表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第一章
4/127

優しさの値段(4)

室内はエアコンが除湿する音だけが静かに響いている。デジタルの壁掛け時計は21:13を表示していた。殺風景な教室に会話はない。ただ肘を付きながらぼんやりと前を眺めている周人と、その背中を黙って見つめている恵は互いに目を合わせる事なく座っているだけなのだ。窓の外を車のライトが駆け抜けて行った。今この建物内には2人しかいない。ホワイトボードには英語の単語や文章が書き連なっており、その字は綺麗であった。


「さすがに・・・今日は疲れた」


沈黙に耐えきれなくなったのか、周人は背伸びをしながらそう苦笑気味に呟いた。時計は21:14となっている。周人は腕を上げて前を向いたまま机に突っ伏すようにしてため息を付いた。恵は何も言い出せずにただその背中を見ていることしかできない。


「新城以外の授業は、イヤなんだとさ・・・・」


疲れた口調でそう切り出した周人は今日、何があったかを恵にゆっくりながら話し始めた。今日は新城がいないとわかるや否や、由衣たちは不平不満、そしてヤジを大声で言ったという。それでも授業を続ける周人に対して明らかな反抗的態度を取った上に、ついには堂々とマンガまで取り出したというのだ。さすがに怒った周人がマンガをしまうように命じたが、今日は新城の日だから新城以外の先生の言うことは聞かない、強制するなら帰るとまで言い出した。あげくには大声で雑談を始めた彼女たちは怒鳴った周人に対して横暴だとか無茶苦茶な事を言いだし、明らかに膨れっ面で終始周人を睨んでいたという。他の生徒のためにもそのまま授業を続けたが、おそらく今日の授業は意味のないものになってしまっただろう。

テスト前という事もあって我慢して授業を続けた周人だったが、終わったときに由衣から『わかりにくい』だの『へたくそ』だのと罵声を浴びせられたのだ。すぐさま部屋を飛び出した由衣を皮切りに、他の生徒たちも言葉無く皆出て行ったと言った周人はおもむろに立ち上がると、再度背伸びをして恵を振り仰いだ。あまりに拍子抜けするほど普通な顔をして自分を見ているため、恵は少し戸惑ってしまった。へこんでいるかと思ったが、周人は明らかにいつも通りの雰囲気で窓の方へと向かうと、窓を開けて窓枠に手を付いた。


「どうやらこっちの水はオレには合わないみたいだ・・・・・・」


さばけた口調でそう言うと、恵に笑みを向けた。恵はその笑顔がどこか寂しそうに見えてしまい、思わず近くに寄っていき、とっさに手を握ってしまった。無意識にしてしまったとはいえ自分でも驚いた恵だったが、あえてその手ははなさずに逆に強く握りしめた。


「そんなこと、ないよ。あの子たちはちょっと特殊なの。特に吾妻さんは自分の容姿の良さを知っていて、それを持ち上げて、言い寄ってくる男を顔なんかで判断している。ようするにもてあそんでいるの。特に新城クンなんかは顔がタイプで、しかも自分に振り向かせたいから他の男がいらないもののように感じているのよ」


由衣は言い寄ってくる男を手玉に取り、デートと言う名目で何かと物を買わせ、自分は一切お金を払わない。それが当たり前だとばかりに何人もの男子を袖に振ってきているのだ。告白された数も多く、振った数もまた同じ。つまりは付き合う気などさらさら無く、ただ貢がせているだけにすぎないのだ。ところが自分のタイプである新城と出会い、その相手が自分に気がないと知った時、彼女はどうしても新城を振り向かせたくなったのだ。そしてその心は付き合いたいという恋心に発展した。いや、正確には恋というものをよく知らない彼女にとってそれは恋心などではないだろう。自分が振り向かせられなかった男に対するプライドがそうさせているのだ。だから他の男が自分に言い寄って来ないようにあらかじめ防御し、さげすむ事によって新城1人に的を絞っているのだ。それでも言い寄ってくる相手には利用価値を見出して貢がせている。周人もそれはよく知っている。だがさすがに今日はこたえたらしく、普段通りの中に時折見せる疲れた表情はいまだ取れていないのだ。


「あの子はまだ知らないのよ、本当の優しさっていうのが何かを。本当の恋って何なのかを・・・男は、道具なのよ・・・まぁ、15歳でその考え方じゃぁ、一生それには気づかないんでしょうけどね」


恵はそう言うと周人の手を放した。周人はそんな恵を見つめた。いつもと変わらぬ表情で、いつもと変わらぬ雰囲気で。


「あの子は知らないのよ、木戸クンの優しさを・・・」


どこか意味ありげにそう言う恵の言葉に眉をひそめた周人は、窓の外の景色に目を向けた恵を見つめ続けた。大通りを行く車のライトが走る。それはかなりの間隔をあけて何台か続くと、再び暗闇と静寂が辺りを包んだ。田舎のせいか街灯も少なく、今いる窓は田んぼの方を向いているために黒い闇しか無いに等しい。遠くに見える明かりはマンションのものだろうか。


「初めて会った日の事、覚えてる?」


外を見たまま何気なしにそう言う恵に、周人は小さく首を縦に振った。恵は窓枠を背にもたれるようにすると、腰の所で手を組んだ。風が少し出てきたのか、恵の髪をふわりと浮かしながら横へと流した。元々綺麗な顔立ちをしている恵だったが、今あらためて彼女が美人だと気づかされた周人は照れたように恵から視線を外すと窓の外へと視線を向けた。


「塾で会ったんじゃぁないよ・・・覚えてないんだろうけど・・初めて会ったのは電車の中なんだよ?」


その言葉にすぐ自分へと視線を戻した周人の顔を見上げるようにしている恵は薄い笑みを浮かべたまま様子をうかがうように周人を見上げていた。周人は驚いた表情をしながら何度も瞬きをしてみせる。その顔を見た恵はくすりと笑うと、やっぱり知らなかったか、とつぶやいた。周人と恵が初めて会ったのは4月の半ばだった。既に1年前からバイトをしている周人がたまたま教材をこの西校に運んできた時に、初出勤日となっていた恵と新城を康男から紹介されたのだ。その時は八塚を伴ってワゴン車で来ていた周人は教材を職員室に運び、すぐさまさくら校へと引き返した為に挨拶を交わした程度に過ぎず、まともな面識を持ったのは西校との掛け持ちを始めたつい最近からなのだ。その時もバイクであったために、電車という言葉に引っかかりを持った周人は怪訝な顔をして考え込んだが、全く覚えがない。


「あれは、この塾に面接に行く時だったんだ・・・」


恵はそう前置きすると、その日の事を振り返り始めた。



コンビニ店員のアルバイトをしていた恵だっだが、ちょっとした高価な物が欲しくなり、今よりもいい時給のアルバイトを新たに探すことにした。できれば自宅付近が望ましいと思っていた矢先に、このさくら塾西校のアルバイト講師募集のちらしを見つけたのだ。とりあえず電話でアポを取り、水曜日の午後5時に面接を行う運びとなった恵はその日の講義を終えると、電車に乗ってさくら谷駅まで向かった。塾長は丁寧にその最寄り駅から塾までの道のりをわかりやすく説明してくれており、スマホで地図を確認せずともどの電車、どのバスで移動すればいいかを細かく指示してくれたのだ。それもあって、恵の中ではそこで仕事をしたいと考えている状況だ。恵の通う桜花外語大学は繁華街のある桜町中心部とはほど遠い田舎にある大きな大学だった。入るためにはかなりの学力を必要としたが、恵はほぼ主席の成績で合格していた。入るのは難しいが入ってしまえば自由な学風が性に合っているのか、恵は楽しく充実したキャンパスライフを送っている。さくら谷は工業地帯も近く、大会社の工場などが立ち並ぶ地域であったが、そこを少し離れれば田畑が広がる田舎である。そのさくら谷より10キロほど離れた田舎の中にあるその大学から自宅までは駅を5つほど行った近いところにあった。父親が工業地帯の工場に勤めている為、さくら町の外れに家を買ったからだった。このため、自宅近くの駅である桃山川駅の駅前のコンビニでアルバイトをしていた恵だが、通勤帰宅のラッシュ時以外は暇すぎる為、飽きてきたのだった。桃山川はその名の通りの大きな川があり、あとは団地が建ち並ぶ小さな住宅街だった。山を切り開いてはいるものの、まだまだ自然が残る田舎である。少し奥に行ったところにはバカでかいショッピングモールがあり、そこは意味もなく駐車場が広いだけで別段安くもなかったが、地域の人々はそこで買い物を集中させている。コンビニも駅前にあるのだが、団地内にも多少は店があり、ちょっとした市場も存在しているためにこの駅前のコンビニを利用する客は少ないのだ。パチンコ店や銭湯、はてはカラオケボックスまで存在するさくら谷の方がまだ開けているため、このさくら西塾は恵にとってはうってつけの場所だった。駅からさほど遠くない場所には公園もあり、真新しい大きなマンションも建設されている。駅前には車のロータリーもあって市バスの停留所も大きめであった。とにかく、約束の時間に間に合うように乗った電車が人身事故に巻き込まれてしまい、混雑の上に遅れが生じてしまった為にやむなく塾に連絡を入れた。だが塾長は別に今日でなくとも都合のいい日でいいですよと愛想良く返事をくれた。最初に電話をした時から感じのいい人だと思っていた恵だったが、この言葉でこの塾に行ってみたいという気持ちがより大きくなり、なんとか今日中に伺いますと返事を返した。このまま別の人間に先に行かれて不採用になってはたまらないという気持ちもあった恵は、混雑する電車に無理矢理乗り込んだ。幸いこっちのドアは目当ての駅に着くまでは開くことはない。ぎゅうぎゅうに押し込められた恵はドアと人に押しつぶされそうになりながらも懸命に我慢した。だが、自分の右腕側に体を押しつけてきている男にイヤな感じを受けた恵はチラッとその男をのぞき見た。明らかにやらしい目をしたその若い男は、バサバサの長髪に切れ長の目、額に大粒の汗を浮かべたいかにもオタク系といった身なりをした眼鏡の男だった。気のせいか電車の揺れに合わせて胸の方に肘を押しつけてきている。だが逃げたくても人で押さえ込まれて全く動けない恵は半ば泣きそうになりながらも男とは反対側の方を向いて体を硬直させるしかなかった。そうしていると反対側のドアが開く。とりあえず駅に着いた電車は混み合う内部の人間を幾分下ろしたせいか少しだけ体を動かせるゆとりができた。すかさずドアを背に鞄を抱くようにして胸をガードした恵だったが、さっきの男はピタリと恵に寄りそうようにして全く離れない。それどころかこの隙にと恵の正面に回り込もうとしている。すでに駅にいる乗客が乗り込んで来ようとしているため、今から態勢を変えることなどは無理な為、恵はもうどうすることもできずにギュッと目をつぶった。いつもは強気な彼女であったが、この時は混乱し、どうしていいかわからなくなってしまっていたのだ。それからしばらくしても、誰も体に当たらない。確かに腕には人の背中を感じるが正面には何か服のような物が時々触れる程度で一向に体を押しつけられる気配はなかった。恐る恐る目を開いた恵の目に飛び込んできたのは白っぽいようなグレーのジャケットの下に着込んでいる紺色のTシャツであった。ややうつむき加減で見ているため、ジーパンとベージュの靴までがはっきりと認識できた。さっきの男の出で立ちを忘れているが、こういった格好では無かったと思い、思い切って顔を上げてみた。恵の背は164センチ、その自分の視線がちょうど男の胸元にある。さらに顔を上げると、耳が隠れる程度に髪を伸ばし、それを後に流すような薄い茶色の髪をした男の顔が見て取れた。左頬に走る傷が印象的なその男はドアのガラス越しに景色を見ており、恵の視線に気づいているのかどうかわからないが微動だにしない。よく見ると両手で恵をガードするかのように肘から先をドアにへばりつかせて体を突っ張って立っているのだ。何がどうなってこういう事になったかは分からないが、さっきのオタク系の男はこの目の前の男性の後ろにいるのかもしれないと思い、恵はそのままの態勢を維持することにした。自分をガードするようにしているのか、はたまた痴漢と思われたくないがための行為なのかはわからないが、助かっている事には変わりない。恵はそのままやや俯いた状態で次の駅まで様子を見ることにした。4分ほど揺られ、電車が次の駅に着く。ここからあと3駅で目当てのさくら谷に到着する。またもや人垣が崩れ、押し合いへし合いながら下りる人間が扉へとひしめき合う。だが目の前の男はそのままの態勢で顔だけを横に向けてその様子を見ているのみで、全く態勢を変えようとはしなかった。その背後のオタク系の男が態勢を変え、ドアの所にいる自分を覗き込むようにして見ているのが見えた恵は身をすくませ、かばってくれている男性の腕で視線を避けると再び俯いた。オタク系の男は何とか恵の傍に近寄ろうとしたが、すぐに入ってきた新たな客に押されてしまい逆に恵から遠ざかっていった。ホッと胸を撫で下ろす恵はチラチラとオタク系の男の位置を確認したが、もうすでに車両の真ん中辺りまで運ばれてしまったのか、その姿は見えなかった。胸をかばうようにしていた鞄を膝の辺りまでゆっくり下ろすと一気に緊張感が去っていくのを感じる。回りを見る余裕もでてきた恵はゆっくりと何気なく周囲を見やった。皆ぎゅうぎゅう詰めのせいか崩れないように体を保つのに必死という感じだ。ゆとりがあるのは恵だけなのか皆回りを見る余裕すらないようだった。もう一度目の前の男性をそっと見上げた。その時、その男と目線が合ってしまった。思わず俯いてしまった恵はそれ以来さくら谷駅に着くまで終始その態勢を維持してしまったのだった。1つ手前の駅で幾分空いたせいもあり、今では男も恵の前から左やや前方に移動している。オタク系の男の姿も見えない事からどこかの駅で降りたのだと推測できた。車掌がさくら谷駅に到着したこと告げる声が車内に響く。と、さっきまで自分の目の前に立っていたジャケットの男はドアの方へと向かった。その後からくっついて行くようにして恵も電車を降りた。駅に降り立ち、大きなため息を付いた恵は自分がホームの中央付近にいることに気づき、左右の端にあるエスカレーターを確認した。初めて来た駅の為、どっちに下りても同じなのか構造がまるで分からないので、とりあえずさっきの男の後に付いて行く事にした。男は『西出口』と書かれた左側のエスカレーターに向かっている。恵はその後を追うようにして男に続いてエスカレーターに乗った。どうやら男は手ぶららしく、右手をジーパンのポケットに突っ込んでおり、左手はだらりと下げられたままで何の荷物も持っていなかった。男はそのまま下りてすぐの改札を抜け、駅構内にあるコンビニへと向かっていった。恵は塾長から言われている塾方面へと向かう系統のバス乗り場に向かうと、31系統のバスが来るバス停で時間を確認した。事故のせいで約30分の遅れが生じ、本来ここへ辿り着くのは16時30分であったのに、今はすでに17時を回っている。バス停に備え付けられている時刻表ではあと7分ほどでバスが来るとされていた。恵は時計から目を離すと回りの景色を見やった。今まで乗っていた電車の線路は駅が高架になっていてその下は大きな交差点になっていた。線路に沿って桜町中心部と恵の自宅がある工業地帯へとそれぞれ続き、線路に対して垂直に塾の方向と、反対側へは山の方へと向かっていた。今立っている南側とおぼしき場所には大きなロータリー、横断歩道を越えて大きな公園への入り口が見える。塾の方向には小さくパチンコ屋の看板が明滅しており、その近くには煙突が見える。おそらく銭湯だろう。ロータリーの脇である道沿いに駐輪場が設けられており、不規則に自転車やらバイクが並べられていた。駅の入り口近くにある駐輪場の管理事務所には人がいなかったため、あまり不用心だとすぐに盗まれてしまうだろう。そんな事を考えながらその駐輪場を見ていると、さっきの男が姿を現した。ちょっと古めの黒っぽいバイクを出すとそこにまたがり、エンジンをかけている。そしてアクセルを吹かすと勢いよく恵の目の前を通過し、塾のある方角へと消え去って行ったのだった。



「あの時は守ってくれていたのか、そうでなかったのか全く分からなかった。でも気にはなっていたのよ・・・・だって、優しさが確かに感じられたから。そしたら、6月の終わりに、その人に再会した」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 過去話になった途端なぜいきなりそれまでしていた改行を全てやめたのかが気になる もしこれで読みやすくなると思うのは流石にあり得ないだろうから多分ミスだとは思うので直してほしい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ