私の周人さま(4)
火曜日はアルバイトもないため、午前の講義を終えればそれで終了だった由衣はレポートの提出をするべく親友の宮本真琴をともなって教壇の前にいた。ちょうどその頃、正門からやや外れた位置に車を止めた周人は一旦エンジンを切ると携帯電話を取り出して由衣へと今いる場所を告げるメールを飛ばした。その後シートを少し倒して窓の外の景色、綺麗に晴れ渡った秋空を見やった。秋独特の魚の鱗の形をした雲が少々あるのみで、気候もすこぶる良く、気温もそこそこ暖かかった。久々の日本の秋はどこか懐かしく、忙しく世界各地を飛び回っていた周人にとってそれは新鮮でもあった。正門を出入りする何人かが離れた場所に止まっているジェネシックに目を留めて興味深げな視線と会話をおこなっていたが、周人の耳には届かない。だが不意に空を覆い隠すかなりきつめの化粧をした女性の顔が窓の向こうから中でくつろぐ周人を覗き込んできた。目を見開いて驚く周人を無視してまじまじと車の中を見ているその女性は周人の顔を見てにっこりと微笑んだ。引きつった笑顔を返す周人はそこに居づらくなり、ドアを開いて外へと出るしかない。女性は車から降り立った周人の足の先から頭のてっぺんまでを見上げるようにしてみせると、少し顔を赤らめてにこやかに微笑んだ。
「この車、カムイの?」
「えぇ、新型モデルのプロトタイプです」
「なかなかやるわね、カムイも・・・・」
そう言うとそっとボンネットに指を這わせた。いつも綺麗にしてある白い車体にはほとんど汚れは付いていない。ここ最近は雨が少ないせいもあるのだが、今日は出かける前に少し拭いてきていたのだ。
「ということは・・・・カムイの方でしたの・・・そう」
女性はそう言いながらまじまじと周人を見やると、おもむろに手を握ってきた。あまりの突然さに呆気に取られる周人はこの女性の顔や姿を見るしかできない。金色に近い茶髪はパーマをかけており、胸元の辺りで内側へくるっと巻かれている。マスカラで大きく開かれた目や、化粧たっぷりの顔は今人気のカリスマアーティストに酷似したメイクとなっていた。服装も、はっきりいって奇抜ともいえるお嬢様ファッションであり、由衣がモデルをしている雑誌にも載っていないような格好をしていた。明らかに周人の好みではないその女性は手を握りしめたまま、まるで周人の瞳に入り込むかのようにジッと視線を送り続けている。何度か手を振りほどこうとしたが、その度にギュッと握り返してきた。引きつった笑顔のまま手を離すようにうながすが、全く聞き耳を持たないこの女性は小さな笑みを浮かべると思わぬ言葉を口にした。
「私は常磐紫織。トキワ重工の娘よ。今すぐカムイを辞めてトキワ重工にいらっしゃい。私があなたの彼女になってお父様に口を聞いてあげるから」
いきなりそうわけのわからない言葉を発する紫織にさすがの周人もあきれた顔をしてみせる。強引に手を振りほどくと腕を組み、やや睨むような目で紫織を見やった。
「言ってる意味がわかんねぇから、とっとと消えてくれ」
少し凄みを利かせてそう言ったのだが、紫織は全くそれを気にすることなく笑みを消そうともしなかった。やれやれとため息をついた周人は正門からやってくる由衣に目を留めて大きく手を挙げてみせた。その行動を見ていた紫織はそこに何があるのかと振り返り、由衣と真琴に目を留めてややげんなりした表情を浮かべるのだった。由衣と真琴もまた同じように紫織を見て明らかに嫌な顔をしてみせる。その紫織の後ろにいる周人は疲れた表情をしながらも助かったという心境を顔で表現した。
「あら、吾妻さんのお知り合いでしたの?」
「彼氏よ」
腕組みしながら素っ気なくそう答える由衣の態度からしてこの紫織と仲が良くない事が目に見えてわかった周人は由衣の隣で同じようなしかめっ面をしている女性に目をやった。黒が多めの茶色い髪はボーイッシュなほど短く、二重でぱっちりの目も大きかった。背も由衣と同じくらいであり、すらっとしているためにモデルのバイト仲間であると思えた。彼女が醸し出す雰囲気はそのボーイッシュなスタイルとマッチしており、その美人さを強調しているようにも思えた。
「あら、吾妻さんの彼氏でしたの?じゃぁそれも辞めていただくとするわ」
平然とそう言ってのけるその言葉を聞いて、もはやあきれるしかない周人は紫織を無視して由衣の前に立つと疲れたような笑みを浮かべた。そんな周人を見上げる由衣の表情は少々ふてくされたものになっていたが、いつもされるように頭に手をポンと置かれると幾分かはイラついた気持ちが落ち着いていった。
「で、こちらは?」
落ち着いた口調でそう言われた真琴はにこやかな笑顔を見せて自己紹介を始める。
「私、宮本真琴です。由衣の友達やらせてもらってます!噂はいろいろ聞いてますよ・・・木戸周人さん、ですよね?」
明るい雰囲気に合った明るい口調で軽やかにそう話す真琴に好感を得た周人は嬉しそうな笑みを見せた。そんな周人に一瞬ドキッとさせられてしまった真琴は由衣が羨ましいと思い、そっちへと視線を走らせた。
「そうです、木戸です、由衣共々よろしく」
「こちらこそ。じゃぁ由衣、行きなよ」
唐突にそう切り出された由衣は少々困った顔を見せる。そんな由衣の耳元に何かささやきながら真琴はジッとこちらを見ている紫織を睨んだ。
「ウザイヤツの相手はしといてあげるから・・・・彼氏にちょっかい出されてイヤでしょ?」
その言葉に由衣は小さくありがとうと礼を言い、そそくさと車の助手席の方へと向かった。それを見た周人は真琴に笑みを見せながら軽く頭を下げると、自分をすがるような目で見ている紫織を無視して運転席へと向かった。横を通り過ぎようとした周人の腕を掴む紫織は、明らかに不機嫌だという顔をして周人を見上げた。
「トキワのお嬢さまがこれじゃぁ、会社のお先は真っ暗だな」
周人はそう吐き捨てるように言うと掴んでいる手をゆっくりと引き剥がした。だがその鋭い視線を受けながらもなお動じない紫織の性格がいかがなものか、周人はあきれながらシートに滑り込むとすぐにエンジンをかけてその場から立ち去った。残された真琴は微笑みを残したままその白い車が見えなくなるまで手を振り続け、逆に紫織は腕組みしたままそんな真琴と車とを交互に見やった。
「木戸周人様かぁ~・・・・・ようやく私にふさわしい人が現れたみたいね」
人差し指を口に当てて薄く微笑みながら平然とそう言ってのける紫織に対し、もはやあきれきってしまった真琴は腰に手をやってこれみよがしに大きなため息をついてみせた。彼女の人の彼氏を欲しがる性格は有名だ。独占欲が強いのか、それともそういう趣味なのか。
「バカは死ななきゃ治らないって言うけど、あんたのアホさ加減は死んでも治らないわね」
その言葉を耳にしながらくるりとスカートをひるがえして真琴の方を向いた紫織はアゴを上げながらまるで見下すようにした態度で軽蔑するような視線を送った。
「彼は由衣の彼氏なの・・・・あんたには坂下がいるでしょ?」
「彼とは別れました」
「あっそ。でも彼を振り向かせる事は無理ね」
腕組みした真琴は小馬鹿にしたような笑みを見せて紫織を睨み返した。
「何故かしら?私の方がいいに決まってるのに?」
口元に手をやりながら目を細めてそう言う紫織に、もはや会話をしている事すらバカらしくなってきた真琴はさっさと紫織に背を向けるとやや大股に歩き出した。そしてそのまま5メートルほど進むと勢いよく紫織の方を振り返った。
「バァカ!」
思いっきり舌を出してあっかんべーをした真琴はそのまま振り返る事無くバス停に向かって歩いていった。そんな真琴に侮蔑のまなざしを向けていた紫織だったが、頭の中は周人のことで一杯だった。そして携帯電話を取り出すと、迎えをよこすように連絡を入れるのだった。
天気が良かったその日は町をブラブラせずに近隣にある植物園に行った2人は久しぶりののんびりした時間を過ごした。前回は2週間ぶりということもあってか映画やショッピングなど予定を目白押しにしていたのだが、今日はどちらかといえばのんびりブラブラとしながら会話を弾ませていた。こういう時間も大切だと思う由衣にとってはありがたく、ろくに会えないことで寂しい想いをさせていたのではないかと思う周人にしてみれば日曜日と火曜日のこの連続デートは自分に対する気休めにもなっていた。夕飯は久々に周人の家で由衣が作ることになり、今日は2人だけの世界に入りきりたいという由衣の願いを叶えるために周人もそれを承諾した。ここのところろくに家に帰れていない上に簡単なコンビニ弁当や外食の多かった周人にしてみれば温かい手料理はすごくありがたかった。何より周人のためにとここ最近は母親の手伝いや康男の妻である好恵のアドバイスもあってめきめきと料理の腕をあげていた由衣にとっては格好の披露の場ともなる。それを存分に振るうためにも一旦車を置いて周人の自宅マンション近くのスーパーで買い物を済ませた2人は仲むつまじくマンションへと向かった。周人のマンションは以前のようなワンルームではない。今回借りているのは2DKのマンションであり、1人暮らしをしている周人にとっては少し広めのスペースとなっていた。洗面所と風呂場も別にあり、フローリングのリビング、そして和室が隣接された部屋割りは由衣も気に入っていた。リビングは大きめのテレビやパソコン、本棚によって占領されていたが相変わらず綺麗に整理されており、由衣が片づけをしてあげるまでもなかった。家に帰ってもご飯を食べて風呂に入り、そして寝るだけとなっているこの家で唯一くつろげる週末すらここ最近はずっと出勤していたため由衣が料理を作っている間にくつろぐ周人はリビングに座ってテレビを見るなどといった今の状態がひどく久しぶりのような気がしていた。手伝うと言った周人を強引にリビングに追いやり、1人黙々と料理を続ける由衣の背中を見ながら今の幸せを噛みしめる周人は大の字に寝そべり、天井を見上げるのだった。
由衣が用意した料理は唐揚げ、だし巻き、サラダ、みそ汁といったシンプルな物であった。高校卒業間近になって料理を覚え始めた由衣にとって胸を張って出せる得意料理はこれぐらいしかない。それでも味は周人には合っているようで、美味しそうに唐揚げを平らげていった。だが、一向にだし巻きには手を出さない周人に疑問を感じた由衣がその事を聞いてみると、なんと周人は卵の黄身が苦手と言うのだ。ここで始めて知った周人の苦手な食べ物に、由衣は作る前に苦手な物を聞くのを忘れていた事を後悔した。だが、周人はそう言いながらもだし巻きをつまむと無造作に口に入れたのだ。驚く由衣を無視して何の抵抗もなく次々とそれらをついばんでいった。
「い、いいよ、無理しなくても・・・・アレルギーとかじゃないの?」
あわてる由衣に対し、落ち着きはらった周人はチラリと由衣を見やると一瞬苦々しい顔を浮かべて見せた。その顔を見て胸が苦しくなっていく由衣だったが、次の瞬間周人はケロッとした顔でお茶を飲んだ。
「嘘だよ!まぁ、黄身の味がどうも苦手なんだけど、これは『だし』がいいから気にならないや」
うって変わって笑顔でそう答えると、周人は唐揚げを頬張った。由衣にはそれが強がりなのか、はたまた本心なのかはわからなかったがそれでも残さずにちゃんと全部食べてくれた事に幸せを感じていた。やっぱり周人は優しいと心から思えた。だが、そんな幸せな気分はこの後、意外な形で壊されていく事になるのだった。
周人の手伝いもあって早々と洗い物を片づけた由衣はリビングでくつろぐ周人の横に座っていた。バラエティ番組が映し出されているテレビからはお笑い芸人やタレントの笑い声が流れている。前回、由衣が初めてこの部屋にやって来た時は周人は休日出勤した後であり、ただ単に夕食を作りに来ただけであったため、こうしたくつろいだ時間を共にすることはなかったのだ。そのためか、やや緊張気味の由衣はテレビに見入っている周人とは対照的にどこか落ちつきなくそわそわした様子を見せていた。さすがにそんな由衣に気付いた周人は不思議そうな顔をしてみせた。
「どうした?」
「え?あ~・・・・・別に・・・」
歯切れの悪い返事に疑問を隠せない周人だったが、そんな由衣に苦笑を漏らすとそっと肩を抱き寄せようとした。だがその瞬間、自宅の電話が鳴り響いたため思わず出していた手を引っ込め、鼻でため息をつくと立ち上がり、受話器を手にした。そんな周人を見上げる由衣は会社からの呼び出し電話かと少々不安になってしまった。まだ数回しかしていないデートの最中でも時たま会社から携帯に電話がかかってきた事もあったのだ。だが、見ている限りそんな様子ではなく、明らかに困ったような、怒ったような、そんな表情をしている。
「で、何?」
口調も素っ気なく、それは普段由衣と話している時とは全く違っていた。相手が誰かはわからないが、周人が電話を切りたがっているのがよくわかる。
「悪いが切るから、じゃぁな」
そう言うと返事も聞かずに一方的に電話を切ってしまった周人は大きなため息をつくと子機を置き、そのまま留守電に切り替えた。そんな周人をきょとんとした顔で見上げた由衣は小首を傾げて相手が誰なのかを無言でたずねてみる。周人はさっきまで座っていた場所に座ると疲れたような表情をしてみせた。
「昼間会ったトキワのお嬢さまだ・・・・・ウザイっつーの」
その言葉に昼間の出来事を思い出した由衣は周人以上に苦々しい顔をしてみせた。その顔を見て小さく笑った周人は今の電話の内容をかいつまんで説明した。いきなり自分を彼氏のように話しかけ、会社の移籍とデートの話をしてきたのだという。さすがに呆気に取られた周人だったが、相手にするはずもなくさっさと切ったのだ。
「あの勘違いバカ!」
怒りに身を震わせる由衣を見ながらおもむろに立ち上がった周人はインスタントコーヒーを入れて戻ってきた。いつも塾で飲んでいるコーヒーよりも高めなので味も程良い。その後、由衣は普段の紫織の態度や嫌味などを周人に話して聞かせ、一番の親友である真琴の話もして聞かせた。周人はほとんど何も言わずにその話を聞き、口を挟むといっても時折質問を投げたり相づちを打ったりする程度だった。今まで溜まっていた紫織へのうっぷんを全部ぶちまけた由衣は幾分か気分を良くして冷えかけのコーヒーを口にした。
「ま、相手にしないことだな・・・・オレもしないし」
「そうする・・・あのバカの長所は金持ちってことだけだから」
由衣はそう吐き捨てるように言うと残りのコーヒーを飲んだ。周人はそんな由衣に小さな笑みをこぼすと、いつもするようにそっと頭の上に手を置いた。
「お前と別れろとかぬかしやがったからなぁ・・・別れる気なんてないっつーの」
周人はそう言うとそっと髪を掴むようにしながらそれを絡ませないようにそっと指を毛先の方へとすべらせた。このさらっとした気持ちのいい感覚が好きな周人が時折見せるこの仕草が妙に気に入っている由衣はされるがままにしていた。そのまま見つめ合った2人の顔が徐々に近づく。そして閉じられた目を合図にゆっくりと唇が触れそうになった瞬間、独特の音でインターホンがその雰囲気を引き裂くかのように鳴り響いた。目を開き、近い距離で見つめ合う2人は小さなため息をつくしかない。周人はやれやれとばかりに立ち上がると重い足取りで玄関へと向かった。
白いドアの向こうから姿を現したのは、金色の髪をパーマさせ、青い瞳をした美少女であった。明らかに外人とわかるその人物を知っている周人はもはや目を丸めて驚くしかない。手荷物は背中に背負った黒いブランド品のリュックだけのようだ。金髪の美少女は周人を見るなり満面の笑みを浮かべて首に腕を絡めて飛びつくようにして抱きついてきたのだった。
「ちょ・・・お前・・・・アリス!?」
「ハァ~イ、シュート!会いたかった!」
見た目通り英語でそう言ったアリスはもはや呆然としている周人に唇を重ねてキスをした。玄関から聞こえてくる英語と、明らかに驚いている周人の声に少し覗くようにして顔を出した由衣はその信じられない光景に呆然としながらも、ふつふつと怒りが沸き上がってくるのを感じていた。そして周人はアリスを引き剥がすようにすると自分を落ち着かせようとした。
「ちょっと、誰?その子・・・」
もはや誰でもわかるほど怒った口調で、しかも睨むなどといった生易しい言葉では表現できないほど鋭い目つきでそう言う由衣は大股で周人の横に並ぶとアリスへとその突き刺さる視線を向けた。アリスはそんな由衣に対し、まるで汚い物を見るかのような表情を浮かべるとこちらも負けじと睨み返す。
「誰ぇ?あんたこそ、誰よ!」
容姿からは想像できないような流暢な日本語でそう返すアリスに由衣は少々驚いたが、今は怒りの方が遥かに勝っているせいか全く動揺は見せていない。
「なぁ~んだ、日本語しゃべれんじゃない・・・・なら話が早いわ・・・『あんた誰』って聞いたのはこっちが先、あんたから答えなさい!」
「はぁ?生意気な女ね・・・・私は周人の彼女よ!で、あんたは?」
彼女という言葉にピクリと片眉を上げた由衣は一瞬その恐ろしいまでの睨みを周人に向けた。もはや大きな音を立てて唾を飲み込むしかない周人は説明をしようと口を開きかけたが、由衣はすぐにアリスに向き直った。
「生意気なのはお互い様・・・・ってゆうか、私が彼女なんだけど?」
「じゃぁ日本での浮気相手ってとこか・・・・」
腕組みして周人を横目に見たアリスはそうつぶやくとフフンと鼻を鳴らして由衣を見ながら意味ありげな笑みを見せた。
「英語で言わないで日本語で言いなさいよ!」
「ホント生意気な女ね・・・・どうせシュートを無理矢理誘惑したんでしょうけど、シュートもお遊びがすぎるわね」
お望み通りと言わんばかりにそう日本語で答えたアリスはもはや困惑しきりの周人を見てため息をついた。怒りも頂点に達しつつある由衣はアリスに食らいつこうとばかりに体を寄せて激しく睨み付けた。アリスも負けじと腕組みをして睨み返す。まさに一触即発のこの状態に我に返った周人はとりあえず2人を強引に引き剥がすように距離を開けさせた。そんな周人を睨む2人にとりあえず苦々しい表情を返し、まずはアリスの方を向いた。
「アリス、はっきり言うけど、オレはお前と付き合った覚えはない!この人がオレの彼女だ。ユイ・アズマこそオレの彼女なんだ!」
そう強めに言うがアリスは知らん顔をしている。目を閉じてため息をついた周人は凄まじいまでの鋭い目で自分を睨み付けている由衣に引きつった顔をして見せたが、すぐに気を取り直して説明を始めた。
「この子はアリス・クロスフォード。アメリカ屈指の大企業の令嬢でカムイF1チームのスポンサーをしている会社の1人娘だ。あっちで仕事をしている時に出会ったんだ」
「そうよ!まさに運命の出会い!で、アメリカにいた時に付き合っていて、シュートの帰国に際して泣く泣く別れたわけ」
「お前は黙ってろ!」
説明の最中に横やりを入れてきたアリスにそうピシャリと言った周人を見ている由衣の表情は明らかに疑いの目を向けている。だがそれは無理もないこと、アメリカにいた頃の周人を、離れていた3年間の事を由衣は知らないのだ。とはいえ、付き合っていたわけではない由衣にとってアメリカで彼女がいたという事があったとしても別段気にすることではない。しかし、3ヶ月前、周人はアメリカでも誰も好きになれずにいたと言ったのだ。もし、アリスの言うことが本当ならば周人が嘘をついていたということになる。冷静に考えれば周人の性格からしてアリスが嘘をついていると簡単にわかるのだが、アリスの態度そのものが由衣のカンにさわっているのだ。昼間の紫織の事もあり、今の由衣は冷静ではいられない。
「で、あんたは何しにここまで来たの?連れ戻しに?」
「そうね、でも今日はもう遅いし、顔を見に来ただけ。じゃぁね、周人、話はまた明日にでも」
アリスは横目で由衣を見るとフフンと鼻を鳴らしてから周人を見た。明らかに疲れた顔をしている周人の頬にこれみよがしにキスをしたアリスは再度横目で由衣を見やった。ほくそ笑むアリスにもはや怒り爆発の由衣は鬼の形相をして掴みかかろうとしたが、それを周人がなんとか押さえ込んだ。自分を押さえ込む周人にも厳しい目を向けた由衣はそっぽを向いて玄関に背中を向けてしまった。
「じゃぁね、シュート、おやすみ」
由衣に気を取られている周人を振り向かせるためか、アリスは無防備な頬に再度キスをするとそのまま玄関から背を向けた。振り返ることなくさっさとエレベーターへと向かうアリスの背中を見送りながら、相変わらずそっぽを向いている由衣も見やった周人は廊下に出て通路の手すり越しに下を見た。当然まだアリスの姿はそこにはなかったが、わざわざ追う気になどなれない周人はアリス1人でボディガードもつけずにここまで来たのかを確かめたかったのだ。と、マンションのすぐ横にある十字路の角、外灯もない薄暗いその一角から何かを感じた周人はそこへと目をこらした。そこから見えるのは暗い曲がり角だけであり、人気はない。だが妙にそこが気になる周人は身を乗り出さんほど必死になっていたため、背後に立つ由衣の気配すら感じることが出来なかった。
「そんなに気になるなら追えばぁ~?」
素っ気ないその言葉にビクッと体を強ばらせた周人は恐る恐るゆっくりと振り返る。殺気にも似た気を放ちながらたたずむ由衣はバッグを手に靴も履いていた。そのまなざしは鋭く、フンと鼻を鳴らすと周人を押しのけるようにしてエレベーターの方へとスタスタと歩いていってしまった。あわてた周人が追いかけ、閉まりかけのエレベーターに飛び乗った由衣を舌打ちしながら見送った周人はそのまま7階を階段で駆け下りて由衣の後を追うのだった。なんとか1階で由衣を捕まえる事ができた周人だったが、誤解をして怒っている由衣をどうなだめていいのかわからない。咄嗟に手を取って話をしようとしたが、振り返った由衣はさっきと違って穏やかないつもの雰囲気をもった表情をしていた。
「今は何を聞いてもダメそうだから、帰るね」
「いや・・・でも」
「あのアリスって子が嘘ついてるのはわかるよ。でも・・・・・ゴメン、帰るね」
手を振りほどくとそのまま振り返らず走り去った由衣は駅のある方向へと薄闇の中消えていった。どうすることもできずにただ立ちつくすしかない周人は苛立ちを隠せないまま、苦々しい表情を浮かべるしかなかった。
「なるほど、あれがお目当てだったわけだ・・・」
薄闇の中でそうつぶやく男は腕組みをしてニヤついた。さっき周人が覗き込むようにして気にしていた角の向こう側に立つ金色の髪を角刈りした男、ゾルディアックはアリスが消えた駅の方へは向かわずにむしろその逆方向へと歩き始めた。その顔から笑みが消えることもなく、暗闇の中に消えていったゾルディアックがアリスの宿泊する高級ホテルに戻ったのはアリスが隣の部屋にチェックインした頃とほぼ同時であった。どこをどう回ってどういった交通手段を使ったのかはわからないが、タクシーを拾ったアリスがホテルに着いた時刻と同じだったのである。言葉通り空港に降り立った時から姿をくらましたゾルディアックのことを思い出しながらシャワーを浴びるアリスはご機嫌な顔で鼻歌を歌っていた。どこかで自分をガードしているのかもしれないのだが、全く姿も気配も見せないゾルディアックを忘れる事に決めたアリスはどうやって周人を自分の元に引き戻すかだけを思案した。
「あのユイっての、周人が前に好きだと言っていた女、アレをなんとかしないと・・・」
シャワーを止めて滴を垂らす髪を無視したまま立ちつくすアリスは1年前に周人と出会った時の事を思い出し、そうつぶやくのだった。
オフィスでパソコンを前にするどこか暗い表情の周人を見たソフト開発グループリーダーにして開発部長の大神健司は朝、会議のために工場に来ていた社長から言われた言葉を思い浮かべて小さなため息をついた。仕事仕事で満足に彼女に会えていない周人を気遣ってやってくれという菅生の言葉に、ようやく落ち着いた今の仕事を周人に任せたのだがどうも本人は身が入っていない。やはり彼女ともめたのかと考えた大神が話を聞こうとした刹那、電話が入り、渋々その電話を受けた。だがその相手は社長であり、応接室に来てくれとの事だった。相変わらずどこかぼんやりした周人を気にかけながらもエレベーターホールへ向かった大神は、今日がF1用新型マシンの簡易説明会兼会議だった事もあってこの工場へ来ている菅生がいる第一ビルへとやや早足に歩いていった。通常この広い敷地内を移動する際には小型のカートを利用するのだが、そこまではわずかな距離しか離れていないために徒歩で移動した大神は第一ビルの4階にある応接室のドアをノックした。中からの返事を聞いてからドアを開き、失礼しますと一礼してドアを閉めた。やや広めの部屋には8人掛けのテーブルと椅子が並べられ、そこに腰掛けているのは菅生と、ここには似合わない金髪の美少女であった。しかもその瞳の色や顔つきからして日本人でない事はすぐにわかる。菅生に座るようにうながされた大神は恐縮しながらも菅生の隣に腰掛けるのだった。
「彼女は知っているね?」
「はい、アメリカのスポンサー令嬢、アリス・クロスフォードさんですね」
アメリカで何度か面識があるアリスと大神は頭を下げあって挨拶を交わす。スポンサー企業の令嬢としてではなく、周人に付きまとうようにしょっちゅうアメリカの工場に出入りしていたアリスを見た大神は今朝からの周人の様子の原因が彼女にあると考え、黙ったままジッとアリスを見つめた。
「今回、私用で来日されたそうだ。そこで日本にいる知り合いである君や木戸君をたずねてきたという訳なんだ」
菅生はそう簡単に説明した後、大神にここの施設や工場内の見学をお願いした。アリスの目的がおそらくは周人にあると睨んだ大神は、おそらく同じ事を考えているであろう菅生の申し出を受けた。アリスは丁寧に礼を言い、大神の案内で工場内を見学させてもらうことにしたのだった。




