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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十章
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曇りのち、晴れ(4)

「じゃぁ、一応計画通りだったんですね?」


月曜日、昼過ぎにやってきた恵と昼食がてら近所のそば屋に向かった康男が土曜日の件を報告した際の恵の第一声がこれだった。事前に計画は恵に知らされていたため、由衣が上っ面だけでディナーに行った事も知っている。


「だけど、彼女が言い出した事とはいえ・・・・結局、彼女の中の木戸君への想いを完全に蘇らせてしまった」


康男はお茶をすすりながらそうつぶやく。恵も顔を伏せがちにしてそうですねとだけつぶやいた。


「一時的なものならいいんだが・・・・」

「けど、これできっとまたさらに時間が必要になっちゃうでしょうねぇ」


恵は目の前に置かれたざるそばの薬味を入れながらそうため息混じりに答える。3年かかってようやく周人への想いを良い方向へと昇華していた由衣にとって、今回の事は大きく響いてくるだろう。現に彼女は周人を想ってこれまで決して見せなかった涙を見せているのだ。


「やはり・・・止めておけばよかった」


康男は薬味もそのままに、うつむいたままそう苦々しく言葉を絞り出す。だが今となっては後の祭りな為、それを口にしたところでどうしようもないのだ。


「木戸クンがあそこまでの人柄じゃなかったら、彼女もとっくに彼氏ができてるんでしょうけど・・・」


そばをつゆに浸けながらそう言う恵は自分を見つめる康男の口元に意味深な笑みが浮かんでいる事に眉をひそめてみせた。


「何です?」


そう言われた康男は笑みを残したままつゆの中に薬味を入れていった。


「それは君も同じじゃないかなぁって思っただけだよ」


その言葉に目をパチパチさせた恵はそうですねとつぶやくと、薄い笑みを浮かべてそばをすすった。


「今日にでも、夜に彼女を呼んで、話してみます」


恵はそう言うと、豪快にそばを口に入れる康男を見た。康男は一旦口の動きを止めてその言葉にうなずくと、再びそばをすすった。


「これに関しては、君に任せるよ・・・君にしかわからない事もあるだろうし、何より同じ人を好きになった君だからこそ出来るアドバイスもあるだろうからね」


康男はそう言い、恵を見やった。恵は何も言わずにうなずくと、同じようにそばをすすった。


「暑いときは、これが一番だわ」


その言葉に笑みを漏らすと、康男は恵が塾に残ってくれた事を心から感謝するのだった。


午後3時という暑い時間帯に由衣は帰り支度を整えて大学の中庭を歩いていた。隣にはこの大学に入ってから出来た親友である宮本真琴が並んで歩いている。真琴は桜町の隣にある東雲しののめ町に住んでおり、由衣が降りるさくら谷駅でいつも顔を合わせたり、別れたりしていた。今日も2人で歩きながらどこそこの店が安くて美味しいだのといった話題に花を咲かせている。真琴も由衣に負けず劣らず美人であり、由衣がアルバイトをしている雑誌の編集者から何度と無くモデルにと誘われていたが、そういったものに全く興味が無く、また近所のスーパーでレジ打ちのバイトをしている方が性に合っているため全て断っていた。かなりきつい性格で言いたいことははっきり言うタイプの真琴は友達も少ない方だったが、由衣はそんな真琴を理解した数少ない親友となっていたのだ。芝生が敷き詰められた中庭を出て正門へと向かう。この桜山大学の正門のすぐ横にはバス停があり、ここからバスで十五分ほど行った所にある電車の美咲公園駅へと向かうのだ。どうやらバスは今さっき出た後のようで、この時間帯ではあと10分は来ない。日よけが付いているバス停だが、気温が高い為に暑さに変わりがないように思えた。そんな時、由衣の鞄の中で携帯が鳴り響いた。あわててそれを取り出し、電話に出た由衣を気遣ってか、真琴は山並みが見渡せる田舎の風景に目をやった。そよ風が多少ある程度なため、暑さは容赦なく全身にまとわりついてきている。手で顔をパタパタあおぎながらふうとため息をついた真琴の横で、電話を終えて携帯をしまう由衣も同じような仕草を取って見せた。


「親?」

「バイト先の人。今日の夜にご飯でもどうって誘い」

「塾の?」

「そう」


暑いせいかはわからないが会話も短い。由衣は今の電話の相手である恵の誘いを受けて晩ご飯を一緒に取ることにした。おそらく一昨日の雄二との件だろうと察し、OKしたのだ。恵とは何度か一緒に食事をしたり出かけたりした事がある上に、今では仲の良い友達のような存在でもある。雄二とのディナーの件に関してはどのみち話をしようと思って為、これは由衣にとっても願ったり叶ったりであった。そんなことを考えながら携帯をしまい込む由衣のその腕を真琴の肘が突っつくのを感じた為に顔を上げる。


「イヤなのが来た・・・」


本当に嫌そうな顔をした真琴の見ている方に目を向けた由衣もまた苦々しい表情を浮かべて見せた。


「サイアク・・・」


2人のその表情を見てさえにっこりと微笑むその人物は日傘を差しながら物静かな歩みで近づいて来ると、2人の目の前で立ち止まった。茶色というよりは金色に近い髪はパーマをかけており、目もこれ以上ないほどマスカラで大きく見せられている。今人気の女性アーティストを意識したとしか思えないそのメイクの上に、いかにもお嬢様といった服装に身を固めた女性が2人を交互に足下から見上げていった。


「相変わらず、庶民的ね?」


赤いルージュも目立つ口から出た言葉は2人の神経を逆撫でする言葉であったが、もはやこれには慣れているために相手にはしない。


「相変わらず悪趣味だねぇ、あんたは・・・」


真琴のその言葉を負け惜しみと取ったその女性は小さく微笑むと横目で由衣を見やった。だが由衣は完全にあさっての方向を向いており、その女性を見ていなかった。その由衣の見ている方向から黒い車が1台近づいてくる。それを見た由衣は大きなため息をつくと女性を睨み付けている真琴を肘で突っついてやってくる車の方をアゴで指し示した。その仕草に真琴はおろかその女性もそっちを見やる。その黒い車を見た真琴は嫌そうにべーっと舌を出し、対照的に女性はにっこりと微笑んだ。


「じゃぁね、さようなら」


3人のすぐ目の前に止められたその車は国内ではカムイモータースと勢力を争う会社、トキワ重工の最新機種である『エグゼス』であった。スポーツカータイプのセダンであり、かなりの高級車である。値段にすれば500万円はくだらない。そのエグゼスの運転席から出てきた黒いシャツに黒いパンツといったいかにも暑苦しいスタイルの男が機敏で慣れた動きをしながら助手席のドアを開いた。男は短めの髪を逆立てており、片耳に3つのピアスをしていた。その男は自分ではさわやかだと思っている笑みを2人に向けたが、あっけなく完全に無視されてしまう。金髪の女性は何も言わずにそれに乗り込むと、男性が閉めたドアの窓越しに笑顔を振りまきながらひらひらと手を振って見せた。そんな女性を無視した由衣は相変わらずそっぽを向き、真琴は再度舌を出し、それを見てほくそ笑む女性を乗せたエグゼスは軽快なエンジン音を残してさっそうと走り去っていった。


「死んじまえ~!アホ~!」


かなり向こうに去っていった車にそう叫んだ真琴に苦笑しながら、由衣は赤い腕時計で時間を確認した。まだあと5分はバスが来ない。流れ出る額の汗をハンカチで拭うと大きなため息をついてみせた。


「あの化粧バカが・・・・」


吐き捨てるようにそう言う真琴をなだめつつ、由衣はかつて周人が迎えに来てくれた時の光景を思い出していた。必ず時間より早めに来ていた周人を想い、由衣の表情は曇ったが隣にいる真琴の存在にすぐにそれはかき消えたのだった。周人と別れた当初こそこういった事をよく思い出していた由衣だったが、いつの間にかそれをしなくなっていた。だが、やはり土曜日の影響か、より鮮明に周人を思い出し、胸が苦しくなるのを感じてしまうのだった。


今日は午後7時であがっていいと言ってくれた康男に感謝しつつ、恵は待ち合わせ場所である桜ノ宮駅にいた。最近出来た駅の中にある雑貨屋の前での待ち合わせだったが、先に由衣がそこに立っているのを見たために恵はあわててそこに駆け寄った。約束の時間まではまだあと十五分はある。早めに来てその雑貨屋を覗こうと思っていたのだが、その思惑はもろくも崩れ去った。


「早いじゃない」

「時間にはゆとりを持たすのが私のポリシーですから」


そう言う由衣に笑ってみせる恵は近くの居酒屋へと向かった。案内された席へつき、一通りの注文を取った2人はそのままあの土曜日の話へとスムーズに移行していった。


「あんたもバカなんだから・・・断ればいいのにさ」

「う~ん、でも弥生さん、かわいそうだったし」


他人を気遣い、結局自分の想いを復活させてしまった由衣をバカだと思いながらもそれが由衣らしいと恵は思った。何も同じような設定で雄二と会う必要があったのかはわからない。だが、結果的に由衣は周人を想い、泣いたのだ。封印した想いは一気に溢れ出し、今、由衣の心にあるのは周人の事ばかりである。その事を素直に恵に話したせいか、由衣の心は少しだが落ち着きを見せ始めていた。そうして2時間ほどその時の話や今の由衣の素直な心境を聞いた恵はある決心を固めつつあった。


「今日も、思い出しちゃった・・・・迎えに来てくれた事とか、いろいろ。最近はそれもなかったのになぁ・・・やっぱ私は、彼じゃないとダメみたい」


悲しげな表情でそう言う由衣の目は少し潤んでいた。


「スパっとフラれていたら、ましだったのかもね」


ビールを口にしながらそう言う恵の言葉に、由衣は静かに首を横に振った。


「あの時、好きだって言ってくれなかったら、きっと今でも立ち直れてないと思う。だって、あの人を好きになったことが無駄じゃなかったって思えたから・・・私を好きにさせたことが誇りみたいな感じがしてるから」


その由衣の真っ直ぐな目を受けながら恵は目を細め、何とも言えない笑みを浮かべて見せた。今はまた足踏みをしてしまっているが、またすぐにこの子は前に向かって進み始めるだろう。周人を想いながらも、いつかは誰かに恋をするだろう。だが、由衣に似合うのは周人しかいない、そう強く思えた。この2人こそ結ばれるべきであると、心からそう思えた。


「この夏休み、お金はたいて旅行にでも行かない?派手に海外とかさ」

「え?」


唐突なその提案に由衣は顔を上げた。何を思って恵がそう言ったかはわからない。旅行へ行くお金ならそこそこは持っているために問題はなかった。それはいつか周人の元へと押し掛けるためにとコツコツ貯めていたお金である。2つのバイトを掛け持ちして、買いたい物もろくに買わずにせっせと貯めたそのお金は由衣の周人への想いに重ねられていた。


「会いに行こうよ、木戸クンに!」

「で、でも・・・どこにいるのかもわかんないし・・・・」

「そんなの木戸クンの会社に聞けばいいじゃん」

「でもぉ・・・」

「会いたくないの?もうあんたは子供じゃ、中学生じゃない、立派な大人なんだよ?追いかける事も、押し掛ける事もできるんだから!」


その力強い言葉に由衣の心は大きく揺れた。確かに今すぐにでも会いたいのだが、それが怖いような気もしていた。もうすでに他の誰かを好きになって彼女がいるかもしれない、その事実を見てしまうのが怖くて今まで周人を追うことが出来なかったのだ。だが、今、周人を想う気持ちはその恐怖を上回っている。


「会いたい・・・」


その素直な言葉に満面の笑みを見せた恵は由衣の手にそっと自分の手を重ねてみせた。


「じゃぁ会いに行こうよ!んで、自分の今の気持ち、ぶつけてやりなさい!」


その言葉に由衣は力強くうなずくと、恵に心から礼を言った。恵がいてくれて本当に良かったと、心から言える。その感謝の気持ちを胸に、由衣は周人に会いに行く覚悟を決めたのだった。


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