私の周人さま(11)
英語のアナウンスや、大きなスーツケースを手にした人々が行き交う光景はテレビドラマでよく見る風景であり、そのドラマの中でしかこの場所を知らなかった由衣は珍しさと好奇心でやや興奮状態となっていた。そんな由衣も目の前からやって来た金色の髪の少女に目を留めた途端に無表情になって目を細めてしまう。わざとらしく髪を掻き上げたその少女であるアリスは周人との由衣の目の前で立ち止まると、黒いスーツに身を包んだ明らかにボディガードとわかる2人組を数歩後ろで立ち止まらせた。
「わざわざ見送りありがとう。それに昨日のこともお礼を言わないとね、ありがとう」
「どういたしまして・・・」
由衣に自分が話している事柄を知られたくないアリスと、それを知らせようとする周人の言葉は全く違う言語にも関わらず会話はきちんと成立していた。
「これにこりたら次から旅行するときには百人ぐらいガードを連れてくるんだな」
皮肉たっぷりにそう言ったのだが、アリスは涼しい顔を崩さぬまま、そうねとだけ返事をした。
「ちょっと」
アリスが何をしゃべっているかわからない由衣は会話に参加できずに大きなガラスの向こうに展開されている飛行機の発着の様子を見ていたのだが、アリスにそう呼ばれて顔を正面に向けた。アリスは睨むように由衣を見つめ、由衣もまた睨み返すようにしてみせる。そんな2人を見る周人は無表情のまま成り行きを見守っていた。
「あの時、周人が殺されそうになった時、あんたは何を思ったの?」
唐突にそう質問された由衣は何を言い出すのかといった顔をしてみせたが、小さくため息をつくと一瞬チラッと周人を見上げてから言葉を発した。
「勝つのはわかってたから、だから怪我しないでほしいなぁって・・・それに実際暗かったし、速すぎてよく見えなかったから、でもきっと避けるだろうなぁって程度。正直一瞬ドキッとしたけど」
あっさりとそう言ってのけた由衣の言葉を聞いた周人は目を閉じて小さく微笑みを浮かべた。アリスは目を細めて由衣の表情を読みとろうとしているのか黙ったままである。由衣はただアリスを見つめているだけで、しばらくの間沈黙が流れた。
「あの彼がいないのが残念。いたら、あんたの本心を読んでもらうのに」
「だから本心だって」
「どうかしら・・・」
「ムカツク」
顔を近づけ合って睨み合う2人に割って入った周人は苦笑しながら引き剥がすようにするとアリスに目をやった。
「とにかく、今回のことを反省して1人でほっつき歩くんじゃないぞ」
「・・・はぁい」
珍しく素直にそう言うアリスに笑みを見せる周人。由衣は腕組みをして斜に構え、アリスをねめつけるようにしている。そうこうしていると後ろに下がっていたスーツの男の1人が時間を確認し、アリスの後ろに立つと何やら耳打ちをしてまた元の位置に下がっていった。
「じゃぁそろそろ行くわ。周人、また近いうちに必ず来るからね!」
そう言うと不意に周人の頬にキスをした。思わず1歩下がった周人だったが後の祭りである。さすがにマズイと思いながらチラッと横目で由衣の様子をうかがった周人だったが、そのあまりの鋭い目つきにサッと視線を逸らすしかなかった。
「じゃぁね、ユイ。今度来る時までにはさっさと別れていてよね」
「さっさと帰れ!」
「あら、頬にキスしたぐらいで目くじら立てるなんて、短気ねぇ~」
「後で口に濃厚なのをしてもらうからいい!」
またもや睨み合い、罵り合う2人にもはや苦笑するしかない周人は自分をまっすぐ見つめるアリスに軽く片手を挙げて別れの挨拶をした。アリスは手を振り返し、由衣に向かってべーっと舌を出してからボディガードの方へと歩いていった。結局その後、全く振り返ることなく去っていったアリスの後ろ姿を見送った2人は同時にため息をつくとお互いに顔を見合わせた。
「あんなに速い攻撃を避けられるのに・・・キスされたかったわけ?」
目の笑っていない笑顔を見せてそう言う由衣に引きつった顔を見せる周人だったが、すぐに腕を絡めてきた由衣に笑顔を見せた。
「腹減ったし、お昼はここで食って帰るか」
「周人のおごりでね!」
「はいはい」
アリスによって引っかき回された2人の関係はアリスの誘拐事件を通して修復され、さらに強い絆となった。お互いがお互いを信頼し、何があろうと絶対だと信じられる2人を見せられたアリスは乗り込んだ飛行機の中で周人と由衣の関係を少し羨ましいと思うのだった。
同じ日、夜に中学一年生の数学の授業を受け持っていた光二は定刻通りに教壇の前に立った。その雰囲気はいつもと違ってき然としており、その変化に生徒たちは多少なりとも驚いていた。実際、今日やって来た光二を見て恵も驚いたほどである。そんな恵は廊下に立って生徒たちから自分が見えないようにしながら中の様子を黙ってうかがっていた。
「では授業を始めます」
いつもより数倍大きな声でそう言うが、今までが今までなだけに生徒たちは雑談を止めようとはしなかった。恵はやっぱりね、とばかりに部屋に乱入しようとドアに手をかけたその時、信じられない声を聞いて思わずその手を引っ込めてしまった。
「みんな、静かにしろぉ!君たちはみんな僕の授業なんかどうでもいいかもしれなけど、来たからにはしっかり勉強してもらうからな!」
そう怒鳴りつけ、テキパキとプリントを配っていった。普段気弱で声も小さく、なよなよした光二しか知らない生徒たちは突然の事に面食らっていった。そしてこの授業中、人の心が読めるその能力をうまく生かして生徒たちの心を見ながらわかりやすく、それでいて堂々とした態度で通した光二はこのアルバイトをしてから初めての充実感に胸がいっぱいになるのを感じるのだった。そしてそんな光二を見ていた恵は小さな、それでいて心からの微笑を浮かべると静かにその場を立ち去ったのだった。
季節は秋から冬に移り変わり、冷たい風が吹きすさぶ世の中はクリスマスのある十二月に突入していた。すでに早めの冬休みを迎えている由衣はヒーターで暖められた自分の部屋の中にいた。ベッドの上に寝転がってせんべいを頬張りながら昨日買ってきたマンガを読んでいるのだ。アリスがアメリカに帰ってからもまだ周人の隣に居座っていた紫織も寒くなり始めた頃には部屋を引き払っていた。完全に無視を決め込んだ周人の粘り勝ちのような感じもするのだが、それでも電話はひっきりなしにかかってきており、録音の無駄とばかりに留守電にはならないようにしてあった。ともかく、あれ以来2人の仲は元の落ち着きを取り戻した上に、言いたいことをはっきり言う由衣に仕事よりも彼女を優先する周人の関係はあのさくら西塾で先生と生徒だった頃に戻ったものとなっていた。そんな2人だったのだが、今日は日曜日だというに由衣は自室でくつろいでいる。とうのも、周人が出張で1週間ほどイタリアの方へ行っているのだ。アメリカであればアリスの存在がチラつくので少々心配になるところだが、イタリアともなれば話は別だ。だたし、それはイタリアの富豪の娘が周人の惚れ込まないという条件の下であったのだが。
「由衣~・・・ちょっと来てくれる?」
「ふぁ~い」
母親の実那子の声にせんべいをくわえたままそう気の無い返事をした由衣はぼりぼりと頭をかくと食べかけのせんべいを袋の上に置き、雑誌をひっくり返してから部屋を後にした。リズミカルに階段を下り、リビングへと向かう。つまらないおつかいではないことを祈る由衣はリビングへ向かうドアを開き、中にいる人物を見て目を見開いた。3人掛けのソファには男女が1名ずつ座っている。木のテーブルを介して対面に座る父親の秀雄と書類を見ながら話を進めているのは艶やかなロングヘアにワインレッドのスーツに身を包んだかなりの美女。そしてなにより由衣が驚いたのはその横でやや小さくなって座っているカムイモータースの社長たる菅生要であった。
「こんにちは」
にこやかにそう挨拶した美女に続いて菅生も会釈をしてみせる。両親は菅生の身分を営業か何かだと思っているのか口振りも普段と変わらなかった。そんな両親に何かを言いかけたその時、菅生がそっと人差し指を口元に当ててウィンクをしたのを見た由衣は言いかけた言葉を飲み込んでテーブルの横に腰を下ろした。自分がウッドブラウンの色をしたパーカーにジャージのパンツといった完全な部屋着でいること、しかも化粧もしていない上に髪もバサバサの状態でいることが恥ずかしくて顔から火をふきそうだったのだが、なるべくそれを表情に出さないよう努力した。
「由衣さんですね?」
今の今まで秀雄に何かの説明をしていた美女が由衣に顔を向けると笑顔でそう話しかけてきた。
「私はカムイモータースの営業の者で美島と申します。本日はモニターをお願いしておりますハミングバードGXの3ヶ月検診のご案内にうかがったのですが、ついでにこれをあなたに渡して欲しいと社長の方から言われております」
そう言うと、何かのチケットが入ったような豪華な封筒と、丁寧に包装されて赤いリボンまで付いている大きな箱の入った紙袋を差し出した。社長からという言葉に驚きを隠せない両親と違い、身分を偽って今ここに座っている社長本人の方をチラッと見た由衣はその小さな封筒を丁寧に開いていった。中から出てきたのはカムイモータースが開催するクリスマスパーティへの招待状であった。毎年ホテルの大広間を貸し切って行う立食パーティだが、政界の人間や名のある名士たちも集まる大きなイベントであり、本来はカムイの社員しか招待されないのだが、今回特別に由衣を招待したいという説明を受けた。ますます驚く両親を横目に紙袋の方を見やった由衣はこれは何かという風に菅生の方へと視線を向けた。
「そちらは私どもの方で用意させていただいたドレスです。とは言っても、そう派手なものではありませんが」
丁寧な口調に笑顔を添えてそう説明した菅生は戸惑う由衣を見つめていた。
「でも、何故私に?」
「あなたのボーイフレンドであります我が社の社員、木戸の功績を考慮したのと、あと、先日の件で社長があなたを大変気に入ったからです」
ボーイフレンドという言葉に少々顔をしかめた秀雄に対し、嬉しそうな顔をする実那子。由衣から彼氏がカムイに勤める会社員だと聞かされており、何度か由衣を迎えに来た際に顔を合わせている実那子は周人を気に入っていた。また、2度ほど周人と挨拶を交わしている秀雄も周人のしっかりした態度には好感を得ていたが、やはり大事な一人娘は可愛く、複雑な親心を持っているのだ。その上、カムイの社長直々の招待なのである。新型ハミングバードのモニターをさせてもらっているのも由衣がその彼と付き合っているおかげだという事はよく知っているだけに、これに反対することはできない。
「お父様、お母様にも折り入ってご相談がございまして、当日は深夜までパーティは続きます。こちらで責任を持ってお預かり致しますので、どうか娘さんを一晩お貸しいただけないでしょうか?」
さすがに外泊はまずいと考えた秀雄だったが、すかさず菅生が言葉を割り込んで説得を試みた。当日はそのまま宿泊する者も多く、そのホテルのセミスイートを確保しているというのだ。もちろん、何かしらの間違いがあってはならないため、独身一人身の男女は別々のフロアに別れており、各階には屈強な守衛が付いているのと説明した。出入りは厳しく制限され、それは要人に何かあってはいけないためであると説明をした。実那子はそれに賛成したが、渋い顔をする秀雄は何度も由衣の方を見やった。パーティには周人も来る事はわかっているだけに複雑なのだ。だが4人からの説得を受け、渋々了承した秀雄は由衣の自主性に任せるとだけ言い残し、それ以上は何も言わなかった。
玄関先まで見送りに来た実那子と秀雄を残し、外に止めている車の所まで出てきた由衣は両親に気付かれないようにそっと菅生に礼を言った。菅生は営業マンらしいスマイルを残し、当日を楽しみしていると言い残して去っていった。その日の夜、周人からの国際電話でその事を話そうとした由衣だったが、当日泊まることは伏せておき、自分もパーティに出席することだけを告げたのだった。
クリスマスイブだというのに温かい気候のせいかどこか拍子抜けする気分の中、町中がクリスマスムードで一杯だった。今日は金曜日ということもあってか、週末の夜を楽しむ者、クリスマスイブとしての夜を楽しむ者など様々であったが、やはり白と赤を主体としたネオンやサンタの格好をした客引きを見れば心は躍る。特別にチャーターしてくれたカムイの車に乗り込む由衣はいつもよりもやや化粧をし、髪型も変えて赤いドレスにピンクのストールを羽織り、玄関先まで出てきていた両親に手を振った。見違えるように綺麗になった娘の姿を何枚も写真に納めた秀雄は何故か涙ぐんでいたのだが、実那子は嬉しそうにしながら娘を見送ったのだった。周人は仕事を終えてから来るとのことで、パーティが始まる午後7時前には会場へ行くとのメールが入っていた。若い男性の運転手と後部座席との間には仕切り板があるために由衣は気兼ねなくゆったりとした後部座席に腰掛け、用意されていた小さな携帯用テレビを見ながら約1時間程度のドライブを楽しんだのだった。ホテルのロータリーに一旦車を止めて入り口までエスコートしてくれた運転手に礼を言った由衣は、緊張を隠せない表情のまま招待状に書かれていた二十一階を目指した。このホテルは三十階建てであり、二十階から二十三階は結婚式場等に使われる大広間があり、その豪華さは有名で芸能人の結婚披露宴にも使われるほどであった。入り口を入って右側に位置している高層階行きのエレベーターに向かう由衣は自分と同じようにドレスアップした女性や、タキシードに身を包んだ男性の姿を数多く見て少々心細くなってきていた。とりあえずエレベーターに乗り込み、二十一階を目指す。同じエレベーターに乗り込んだ何組かの男女は高そうなアクセサリーをいくつも身につけ、よくわからない話に花を咲かせていた。由衣は自分で買ったシルバーのハート形したその真ん中に小さな真珠の埋め込まれたネックレスをし、イルカのピアスをしている程度であった。たまにチラチラ自分の方を見やる中年男性からの視線をかわし、ネオンの明かりも美しい眼下の町並みを見下ろした。その夜景に感嘆の声を上げる貴婦人を横目に、あの『思い出の夜景』をそこに重ねる由衣はすでに周人が来てくれている事を祈りながらカウントを進めていく電光板を見上げた。チンという音と共にゆっくりと扉が左右に開いていく。一番最後にエレベーターを降りた由衣は自分を呼び止める声にハッとしてその方向へと振り向いた。
「早かったなぁ・・・今、下へ迎えに行こうと思ってたんだ」
スーツ姿の周人は見慣れているのだが、タキシード姿の周人を初めて見る由衣は普段と違うその髪型と雰囲気に思わず顔を赤らめてしまった。世間的に言う7/3に分けた髪をしているのだが、少ない方はそのまま後方へ流し、長い方は前髪を垂らしながら横から後ろへと流れている。逆に周人もドレスアップした由衣を見てドキドキしていた。こんな風にドレスを着込んだ由衣を見るのはあの3年前のあの時以来なのだ。当時より大人になっている由衣はさらに綺麗であり、豪華に着飾ってやたらとアクセサリーをじゃらじゃらさせた女性たちよりもはるかに美しく見えた。由衣は周人の腕をそっと掴むようにし、そんな由衣をエスコートして会場の入り口まで歩く周人は受付で招待状を2枚手渡した。広々とした会場の中はすでに多くの人で賑わっていた。基本的に立食パーティであり、トレイに各ドリンクを乗せてボーイが歩き回り、部屋の壁沿いには大きくて長いテーブルに白いクロスを張り巡らし、その上に豪華な料理が所狭しと並んでいる。頭上に輝く巨大な5つのシャンデリアの下では多くの丸テーブルが置かれており、皆グループ毎に別れて談笑をしている姿が確認できた。とりあえずシャンペンを取った周人は部屋の片隅で2人だけの乾杯をし、お互いに微笑み合った。もうあと10分程度でパーティが始まるのだが、基本的に退場は自由となっており、パーティ自体は10時までの3時間続くのだ。周人はごく近くの重役たちには挨拶してまわり、そこで自分の彼女として由衣も紹介していた。緊張した表情で挨拶をする由衣を見て皆周人を羨ましがり、由衣の美しさを褒め称えた。緊張しながら会釈する由衣の横で周人は嬉しさを隠せないといった表情をしていた。だが、専務と一緒にいる大神の姿を見つけた周人は由衣に少し待っててくれと言い残し、やや小走り気味に走り去ってしまった。一人残された由衣はやや心細かったのだが、近くにある料理を皿に盛りつけていくと老夫婦らしい人たちが楽しそうに話をしているテーブルにそれらを置いた。軽く老夫婦に会釈した由衣は周人がどこにいるのかが気になりきょろきょろとしていると、見知った顔が笑みを浮かべながら近づいて来るのを見て引きつった笑みを返した。
「やぁ、こんばんは・・・・まさか君がここにいるなんてね」
いつもよりもさらにツンツンに逆立てた髪に縁が青くレンズ幅の狭い眼鏡をかけた遠藤がシャンペンを片手に由衣の真横に立った。なるべく目を合わさないように心がける決心をした由衣は簡単な会釈を返したのみでボーイから新しいシャンペンを受け取って視線を逸らした。
「アリス嬢の時はご迷惑をかけましたね・・・申し訳ない」
「いえ、たまたま目撃したものですから」
「驚かれたでしょう?」
どこか気取った態度をする遠藤の言葉にどうも不快感を感じてしまう由衣は軽く微笑み返したのみで何も答えなかった。
「ところで、木戸は?」
「後ろにいるよ」
わざとらしくきょろきょろする遠藤の背後からそう声をかけた周人に対し、飛び上がらんばかりに驚きながら勢いよく背後を振り返った。
「人の彼女をナンパとは・・・・オメーも大胆なこった」
「相変わらず失礼なやつだな・・・オレはアリス嬢の時の事を詫びていたんだ・・・オレが同席していながらさらわれてしまったんだからな」
何故かふてくされたようにそう言う遠藤の脇をすり抜け、周人の横に立った由衣は無意識のうちに腕を絡めて見せた。その仕草を見た遠藤は目を細めて周人を見やると、一気にシャンパンを飲み干した。
「普段はサイボーグ並みに沈着冷静なお前が半泣きになってたそうだからな、見つけてくれた由衣に感謝しろ」
思わぬ所で思わぬ暴露をされてしまった遠藤は怒りと羞恥で顔を真っ赤にしてしまったのだが、その直後に落ちた照明のせいで誰もその顔色の変化には気付かなかった。
「本日はお忙しい中、ご出席いただき、誠にありがとうございます。これより、本年度のクリスマスパーティを開催させていただきます。まずは我がカムイモータースの社長、菅生要氏のご挨拶です」
司会者のその言葉に、全員がステージの方に向き直る。スポットライトが一点を照らすと、そこからステージ中央に設置されているマイクの場所まで照らされながら菅生が歩いていった。壇上に立った菅生は小さな咳払いをすると、簡単ながらの挨拶をしていった。その後、重役たち数名の挨拶の後、乾杯の音頭をもってパーティがスタートした。
「やぁ、こんばんは。やはり君は綺麗だ・・・・選んだドレスも喜んでいるようだよ」
相変わらずそばにいる遠藤をチラッと見ながらも、わざわざやって来てくれた菅生は秘書である美島優子をともなっていた。由衣ははにかんだ笑みを浮かべ、先日の礼をあらためて言うと菅生は笑顔でそれに応えた。
「実は社長、あなたのファンだったのよ」
優子は小さな声で由衣の耳元でそう言うと、ウィンクをして見せながら説明を始めた。得意先に置いてあった雑誌をたまたま見た際に、そこに載っていた由衣を見た菅生は一目でファンになってしまったというのだ。だが独身の彼が女性のファッション雑誌を買うことも出来ず、時々人目を盗んではコンビニで立ち読みをしていたというのだ。一流企業の社長という立場でありながらと嘆く遠藤を後目に、そんな菅生だからこそ身近に感じられると思う周人は終始笑顔でその話を聞いていた。
「だからびっくりしたよ・・・あの日、池谷工場の前で君を見掛けた時には・・・あわてて声をかけたまではよかったのだが、まさか木戸君の彼女だったとはね」
「ミーハーなんですよ、社長は!」
たしなめるようにそう言う優子に苦笑するしかない菅生を見て一同は笑いに包まれた。
「だからドレスのサイズもぴったりだったんだ・・・・雑誌を見れば載ってるから」
雑誌に毎回モデルの簡単なプロフィールとスリーサイズを載せていたのが幸いしていた。由衣はそれが載るのを嫌っていたのだが、出版社の意向ということでやむなくその条件を飲んでいたのだ。
「とにかく今日は存分に楽しんでくれたまえ」
菅生はそう言い残し、別のテーブルへと向かっていった。一礼してそれを見送る3人に会釈をした優子にも軽く頭を下げた後、料理を取りに行く周人と由衣に続いて遠藤まで付いてくる。
「お前・・・どっかいけよ」
「君こそ挨拶回りはいいのか?」
「さっきしてきたよ」
「オレも早めに来て済ませておいた」
睨み合う2人を無視して豪華な料理が並ぶテーブルを見ながら笑顔を浮かべる由衣はなくなっていた料理を運んできたウェイターにその品が何かを聞き、軽快に皿に盛っていく。もはや遠藤が由衣に気があるのがありありとわかる周人は何かにつけて追い払おうとするが、それに全く聞く耳を持たない遠藤は由衣に会話を振るものの、やはり軽くあしらわれていた。
「んな心配しなくても由衣は誘拐されねぇよ、オレがいるからな」
最大の嫌味を言われた遠藤は顔色をサッと変えて周人を睨んだ。フフンと鼻で笑う周人は由衣が取っていたお寿司をつまむと口の中へと入れてその味を噛みしめる。由衣は自分が取ったお寿司を横取りされてムッとした顔をしたが、新たに2、3個皿に乗せると自分もそれを口に入れた。
「会食の途中にトイレに行った隙をつかれたんだ・・・ボディガードも影から見ているという言葉に安心していたのに・・・」
「まぁな、しゃーねぇよ・・・そいつが犯人だったんだからな」
「な、なにぃ!?」
事件の真相を知らされていない遠藤は驚きの声を上げた。彼女が誘拐され、無事保護されたという知らせしか受けておらず、事件自体については何も知らされていなかった上に厳重に口止めをされた遠藤は周人がそれを知っている事に驚きと苛立ちを隠せないでいた。そのことについて突っ込みを入れようとしたその時、またもや照明が落とされ、ステージ上には菅生が立ってスポットライトを受けていた。生ハムの乗ったサラダを頬張る由衣も、お寿司を口に入れる周人も、何かを言いかけて口を開けたままの遠藤もそのステージに立つ菅生の方を見やった。こんなイベントは用意されていない事に疑問を感じる遠藤と周人だったが、今は黙って話に聞き入るしかない。
「えー、みなさま、楽しんでいらっしゃいますでしょうか?ここで実にわたくし事ではございますが、ある発表をさせていただきたいと思います」
その言葉を聞いて周囲はざわつき、退陣かという声も上がったが、遠藤も周人も真剣な目でその言葉の続きを待っている。相変わらず由衣はさっき取って来ていた料理をもぐもぐと食べており、2人のような緊張感はまるで感じられなかった。
「私もすでに、四十二歳。この年まで独身で頑張ってきたわけですが、ここらで所帯を持つことになりました」
その言葉にさすがに口の動きを止めた由衣もステージの上でコツコツ鳴り響く靴音に耳を澄ませた。
「紹介します、私の婚約者であり、またこれまで私を支えてきてくれました美島優子君です!」
と、不意にもう1つスポットライトが当てられ、そこに浮かび上がるようにして現れた優子がはにかんだ笑みをたたえながら静かに頭を下げた。
「でぇぇ!?」
「うそぉ!?」
すっとんきょうな大声を同時に張り上げた周人と遠藤は周囲の注目を浴びているにもかかわらず、もはやステージの上の2人に釘付けとなっていた。そんな2人からカニ歩きをしながら徐々に離れる由衣は恥ずかしさから顔を赤らめながら他人のフリを決め込むのだった。




