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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十一章
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私の周人さま(8)

気晴らしに雨の中ドライブに出かけた周人だったが、結局行くあてもなく町外れにある大型アミューズメントセンターでバッティングマシンを相手にうさばらしをしてきたのみであった。反射神経はずば抜けている周人にとって、そこそこのスピードボールなら難なく打ち返すことができたのだが、やはり心の中のモヤモヤを晴らすことは出来なかった。その上ひっきりなしに鳴り響く携帯電話にうんざりしていたせいもあり、電池の切れてしまった携帯を充電することなく無料の駐車場に止めている車の中でカーステレオをBGMにタバコをふかせる周人はぼんやりとピンク色したハートのマークも印象的なジッポライターを見つめていた。3年前に由衣がくれたクリスマスプレゼントのそのジッポライターは、アメリカであろうがドイツであろうがこの3年間ずっと使い続けたためか少々傷ついてしまっている。その傷を見た由衣がずっとそのライターを使ってくれていたことに嬉しそうな顔をしていたのを思い出した周人は、由衣が好きだという自分の気持ちに微塵の揺らぎもないことをあらためて認識した。もうすでにかつての恋人であり、忘れたくても忘れられなかった『恵里』の事を思い出す事も無くなっていた周人だったが、不意にその『恵里』との事を思い出してしまった。周人が初めて付き合った彼女は由衣とは正反対の性格をしており、どちらかといえば内気な性格をしていた。そのせいか、常に彼女の心を察して考えを巡らせ、気にかけるようにしてたのだ。だが、物事をはっきり言う由衣にはそういった気配りが足りていなかったような気がする。思ったことを口にする由衣の気持ちに甘えていたのかもしれない。今回もめてしまった原因は寂しさを口にしなかった由衣の気持ちに甘えてしまい、仕事を優先しすぎた自分のせいだと思う周人はやりきれない自分への怒りにイラ立っていた。自分がもっとしっかり由衣を見てやっていればアリスや紫織に隙をつかれる真似はさせなかったはずだと思える。塾の先生と生徒だった関係の時には、由衣が襲われた事件があったせいでそこに『恵里』を重ねる事で由衣に対して気にかけるよう心がけていたのだった。今、付き合ってから一番大切なその心を忘れてしまっていた自分を責めた周人はようやく雨の上がった空を見上げ、倒していたシートを元の位置に戻しながらキーを差し込んでいるスリットの上にある赤いボタンを押してエンジンをかけた。ギアを入れてゆっくりと車を進ませた周人は、まだまだ重い気持ちのまま幹線道路へと車を出すのだった。


いくら電話しても繋がらないため、由衣はため息混じりにバス停へと向かった。真琴と別れて電車に乗り、さくら谷駅に着いてすぐに周人の携帯に電話をかけたのだが、全く繋がらないのだ。仕方なく自宅の方にかけようとした由衣だったが、何故かそちらも応答がない。留守電にも切り替わらないのも変だと思いつつ、やむなく電話を切った由衣はメールの画面を立ち上げた。だが手はそこで止まってしまい、文字を打ち込むことは出来なかった。やはり自分の口から、なるべく直接会って面と向かって話がしたいと思う由衣はとりあえず明日会いたいという意味合いだけのメールを送った。さすがの周人もこう連絡を無視し続けているという事は怒っているのではないかと内心ドキドキしながらだったが、とにかく会って話をしなくてはならないのだ。メールを送信し終えた由衣は小さなため息をつくと真琴との話で少しはましになっていた胸のつかえがまた復活してくるのを感じていくのだった。


その日は新型F1マシンの説明会が池谷工場で行われることになっていたため、周人はいつもより早く出社していた。社長以下本社の重役たち及び各開発分野の責任者が集まる今日の説明会では、来季のニューマシンのスペックに関する説明がハード面とソフト面に別れてそれぞれ詳しく行われるのだ。ハード面では遠藤が、ソフト面では周人がその役目を与えられており、周人は朝からその資料の整理に没頭していた。そんな周人が携帯の充電が切れている事に気付いたのは会社に着いてからだった。会社にも充電器を置いている周人は無造作にそのまま携帯を差し込むと、電源を入れることなく説明会場へと向かった。会場は正面の門から一番奥に位置している3階建ての小さな建屋であり、1階は事務所、2階と3階が会議室というべきホールとなっていた。各会議室には正面の壁に大型モニターが設置されており、それ以外にも四十人が座れるテーブル毎に小型のモニターまで備え付けられている。建物の脇にある貨物運搬用の大型エレベーターから会議室内に運ばれた新型マシンも正面モニターの前にセッティングされている状態だ。9時半からの説明会に先がけて会議室へと向かう周人は資料を小脇に抱え、エレベーターを降りた。そのエレベーターホールのど真ん中にたたずんでいるのは会社という空間には似つかわしくない金髪の美少女である。確かに身なりはきちっとした白いスーツを着込んでいるのだが、その表情はどこか子供っぽい。エレベーターを降りた周人を見るやいなやすぐに小走りに擦り寄ってきたその金色の髪を軽くパーマでウェーブさせた美少女アリスは、片眉をあげて怪訝な顔をする周人の表情を見ても全く笑顔を崩すことはなかった。


「おはよう、シュート!」

「あぁ、おはよーさん・・・・で、何でここにいるんだ?」


その白いスーツ姿からしておおよその見当はついている周人だったが、あえて質問をぶつけてみた。


「決まってるじゃない!出資者の娘としてそのマシンの出来栄えを見るためよ!」


鼻を鳴らしてそれに応えた周人は離れようとしないアリスをともなって会議室を目指した。昨日までの雨が嘘のように晴れ渡った見事な空には秋を演出するいわし雲が浮かんでいる。緑もまばゆい芝生を横目に会議室のある建屋を目指す周人に会話はなかった。


「あれからユイとはうまくいってる?」


様々な話題をことごとく無視されているアリスだったが、ならばと無視できない話題を振ることにした。さすがにチラッとアリスを見やった周人だったが、すぐに視線を前へと向けた。


「おかげさんですれ違ってるよ。でも、オレはユイを信じてる」


嘘を言わずにはっきりとそう言ってのけた周人を見上げるアリスは由衣に対する激しい嫉妬心がフツフツと湧いてくるのを感じていた。


「なんでそう言いきれるの?」


ややふてくされたような言い方だったが、周人は前を向いたまま歩みを緩めることもしなかった。


「オレにはユイしかいないからだ。あの子でないと、オレはダメなんだ。だからオレは彼女を信じてる」

「彼女があなたを信じてなくても?」

「そうだ」


自信ありげに最後だけ日本語でそう答えた周人はムッとして立ち止まるアリスを無視してさっさと建物の中へと入っていった。1人残されたアリスは怒ったようなふてくされたような顔をしたまま周人の消えた方向を睨み付けるようにしているのだった。


最前列の真正面には社長である菅生とその秘書である美島優子が並んで座り、次いで各重役たちが横並びに十人が座っていた。その中にはエンジン開発を主流としているアメリカ支部の部長たるマイケル・ゴーゴンの姿もあった。そのマイケルと顔なじみであるアリスは各開発分野の責任者たちが座っている列、つまりはマイケルの座っている席のすぐ後ろの席に座っていた。誰もが知るクロスフォードインダストリー社の社長令嬢たるアリスの姿に皆驚きを隠せないでいたのだが、クロスフォード社がスポンサーとして出資しているのを知っているために不審がる者は誰もいなかった。やがて説明会が始まって順調に予定を消化していく中、遠藤がはきはきした言葉でハード面、とりわけエンジンとボディのバランスや空力の影響などをなるべくわかりやすく、かつ事細かく説明をしていった。その遠藤の見事な説明も三十分ほどで終わりを告げ、次にソフト面を説明すべくゆっくりした歩調で周人が壇上に立った。向かって右側に用意された教壇のような台座に資料を置き、一礼して軽く自己紹介を行うとさっきの遠藤同様事細かく、そしてわかりやすい言葉を選んでゆっくりとした口調で説明を始めていった。マシンの全てを統括するコンピューターやプログラムの説明はかなり難しいのだが、周人の説明はあまりこういった分野に詳しくない重役たちにもそれなりに理解できるほどだ。その見事な説明ぶりに菅生は口の端を緩め、微笑を浮かべるほどであった。かつて塾で小中学生の生徒たちを相手に面白おかしく、それでいてわかりやすいように授業を行っていた周人にとって、これはその延長でしかないのだ。レーシングマシンに興味もなく、全てがわけのわからない優子ですらある程度の理解ができたほどのその説明を静かに見やるアリスは、ますます周人に惚れ込んでいくのだった。


午前中の説明会を終えた周人はリフレッシュルームでくつろいでいた。昼休みまではあと三十分あるのだが、大役を終えて一服つきたかったのだ。タバコをふかしながら何気なしに天井を見上げる。アリスはマイケルと会食を行うべく遠藤をともなって既に工場を後にしていたせいもあって気楽にくつろげる周人の胸ポケットで会社の内線電話を兼ねたPHSが鳴り響いた。見慣れぬ番号が表示されたその電話に出た周人は、その相手が菅生だと知ってあわててタバコをもみ消した。用件は実に簡単なもので、さっきの建屋の2階にある休憩室に来てくれというものだった。電話を切った周人はやや早足でさっきの建屋に向かい、エレベーターを使わずに階段を駆け上がった。エレベーターの正面が会議室の入り口となっていたのだが、菅生が指定した休憩室は会議室の脇、エレベーターを降りて左手奥に位置していた。その休憩室のドアの前に立った周人は緩めていたネクタイを正すと、小気味のいいノック音を響かせた。中からの応答を待ってドアを開けた周人は、中の様子を見やってさっき自分が身なりを正した事を少々後悔していた。横長のソファに斜めになる格好で身を埋めるようにして座る菅生は靴すら脱いで完全にリラックスした状態でタバコを吸っていたのだ。また、その横に座る優子は周人を見るや立ち上がり、すぐに備え付けのお茶を用意してくれたのだが菅生のその様子をとがめることもしなかった。


「まぁ座ってくれ」


菅生は木製のテーブルを挟んでもう1つあるソファに座るようにうながし、周人は軽く頭を下げてそこに腰掛けた。ここでようやく菅生は身を起こし、まっすぐに座り直すとソファの上であぐらをかいた。


「実は昨日アリス嬢と会食してね。来日の目的が君に会うためと言ってたもんで、気になってしまったんだよ。あの子の事だ、君らを引っかき回してるんじゃないかってね」


周人は大きなため息をつくと困ったような顔をして見せた。その様子からだいたいの事情を察した菅生は苦笑気味に周人を見やると、やっぱりなとつぶやいた。


「まぁ、それだけならまだしも、もう1人邪魔者がいまして・・・おかげで彼女とは今音信不通です・・・」


そう前置きしてから、周人は事の顛末を大まかに説明して見せた。菅生と優子はその話を聞き、時々顔を見合わせるようにしながらも口を挟むことはしなかった。


「なるほどなぁ・・・・ここへきて一気に不満爆発かぁ・・・しかし、無理もないと言えばそこまでだな」

「でも、木戸さんもいけないんですよ」


優子は同じ女性として共感できるのか、珍しく積極的に話を切り出してきた。これまで幾度か開発部長である大神やライバルである遠藤を交えて会食をしたこともあったのだが、社長秘書である優子とはほとんど話をしなかった。今日ははっきりいってプライベートな話題なせいか、優子は身を乗り出すようにして積極的に話を始めた。


「彼女が何も言わないからって甘えてたんですよ・・・はっきり物を言う子だから言わない限りは大丈夫って。でもそれは木戸さんを気遣っての事だったんですよ?」

「いや、おっしゃる通りです・・・自分でも、そう思っています」


少々怒りを含んだ言い方にしょげた返事を返すしかない周人は、胸の奥にある由衣への罪悪感をズバリ指摘されて顔を伏せた。


「昔、似たような相談を友達からされたことがあったんです・・・その時は、その友達に対して冷静なアドバイスをしてあげることができたのに、いざ自分となるとコレですからね・・・情けない」


3年前、由衣を無意識的とはいえ気にし始めた頃、親友の戎純とその彼女である西原さとみの相談を受けた時の事を思い出しながらそう言う周人は弱々しい笑みを浮かべると疲れたようなため息をついた。


「一度ちゃんと話合ってみたらどうだ?待っているのではなく、自分から行かないと解決しないぞ?」

「きっと彼女も待ってますよ?」


2人にそう諭された周人はしっかりと顔を上げた。そして力強くうなずくと頭を下げた。


「ありがとうございます・・・オレ、逃げていた自分に気付いていながらも、知らないフリをしてたんです・・・でも、今日、会ってきます」


その言葉に2人は嬉しそうな顔をしてうなずき返した。周人はすっかり冷めてしまったお茶を飲むと、大きく息を吐いて気持ちを整えるような仕草を取った。


「アリス嬢の事はこの際無視しておけばいい。吾妻さんはそれに関しては君を信用しているんだからね。だが、アリス嬢もボディガード1人だけを連れてわざわざ君に会うためとはいえよく来日したものだ」

「やっぱそうだったんですか・・・でも、1度も見たことがないなぁ、そのボディガードは・・・」


大富豪の娘がたった1人で日本へなど来るわけがないとは思っていたのだが、先日も、そして今日もアリス1人であったため、もしかして1人で来日したのかと思っていたのだ。


「影から見守っているから自由にしろと言われたらしい・・・・相当腕に自信があるんだろう・・・なんでも、現役アメリカ海軍の大佐らしいからね」

「すごいわよねぇ・・・現役の軍人がボディガードなんて」


感心したような優子に相づちをうつ周人は、アリスが初めて姿を見せた夜に感じた視線のようなものの正体がわかったような気がしていた。あれは薄暗い角から気配を押し殺し、姿を見せることなく様子をうかがっていたそのボディガードの視線だったのだ。


「とにかく、仲直りしなさい。これで仕事に支障が出ても困るしね・・・」


周人は立ち上がるとそう言う菅生に深々と頭を下げた。社長と一介の従業員の枠を越えた菅生の気持ちに心から感謝したためである。優子にも同じように頭を下げた周人は今晩由衣と会う決意を胸に休憩室を後にしていった。


「優子、クリスマスパーティの招待状、1通増やしてくれるか?」


周人の出ていったドアを見つめながらそう言う菅生に笑みを見せた優子はテーブルの上に置いていた手帳を手に取り、そこに今言われた事柄を綺麗な字で記入していった。


「ついでにドレスの手配もしておきますので」


事務的にそう言う優子を見た菅生は驚いたような顔をしていたが、すぐにそれをほころばせる。


「すまんな」

「いえ、ただ・・・サイズがわからないので・・・どうしましょう?」

「サイズならわかるさ」


その言葉にムッとしたような怪訝な顔をしてみせる優子に対し、意味ありげな笑みを見せる菅生は脱いでいた靴を履くと上着の内ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。


「今日の予定は?」

「このあと昼食を取り、3時から本社で定例会議です」

「では昼食時に本屋に行くとしよう」


菅生の言っていることがまるで理解できない優子はますますわけがわからないといった顔をして見せた。そんな優子を無視するかのように天井を見上げながら柔らかい皮素材のソファに身を深く沈めた菅生は口の端の笑みを絶やすことをしなかった。


「木戸君には悪いが、前からファンだったんだよなぁ・・・・・」


煙を揺らしながらそうつぶやく菅生を見やる優子の顔は何の事かわからず、終始曇ったままであった。


昨夜周人に宛てて送ったメールの返事は今日の昼を回ってもいまだに返って来ない。午前の講義も常に携帯を気にしながらであり、もちろん午後からも同じである。それでも全く返事がないため、由衣は少々ヘコんでいた。一方的に周人が悪いと怒鳴り散らし、メールの返事を返すことも電話に出ることすらしなかった自分が悪いと言えば悪いのだが、こう丸1日なんの連絡もないと不安はどんどん大きくなっていった。心細い今、真琴に相談したかったのだが朝早くに今日は休むというメールが来たせいもあってそれも出来ないでいた。仕方なく気分転換とばかりに桜ノ宮まで繰り出した由衣はウィンドウショッピングをして回ったのだが、結局携帯電話ばかりが気になって何をどう見たのかすらわからないほどであった。再度電話をしてみるものの、やはり電源を切られてしまっている。ますます落ち込んでもう帰ろうとしたその時、後ろから声をかけられた由衣はその声に表情を曇らせながらそっちを振り返った。


「あら、やっぱりユイじゃない・・・こんな所で一人寂しく何してるの?」


白いスーツを来たアリスは自分より少し背の高い由衣を見上げるようにしてそう言った。今一番会いたくない人物に遭遇してしまった由衣はあからさまに嫌な顔をして見せたが、アリスはまったく気にしない様子で腕を組んだ。


「ちょっと買い物、でも今帰るところよ」

「そう?私はこれからディナーなの・・・シュートとね!」


その言葉にピクッと由衣の眉が吊り上がる。その表情を見たアリスは勝ち誇ったような笑みを浮かべてみせた。


「あっそ・・・・」

「信じてないわけ?」

「当たり前でしょ?あんたバカ?」


由衣はそう言うとアリスを睨み付けた。そんな由衣を睨み返すアリスは今朝周人に言われた『由衣を信じる』という言葉を思い出していた。


「じゃぁ信じてるんだ・・・私とシュートが何の関係でもないって」

「あんたとは何もないわね・・・・それだけは信じる事ができる」


由衣は素っ気なくそう言い放ちながらも決してアリスから目を逸らさなかった。それはアリスも同じであり、怒りに燃えた目を由衣に向けている。睨み合う日米の美女をたしなめる声がするまでの1分間、2人はずっと睨み合っていた。


「アリスさん、ここにいたんですか・・・・」


その言葉を聞いてもアリスは由衣から目を逸らさない。アリスの背後から声をかけてきたその人物に目をやった由衣は一瞬目を細めるようにすると大きくため息をついてみせた。


「エンドーか・・・・何?」

「マイケル氏はすでにお店の中におられます。急いでいただきたい」


英語での会話なために何を話しているかわからないという顔をする由衣を見上げながら、アリスはさっさと背中を向けると遠藤の脇をすり抜けて雑踏の中へ向かっていった。これでようやく嫌な顔を見なくてすむと思った由衣は小さな笑みを浮かべると自分をじっと見つめている遠藤から視線を逸らした。遠藤は顔を動かさずに由衣の姿を下から上へとねめつけるようにして見やった。デニムのワンピースにデニムの帽子をかぶった由衣は今まで遠藤が見た中で一番可愛く見えた。モデルのアルバイトをしているだけあってこういった服も完璧に着こなす由衣は通り過ぎる男性の視線をも釘付けにしていたが、本人は全く気付いていない。


「周人も・・・周人も今日は一緒に食事なの?」


体を斜めに動かしながらチラッと横目で遠藤を見やった由衣はもはや背中も見えなくなりつつあるアリスの方へと目をやった。


「いえ、彼はまだ仕事中ですよ。私は接待で動いているのみですからね」

「そう、やっぱりね・・・」

「では、これで、失礼しました」


どこか芝居がかった口調でそう言うと小さな笑みを見せた遠藤はアリスの後を追ってやや早足気味に雑踏の中へと消えていった。どっちもいけ好かない印象しかない由衣はその背中に向かってべーっとやると大股で駅に向かって歩き始めた。そんな由衣が少し行った所で今度は別の見慣れた人物に遭遇して足を止めた。


「三宅君じゃない?」

「あ、吾妻さん・・・・そうか、やっぱりそうだったんだ」

「また人の心を読んだ?」

「いえ、さっき見かけた時に似た人だなぁって思ったもんで」


相変わらずおどおどした様子でそう答えた光二だったが、由衣はクスッと笑うと意地悪過ぎたと謝った。


「あの、よかったら晩ご飯、一緒にどうですか?」


徐々に小さくなるその言葉を意外だと思いながらも思案する由衣は再度携帯を見やった。いつもの壁紙、周人の顔がそこにあるのみでメールの受信や着信を告げるような痕跡は全くなかった。


「いいよ」


あまりにあっさりしたその返答に誘った本人が困惑するほどであったが、とりあえず近くにあるファミレスへと向かった2人はそう待つことなく席へと案内された。髪をセンターで分けた少し小柄の光二に対し、姿勢もよく、容姿もいい由衣は男性客からの注目を浴びていたが全く気にしていない。逆に連れ立って歩いている光二が羨望のまなざしを受けてドギマギした程である。一番隅の窓際の席に案内された2人はとりあえずオーダーを済ませ、一息ついた。


「あのぉ・・・」

「何?」


緊張した様子の光二とは対照的におしぼりで手を拭く由衣はかなりリラックスした様子だった。光二は自分を見つめる由衣に照れてしまい、顔を赤く染めながらも次の言葉を何とか絞り出した。


「さっきの外人の子と何かあったんですか?」


光二にしてはやや大きめの声だった。アリスの事を思い出した由衣は肘をついてアゴを乗せると小さなため息をついてみせた。その憂いに満ちた表情すら色っぽく見えた光二はますます顔を赤らめ、胸の鼓動を早くしていった。


「あいつが来てから彼氏とちょっとあってねぇ~・・・・まぁ、私も悪いんだけど」

「そうなんですか・・・・」

「何か感じた?ムカツク私の心とかさ」


そう言われた光二は水を一口飲むとテーブルを見つめた。悪気があって言った言葉ではなかったのだが、光二にとっては嫌な事だったのかもしれないと反省した由衣は素直にゴメンと謝った。


「いいんです・・・でも、最近ちょっとこの力をコントロールするように努力してるから・・・だから何も感じませんでしたよ・・・」


面と向かってはっきりそう言った光二の表情に少し救われた気持ちになった由衣は笑顔を返してみせた。


「そうなんだ、しっかりコントロールできるといいね?」

「はい、頑張ります」


自分が『変異種』である事を知っている由衣を目の前にしているせいか、光二は塾で見せているものよりもいい表情をしていた。由衣ははっきりいってまだ光二を変異種として偏見を持った目で見ていたのだが、彼は危害がなさそうだと心から思い始めていた。夕食中もそんな光二の力についてちょくちょく質問を投げてみたのだが、光二は嫌な顔一つせずにそれに応じてくれた。逆に言えば、自分に対する偏見や恐怖心を拭い去るためにはその事をはっきり説明しておいたほうがいいと考えたのだ。そうこうしているうちに食事も終わり、光二は食後のコーヒーを飲みながらこの食事中言おうか言うまいか悩んでいた事を口にすることにした。


「あの・・・彼氏さんに連絡とらなくていいんですか?」


レモンティーをかき混ぜていた手が一瞬止まる。由衣は上目遣いに光二を見やるとスプーンをソーサーの上に置き、小さなため息をついた。


「その・・・心は読めないんですけど・・・携帯電話のイメージが頭の中に流れてきてしまったもんで」


光二のその言葉に苦笑を漏らした由衣はレモンティーを一口すすると鞄から携帯電話を取り出した。


「仲直りしたくてメールしたんだけど、返事がなくって・・・・そのせいかなぁ~」


やや目を伏せがちにそう言う由衣を不謹慎にも綺麗だと思ってしまう光二はどう言葉を返していいかわからずに湯気の立つコーヒーを眺めることしかできなかった。


「私も彼の心が見えたらなぁって思うよ」


どこか悲しい笑顔を見せたその瞬間、光二の頭の中に由衣の周人への溢れんばかりの想いが入り込んできた。由衣がどれだけ周人を好きでいるかをほんの一瞬で理解してしまった光二は複雑な表情を浮かべながらコーヒーを口にした。


「見えますよ・・・本当に心が繋がっていれば、きっと見えますよ」


光二は精一杯の笑顔でそう言った。由衣はその言葉と笑顔にありがとうと言葉を返すと、作り物ではない心からの笑顔を光二に向けた。光二は顔を真っ赤にしながらコーヒーを飲んで気持ちを落ち着けようとしたが、それを飲み干し、さらに水を飲み干してもその火照りと動悸は収まらなかった。


おごると言った光二を制し、割り勘で勘定を払った2人は店を出て目を丸くした。ファミレスのあるビルのすぐ目の前は大きな幹線道路となっていて、今、そこに違法駐車をしている車に対して警察が一斉検挙を行っているために人混みであふれかえっていたのだ。この幹線道路沿いにまっすぐ二百メートルほど行けば桜ノ宮駅中央口にたどり着くのだが、この人混みではかなりの時間がかかってしまう。やむなく2人は人混みのない裏路地を行くことにした。早足で狭い路地を行きながら怪しげなスナックなどの建ち並ぶやや広い通りへと出たその時、光二が何かに反応したように右側にある狭い路地の方へと視線を走らせた。どうかしたのかと思いながら同じ方向へ視線を走らせた由衣が目にしたものは、大柄な黒人男性に抱えられたアリスの姿であった。口には布が巻かれて声を出せないようにされている上に、両手は後ろ手にロープのような物で上半身ごとぐるぐる巻きにされてしまっていた。そのままの状態で通りの終わりに止められている黒い4WDの中へと放り投げられるようにされて押し込まれたアリスを確認した黒人は素早い動きで助手席に乗り込んだ。その黒人が乗り込んだ瞬間に車は猛スピードで走り始め、あっという間に見えなくなってしまった。


「誘拐!?」

「そうです!・・・・・・・・北?北へ向かえって言ってるみたいだ・・・」


目を閉じて意識を集中するようにした光二はそうつぶやく。どうやら意図的に黒人たちの思考を読んでいる様子なのだ。心臓が痛いほど早く鼓動し、息も荒くなっていく由衣は周囲を見渡すが遠藤の姿もない。もはや頼れるのは周人しかしない由衣はあわてて鞄から携帯電話を取り出すと周人のメモリーを呼び出してコールボタンを押した。


「お願い、出て!お願い!」


そんな由衣の願いもむなしく、どこか機械的な女性の声が不通であることを告げるのだった。

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