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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十一章
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私の周人さま(10)

もはや目の前に展開されているのはテレビなどでしている格闘技などとはほど遠いものであった。黒い服に身を包んだゾルディアックの攻撃は、遠目で見ている由衣たちにしてみれば距離自体が離れているのもあるのだが、ほとんど見えない状態であった。対する周人の攻撃も相当の速さであり、映画などでよく見る格闘シーンの早送りを見ているようである。そしてそれを見ている光二の頭の中には2人の感情がひっきりなしに流れて来ていた。だがその中でも強く感じられるのはゾルディアックの放つ『殺意』である。闇よりも黒いその殺意に光二の全身からはねとつくような汗が噴き出ていた。また、それはアリスも同じであった。ボディガードを務めるゾルディアックが仕組んだ今回の誘拐劇すらショックな上に、愛する周人が命の危険にさらされているのだ、気が気ではない。しかも相手は現役の軍人であり、殺しのプロでもあるのだ。見たところ空手か何かを使っている周人だが、勝てるとは到底思えない。無意識に握りしめた拳は既に汗でびっしょりである。そんなアリスは横に立っている由衣の方へと何気なしに目を走らせた。同じように怯えているのではないかと思っていたアリスだったが、実際は違っていた。無表情のままジッと2人の戦いを見つめている由衣は汗をかくどころか力すら入っているようには見えない。今はまだ五分五分の戦いを繰り広げているからなのかもしれないが、ゾルディアックは軍人であり、しかも国から勲章をもらうほどの男なのだ。サラリーマンである周人に勝ち目などあるはずもない。


「あんた、怖くないの?シュートが殺されようとしてるのに」


緊張で喉がカラカラなアリスはほとんど出ない唾を飲み込んでからそう言葉を発した。だがやはり涼しげな顔を向けた由衣はすぐさま戦いの方へと向き直った。


「勝つのは周人だって信じてるから」


全く高揚のない声でそう言う由衣に、アリスは苛立ちを隠しきれない。


「バカね!相手は現役の海軍大佐なのよ?軍人なの!殺しのプロなのよ!勝てるわけないよ!大佐は勲章をもらうほどの男なのよ!」


怒鳴るようにそう言うアリスを再度横目でチラッと見ただけの由衣はそれを聞いても全く表情を変えることはなかった。


「周人は負けないわ。だって、彼が負けたらみんな終わりだもの。だから絶対に負けないの」

「あんたは知らないのよ・・・大佐は五十人も素手で人を殺した事があるのよ!それに見ての通りマーシャルアーツの達人、どうやっても勝てないわ!」


その言葉を聞いた由衣は小さく鼻でフンと息を吐くと、腕組みをしてアリスを見やった。怒りからか顔を紅潮させているアリスに対して実に冷静な目を向けている由衣はデニムの帽子を少し後頭部の方へずらすと小さく前髪を掻き上げた。


「あんたも知らないのよ、周人の強さを」


その言葉をアリスに投げかけた由衣はまるで自分を睨むアリスを無視するかのように周人の方へと向き直った。歯がみするアリスはそんな由衣を殺気に満ちた目で睨み付けている。


「後悔しても遅いんだからね!」


吐き捨てるように言うその言葉も耳に入らないといった風な由衣にさらなる怒りを灯らせながらも周人とゾルディアックの戦いへと向き直るアリス。そんな2人のやりとりを黙って聞いていた光二は由衣とアリスの思念が自分の意志に反して飛び込んでくるのを感じていた。もはや気力を使い果たし、自分の能力をうまくコントロールできなくなっていた光二は集中力を欠いてしまっていた。今までこうも長時間相手の心を意図的に読んでいた事がなかったせいか、精神的疲労も極限に達している。そのせいなのか、勝手に周囲の意識が頭の中へと流れ込んできていたのだ。だからこそ、2人の正直な気持ちが流れ込んできており、由衣からは周人に対する絶対的な信頼感を、アリスからはゾルディアックに対する恐怖感が手に取るようにわかっていたのだ。周人を気遣いながらもゾルディアックに向けられた恐怖、そして由衣への苛立ちという落ち着きのないアリスに対して由衣の心はただ1つだけ、周人の勝利を信じている、その1点だけなのだ。


「本当に・・・勝てるのだろうか・・・」


由衣のその心を覗きながらも、光二はアリスと同じ危機感に襲われているのだった。


まさに拳脚一体の攻撃は流れるがごとき動きで周人を追いつめていった。もはや受け流し、避けることしかしていない周人の劣性は誰の目にも明らかである。そしてついに、ゾルディアックの蹴りが周人の胸を直撃した。これを機に一気に攻め立てるゾルディアックの攻撃は激しさを増していき、徐々にだがその攻撃をかわせずに腕や足にダメージを受け始めた周人はやや後ろに下がりつつ間合いをあけようと身をよじった。だがそこは百戦錬磨の軍人、その隙を逃さずに強烈な蹴りを左脇腹に炸裂させた。たまらず吹き飛ぶ周人を追いすがり、なおも攻撃を続ける。密着した状態から左右の拳をわずかな時間差で突きだしたその瞬間、周人は腹部に強烈な衝撃を受けて動きを止めてしまった。拳をカムフラージュに使った膝蹴りを腹部に喰らわしたのだ。拳に気を取られ、膝が見えなかったそのせいでもろに攻撃を受けた周人はさらにアゴを蹴り上げられ、唾と血を吹きながら背中から地面へと倒れ込んでしまった。


「フィニッシュ!」


この隙を逃すはずもなく、最初にかわされてしまった必殺の貫手を倒れ込む周人の喉元めがけて振り下ろすゾルディアックの顔は悪魔にも似た凄惨なる笑顔をしているのだった。


ダメージを受けて倒れ込む周人を見て悲鳴を上げるアリス。さすがに由衣も表情を曇らせるのだが、それでも周人の勝利を信じて疑わない。たとえそれが絶体絶命の状況であっても、その自信は微塵の揺らぎもなかった。確かに心配するような思念波も入ってきている。だが、だからといってその中には絶望や苦悩といった意識は入っていなかった。どうすればこうまで信じることができるのかと思いながらも、光二は周人の死を頭の中で描いてしまった。


信じられないような速さで黒い『ヤリ』が振り下ろされる。だがその一撃は目標から逸れてしまい、地面に突き刺さるような格好となっていた。実際には地面に当たる瞬間に指を折り曲げたせいで拳を地面に当てているといった状態である。目標である周人は既に立ち上がって身をよじりながら身体を回転させると、地面に拳を突き刺して身を屈めたままのゾルディアックの顔面に向かって目にも留まらぬ蹴りを放っていた。必殺の貫手を、それ以上の速さで払いのけた何という反射神経か。さらに一瞬にして態勢を立て直して放った蹴りを、ゾルディアックはその丸太のごとき筋肉をした腕でブロックしていた。そのまま上半身を回転させてパンチを繰り出すが、もうそこには周人の姿はなかった。一筋の汗を額から流すゾルディアックは、今の周人の蹴りをもはや軍人として幾多の戦場を駆け抜けたその直感だけで防いでいたのだ。いや、人間の持つ防衛本能と言った方が正しいか、見えなかったその蹴りを無意識にとはいえブロックしたゾルディアックの力量も恐るべきものがある。口から血を流し、腹部を押さえる周人の目はギラついた獣を想像させた。完璧に入った腹部とアゴへの一撃は本来ならばその意識を奪い去り、体力を消費させて立つこともできなくするには十分すぎる攻撃であったのだ。だが実際はとどめの一撃を薙ぎ払い、反撃の一撃を見舞ってきたのだ。しかもまだその目は死んではいない。


「さっきお前が言っていた『化物モンスター』、アレはオレじゃぁない・・・けど、その『モンスター』を倒したのが・・・・オレだ」


その言葉にゾルディアックの眉が吊り上がる。


「人はオレを『魔獣エビルビースト』と呼んでいる」


朱に染まった周人の口元が吊り上がった。その笑みにアリスと光二は恐怖を感じていたが、由衣にはそれがない。あるのは、周人の勝利が近づいたという想いだけであった。


「な、何?あれ・・・あれがシュートなの?」


鳥肌が立つほどのその笑みを見て怯えるアリスはゾルディアックへの恐怖すらどこかへ消し飛んでいた。背後に立つ光二も喉がカラカラであり、嫌な汗が止まることがない。感じる4人の思念波も今でははっきりと2つに分かれていた。1つは勝利への執念とそれを信じて疑わない心、そしてもう1つが全く同じ恐怖であった。アリスの周人への恐怖、そしてゾルディアックの中でも周人に対する恐怖がフツフツと沸き上がってきていた。


「ユイ、あんた『あの』シュートを知っていたのね?だから・・・・」

「知らないわ。昔、あそこまではいかないまでも怖い周人は見たことはあるよ。でも、それがどうだっていうの?怖いだろうがなんだろうが勝つのは周人って決まってる」


澄ました顔でそう言う由衣の口調に全く変化はなかった。戦いが始まってから今まで、由衣は周人の勝利だけを信じて疑わないのだ。


「昔は、本気の一歩手前だったよね・・・・これが本気なのね?これが恵里さんの仇を討った時の周人なのね?」


ぞくっと身を震わせながら笑みを浮かべる由衣を複雑な心境で見やる光二には、由衣の周人に対する絶対的な信頼の根底にあるものが何かを感じ取ることができた。


「どうやら・・・彼には君しかいないようだね・・・」


なんとも言えない感情を込めたその言葉を口にせず、心の中でつぶやいた光二は少し悲しげな表情を浮かべてみせるのだった。


ゾルディアックは沸き上がる恐怖を否定し、握った拳に力を込めた。よく見れば、周人の足は小刻みに震えている。やはりさっきのダメージは深く、足に来ているのだ。それを見やったゾルディアックは自分の中の恐怖をかき消し、揺るぎない勝利への自信をよみがえらせながら乾いた唇をひとなめしてして小さな笑みを浮かべた。


「『魔獣エビルビースト』か・・・アリスに、魔獣・・・・ククッ!まさに『鏡の国のアリス』にでてくる魔獣『ジャバウォック』というヤツだな!」


ルイス・キャロル原作の『鏡の国のアリス』に登場する魔物を、今この場にいるアリスと『魔獣』と名乗った周人になぞらえてそう例えたゾルディアックは歯をむき出しにして壮絶な笑みを浮かべて見せた。


「お前は強い、ジャバウォック・・・・・今まで戦った中で1番だ。同じ軍人や名のあるゲリラたちと素手でやり合ったが、どれもここまでの手応えがなかった。だがお前は違う!殺し甲斐がある!」

「あんたも強いぜ、おっさん・・・・今までオレが戦ってきた中では5番目ぐらいにな」


その言葉を合図にゾルディアックはさっきよりも速く、それでいて力強い攻撃を繰り出した。だがそのほとんどが空を切り裂き、受け流す周人の体の感触もほとんど感じなくなっている。自分の中でのベストを尽くしても、まるでダメージを与えている気がしないのだ。さっきまで足を震えさせていた目の前にいるこの男に攻撃を当てる事すらままならない。その焦りは抑えていた恐怖を再び呼び覚まし、その恐怖は攻撃を雑にしていった。その隙を周人が逃すはずもない。ほとんど密着した攻防の中、ついに周人の拳がゾルディアックの左脇腹を直撃した。ミチッという鈍い音と感触が肋骨の骨折を物語る。それでも後ろへ下がらないゾルディアックだったが、周人の攻撃は顔面にも炸裂し、一気に形勢は逆転してしまった。


光二の頭の中に入ってくる思念はもはや1つだけ、ゾルディアックの恐怖のみとなっていた。


『何なんだ!こいつは一体何なんだ!何故倒れない?何故オレがこうも易々と!これが魔獣、ジャバウォックの力なのか?』


思念波は言葉ではない、意識のかたまりなのだ。よって光二には英語が理解できなくともその考えや意識が直接理解できるのだ。もはや抑えきれないほどの恐怖のせいか、ゾルディアックはなすすべなく周人の攻撃をうけていた。顔、体、腕、足へと次々にヒットしていく攻撃に、ついにその足も止まってしまった。


「オレはゾルディアックだ・・・・お前ごときサルにぃ!」


ガードしていた両手を開放し、叫びと共に自身の持つ必殺技である貫手を放った。だが周人は軽くそれをかわすと逆にその腕を取り、さらに残った手で相手の肩に手をやると地面を蹴ってゾルディアックのその肩の上で逆立ちをすると一瞬にして背後に回り込んだ。その動きも電光のようであった為、ゾルディアックは完全に周人を見失ってしまった。その背後に立った周人の右の足が跳ね上がる。と同時に左の足も跳ね上がった。地面で踏ん張るべき軸足を持たず、ほとんど同時に左右の足を跳ね上げたのだ。まず右足がゾルディアックの右脇腹を直撃する。そしてまばたきするよりも速いスピードで折れた肋骨がある左の脇腹に蹴りが炸裂した。一瞬にして両脇腹の骨を砕かれて悶絶するゾルディアックはふらつきながらもなお反撃を試みて周人の方へと振り返った。その彼が見たものは、異様な構えを取った周人の姿であった。開いた自分の両足の真ん中辺りに大きく踏み出された右足と同時に、まるでボールを投げるかのようなモーションを描くその姿だけが妙に意識として残っている。正確には、彼の意識はここで飛んでしまっているのだ。ボールに代わって飛んできた右の拳が腹部に轟音を立ててめり込んでいった。今まで生きてきた中で味わった事のない衝撃が内蔵を伝い、一瞬にして意識がなくなったのだ。ダメージを受けた腹部を押さえることもせずに前のめりに倒れ込んだ巨体を見下ろす周人は大きく肩で息をしながら戦いを見守っていた3人の方を振り返った。疲れた表情をしながらも笑顔を見せた周人のその顔は、もう恐怖を与えた『魔獣』の面影は微塵もなかった。


「勝った?」


怯えた顔がみるみる笑顔に変わる。真っ先に飛び出したアリスはややフラつきながら歩いてくる周人めがけて抱きついたかと思うと、その場で大声を上げて泣きじゃくった。一足出遅れた由衣はムッとした表情をしたものの、それはすぐに笑顔に変わった。抱きつかれた瞬間こそアリスの方を向いていた周人だったが、それ以降はジッと由衣を見つめている。口元に浮かぶ微笑も由衣にだけ向けられたものだった。


「今だけは大目に見てあげるわ」


小さくそうつぶやくと、少し離れた場所で立ち止まった由衣は周人と見つめ合ったままである。


「結局、吾妻さんだけが彼を信じていました・・・」


横に並んだ光二のその言葉に嬉しそうな顔を見せた由衣はしっかりと帽子をかぶり直すとワンワン泣くアリスの方へと視線を戻した。


「一応、彼女だからね」


静かな口調でそう言う由衣のその言葉の裏に隠された意味を、光二は読みとっていた。


「彼が守ったのはアリスさんでもなければ僕でもない・・・あなただったんだ・・・あなたを危険にさらしたくないからこそ、彼は絶対に負けることは許されなかった。そしてそれを理解しているからこそ、あなたは決して彼が負けることを考えなかった」

「やらしいなぁ・・・心ばっか読んじゃって」


そう言いながらも穏やかな雰囲気は壊さない。そんな由衣を見やる光二は少し悲しげな、寂しげな顔をして見せたが、由衣はそれに気付かなかった。光二はあの戦いの最中、周人の心から流れてくる小さな感情を敏感に感じ取っていたのだ。かつて失った恋人、その人を守れなかったというその自責の念。もう2度とそんな想いをしたくないという決意、決して命と引き替えではない勝利。生きて、なるべく無傷で勝利を得たいという想いが重なった結果、ゾルディアックに恐怖を与え、見事にそれをうち倒したのだ。それこそ、紛れもない由衣への愛の証であった。


「あなたにも、彼しかいないんだね・・・」


聞こえないようにそっとつぶやいた光二は、心に秘めた由衣への想いを断ち切る決意を固めた。決して明かすことはなかったその淡い恋心を封印した光二は、絶望的状態であっても決して周人の勝利を信じて疑わなかった由衣の意志の強さこそ周人への愛情だと悟ったのだ。この2人を引き裂くことなど誰にも出来ない、そう強く思った。


ライトの明るい光が4人をまばゆく照らし、暗い地面に長い影を落とさせた。それは青地に白のラインが入った4WD車だった。由衣と光二のやや後方で止まったその車からは迷彩服に身を包んだ白人男性が4人降り立ち、すぐさまアリスの元へと駆け寄ってきた。4人の内の1人、モヒカンのヘアースタイルをした大柄の男が倒れているゾルディアックの様子を見ると、山荘の中を調べるように口ひげにスキンヘッド姿の男に指示を出した。残った2人は周囲を警戒しつつ、由衣と光二を無視していまだに周人にしがみついているアリスの元へとやって来た。モヒカンの男もアリスに近づくと小さく敬礼し、身分と目的を明かした。


「我々はキース将軍の命令であなたを救助に来た者です。私はゴルディ・アンドレ少佐であります。ゾルディアック大佐があなたの誘拐を画策しているとの情報を得まして、急遽やってきた次第です」


その説明を聞いて安堵の表情を浮かべたアリスに対し、周人は怪訝な顔をしてゴルディの顔をしげしげと見つめた。そんな周人を睨むようにしているゴルディはここでのいきさつを説明するアリスの言葉に表情と雰囲気を和らげる。


「いやに対応が速いなぁ・・・」


アリスにはその日本語が理解出来たが、ゴルディにはわからない。とりあえずみんな無事だったことを良しとした周人だったが、このゴルディもゾルディアックの仲間でないかと疑っていた。だが、すぐにやってきた地元警察との対応を見て、その可能性はなくなったと判断した。簡単な事情を聞かれて対応する周人をよそに、アリスは騒然となっている周辺を見渡している由衣の元へと近づいていった。


「勝つって信じていた?」


唐突に投げられたその言葉に、由衣はムッとした顔をしてそっぽを向いた。


「あったりまえでしょ!」

「それはあんたがシュートの強さを知っていたからよ!私も知っていたならきっと・・・」

「知っていようがなかろうが、好きなら信じられるんじゃない?あんたを守ろうと戦ってたんだからさ」


そう言われてはさすがに何も言い返せないアリスはゴルディにうながされて4WDへと連れて行かれた。車に乗り込む際におもいっきりあっかんべーをしてみせたアリスに苦笑した由衣はひらひらと手の平を振るとべーっと舌を出して応戦して見せた。走り去る車のテールランプが茂みの奥に消えた頃、チンという金属音を響かせて横に立った周人もまたその方向を見ていた。


「お疲れ様」

「ほんと・・・疲れたぜ」


タバコの煙を揺らしながら苦笑する周人に笑顔を見せた由衣はジッと周人を見上げたままであった。口元の血は綺麗に拭かれていた。左頬の傷が月光にさらされて、何故かそこに目が行ってしまう。


「何?」


さすがにその視線に何かを感じた周人が少々困った顔をしながらそう問いかける。


「ありがと、守ってくれて」


さっきアリスに言った言葉を否定するかのようなその発言だったが、周人はそれを知らない。光二に言われるまでもなく由衣にはちゃんとわかっていたのだ。周人が必死で戦っていたのはアリスを守る為もあった、だが実際に守ろうとしたのは自分であることを。


「どういたしまして」


大げさに頭を下げた周人は澄ました顔をしていたが、由衣からは笑顔がこぼれ落ちた。そしてそっと周人の右手に自分の左手を絡ませた。


「ゴメンね、一方的に怒って・・・・周人が悪いわけじゃないのに」

「こっちこそゴメンな・・・お前の気持ちを考えずにほったらかしにしてさ・・・」

「もういいよ・・・許すよ・・・だから、私も許してくれる?」

「当たり前だろ?それに、許すとかっていう以前に・・・・」


一旦そこで言葉を切った周人はそっと由衣の耳元に顔を近づけた。


「別れ話を切り出されるんじゃないかって内心ドキドキもんでした」


ささやくその言葉に思わずふき出した由衣は、私も、と返事を返した。捜査官や光二が見守る中、闇の中に2人の笑い声がこだましていくのだった。


壁中を埋め尽くすように立てられている大きな本棚には、難しそうな本がびっしりと敷き詰められていた。そう広くはない部屋をさらに圧迫するその本棚に加えて明らかに部屋に対して不釣り合いな大きさの机の前に座っているのは白い髪をオールバックにした口ひげも白いやや小太りの男だった。濃い緑した制服の胸元には金色に輝く勲章が誇らしげにいくつも輝いている。軍の明らかに高い地位にあるとわかるその男は黒い電話を耳に当て、元から細いその目をさらに細めて虚空の彼方を見つめるがごとく一点を見つめていた。


「ご苦労だった・・・ジェイムズにはうまく言っておいたから安心して処置しろ・・・・そうだ、本国に送還されてから、殺せ」


恐ろしいことを平然と言い切った男は受話器を置くと引き出しを開けて金色に光る箱を取り出した。その上蓋を開いて中から葉巻を取り出すと、ピストル形をしたライターの引き金部分を引いて銃口から火をともす。その火に葉巻を近づけて煙を揺らすとため息にも似た感じで大きく息と煙を吐きだした。クッションも柔らかそうな背もたれに身を預け、天井を見上げる。


「小娘1人も誘拐できんとは・・・ゾルディアックの腕が落ちたのか、それともそれを倒した小僧が強かったのか・・・・」


男の脳裏に浮かぶのは日本には『モンスター』がいるという噂だった。そのモンスターに倒されたのならば納得もできるのだが、報告によれば見た目はただの優男だったという。


「これで裏金の件も含めて、クロスフォードには手が出せなくなったわ!」


誰に言うでもなくギリっと葉巻を噛みしめて苦々しくそう言った男はどす黒い肌をやや赤くしていた。その時、ドアをノックする音がしたため、男は姿勢を正して座り直すと心を落ち着けてから入れと返事をした。その返事を聞いてドアを開いた同じような軍服に身を包んだ若い男が姿勢を正し、機敏な、それでいて機械的な動作で敬礼をした。その顔はどこか緊張しているようにも見える。


「キース将軍、ジェラード提督がお待ちです」

「うむ、今行く」


大きなガラス製の灰皿にほとんど吸っていない葉巻をもみ消すとのっそりと立ち上がる。机の上に置いてあった帽子を小脇に抱えるとさっきまでの苛立ちが嘘のような平然とした態度でドアをくぐるのだった。


「どうやら・・・黒幕は他にいるらしいぜ」


高速道路を快適に飛ばす車内ではラジオから流れる交通情報が渋滞のないことを告げていた。実際走っている車の数も少なく、平日とあってかトラックが目に付く程度であった。昨夜の事件から一夜明け、警察の事情聴取を終えたアリスは祖父の命令ですぐさま帰国することになってしまった。特別にチャーターされたクロスフォード社の自家用ジェットで昼過ぎには出国する手はずになっていたため、周人と由衣はそれを見送るために空港へと向かっている最中なのだ。


「三宅君がそう言ってたの?」

「ああ・・・・あいつが倒される間際に白いひげのじいさんっぽい顔が浮かんだそうだ。すがるような気持ちと一緒にな・・・・そいつが真の黒幕だろうさ」


緩いカーブを抜けて高層ビルが建ち並ぶ都心の街並みを横目にジェネシックは秋晴れの空の下、やや混雑してきた道を空港方面へと分かれる道を行く。


「まぁ、確かにゴルディとかいうおっさんたちのタイミングと手際の良さを考えればすぐにわかるけどな・・・おそらくあいつらはオレが倒したおっさんを監視していたんだろう」


そう言う言葉に続けて周人は自分の推理を由衣に話して聞かせた。ゾルディアックがアリスを誘拐したのだが、万が一失敗した際には内密に彼を監視していたゴルディたちが乱入し、事件の収拾を図る。そしてアリスを保護してゾルディアックの単独犯だということを印象づけるのだ。つまり、ゾルディアックが最後にすがった人物とは彼の上司に他ならない。


「金目当ての誘拐は成功する。その上アリスは生きたまま人買いに売りさばく。アリスの家族から連絡を受けたあいつの上司は部下の犯行を知っておっさんを追い、見つけて殺したとして適当な死体とすり替えれば誰にもわからないからなぁ・・・アリスは行方不明のまま捜査続行も、そもままお蔵入りってな感じか」

「ならそれをアリスに言えば?」

「あくまで憶測の域を超えないし・・・・三宅君をさらし者にするわけにもいかないしな。それに、おそらくあのおっさんは口封じされる・・・結局、真相は闇の中さ」


光二は警察の事情聴取の際にも自分が『変異種』であることを公表しなかった。周人が口止めしたのもあるのだが、彼がその力を悪用するようには思えなかったし、何よりアリス救出の功労者でもあるのだ。


「三宅君、大丈夫かな?」


由衣はチラッと周人を見やったが、周人は微笑を浮かべたのみで由衣の方には目を向けなかった。


「心配ないさ・・・男は恋をして、その人を守りたいと願った時に強くなるんだ。そしてそれはたとえフラれても心に残る・・・だから彼も強くなるさ」


周人は空港出口のインターを降りて螺旋状になった道を速度を落としながら進めていく。言っている意味がわからない由衣は不思議そうな顔をしながら目の前に見えてきた管制塔のタワーを見やった。


「三宅君・・・・恋、してたんだ・・・」


つぶやく由衣に苦笑を漏らした周人は何も言わずに駐車場へと車を向けるのだった。

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