブルの上からクーラーのリモコンを手に取ると電源を入れ、寝る際に設定してある28度から24度へ温度を引き下げた。


『で、どうだった?私以外の女の人とのデートは』


さっきまでの軽快な口調はどこへやら、刺々しいものに変化したそれは暑さからではない変な汗を周人の背中に流させた。


「あ~、いや、結局早々買い物済ませて、知り合いの店で飯食っただけだよ・・・普段から仲良くないから会話もそう弾まなかったし」

『へぇ~、それは良かったねぇ・・・ほんじゃ一応戻ったって事で、バイバーイ!』

「あ、ちょっと待って!」


情けない声を上げたせいか、電話が切れる音は鳴らなかった。しばらくそのまま沈黙が流れたが、周人はどう言葉を発していいかわからずに困り果ててしまった。


『ププッ!あはは!・・・・顔は見えなくても困った感じがありありだった!』


どうやら周人のあまりのあわてように笑いを堪えていた由衣もとうとう我慢できずに噴き出してしまった。そう言ったあともゲラゲラと笑っている。


「お前・・・・相変わらず小悪魔だな」

『フフッ!そう言うけど、これでも結構心配したんだけどぉ?』

「そうだな、すまなかった・・・」

『まぁ、あとはその人に好かれない事を祈るね』


由衣は普段と変わらぬ感じに戻るとそう言った。実際はかなり嫉妬してしまい、9時になるまでとイライラする心を押さえつけていたのだ。たとえ1分でも遅れたらただでは済まさないと思っていたのだが、9時になった途端に電話が鳴った為にあわててしまいすぐに電話に出られなかったのだ。時間きっちりに戻った周人を周人らしいと思いながら、由衣は嫉妬からくるいたずら心がふつふつと湧いて出てくるのを感じていた。


「ところでさ、随分先だけど、クリスマスはそこの店ですることに決まったから」

『ホント、随分先だね・・・まぁいいよ、そういうのは周人に任せるから。で、今日はどんなお話を?次のデートはいつにしたのかな?ん?』

「お前なぁ・・・・・参ったなこりゃ・・・・」


今まで溜まっていた嫉妬心はいたずら心へと変化し、その後小1時間に渡って周人をいじめる結果となったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ