私の周人さま(7)
あの日の夜中から降り始めた雨は3日経つ今でも全く止む気配を見せなかった。由衣と衝突した日から降り出したこの雨は今の2人の心のように分厚い雨雲で青空を覆い尽くし、憂鬱な雨を降らし続けた。今日は日曜日であり、本来ならば2人でどこかへ出かけているはずだったのだが、今でも隣に居座る紫織や、ひっきりなしに電話をかけてくるアリスにややノイローゼ気味の周人は出歩く気力もなくただベッドに寝転がって虚ろな目をしながら天井を見つめているのみである。だからといってこの真っ昼間から眠ることも出来ないため、もっぱらゴロゴロとしているのみであった。あれから幾度か由衣に対してメールをしてみたのだが、結局返事が返ってくることはなかった。会うこともどこか気まずいと思ってしまう周人はアリスや紫織をどうすればいいかを考えるのだが、全く自分勝手な言い分しか言わない2人にほとほと困り果てていた。お嬢様としてわがままに育てられたせいなのかはわからないが、とにかく自分中心で物事を進めていこうとする2人は周人の意見などに全く聞く耳を持たないでいる。この3日間、周人的に辛抱強く説得を続けたのだが全くの無駄に終わってしまっていた。怒っても同じであり、もはや無視を決め込む以外に方法はないのだが、このままでは平行線をたどり続けてしまうだけであろう。こういった経験をするのは初めてな上に女性とまともに付き合ったりした経験も浅い周人にとって、実際どうしていいのかがわからなかった。
同じ頃、由衣は真琴の家の前にたたずんでいた。
たたでさえ気が滅入っている上にこの雨でさらに気分が憂鬱な由衣はベッドの上に寝転がって部屋の片隅に置かれている大きなクルーピーのぬいぐるみをただぼうっと見つめていた。かつて周人が取ってくれたその思い出のぬいぐるみの横には、これまた思い出深い人気のキャラクターのぬいぐるみも並んで鎮座していた。周人を忘れられずにずっと恋愛できなかった自分がただ1人だけ高校時代に自然に遊びに行くことができた男性、その高校の先輩である男性と一緒に行ったゲームセンターで取ってくれたそのぬいぐるみは由衣にとって自分がどれほど周人を好きでいるかを再確認させてくれたものであった。それらのぬいぐるみを見やる由衣は大きなため息をつくとごろんと転がり、天井を見上げる格好となった。紫織とアリスの乱入によってこじれた関係は何も周人ばかりが悪いわけでもない。彼ははっきりと2人に由衣の存在を認めさせようとした。だが、付き合って3ヶ月、仕事に追われて忙しい周人とろくに会えない日々を過ごしていたという不満がアリスと紫織の自分勝手な言い分に拍車をかけ、ついには周人につらく当たってしまったと自分でも理解しているのだが、もはや謝るタイミングすら逃してしまっているためにメールも電話もできない状態となっていた。いや、謝る事は簡単なのだ。周人が悪いわけではなく、アリスと紫織に対して腹が立つという事を認識している由衣はただそのきっかけを失ってしまっているにすぎないのだ。誰かと付き合う事も、こういったやきもきした気持ちを持つことも初めてな由衣にとって自分がどうすればいいのかもわからないため、こうやって毎日悶々とした気持ちで過ごしている自分自身にも嫌悪感を抱くようになっていた。チラッと左側に顔を向け、そちら側にある窓へと目をやる。相変わらず降りしきる雨を見て鼻でため息をつくと、今度はその下にある自分の机の上に目をやった。そこには山積みとなった雑誌が雑然と置かれ、もはや机としての機能を完全に失っているその状態からも自分の不安定な精神状態がうかがい知れる。今の惨状からは想像も出来ないのだが、いつもはきちんと整理されており、種類ごとに分けられた雑誌が本棚へと収納されているのだ。そんな机の上に積まれた雑誌のその一番上に置かれたつい1ヶ月前に買い換えた新しいスマートフォンが軽快なメロディーを流し始めた。一瞬周人からかと思ったのだが、周人用にセットされた着信メロディではなく、それは真琴からの着信を告げるメロディーであった。しかもそれはメールの着信音ではなく、電話の着信を告げるメロディーであったためにあわてて身を起こした由衣はひったくるようにしてスマホをつかみ取る。勢い余ったその拍子に積んでいた雑誌が崩れ落ちてしまったのだが、そんなことなどおかまいなしに着信ボタンを押して耳に当てた。その視線は崩れてピンクのカーペットの上に散乱してしまった雑誌を見つめている。
「もしもし?」
『やっほー!今デート中かなぁ?』
「え?ううん・・・今日は家にいるよ」
由衣は周人との事を誰にも言えずにいた。そのため、塾でも学校でもいつも通りに過ごし、過度に明るく振る舞う事も暗い顔をすることもなく生活をしていたために真琴や恵も今周人と絶縁状態にあることを知らなかった。『変異種』であり、他人の心を覗くことが出来る光二とはシフトが合わないために顔を合わせる事がないので、幸いと言うべきか今現在は誰にも気付かれていないということになる。昨日真琴に週末の予定を聞かれた時も周人の仕事の都合で家にいるだろうと答えていたのだ。そのせいで真琴が電話をかけてきたのだと思った由衣はここでもごく普通に会話をこなすようにした。
「どうしたの?」
『暇してる?暇してるなら私も暇なんで、ウチへ来ないかなぁって思ってさ』
「いいよ、暇だし。じゃぁ今から出るけど、いい?」
『いい!待ってるからね』
真琴の最後の言葉に返事をした由衣は電話を切ると落ちた雑誌をかき集めて無造作に机の上に置いた。バランスが悪そうに置かれた雑誌を無視して部屋着を脱ぎ始めた由衣は適当な服に着替えると財布や携帯といった必需品だけを持ってやや急な階段を勢いよく駆け下りた。そのまま簡単に髪を整え、申し訳程度の化粧を施す。とはいえ、普段からほとんど化粧らしい化粧をしない由衣にしてみればお気に入りのやや濃いめのピンク色したルージュを引くだけで完了である。雨のせいもあって車で出かけようかと考えたのだが雨天の走行はまだまだ初心者中の初心者である由衣にはなかなか厳しい。仕方なく安売りで買った赤い傘を手に取ると玄関を出てバス停へと向かう由衣はすでにバスの到着時間も確認済みである。やや早足でバス停に着いたその時、角を曲がってすぐさまバスがやって来た。それに乗り込んで電車の駅に向かう由衣は窓から見える雨の景色をぼんやりと見つめるのだった。
由衣の家から真琴の家までは町1つを越えるため、バスと電車を乗り継いで約1時間程度かかる距離にあった。真琴は大学に通うために毎日1時間30分の通学時間を要しているのだ。家自体は最寄りの駅である東雲東駅からさほど遠くない位置にあるため、1度行けばすぐにわかる大きな白いマンション前にたたずむ由衣は真琴の家がある4階を見上げてから入り口であるホールへと向かった。小窓に薄いベージュがかったカーテンが敷かれた管理人室の脇をすり抜けて入った高級感溢れるエントランスには明るいライトや観葉植物が置かれており、それは来た者を歓迎し、また戻ってきた者には安堵感を与えているように思えた。すでに1階に止まっていたエレベーターに乗り込むと4階を目指す。そしてエレベーターを降りてすぐ左のドアの向こうが真琴の家となっていた。ドアの右上に掲げられた『401宮本』と書かれたプレートを確認した由衣は、やや緊張した面もちながら黒いインターホンの中に浮かび上がるようにしてある白いボタンを押した。『ピンポーン』という独特の音を2度響かせた後、鍵が外される音がしてドアが開く。中から顔を覗かせた真琴は由衣を見てにんまり笑うとすぐに中へ入るよううながした。濡れた傘を傘立てに置き、靴を脱いで上がる由衣はここへ来るのは2度目とあってか少し落ち着いた様子になっていた。
「遠慮しなくていいよ、母さんいないしさ」
玄関の鍵を閉めてリビングへ案内しながらそう言う真琴はすでに用意してあった紅茶を入れててきぱきとお茶の準備を進めていった。リビングのすぐ脇にある和室へ続くふすまは閉じられており、この他には玄関からリビングへ向かう長い廊下の途中にある真琴の部屋と母親の部屋しかなかったのだが、各部屋がそれなりの広さを持っているために狭くは感じなかった。
「おばさん、今日は仕事?」
リビングにある黄色いソファに腰掛ける由衣はお茶を運んできた真琴にそうたずねたが、真琴は苦笑しながら肩をすくめる仕草をして返事を返した。
「あんたの彼氏じゃあるまいし。デートよ、デート!最近彼氏ができたみたいでさ・・・休みはたいがい家にはいないよ」
由衣が腰掛けている黄色いソファ目の前にあるガラスで出来た透明なテーブルに紅茶とケーキを並べる真琴の言葉に少なからず驚いた由衣は、それを手伝いながらもチラチラと真琴の顔を見やった。真琴の母親は二十歳の若さで真琴を産んでおり、今はまだ三十九歳の若さである。父親は真琴が5歳の時に病死しており、女手一つで今日まで真琴を育ててきたのだ。
「まぁ別に彼氏が出来ようがいいんだけどねぇ~」
「再婚はイヤなわけ?」
どこか含みのある言い方に対してそうつっこんだ由衣の言葉に真琴はとぼけた顔をしてみせた。
「まぁ、イヤじゃないけどね・・・私にとって父親ってのは1人だけだから複雑なだけ。再婚したいって言うなら喜んでOKするし」
真琴も由衣と同じで一人っ子である。幼くして父親を亡くした真琴にとって家族と呼べるのは母親のみ、これで再婚ともなって新しく家族ができることには少なからず抵抗があるのだ。かといって反対するべき事でもないため、とりあえず今は静観していると話した真琴は昨日母親が買ってきてくれていたケーキをつっついた。
「娘より先に恋する母親ってのも複雑だしね」
笑いながらそう言う真琴に笑みを返した由衣も美味しそうにケーキを頬張った。2つともシンプルなショートケーキであったが味は良く、2人は真琴の母親の話をしながらそれらを綺麗に平らげていった。
「正直、私も彼氏ほしいけど・・・・恋愛っていろいろややこしいからさ、それ考えると、ちょっとねぇ」
その真琴の発言に苦笑いするしかない由衣は、その『ややこしい』事になっている今の現状を思い浮かべて一瞬だけだが暗い表情を浮かべた。そのほんの一瞬の表情を見ていた真琴は即座に由衣の状況を察知した。小さい頃からこういった人の心の微妙な変化を見抜く力に秀でていた真琴は勘が鋭く、洞察力にもすぐれていた。中学、高校とバスケットボール部でエースとして頑張ってこれたのもその力を存分に発揮したためと言いきれるほどである。とにかく、その洞察力をもって由衣の心にある暗い部分を即座に見破った真琴は残った紅茶を全て飲み干してから由衣に向かって優しく話を始めた。
「どうやらあんたも『ややこしいこと』になってそうだけど、話してみなよ」
思いもよらないその言葉に対し、明らかに驚いた顔をしてみせる由衣は一瞬とぼけてみせようかと思ったのだが、このまま心の中で悶々とした気持ちを持ち続けるのならばいっそのこと全てを真琴に話してアドバイスをもらおうと考えた。はっきり物を言う性格の真琴ならば多少手厳しい意見をくれるかもしれないが的確なアドバイスがもらえそうな気がしたのだ。まだ2人は出会って半年ほどしか経っていないのだが、真琴とは気が合う由衣はすぐに友達になり、今では何でも話せる大親友にまで発展していた。中学時代や高校時代にもここまで仲の良かった友達は1人か2人しかいなかった。幼なじみで中学の同級生だった小川美佐とはかつてこういった関係だったのだが、彼女が高校二年生の時に彼氏ができてからは少し疎遠になり始めてしまい、今では少し遠くの大学に通っているせいもあってほとんど連絡もなくなっていた。また、高校時代の親友も違う大学に通っているせいもあってか、なかなか連絡を取り合う事は少なくなっていたのだ。
「彼氏と何かあったんでしょ?勘違いお嬢様の事もあるしさ・・・話してみなって」
さっきと変わらぬ優しい口調でそう言う真琴は真剣な目をしていた。
「そうね・・・・ちょっと相談に乗ってくれるかなぁ?」
そう言う由衣はややうつむきがちだが目はしっかりと真琴の瞳に向けられていた。真琴は笑顔でうなずくとあぐらをかいて由衣の言葉を待った。由衣は座っていたソファから降りるとガラスのテーブルを挟んで真琴と対面になるよう絨毯の上に座り直す。
「実は、常盤以外にアメリカからも彼を追ってお嬢様がやってきたの・・・」
その言葉を聞いて口の端を歪め、なんともいえない困った表情をした真琴はテーブルの上に手を置いてやや身を乗り出すような格好を取った。由衣はそんな真琴をしっかり見ながらこれまでの事の顛末をなるべく事細かく話し始めるのだった。
一通りの話を聞き終えた真琴は頭の中で整理をしながら紅茶のおかわりを入れていた。全てを話し終えた由衣は話をしたことによるせいか、少しすっきりした表情をしながらキッチンに立つ真琴の方を見ていた。ソファの前にあるガラステーブルの向こう側に置かれている大きなテレビボードにはこれまた大きなテレビがはめこまれるようにして置かれている。その上には綺麗に整理されたグラスなどが置かれて清潔感を表現していた。紅茶を入れて戻ってきた真琴は1つを由衣の前に置き、もう1つをその対面に置くと元いた場所に座り直して再びあぐらをかいた。
「まぁ話を聞く限りどっちもどっちだね」
湯気が立つ入れたての紅茶が熱くないのか、真琴は平然とした顔でそれを一口飲んでみせる。
「素直に寂しいと言わなかったあんたも悪いし、仕事優先にしすぎた彼氏も悪いと思うよ。でも、紫織やその外人の事に関してはあんたが悪いと思うな」
そう言った後、再度紅茶を口にする真琴は上目遣いに由衣を見やった。そう言われた由衣は表情を曇らせたままじっと真琴の顔を見るばかりである。それは今の真琴の言葉に不満があるからではなく、自分自身もそう思っていた事をズバッと言い切られたためである。
「なんでかって言うと、彼氏はその2人に対してはっきり興味がないと言い切った。でもあんたは会えなかった不満をそこに上乗せしてキレたわけでしょ?問題はそこだと思うのよ」
「わかってる・・・本当なら自信を持つべきだって・・・乱入されても自分が周人の彼女だって自信があればムカつくけど彼に怒ることじゃないってね。でも自信がなかった。彼が浮気するような人じゃないってわかってるのに、自分に自信がなくって・・・・」
うつむく由衣を見ながら小さな笑みを見せた真琴は素直に自分の非を認めた由衣を由衣らしいと思ったのだ。
「彼氏に対してきっぱりと『会えないと寂しい』、『仕事と私とどっちが大事なの?』って言えばよかったわけだ・・・でもあんたはいい子でいようとそれをしなかった。私並みにはっきり物を言うあんたにしたら、らしくなかったね?」
真琴のその指摘に素直にうなずいた由衣は顔を上げた。
「しっかり言いたいことを言わないとまた同じ事になるし、別れ話にもなりかねないよ?」
恋愛に関しては真琴の方が先輩である。高校時代に2人と付き合ったことがある真琴と、今になってようやく彼氏ができた由衣との経験の差がこの発言に結びつき、そのため由衣はそれを素直に受け止めることができるのだ。
「彼氏とよく話しする・・・謝って、それでその2人の事を話ししようと思う」
「そうしな。でもこれからは自分の気持ちをはっきり言うんだよ?嫌なことは嫌だって・・・あの彼氏ならそれをしっかり受け止めてくれるよ」
「うん・・・・ありがと」
由衣ははにかんだように笑うと紅茶をすすった。真琴も笑顔で返事をすると同じようにコップを口に持っていく。
「真琴にはいっつも相談に乗ってもらってるね・・・いつか彼氏が出来たら、そん時は相談に乗るからね?」
「いつになることやら・・・」
頬を掻きながらそうつぶやくように言う真琴に笑顔を浮かべる由衣は心から真琴に礼を言った。いつも通学の行き帰りでよく会っていた2人が初めて会話を交わしたのは講義でたまたま隣同士の席になってからだった。教授の言っていることがイマイチ理解できない真琴が由衣にそれをたずねたのがきっかけだった。結局由衣も教授の言っていることが理解不明だったため、2人で悪態をついたのが始まりであり、お互いにはっきり物を言う性格が合っていたのもある。いつしか2人でお茶をするようになってからはいろいろな相談事も話し合うようになっていた。とりわけ多数の男子学生から注目され、告白されながらもその全てを断り続けた由衣を一番身近で見ていた真琴は何故全てを無碍に断っているのか気になって聞いてみたところ、ずっと前から好きな人がいるとの返事をもらったのだ。一方真琴も整った可愛らしい顔をしているのだが、持っている雰囲気が刺々しいせいか、ほとんどお声がかかることもなかったのだ。そんな頃から由衣の心の恋人についての相談を受けていた真琴にとって、3ヶ月前にその彼と付き合い始めたと聞かされたときは心から祝福し、喜んだのだった。だからこそ、今回の話を聞いてなんとかしたい、いいアドバイスをしたいと考えてはっきりと由衣の悪さを指摘したのだ。今まで由衣は真琴の言葉に対し、怒ることをせずに素直に聞いてきた。それはいつも真琴が由衣の心にくすぶっている何かをズバッと言い当てるせいもあったのだが、何より自分をこの短い期間で一番理解してくれている真琴の言葉は由衣の心の底にある考えと一致していたためでもあった。似ている2人だからこそわかりあえると思っていた。今回、この話をしてあらためて真琴のはっきりした性格に感謝の気持ちを持った由衣は周人と仲直りする決心を固めた。そしていつか真琴に彼氏が出来た時には心から祝福し、困ったことがあれば何でも相談に乗り、的確なアドバイスができるよう成長したいという決意も同時に固めるのだった。
「うん、うん・・・・わかった・・・・・・じゃぁ、適当にするから。うん・・・・じゃぁね、楽しんできなよ」
外の雨が小降りになり始めたのは夕方になってからだった。テレビの天気予報では明日から1週間はようやく晴れの日が続くとの事であり、由衣はこの天気の回復と共に周人との仲も回復させようと思いながらその天気予報を見ていた。電話を置いた真琴は小さなため息をつくとソファに腰掛けた。相手は母親からであり、どうやら帰りが遅くなるから夕食をとっておくようにとの事だったらしい。ここ最近母親がデートに出かければ夕食がない生活を送っていた真琴にとって、それは別段気にするようなことではない。それならばと由衣は真琴を食事に誘った。時刻は午後6時になろうとしている。1人で夕食を取るのも寂しいと考えた真琴はそれをOKし、駅前にある美味しい洋食屋さんへと向かった。真琴がよく行くそのお店は別におしゃれな雰囲気をもっているわけではないのだが味が良いため人気があり、元々喫茶店だった小さな店を改装しているため混み合えば行列が出来るほどであった。マンションを出た時にはすでに雨は上がっていたのだが、念のために真琴は傘を持って出てきた。由衣は夕食後そのまま帰宅するために傘は持ってきている。結局傘をさすことなく店に到着した2人は運良く席にも恵まれ、店で一番美味しいと評判のエビフライ定食をオーダーした。
「今晩、電話しなよ、彼氏にね」
「そうするつもり・・・こういうのは早い方がいいからね」
濃いウッドブラウンのテーブルにオレンジ色した椅子はどこかレトロな感じを出していたが、明るめの照明やテーブルの隅に置かれたランタンの形をした小さなライトが少々しゃれた演出を行っていた。
「お母さんの相手って、どんな人か知らないの?」
おしぼりで手を拭きながらそうたずねる由衣の言葉に、真琴はちょっと唇を尖らせてテーブルの上に置かれた水の入ったコップを見つめた。
「普通のサラリーマン・・・って事ぐらいしか知らない・・・あれこれ聞くのも嫌だしね。まぁ再婚ともなればはっきり紹介されるだろうし、今は静観してるって感じだから」
無表情のままそう答える真琴の複雑な胸中を察した由衣はその事についてそれ以上何も言わなかった。
「そういや、由衣は彼氏の両親には会ったの?」
唐突にそう言われた由衣はびっくりした顔を見せた後、首を大きく横に振った。
「だって本人ともろくに会えないのに・・・でも、紹介したいって言われてるから、近いうちかもね」
「そっか・・・彼に兄弟とかいないの?」
水を口にしながらそうたずねる真琴に対し、今度は首を縦に振った。
「一人っ子同士か・・・その方がいいかもね」
1人しかいないアルバイトのウェイトレスが料理を運んできたため、この話題もここまでとなった。だが頭の中で繰り返される真琴の言葉、周人の両親と会う時というのはどんな気持ちなんだろうと想像する由衣はまだまだ先の話であるにもかかわらず胸の鼓動を早めていくのだった。周人のあの強さからしてそれを教え込んだ父親も相当強いと思われる。着物を着た強面の父親が自分を品定めするように見ながら眉間にしわを寄せている姿を想像してしまった由衣は唾を飲み込んでその想像を吹き飛ばすようにしてから料理を味わう事に専念したのだった。




