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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第二章
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素直さの価値(2)

壁に掛けられているデジタル時計からお昼の12時を告げる音楽が響いていた。この時間であればバスはもう保養所に着いた頃だろう。一昨日の全ての事情を康男から聞いて把握している米澤は、お昼の弁当を買いに出かけた八塚がいないこの時を見計らって周人に話しかけた。机の上に乗せられた右腕は座ってから1度も動かされていないことも、米澤はちゃんと見ていた。


「大変だったなぁ。腕、大丈夫なのか?」

「えぇ、心配ないです」


周人は右腕の怪我の部分にそっと触れながらも笑顔でそう答えた。康男から動かすことすらできないと聞いていた米澤は、由衣を気遣ってか、無理をして動かしていた右腕の具合を心配した。確かにジッとしているおかげで痛みは幾分ましになってはいるものの、少し動かせば腕全体に響く痛みが襲って来ていた。


「あの子に怪我がなかったから、それでいいんですよ」

「これであの子が変わってくれるといいんだが・・・」


苦笑しながらそう言う米澤は、今朝の由衣の様子から彼女の中で何かが変わり始めている事は感じ取っていた。だがそれが事件のショックから来る一時的なものなのかどうかまではまだわからない。


「そうですね・・・・」


そうとだけ答えた周人はそっと顔を伏せるようにしてみせた。確かに今日の由衣は今までの由衣とは様子も雰囲気も違っていた。だが、彼女の中で何かが変わってきているのならいいのだが、一過性のものなら結局はまた同じ事が起こる可能性がある。


「ま、この合宿でどう転ぶかも見物だけどね」


米澤はちょっと何かを含んだ感じでそう言うと笑みを浮かべていた。周人にはそれが意味する笑みが理解できなかったが、おそらく新城に対する由衣の事だろうと推測してそれ以上何も言わなかった。そうしているとビニールの袋を手に下げた八塚が汗を流しながら職員室に戻ってきた。


「暑い~・・・・とにかく暑い!」


八塚は弁当が入った袋を置くとヘロヘロになって近くの椅子に座り込んだ。米澤は立ち上がろうとする周人を制し、八塚が持ち帰った弁当を分配していった。皆同じ幕の内弁当であるため、中身を確認する必要はないのだ。箸もそれぞれの座席の前に置き、そのまま給湯室にお茶を入れに行った。それを見た八塚があわてて手伝いに行くのを見やる周人は左手のみで器用に弁当の蓋を開けていった。その様子を不思議そうな顔で見ていた八塚は周人の前にお茶を置くと、さっきからずっと思っていた事を口に出した。


「先輩、右腕、どうしたんです?」

「え?あ・・・これ、バイクでこけちまってさ、んで右手を怪我しちまって」


照れたような感じでそう言う周人の言葉に、八塚は素直に納得していた。その様子を横目に米澤が周人の前に腰掛けた。


「どうりで・・・だって朝から腕を下げたままだったし・・・大丈夫なんですか?」

「昨日の今日だから打ち身がね・・・けど心配ないよ。2、3日で治るさ」


その言葉を聞いて完全に納得した八塚はそれで今日周人がバスで来た訳を悟った。送迎に使用したワンボックスカーは生徒たちとその荷物でいっぱいだったために、周人は送迎用の車に便乗する事は諦めてバスでここまで来たのだ。その腕の様子からしてバイクも車も運転できないことは一目瞭然だからだ。だが2、3日で普段通り動かせるようにはならない事は知っている米澤はこの先まともに授業すら出来ないという可能性も考え、シフトの構成を見つめ直す事をぼんやりと考えていた。今日は月曜日で本来ならばさくら校での授業があるのだが、さすがに今日は既に代理のバイトを入れている。だが明後日は夕方に小学生の授業が入っている周人は抜糸の日でもあり、おそらくホワイトボードに文字が書けるかどうか微妙な日になってしまうだろう。そんなことを考え込んでいる米澤をよそに、最新ゲームソフトの話で盛り上がる2人は弁当すらそっちのけの状態だった。



裏手はすぐ山になってはいるのだが、芝生の庭や、そこから少し離れた場所にはそれなりの大きさを持ったプールもある。保養所自体、外見はボロっちく、元は白かったであろう壁はかなり黒ずんでいた。駐車場も整地されておらず、砂利の敷き詰められた空き地のような場所に適当に止めるようになっていた。だが、ボロっちい外見とは裏腹に中身はどこにでもある民宿のようになっており、比較的綺麗な造りになっていた。部屋は全部で7つあり、全て同じ十畳の大きさとなっている。食堂は2階にあってお風呂も同様に2階、しかも大浴場とされているその風呂場からは小高い山の中腹付近に建てられているこの保養所の効果か、下の町並みを見渡せるように周囲が全てガラス張りとなっていた。2階にはテラスもあってそこからはやや下に下った場所に位置するプールも見て取れた。娯楽施設として古い機種のレースゲームやUFOキャッチャーなども多少あり、こういった場所には欠かせない卓球台も存在していた。ロビーは狭いが4人が向かい合わせに座れるソファが2組ある。各部屋の中にはテレビもあってまさに民宿と変わりがない状態にあった。生徒たちはそれぞれの各校別に男女4つの部屋に分配され、さらに1つの部屋に男性教師3人分が当てられており、ただ1人の女性講師である恵はさくら西塾の女子生徒たちと一緒の部屋とされている。恵は他の先生たちと同じ部屋でいいと言ったのだが、やはり男だけの部屋に若い女性が1人ではいけないと、分配をしていた際に康男は恵にそう言って聞かせたのだった。恵はその気配りを了承し、女子生徒と同じ部屋でOKを出した。その際、


「まぁ、木戸君がいたなら同じ部屋に2人きりにしてあげたんだけどねぇ~」


と言われて激しく赤面する一面もあったのだが。とにかく各部屋からもすばらしい景色が一望できたため、生徒たちは皆浮き足立っていた。今日は夕食後に英語の授業が予定されているのみで、保養所が用意してくれた昼食を取ったあとは夕方5時までは自由時間となっていた。まともな自由時間はこの1回しかなく、皆この時間に集中して遊ぶために昼食を取る時間も早かった。プールに行く者が大半で、恵たちも皆プールに行くことにしていた。とはいえそんなに広くはないプールであり、それこそ学校のプールより若干広い程度である。深さも大して無く、全ての場所で統一された1メートルとなっていた。無論飛び込み台や滑り台もない質素なものである。昼食を済ませた一同は皆水着に着替え、すぐさまプールへと向かった。だが水が苦手な美佐はプールには行かないで荷物と留守を守る康男と部屋にいることにした。それは新城や恵がしっかり生徒たちを監視してくれる事はわかっているからであり、元々肌が赤くなるために日焼けを嫌う康男はプールでは遊べないのだ。そして由衣もまた一昨日の事件のせいか、水着になることができずに部屋で途方に暮れていた。仲間の女子生徒たちは皆新城がいるせいで新たに購入した可愛い水着に着替えてさっさとプールに行ってしまい、もはや建物に残っているのは美佐と康男ぐらいなものだった。仕方なく一旦水着に着替え、さらにその上からTシャツと短パンを着用した由衣は一度康男のいる部屋を覗いてみた。だがそこには誰もおらず、仕方なしに由衣はそのままプールへと向かった。バスタオルをTシャツの上から羽織ると、裏口を出て木の立ち並ぶ山を右手に見ながら熱く焼けた石の階段を下りていく。左手は景色が一望でき、開放感を与えてくれた。プールの周囲は芝生になっており、少し離れた場所には白いベンチも見えた。松の木が何本か植えられていてベンチ付近は程よい日影になっているせいか、ちょっとしたリゾート気分が味わえるようにされている。プール脇にもテーブル付きの白いベンチがあり、由衣はあえてベンチには座らずにその横にある植え込みの石垣に腰を下ろした。水しぶきを上げてはしゃぐ生徒に混じって貴史もまた子供のようにはしゃいでいた。恵はプールサイドに腰掛けて生徒たちの様子を見ている。オレンジのワンピースタイプの水着に短パンを履いている恵は座っている姿からでもそのスタイルの良さがうかがい知れた。由衣は何気なく恵の胸に目をやり、そして自分のものを見やった。15歳にしては大きいのが自慢のバストだったが、それでも恵の方が大きいようだった。だが不意に頭の中であのバンダナの男の言葉が響いた。


『やっぱデケェな・・・』


両手で体を抱くようにして目をギュッと閉じた由衣の体は少し震えていた。その様子に気付いた新城は水から上がると体を覆うように存在しながらも落ちていく水滴を払うことなくそのまま由衣の横に腰掛けた。焼けた石垣が水着の水分でじんわりしみていき、徐々に冷めていく。ぼうっとしていたのか、隣に人の気配を感じた由衣はハッとした感じで顔を上げた。


「どうした?調子悪いのか?」


すぐ近くに新城がいるせいか、由衣の動悸はさらに激しくなった。だが一転して明るい笑顔をしてみせると、新城の腕に自分の腕をからめ、身をすりよせるようにしてみせた。


「引っかかりましたね、先生~!」


いつもと変わらぬ由衣を見た新城は安心したのと騙されたのとで苦い笑みを浮かべた。由衣は手を放すと立ち上がり、同じように立ち上がる新城を見やった。何か運動でもしているのか筋肉もついていて締まった体をしている。そこで何気なしに頭に浮かぶのは周人の姿。Tシャツを脱ぎ、怪我をした腕にそれを巻き付けていた時、血を流す右腕ばかりが目に付いたが今にして思えば周人もいい体つきをしていた。新城よりも胸板は無かったように思えるがはっきりと割れているのが分かる腹筋は新城よりもたくましかった。腕の筋肉も弱々しいように見えてそうでもなかったような気がしていた。そしてあの時、自分の学校のみならず周辺の学校でも有名なケンカの強いあの男たちを、まさにあっという間に叩き伏せた周人の動き、そして技。普段のとぼけた周人からは想像もできないが、あの体つきから考えたなら納得の動きであった。ぼんやりとそんな事を考えていた由衣は、何気なしに横に立つ新城を見上げた。夏が似合う新城のさわやかなイメージ通りに、夏の日差しを受ける新城はいつもよりもさらにかっこよかった。そんな新城の視線は子供たちと戯れる恵に向けられていた。だがそれもほんの少しの事で、ファンクラブの生徒たちに呼ばれ、由衣を残して豪快にプールに飛び込んだ。高い水しぶきが上がり、悲鳴と歓声が周囲にこだまする。そんな様子を横目に見ながら、由衣は再び石垣に腰を下ろすとみんなの様子を眺めるようにぐるっとプールを見渡した。何人かの男子生徒が自分を見ているのがわかる。顔もスタイルもいい由衣を見るのは健全な男子としては至極当然の事なのだったが、今の由衣にはそれがつらい。その視線に耐えきれなくなった由衣は勢いよく立ち上がると今いる庭のさらに奥にあるベンチの方に向かうとそこに腰かけ、山から町並みまでの景色を見渡した。このベンチはちょうど裏山の影になり、日差しが無い分いくらか暑さはましになっていた。また、植え込みの木のせいでプールからもちょうど死角になっている。隣のベンチに足を乗せた由衣はほとんど寝そべるように身を沈めながらもさっきの新城の視線が気になっていた。じっと恵を見やる新城の目は、それは自分が新城を見るときの目に似ている気がしていた。もしかして新城は恵を好いているのではないかと口を尖らせて考え込む由衣はイヤな予感にとらわれていた。そんな時、背後で人の気配がした由衣は一昨日の恐怖心からか、普段にはない物凄いスピードで後ろを振り返った。まだ2メートルは距離があるにもかかわらず、あまりの勢いで振り向かれた美佐は体を硬直させてしまった。来たとき同様赤いTシャツにジーパン姿の美佐はその場に立ちつくしたままどうしていいかわからずに目をパチクリさせながら由衣を見つめるしかなかった。


「もう、美佐・・・・脅かさないでよねぇ!」

「・・・・驚いたのは私だよぉ・・・・・」


言いながら引きつった笑みを浮かべる美佐に隣に座るようにうながした由衣はテーブルの上に置かれたオレンジジュースを見た。美佐が持ってきてくれたその缶ジュースを手に取ると、隣に座った美佐を見やった。元々色白な美佐はさらに白く、そして儚く見えた。


「何か・・・あったの?」


由衣がこんな離れた場所にいることを不思議に思った美佐はそう問いかけた。いつもならここぞとばかりに新城の元を離れずにいるはずだからだ。だがプールサイドにすらいない由衣を変だと思う美佐は今朝の様子からしてどこかおかしいとずっと感じていたのだ。


「別に、何もないよ」


素っ気なくそう返す由衣を黙ったまま見ている美佐の目はごまかしきれない。ずっと一緒だった美佐にとって由衣が嘘をついているかどうかなどすぐに分かってしまうのだ。由衣はその視線を痛く感じ、ため息をついて周りを見渡した。みんなプールではしゃいでおり、今ここにいる2人だけが取り残されたようにして離れているのが分かる。由衣は俯いたまま何か悩んでいるような格好を取り、美佐はそんな由衣をただ見守るように見つめていた。


「美佐だから信用してるし、話すんだからね・・・絶対、誰にも言わないでね?」


その言葉はどこか悲壮感を漂わせているために深刻な事が十分伝わってくる。美佐は真剣な顔でうなずくと、膝の上で強く拳を作った。


「一昨日、私、遅れて塾に行くって言ってたけど、結局行かなかったじゃん?アレって・・・松浦たちに襲われてたの」


由衣は美佐から目を逸らしながら目を伏せがちにそう告白した。その思いも寄らぬ告白を聞いた美佐はただただ驚くばかりで言葉も出なかった。たしかに松浦といえば授業にもまともに出ない学校一の不良であり、先生たちからも要注意人物とされているほどの男だ。普段はトレードマークとしているバンダナにつなぎを来て無免許で盗んだ原付きバイクに乗っている。有名な暴走族集団に加入しているという噂もある松浦は地域的にも有名な存在であった。


「でも実際は危ないところで迎えに来てくれた木戸先生に助けてもらったから、大丈夫だったんだけどね」


その後、大まかな説明をした由衣はゆっくりと噛み締めるようにそう言うと、苦々しい笑みを浮かべた。聞かされた状況を思い浮かべてか、美佐は泣きそうな表情を浮かべ、言葉もなく小刻みに震えていた。心配そうな目をしている美佐を見た由衣はまっすぐに美佐を見やると、明るい笑顔に変えた。


「胸をブラの上からちょっと触られた程度だったし、大丈夫!」

「それで、あの日来なかったんだ・・・・」


沈んだ声でそうつぶやく美佐はまた俯いてしまった。由衣は痛々しい思いでそんな美佐を見た。


「そう・・・私がバカだったんだからそれでいい・・・・・でも今日もやっぱ、まだ怖いよ・・・」


由衣はその心の内を初めて他人に話した。気の知れた幼なじみの美佐だから言えた事もある。だが、正直に話した事で由衣の心はいくらか軽くなったような気がした。


「怖くて水着にはなれないし、男がこっち見てると思い出して・・・凄く怖いよ。でもね、新城先生は平気だった!」


最後だけいつも通りの明るい口調でそう言う由衣を、美佐は相変わらず黙って見つめていた。


「じゃぁ朝は木戸先生にその時のお礼を言ってたんだ?」


ようやくそう口を開いた美佐は今朝の状況を思い出していた。あの時の由衣の涙の理由もこれではっきりした。だが由衣の表情はまた暗いものになってしまった。


「言えなかったんだ・・・・言おうと思っていたのにね・・・」


由衣はそう言うと美佐から視線を外した。


「怪我・・・してるんだよ、あいつ・・・私を助けに来て、ホント、ドジだよね」


そう言う由衣の口調はいつも周人をバカにしている時と変わらぬように思えたが、どこか優しさが感じられるものだった。


「怪我してる腕、医者から動かすなって言われているのに・・・カッコつけて挙げたりしてさ・・・そんなんで同情するかっての!痛いくせに我慢してまでしなくていいって・・・」


あくまで強がる由衣のその言葉の裏にある感謝と気遣いをくみ取った美佐は自然と浮かぶ心からの笑顔を見せた。たしかに口は悪い。他の人間が聞いたら怒るかもしれない。だが長年由衣を見てきた美佐には、その言葉の裏に隠された感謝の気持ちがはっきりと見えるのだ。


「今度は、ちゃんとお礼を言わないとね?」


美佐のその言葉に素っ気なく、まぁねとだけ言うと、由衣はジュースを口にした。そんな由衣を見て小さな笑いを浮かべる美佐は、素直じゃないねとつぶやいて同じくジュースを飲んだ。


「木戸先生を・・・好きになっちゃう?」


唐突にそう言われた由衣は少しジュースを吹き出してしまった。少々むせかえると、にらむように美佐を見やった。


「あのねー、私は新城先生一筋なの!」


怒った顔にも笑みが漏れる。由衣は美佐をうながすとプールサイドに向けて歩き出した。美佐は小さな小さな声で良かったとつぶやくと、その後を追うのだった。

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