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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
85/127

あなただけを・・・(3)

三十分ほどが過ぎて病室に夕食が配給され始めた頃、周人と由衣は恵に別れを告げて病室を後にした。光二も2人に付いて病室を後にし、人気の少なくなった病院の廊下を靴音を響かせて歩く3人はとりあえず恵の容態が回復に向かっている事に安堵の表情を浮かべていた。


「塾の方は大丈夫なのかい?」


病室では恵を気遣ってあえて塾の事には触れなかった周人はそう光二に問いかけた。実際、今日は光二が授業を行う中学二年生は臨時に休みということにし、受験が絡む中学三年生だけの授業を担当講師の横山忍に任せて来たのだった。


「はっきり言うと厳しいです。でも、その分僕がフォローしますし。塾長は今期で東塾を閉める方針で動き出したみたいです」


その話は初耳の由衣も驚かされた。東塾を終わらせようと考えているとは昨日聞いていたが、まさか今期、つまりは来春3月で閉めるとまでは予想していなかった為だ。


「そっか・・・・でも恵さんの負担が軽くなるなら、いいかなって思えるね」


東塾の生徒とも合宿で親しくなれた由衣はどことなく寂しさを感じながらも今のままの体制をよく思っていなかった為、ホッとした気持ちを素直に言葉に表した。


「仕方ない、か・・・でも、君もあまり無茶をしないようにな。オレも出来ることがあれば手伝うからさ」

「ありがとうございます」


おそらく周人に助けを乞うことはないと思った光二だったが、合宿でのある出来事を思い出してそう素直に返事を返し、その相談をいつするかを黙って思案した。できるなら由衣を避けて相談したいため、時期を見ることにした光二は今はその事を忘れる事にして口をつぐんだ。


「でも、たくましくなったな。一年前とは大違いだ」


Tシャツから姿を見せている光二の腕を見ながらにこやかにそう言う周人に光二は自分の腕を見ながら首を傾げる仕草を見せた。


「元が貧弱でしたから・・・・今は体力作りに励むしかないです」

「技とかは?」

「型だけです・・・・基本の型を。技なんてとんでもない」


心からそう思っているのがわかる口調にますますにんまりした周人に怪訝な顔をしてみせる光二だったが、小さくクスッと笑った由衣を感じてそちらに目を向けた。


「でも、確かにたくましくなったよ。合宿の時のプールを見てたけど、体が引き締まってたもん」

「そうかなぁ?」


腕を動かしながらも照れた顔をする光二に周人と由衣は笑顔を見せた。


「こりゃ、大化けしそうだな」


独り言をつぶやくようにそう言う周人を見やる光二は不思議そうな顔をしたが、あることを思い出して階段を下りながら前から聞きたいと思っていた質問をぶつけることにした。


「木戸さん、弱くなったって・・・・去年のあの事件の時も弱かったって、本当ですか?」


周人は何気ない顔をしながら光二を見やり、肩をすくめる動作をしてから階段を下りきった。


「今でも弱いままだよ。だから基礎から鍛え直してる。十七の頃だったらあの程度の軍人なんて秒殺でやっつけられたと思うし」


その何気ない言葉には光二だけでなく由衣も驚かされた。はっきり言って由衣が見てきた中であの軍人は一番の強さを持っていた。だが、あの軍人すら相手にならないほど強い周人など想像を絶する。もはや言葉もない2人は待合室の前を通って正面玄関へと向かいながらその頃の周人の強さを頭に思い描いてみたが、今の周人を見る限りでは去年の強さすらも幻のように思えてしまった。


「あの軍人は強かったよ。けど、怖くはなかったからね」


付け加えるようにそう言うと、玄関を出て病院の右側にある大きな駐車場へと向かった。夕方とあって太陽がない分暑さはましになっているが、やはり蒸し暑さは十分に残っている。


「怖くはないって・・・・見てるこっちは十分怖かったんですけど」

「世の中にはもっとバケモノがいるってこった」

「『キング』、ですか?」


周人と知り合うことによって知った『キング』という名前。かつて最強無敵の代名詞とされたその人物、久我晴海は人間の持つ潜在能力を100%引き出せる超人であり、周人によって倒されるまでは世界的に裏社会でも噂になるほどの人物だった。


「いやぁ、アレは別格だ。けど、あの時は恐怖より歓喜の方が勝ってたからなぁ・・・・」

「師範は『アイツを目の前にして逃げ出したくなった』って言ってました」


光二の言う師範とは今通っている合気柔術道場の師範にして周人の親友である佐々木哲生の事である。周人と共に数々の敵と戦った彼は『戦慄の魔術師マジシャン』と呼ばれ、変幻自在の動きでキング四天王最強の男を倒していたのだった。その腕前は凄まじく、道場でナンバーワン、全国的に名も知れた男でさえ、片手で軽く倒すほどである。その哲生が逃げ出したいと思う『キング』の実力もまた想像を絶するものがある。


「だろうな・・・それが正常な人間の反応だよ」


周人はそれ以上何も言わずに歩いた。由衣も黙ってその後に続き、光二もそれ以上何も聞けずに黙り込んでしまった。周人は自分の車であるジェネシックの前に立つと何かを考え込むようにして黙り込んでいる2人を見て苦笑するも、すぐに顔を引き締めて光二の方へ向いた。


「三宅君は、塾へ?」

「え?あ、はい・・・・自転車ですけど、この後は塾で仕事がありますから」


そう言うと駐車場のさらに奥に位置している駐輪場を指さした。数台の原付バイクが混じる中、種類もいろいろな自転車が間隔を空けながらこれも数台止められているのが目に入る。周人はそうかとうなずくと由衣を助手席側にうながしながらアンロックと口にした。その瞬間、車のロックが解除されるゴスンという低い音が響き、それを確認してから由衣はドアを開けた。


「じゃぁ気をつけてな。君まで何かあったら塾はもう終わりだから・・・・」


どこか冗談めいた言葉だが真剣な顔をして言う周人に同じく真剣な表情でうなずく光二は軽く頭を下げてから助手席にいる由衣にも頭を下げた。サッと車に乗り込んだ周人はすぐにエンジンをかけると片手を挙げて光二に別れの挨拶をするとゆっくりと車を進め始めた。


「じゃぁ、また、明日!」


窓を開けて手を振る由衣はにこやかな表情でそう言った。その表情は幼さを残しながらも大人びた可愛さを持っており、光二は少々頬を赤く染めながら早まる動悸を押さえつつ手を振り返したのだった。


カーステレオからは最近ソロでも活躍している人気歌手の黄味島悠斗きみじまゆうとの新曲バラードが流れており、暗闇を走る車の中で聞くにはもってこいの雰囲気を持つその曲は車内の2人に沈黙をもたらしていた。昨年公開され、邦画史上に残る興行収入を稼ぎ出して空前の大ヒットとなった主演作『南の島から・・・』はスーパーアイドル赤瀬未来との共演も話題を呼び海外でも上映されるほどの人気を博し、アイドル黄味島悠斗の名を俳優黄味島悠斗に変えるほどの効力を持っていたのだった。この映画によって日本中の注目を浴びた未来と悠斗はその後、当然のように熱愛報道が流れるほど親密な雰囲気が流れていたのだが、それも一時的なものに過ぎなかった。次々と主演をこなすドラマの共演者との噂が後を絶たない未来のせいか、悠斗との関係を噂する記事がすぐに忘れ去られてしまったせいだ。未来側が噂になるたびに丁寧に釈明会見を行った事もある。それに悠斗自身も素人女性との密会などをスキャンダルされた事もあってか、もう悠斗と未来が噂される事も無くなっていたのだった。


「歌だけ聴いてると・・・・いい感じなんだけど、私はあんまり好きじゃないな・・・この人」


ラジオから流れるその歌にポツリとした感想を述べた由衣はやや虚ろな目をしながら前を向いていた。去年の秋に公開された映画『南の島から・・・』は公開直後に周人と2人で見に行き、その影響もあってかいつかロケ地である波島へ行きたいと思った由衣は来年の夏には旅行に行きたい旨を周人に伝え、とりあえず周人もそれを了承していた。本当なら今年行きたかったのだが、いろいろあってとりあえず来年ということになっていたのだった。


「赤瀬未来は好きだけどね・・・歌もドラマもいいものばっかだし」

「そうだな」


短い返事をした周人は随分先にある信号機が黄色に変わるのを見てアクセルから右足を放した。惰性によって徐々にスピードが落ちていくのを感じながら、由衣はチラッと周人の横顔を見やった。やがて車は停止線の手前で完全に停車し、信号が青に変わるのを待っている。周人は由衣の視線に気付き、顔をそちらに向けてから片眉を上げて表情で今の視線の意味を問うようにした。その視線を受けて由衣はやや目を細めてみせると冷ややかな視線を周人に送った。


「なんだよ?」

「周人ってさ・・・・・・好みのタイプの人、芸能人で言えば誰っての、あるの?」


よく考えてみれば周人の好みの女性のタイプについて聞いたことがない。何気なしにそれを思いついた由衣はそう質問を投げてみせたが、周人の反応は鈍かった。信号が青に変わり、ギアを入れてアクセルをゆっくりと踏みしめながら、周人は何かを考えるように唇をやや尖らせながら神妙な面もちとなっていた。


「好み、かぁ・・・・・別にないなぁ・・・・・・」

「赤瀬未来が好きだって人、周りでも結構いるよ」


大学でも、バイト先でも未来の評判はいい。顔も美人で性格もいい未来は理想の女性像としては抜群の人気を誇っている。


「う~ん・・・・・・・・・・・好みなぁ・・・・はっきり言ってないんだよなぁ」


さくら谷駅前の交差点を曲がり、由衣の家の方向へと向かいながら悩みに悩んだ末の言葉がそれであった。


「まぁ・・・・なんとなくそう言うと思ったけどね」


鼻でため息をつく由衣はシートの座席からズルズルとズリ落ちるように体を寝かせていく。そんな由衣を見て小さな笑みを浮かべた周人はそのまま何も言わずに車の速度を速めていった。


「オレの好みは、吾妻由衣だよ」

「それって、逃げてない?」


まるで周人がそう言うのを予測していたのか、素っ気ない返事を返す由衣は目を閉じて眠るかのような態勢に入った。


「逃げてないよ。顔も、性格も、赤瀬未来より上だと思ってるし、なにより、オレは由衣が好きだから」


行き交う車の波が少ないせいか、周人は真横に顔を向けて由衣に微笑みを見せながらそう言った。その笑顔とさっきの言葉に思わず赤面してしまった由衣はプイッと周人から顔を背けるように窓の外へと視線をやった。そんな由衣に苦笑する周人は由衣の家へ向けての最後の交差点を左に曲がる。もう目指す目的地はすぐそこだ。由衣は見慣れた景色を窓の外に認めて顔を前に向けた。赤くなった顔はもう元に戻っている。やがて車は『吾妻』と書かれた家の前に止まる。サイドブレーキを引いて完全に車を停車させた周人は忘れ物がないかを確認する由衣を見やった。


「明日は、塾か?」

「う~ん・・・・・・多分休み。いつも通り水曜日だと思うけど・・・」

「そうか、とりあえず何かあれば連絡くれ」

「わかった・・・・・・金曜日、忘れないでよ!」


にこやかにそう言う由衣から悪寒を感じてしまった周人はやや引きつった顔をしながらもしっかりとうなずいた。由衣はあえてその笑顔を崩さないまま車を降り、窓を開いた運転席側に素早く回り込んだ。窓を開いたドアの上に肘から先の腕を置き、自分を見下ろす格好でたたずむ由衣を見やった周人は小さな微笑を浮かべるとその手を軽く挙げた。


「じゃぁ、またメールするよ。金曜日も終わったらすぐ電話するから」

「わかった・・・・じゃぁ家に着いたらメールちょうだいね」


そう言い残し、由衣は車から1歩下がった。周人は今の言葉にうなずき返すとギアを入れ、サイドブレーキを解除した。


「おやすみ」

「ばいばい」


周人が上げた手に軽くタッチした由衣は名残惜しそうにしながらも笑顔を見せた。そんな由衣に同じく笑顔を見せた周人は窓の外に出した手を振り上げて別れを告げた。車が角を曲がるまで手を振る2人はお互いが見えなくなったのを確認してから手を下ろした。由衣は大きく深呼吸してから門をくぐり、自宅の玄関のドアを開けるのだった。


翌日、周人たちグループ員は全員本社での会議に呼び出される事となった。朝一番で島原から出張で先週末不在だった周人と理紗はその午後の会議に出席するように言われ、女性陣はそのまま定時後に東京での買い物を楽しもうとにんまりしたが、周人と遠藤は面倒な仕事が増えそうな予感を覚えて少々げんなりした表情を浮かべて見せた。昼からの会議は2時からとなっており、昼前にここ池谷工場を出発しなければならない。元々新機種開発において周人たちの出番は終わりを迎えつつあり、すでに試作マシンは完成しきっている状態にあった。今日の会議はそのマシンの性能を上層部に説明する為のものであり、開発に携わった全員が出席する事を命じたのは菅生社長その人であった。そのため、本社の二百人は収容できる大会議室にて開催が決定しており、上層部の都合もあって先週末に決定していたこの会議の概要を周人と理紗が遅れて今日説明を受けたのだった。その後すぐに東京本社へと出発した一行だったが、その電車内においてちょっとした異変が起こっていた。島原の横を陣取った香がまるで清楚な女性のような仕草、口調であれこれ話をするその向かい側で、遠藤と周人に挟まれる形で座っている理紗は意外にも遠藤ではなく、周人の方に話しかけてきたのだった。これに驚いたのは遠藤であり、週末の出張で2人の間に何かがあったとしか思えないほどの変化に密かににんまりしたのはある思惑がそこにあったからだ。このまま理紗と周人が急接近すれば由衣との仲は危うくなる。そうなれば自分が由衣を狙うにはもってこいの状態になるからだった。そういったあさはかな考えを持つ遠藤は注意深く2人の会話に耳を傾けながらも興味がなさそうに眠るフリをするのだった。


「彼女とデートはいつもどういうとこに行んです?」


電車に乗ってから理紗の質問はもっぱら周人と由衣の事である。尚のこと遠藤にしてみれば2人の事がわかるのでもってこいの話題でもあった。


「映画が多いかな?あと、ブラブラしたりとか・・・家でDVD見ながらぼけーっとしてることもあるよ」

「ふぅん・・・・・・・・・・・・でも、彼女モテるでしょ?」

「だろうね、本人は何も言わないけど、モテてると思うし」

「それで嫉妬とかしないわけ?」

「う~ん・・・実際何も言われてないから嫉妬しようがないし」

「想像したりしないの?他で男に言い寄られてるんじゃないかとか」


徐々に理紗の口調がきつくなってくることに気付いたのは遠藤だったが、それが何故かまではわからない。とにかく今は寝たふりをしている遠藤はそのまま2人の会話に耳をそばだてた。


「しないなぁ・・・・そういう性格してないから、オレ」

「ホントに彼女の事、好きなんですか?」


明らかに疑ったその口調は冷たさと怒りが入り交じったようなものとなっていた。


「好きでなきゃ、付き合ったりしないよ」


苦笑混じりながらはっきりそう言った周人に渋い顔を見せたのは理紗だけではなかったが、それには誰も気付かなかった。


「そうかな?どうせなら横に並んで歩くのは美人の方がいいでしょ?みんなから羨ましがられるしさ」


何かを思い出すようにそう言う理紗は唇を尖らせ、目を伏せがちにしながらつぶやいた。それに対し遠藤は片目を開いて理紗の方をチラリと見やり、周人は何も言わずに理紗から視線を外した。


「結局、容姿が可愛いければ・・・・いいんだよ、男は」


吐き捨てるようにそう言った理紗はそのままうつむき加減になってしまった。遠藤はどう言っていいかわからず再び目を閉じて眠るフリをしたが、周人は真向かいに座る香と島原の間から見える流れ行く景色を見ながら静かに口を開いた。


「確かに、そうかもしれない。けど、世の中にはそれだけじゃない男もいると思うよ」

「フン・・・美人の彼女を持つ木戸さんに言われても説得力ないね!」


理紗は刺々しくそう言い放つと腕組みをしながら足を組んだ。全身から怒りのオーラを全開にしている理紗に対してそれ以上何も言わなかった周人は結局それ以降本社に着くまで理紗と話をすることはなかった。


カムイモータース本社ビルはあらゆる企業の総本山として有名な東京丸の内に存在している。現社長である菅生要が三十二歳の若さにして第三代代表取締役として就任してから今日まで、不景気の時代にあっても業績を落とすことなくここまで会社経営をもり立ててこれたのはひとえにたぐいまれな経営手腕と斬新なアイデアを駆使してきたからだと言われている。一般車種のみならずレーシング界にも進出し、見事なまでの成績を収めるまでに至っているのは社長の人を見る目が人より秀でているからであり、周人を始めとした若手の発掘と教育が行き届いているからでもあった。各分野のエキスパートを若いうちから育てて行くのもその方針の1つであり、今回のようなプロジェクトにも周人たち若手を多く起用した事もあって、今日の会議にはなるだけ多くのスタッフを集める事となったのだ。多くのサラリーマンが汗をかきつつ行き交う中、島原を始めとする周人たちは昼食を取った後、高くそびえ立つ本社ビルへと到着した。都心部においてはさほど高くない部類に入る二十階建ての大きな黒いビルはまばゆい真夏の太陽の光を見事に反射するガラス張りとなっており、周囲にあるビルの中でもひときわ目立つ存在となっていた。大きなエントランスはホテルをも超えた豪華さを誇り、池谷工場では考えられないほどの大きな受付スペースは正面にあって受付嬢を4名も座らせていた。薄いピンクの制服に身を包んだその美しい女性たちの会釈を受ける前に自動ドアの手前に立っている2人の警備員に身分証を見せなくてはならない。社員証を兼ねたIDカードを提示しながら進む5人はにこやかな笑みを浮かべつつ挨拶をしてくる受付嬢を横目にこれまた大きなエレベーターホールへと向かった。高層階行き高速エレベーターが3つ横に並ぶその向かい側には通常のエレベーターが3つ横に並べられていた。扉も大きい事から1つのエレベーターが大きいことがうかがい知れるそのエレベーターホールはやや照明を落とした薄暗い状態にありながらも、それがどこか豪華な感じをかもしだしていた。目当ての会議室が17階にあるために5人は高速エレベーターに乗り込む。振動すらほとんど感じない静かな動きで速度を上げるエレベーターはすぐに17階に到着してしまった。周人たちはまるで自分たちが田舎から出てきた者のような錯覚をおこさせるこのハイテクエレベーターに感心させられながら左右に開いた扉をくぐって白い床を踏みしめた。エレベーター前から左右に分かれている廊下は右側に小会議室が2つ、左側に大会議室が1つある17階には大会議室横に小さな休憩スペースが設けられていた。とりあえず時間よりかなり早く着いてしまった5人は大会議室を覗いてみたがやはり誰もいないため、休憩室で時間を潰すことにした。だが、そこで思いも寄らぬ人物に遭遇した5人は呆気に取られながらも興奮した表情で休憩室へと足を踏み入れた。そこにいたのは3人であり、そのうちの1人はよく見慣れた男性であった。


「社長・・・・こんなところでお会いするとは・・・・」


頭を下げながらそう言う島原ににこやかな笑みを浮かべて見せた菅生は片手を挙げてそれに応えると、立ち上がってその横に座っている2人を島原たちに紹介し始めた。そこに座っていた男女も立ち上がると、女性の方が1歩進んで菅生のすぐ横にたたずんだ。その動きを見ただけで周人を除く4人は緊張と興奮を隠しきれないようにそわそわ体を動かした。


「まぁ見ればわかると思うが、赤瀬未来さんだ。今度ウチのCMに出ていただく事になってね、その打ち合わせで来られたんだ。もちろん君たちが開発した車のCMも彼女が担当して下さる」


すっと丁寧な仕草で右手を未来の方にやりながらそう紹介をした菅生にうながされ、可愛いというよりは綺麗という印象の強い笑みを浮かべた未来はこれまた丁寧なおじぎをしてみせるのだった。最近切ったと思える短めの髪は若干パーマが当たっているのか軽くウェーブしており、茶色目ながらも黒い髪は清楚な彼女に似合っていた。大人びた仕草で会釈をした未来は常ににこやかな笑みをたたえており、テレビや映画で見るより遙かに美人で整った顔立ちをしていた。顔も小さく、背もそう高くない未来だが、まとっているオーラのようなものがあるのか大きく感じてしまう。


「赤瀬未来です。よろしくお願いします」


歌うような口調だが、その澄んだ声は未来にピッタリである。透き通るような白い肌は彼女から夏を感じることはなかったがチェック柄のシャツにジーンズといったラフなスタイルはすらりとした体型を強調しながらも露出された肌がまぶしさを放っており、夏が似合いそうな気配をかもしだしている。


「こちらは白木さん。未来さんのマネージャーさんだよ」


未来の横に立っていた短い髪をツンツンに逆立てて固めている若い男性、白木清はそう紹介されて名刺を取り出すと、同じく名刺を取り出した島原と挨拶を交わした。


「君たちも名刺を」


そううながされた周人と遠藤も島原の横に立つとポケットから名刺入れを取り出して同じように交換をした。


「遠藤さんと・・・木戸さん、ですね」


その言葉を聞いた未来の表情が一瞬変わり、覗き込むようにして清が手にしている名刺を食い入るように見つめた。


「木戸?」


小さく、誰にも聞こえないように口の中でそうつぶやいた未来はどっちが『木戸』という人かを確かめるように目の前に立つ2人の顔を交互に見やった。


「遠藤です、よろしくお願いします」


ややうわずった声でそう言いながら右手を差し出す遠藤ににこやかな笑みを浮かべながら握手を交わす未来だったが、その視線は時折周人の方へと向けられていた。


「木戸です、よろしくお願いします」


至って冷静で普段通りの周人は小さな笑顔を見せながらそう右手を差し出した。一瞬意味ありげな顔をした未来を前にしても全く表情を変えなかった周人と握手を交わす未来。だが、その左耳に光る十字架のピアスを見た瞬間、周人の顔つきがほんの一瞬だけ変化した。その一瞬を見逃さなかった未来だったが、何も言わずにそのまま握手をした手を放した。その後理紗や香によって未来はサインとスマホでの写真撮影を要求されたのだが、嫌な顔1つしないでその要求に応えていった。さすがに取引先での事なので清も何も言わずに椅子に座ってコーヒーをすすっている。


「彼女は元気かい?」


少し離れた所で座りながら未来にたかるようにしてサインを求めている4人を見ていた周人に菅生が近づいた。そのまま周人の横に腰掛けるとガラスの灰皿を引き寄せてタバコに火をつけた。


「ええ、元気です。優子さんも元気ですか?」

「まぁね・・・式の準備やらで忙しくしてる。まぁ今月いっぱいで退職だし、少しは楽になるだろう」


来月の9月に秘書である美島優子との結婚式を控えている菅生はかなり多忙な仕事に追われており、その準備のほとんどを優子に任せている状態にあった。もちろん打ち合わせを含めた披露宴等の準備には極力参加はしているが、やはり立場上仕事優先になってしまっていた。


「彼女共々、出席で嬉しいよ」


元々雑誌で由衣を見て一目でファンになった菅生は周人だけではなく、由衣にも結婚披露宴の招待状を送っていた。しかも、新しいドレスまで進呈するというおまけ付きだ。


「やはり、美人の彼女がいると落ち着きが違うな。スーパーアイドルの赤瀬未来に興味がないのかい?」


みんなと離れて座っている周人を見て素直にそう思った菅生の言葉に、周人は少し困ったような顔をしながら並んで写真を取っている嬉しそうな遠藤の方へと視線を向けた。


「彼女に『美人』を付けるのは遠藤だけで十分ですよ・・・・・サインと写真はもらいますよ、あっちが落ち着いたらゆっくりと」

「君らしい・・・・」


ニヒルな笑みを浮かべる菅生だったが、周人の視線が鋭さを増している事に気付いてそっちを見やる。どうやら周人は未来を見つめているようであり、その鋭さから何かを感じ取った菅生はタバコの煙をゆっくりと吐き出しながらシルバーの灰皿に灰を落とした。


「彼女、どこか気になるのか?」


その問いかけに我に返ったのか、周人は澄ました顔になりながら後頭部を軽く掻く仕草をしてみせた。


「いえ・・・・あの十字架のピアス、なんで片方だけなんだろうって思っただけです」


未来の左耳に揺れるシルバーの十字架形をしたピアスを見ながらそう言う周人は右耳には小さなハート型したシルバーのピアスをしている事に疑問を抱いていた。昨年の映画の完成披露記者会見の席で『恩人にもらった』と言っていたその十字架のピアスに見覚えがあるのか、何かを思い出すようにしながらのその言葉に菅生はジッと周人を見つめた。


「見覚えでも?」


思ったことをそのまま口に出した菅生に対し、おもむろに立ち上がった周人は小さく肩をすくめるようにしながらとぼけるような顔をしてみせた。


「ある、と言えばありますけどね・・・・・・・でも、それを彼女が持っている事があり得ないと思いますから、思い過ごしでしょうね」


言いながら談笑しているメンバーたちの方へゆっくり近づいていく周人の後ろ姿を見つめながら、菅生はタバコの煙を胸一杯に吸い込んでからタバコをもみ消した。


「『昔』の縁・・・・ってとこか。だが、人の縁は意外な形でつながったりしてるもんだよ」


足を組みながら未来の前に立つ周人の背中を見やる菅生はそう1人つぶやくと意味ありげな笑みを浮かべてみせるのだった。


未来の前に立った周人は会議用に持ってきていたシステム手帳の真っ白いページを開くと、ペンと一緒に未来へ手渡した。手帳を回転させて未来の方へ向けた上にペンのキャップも取って持ちやすいようにした周人の心遣いににこやかな笑みを浮かべた未来はすらすらと軽やかな手つきでサインを描いていった。


「木戸さん、でしたね」


名前を確かめる未来だったが、『木戸』と口にする際にどこか力を込めた未来はハッとして周人の顔を見やったが、当の周人は笑顔を見せてうなずくだけだった。


「木戸周人・・・・『周回数の周』に『人』です。あと、隣のページにもお願いできますか?名前は吾妻由衣、で」


言われるままにサインをする未来を横目に、遠藤が自分を睨むようにして見ているのに気付いた周人は怪訝な顔を遠藤に向けて見せた。


「何だよ・・・その目は?」

「さすがだと思っただけだよ・・・ちゃんと美人の彼女の分もお願いするなんてな」


今の言葉に遠藤の横でスマホのカメラで一心に未来を撮っていた理紗の手が止まる。


「彼女さん、美人なんですか?」


遠藤の言葉に未来がそうたずねる。困った顔をする周人を睨む理紗に気付いたのは島原だったが、どこかやらしいようなほくそ笑む表情を浮かべるだけで何も言わなかった。


「かなりの美人ですよ!・・・・と言ってももちろん赤瀬さんには及びませんけど」


何故か他人でありながら興奮気味にそう言う遠藤に疲れた顔をしてみせる周人はため息をつくしかなかった。


「アホたれが・・・」

「誰が?」

「オメーだよ・・・・やっぱアホだな」


そのやりとりを聞きながらクスッと笑った未来は周人に由衣の字を教えてもらいながら2つのサインを書き上げてシステム手帳とペンを周人に返却した。


「そのピアス、どこで買ったんですかぁ?」


ちょうど未来の左側に立っていた理紗が不意に投げた質問のせいで周人と遠藤の罵りあいは一時中断された。みんなの視線が一斉に未来の左耳に集中する中、周人だけが少し視線を落として何かを考えるような顔つきに変貌するのを未来は逃さなかった。


「これ、もらったんですよ。去年、波島に撮影に行った時に」

「確か、『恩人』から・・・でしたよね?」


島原の言葉にうなずく未来は微笑を浮かべていたのだが、その微笑が今まで見せていたものとは違うものに気付いたのは島原と周人、そしてマネージャーの清ぐらいなものだった。


「はい。落ち込んでいた時に、いろいろアドバイスをもらって・・・・それに加えてコレももらったんですよ」


そっとそのピアスに触れながらそう説明した未来に、遠藤と香は心の中でスキャンダルの影を感じていた。


「男性、ですか?」


聞きづらいのか、恐る恐るそうたずねた理紗にもにっこり微笑んだ未来はピアスから手をどけると目を伏せがちにしてその人を思い出すような仕草を取った。


「優しい人でした・・・・でも、ちょっと変わってたかな」

「どんな人だったんです?」


意外と未来が隠すことなく淡々と話をしてくれたせいか、遠藤や理紗もその事についてよりつっこんだ質問をすることができる雰囲気となっていた。そこにいる全員が興味津々といった感じで未来に注目する。


「背がすごく高くて・・・180センチくらいかな?髪が長くてモデルさんみたいに整った顔してた・・・でも、心に影を持った人」


どういうわけか身体的特徴を述べた未来にみんなが不思議そうな顔をしたが、それについては何も言わなかった。未来はそう言い終えた後、チラッと周人を見やったが、周人は全く態度も表情も変える事無く自分の話に聞き入っているようだった。


「映画見て、行きたくなっちゃいましたよ、波島に・・・・綺麗なトコロだし」


香がうっとりするようにそう言うのを聞いた未来は満面の笑みをたたえながら大きくうなずいてみせた。未来はつらいことがあればいつも撮影の為に波島で過ごした十日間の事を思い出し、それを励みに変えていた。雄大で美しい景色、おいしい料理、そして自分を叱咤激励してくれた上に危機を救ってくれたピアスをくれた男性の顔を思い出すと自然と元気と勇気が湧いてくるのだ。


「機会があればぜひ行って下さい。絶対おすすめです!」


力強くそう言った未来の言葉を合図に菅生が立ち上がり、全員に声をかけた。


「さぁ、そろそろ即席サイン会も終わりにしようか」


その言葉に香たちもスマホをしまうと未来から離れて島原のいる入り口の方へ移動した。未来は白木のいる方へ移動すると菅生の方へと視線を向ける。


「さて、ほんじゃまぁ、行こか?」


島原は周人たちを見渡しながらそう言うと、未来と菅生にそれぞれ礼をした。周人たちもそれに習って礼をし、最後に未来と順番に握手を交わして休憩室を出ていく。そして一番最後になった周人が未来と握手を交わした瞬間、他の人にはなかったのだが、耳元で何かをささやくようにし、それを受けて周人は何やらつぶやくように返事を返した。怪訝な顔をする遠藤と理紗だが、済ました顔をしながらやって来た周人に何も言わずにとりあえず休憩室を後にした。


「会議は私も出る。彼女たちを見送ってからになるが・・・・」

「彼女、スケジュールが空いていたんですか?」

「あぁ、打ち合わせが早く終わってね。休憩してもらっていたんだ。会議が始まる頃にテレビ局へ移動になるが」


清の横に腰を下ろす未来を見ながらの島原の質問に菅生は顔を動かすことなく目だけを後ろへやる感じにしながらそう答えるのだった。


「そうですか・・・・では、我々はこれで」


関西弁の発音ではなく、綺麗な標準語でそう言うと島原は一礼して休憩室に背を向け、すぐ隣にある大会議室へと入っていった。それを見送ってから菅生は休憩室のドアを閉じ、2人から少し離れた場所に腰を下ろしたのだった。


「彼だわ、きっと・・・・そんな気がする」


菅生に聞こえないようにしているのか、小声で清にそう言う未来はさっきまでとは違う笑みを見せながらやや興奮した様子だった。


「でも『きど』っていう名前なんていっぱいいるんだよ?この間のドラマのプロデューサーも城戸さんだったし・・・ヘアメイクにも城戸っているよ」


小さい声だが狭い部屋なためか菅生にもなんとか聞き取れるその話から、どうやら2人が『きど』という人物を捜していると推測できる。


「そうかもしれないけど・・・・似てるのよ、黒崎さんに」

「似てないって・・・・彼はすっごく愛想がなかった上に刺々しい雰囲気を持ってた。けど今の木戸さんはほんわかしてる雰囲気を持ってたから・・・似てないっしょ?」

「そういうんじゃなくって・・・・言葉でうまく言えないけど・・・・似てるの、すごく」


握った拳に力が入っているのがわかる感じで力強くそう言う未来に清は困った顔をしながら腕組みをするしかなかった。だが、何かをひらめいたのか腕組みを解くと机の上に手を置いて未来の方へと寄り添う感じで話を切りだした。


「でもさ、君が黒崎君の特徴を言った時、彼は顔色どころか表情すらも変えなかったんだよ?ピアスにもあまり反応無かったし」

「反応はあったよ・・・・・でも、絶対そうだよ」

「そうかなぁ・・・」


首をひねる清を後目に、未来は自分の考えに自分でうなずいていた。そんな2人を見やる菅生は目を閉じて小さな笑みを口元に浮かべるとポケットからタバコを取り出してそれに火をつける。


「木戸君・・・意外な所で『縁』があったようだよ」


今の話の詳しい経緯はわからない。だが、ピアスを未来に贈ったのが黒崎という人物であり、その黒崎絡みで未来が『きど』という名の男を探していることは理解できた。そして周人の全てを知る菅生はそれらを総合して思案した結果、黒崎と言われる男と周人の接点が『魔獣』と呼ばれていた頃の周人に関係している事も察しが付いた。だが、だからといって菅生が口を挟むことではない。黙って煙を揺らす菅生は口元の笑みを消すことなく2人の方をぼんやりと見ているだけだった。


「でも、『きど』って人を見つけてどうしたいのさ?黒崎君に会わせるよう仕向けるのかい?」


清にしてみれば、撮影を終えて帰る飛行機の中で十字架のピアスを巡っての質問によって黒崎との因縁を聞かされ、その中でこれからは『きど』という人物を探していくと一方的に未来から告げられた程度の認識しかないのである。その人物を見つけてどうするのかまでは聞いていないのだ。


「ぶっとばすの!」


何故か嬉しそうにとんでもない事を言う未来に引きつった顔をしてみせる清を見やる菅生は噴き出しそうになる笑いを噛み殺すのに苦労するのだった。

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