閉ざされた時間(2)
玄関が閉まる音で一瞬目を覚ましたミカは寝ぼけ眼で下を見た。布団は綺麗に畳まれており、そこに周人の姿はない。目をこすって時計を見ると時刻は5時を指していた。その時間を見て再び眠気を感じたミカは布団もどこへやら、Tシャツからへそを全開にしたままの格好でそのまま眠りにつくのだった。いつもの黒いジャージを着込んだ周人は玄関の鍵をそっとかけると、そのまままだ暗いマンションの外に出た。軽い準備運動をし、いつも会うおばあさんに元気良く挨拶してから日課であるランニングを開始した。以前は朝夕のランニングを含めたトレーニングを行っていたが、ここに引っ越してからは朝のトレーニングのみを行っている。ここから約5キロ先にある河原まで走り、そこで一通りの汗を流した後、またランニングで戻ってくるのだ。約1時間半のトレーニングをどんな日でも欠かさない。それが強さの秘訣にもなっているのだが、夜のランニングは心に負った傷からか、出来なくなっているのだった。それはあの日、夜のランニングコースで『キング』と遭遇し、変わり果てた恋人の姿を発見していたからだった。それ以来、それがトラウマとなって夜のランニングはどうしても出来ないでいたのだ。実際バイトが忙しいのもあったのだが、それを言い訳にしている自分にも気付いている。5キロ程度走ったぐらいではそう息も切れていない周人は身体に染みついている古武術の型や蹴り、正拳突きなどの動作を休むことなく繰り返す。それを30分ほど続けた周人は次に柔軟を行っていった。そして1時間ほどが経過し、家路に着こうとランニングを開始する。たっぷりと汗をかいた体は持参したタオルで丁寧に拭き、風邪などをひかないようにしている。そうして7時前にまたそっと音を立てないように帰宅した周人は、もはや視線に困るほど胸の辺りまでずり上がったミカのTシャツを見てそのまま上から布団を掛けてあげた。まるで小さな子供のような寝顔を見せるミカに微笑みを漏らすと、汗を流すためにシャワーを浴びに浴室へと向かうのだった。
鼻をくすぐる良い匂いに反応したのか、ミカはむくりと起きあがるとほとんど開いていない目でキョロキョロと周囲を見渡した。見たところ自分の部屋でないことを理解したミカはしばらくしてからここが周人の家だと思い出し、眠い目を開いて立ち上がった。すさまじく寝癖のついた茶色い髪をかき上げながら、キッチンにいる周人に近づく。
「よぉ、おはようさん!気分はどうだねってすんげぇ頭してるぞ・・・」
芝居がかった挨拶を笑顔で交わす周人は目玉焼きを作っていた。
「おはよぉ~・・・・シャワー浴びてもいいかなぁ~?」
まだ眠いのか、より一層間延びした声でそう問いかける。周人は苦笑混じりにうなずくと昨日着ていた服を夜の内に洗濯しており、それが乾いているのを確認してからミカにそれを指示した。
「ありがと・・・・しゅうちゃん?」
「ん?」
この後の言葉で昨日から幾度となく脱力させられている周人は今回はそれを予測した上であえて聞き返した。
「昨日・・・寝てる間にヤっちゃった?」
「バカ言ってないで・・・・さっさと行って来い・・・」
予想通りのその言葉に、周人はあきれた風にそう返した。ミカはその答えに何もいわずに、はぁいと返事をして浴室に向かった。ため息をつきながらテーブルに朝食を並べる周人は慣れた手つきで淡々と作業をこなしていった。そうして15分後、シャワーを浴び、服を着替えてきたミカがテーブルの前に座った。周人も席につき、ここでようやく朝食を取ることになった。
「いただきまぁ~す!」
「いただきます!」
パンと目玉焼き、そしてちょっとしたサラダを準備した周人の手際の良さにミカは驚くばかりだった。いつもは母親に全てを任せっきりなミカは、これを見て自分は1人暮らしも結婚も出来ないとしみじみ思った。
「ねぇ、朝早くどっか行ったぁ?」
おもむろにそう聞くミカにうなずいた周人はいつものランニングとだけ答えた。それだけでミカは納得したのか、素直にうなずくともうその話題には興味がないのかサラダに手を伸ばした。
「テツは今何やってんだ?」
その言葉にチラッと上目遣いに周人を見やったミカは口をモゴモゴさせてサラダを飲み込むと、口の周りを人差し指で一撫でした。
「大学行きながら雑誌の専属モデルやってるよ・・・バイト感覚みたいだけど・・・その同じモデルの人と・・・浮気したの」
ちょっとした話がマズイ方向に向かったと悟った周人は話を変えようとしたが、ミカは止まらなかった。周人の思惑を無視してさらにその話を続けていく。
「モデルさんってぇ、すんごく美人だしぃ、スタイルいいしぃ・・・・だからって私って彼女ががいるのにぃ・・・私じゃ満足出来ないのかもしれないけどぉ、胸だけは絶対負けない自信があるんだけどなぁ・・・やっぱ全体的に駄目なのかなぁ」
ふてくされたようにそう言いながらも食べ物を口に含むことは忘れない。ミカに対してか、哲生に対してか、半ばあきれてその話を聞いている周人を見やったミカは黙々と朝食を取る周人に膨れっ面を激しくさせた。
「しゅうちゃんが襲いたくないような体じゃぁ・・・無理か・・・」
飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、むせかえる周人の背中をさするミカはしょうがないなぁとあきれた顔をしていた。誰のせいだと思いながらも落ち着きを取り戻した周人はミカを睨み付けた。
「お前がアホな事を言うからだろーがぁ!・・・ったく・・・・オレがお前を襲ってどうするんだよ・・・何か特典でも付いてくるのか?」
「私に魅力がないからしなかったんでしょぉ?」
落ち着いた様子で紅茶を飲みながら上目遣いで見やるミカにため息を漏らした周人はこの2日で随分やつれた気がして仕方がない。
「魅力はあるよ、たしかに胸もデカイしな。でも、だからってオレが襲わなかったらそれは魅力がないのかよ?ヤってほしいなら今すぐヤってやるけどな?」
やや怒った口調にしゅんとしてしまったミカを見た周人はこれでしばらくは大人しくなるだろうと残ったパンを頬張った。
「しゅうちゃん、童貞?」
くわえていたパンを口から落としてしまった周人はもはや反撃もできずにワナワナと肩を震わせるしかなかった。狙い系の由衣とはまた違った攻撃の仕方をするミカを天然系とした周人は、完全に無視を決め込んで目玉焼きとサラダを手荒く頬張った。
「あー、でも恵里ちゃんとヤっちゃってるからぁ・・・違うか?」
その言葉にさっきより激しくむせかえった周人は死にそうになるのを抑えてコーヒーを一気に飲み干し、喉に詰まった食べ物を強引に飲み込んだ。涙を流しながらもはや力無くミカを見やると、そんな周人を無視しているかのように両手を合わせてごちそうさまと言っている。
「お前・・・・・恵里とそんな話したのか?」
むせたせいでガラガラ声の周人はそれだけは確かめておこうと言葉を絞り出した。
「ん~・・・Hしたの?って聞いたらぁ、恥ずかしそうにしてたから」
「Hしてなくても・・・んな質問は恥ずかしいだろうが・・・・」
「でもてっちゃんが言ってたよ?オレより先に経験してたって・・・くやしがってた・・・でもぉ、今ではてっちゃんの方が経験豊富だけどねぇ・・・私なんてもう、すっごい気持ち良く・・・」
聞いていない感想まで口にするミカのその口を強引に手でふたをした周人は脳みそが溶けそうになるのを感じながら、よくこのミカと普通に付き合っていられると哲生に対して変な感心をしてしまった。浮気の原因がこの天然に疲れたからだと言われれば納得しそうな自分がいる事をあわてて否定する。もはや返す言葉を完全に失った周人はごちそうさまと言うとそそくさと後片づけを始めた。こんなデリカシーの欠片もない幼なじみを持った事を呪いつつ、てきぱきと洗い物を片づけていくのだった。
その後昼過ぎまでテレビゲームをして遊ぶことにした2人はさっそくテレビに接続した対戦格闘ゲームを準備した。この手のゲームが苦手な周人はゲーム自体が苦手なミカとも五分五分の戦いを繰り広げた。現実では強い周人もゲームの中では相当弱い。結局、終わる頃にはミカが要領を掴み、周人は徐々にストレスを感じていった。そして昼食を挟んで午後2時、ミカはようやく帰ることにして周人のマンションを後にした。とりあえず車で桜ノ宮駅まで運び、そこから特急に乗って約2時間の道程である。忘れ物が無いかを確認し、ひとまず駐車場に向かうことにした2人がマンションを出た矢先、後ろから近づいてきた赤い車がぴたりと横付けしてきた。その運転席を見るまでもなく、ミカは周人の後ろに隠れるようにして身を潜めるようにしてみせた。
「ミカ!」
低くうなるエンジンもそのままに運転席から飛び出してきた髪をやや逆立てた人物に周人は驚いた表情を浮かべた。それはミカの彼氏であり、自分の親友でもある哲生だったのだ。
「テツ・・・お前・・・」
「シュー・・・久しぶりだな、元気そうじゃん?」
約2年ぶりの再会を果たした哲生がそう挨拶している間も、ミカは周人の後ろに隠れていた。やがて車の助手席からは長髪の男が姿を現し、さらに後部座席にいたであろうショートカットにパーマをかけた美少女が立て続けに下りてきた。
「まこっちゃん・・・・それに圭子・・・・!」
「よぉ!元気そうじゃん!周人!」
「周人君!おひさしぃ~!」
男女2人に囲まれた周人だったがその顔は笑顔で満ちていた。一方周人の後ろに隠れていたミカは、哲生に強引に引っ張られてようやく姿を見せたものの、ずっと下を向いて哲生と視線を合わせようとはしなかった。
「ミカを迎えに来てくれたのか?」
会話のないまま腕を掴まれているミカと掴んでいる哲生をチラッと見やりながらそう言う周人に、2人は苦笑しながらうなずいた。
「昨日、ミカのおばさんからの留守電がテツに入っててな、朝から出て来たってわけ。オレらは仲介に来たのと、久々にお前の顔が見たかったからな」
親友である水原誠がそう説明し、横に立つその彼女の稲垣圭子が相づちを打った。この2人が付き合ってもう3年になるせいか、もはや夫婦のようにも見え無くない。そう思って笑みを浮かべる周人の様子に怪訝な顔をしてみせた誠だったが、それはすぐに笑みに変わった。
「こっちの生活はどう?」
圭子のその質問に、少し間を置いて答える周人。
「まぁいい感じってとこだな」
「そうか・・・1人暮らしだし、女の子の1人でも連れ込んでるだろうって圭子が言ってたけど、どうなんだい?」
そうそっと耳打ちする誠に対し、少し圭子を睨むようにした周人はそれはないときっぱり否定した。
「この間、ちゃんとお墓参りしたんだね?行ったら花があるからびっくりしたよ」
圭子はそう話題を変えると、嬉しそうにそう言った。周人はまぁなとだけ答えると、ミカの方を向いてその話題から逃げるようにして見せた。その態度から、やはり周人の中で『恵里』の存在は今でも大きく生き続けていると確信した2人は顔を見合わせて小さなため息をついた。ひょっとしたらここでの生活でそれを吹っ切っているのではないかと思っていたのだ。『恵里の存在』はちょっとやそっとでは消せない事を知っている2人だけに落胆こそしなかったが、切ない気持ちになってしまった。
自分の顔を決して見ないミカにやや苛立ちを募らせながら、それでも哲生は辛抱強くミカをジッと見つめ続けた。だが、ミカはうつむいたたまま全く微動だにしない。そんなミカを見るに見かねた周人が哲生に声をかけた。
「まぁた浮気したんだって?」
自分の肩に手を置いてそう言う周人を困った顔で見やる哲生は大きなため息をついた。誠と圭子は黙ってその様子を見ている。
「違うんだよ、今回はマジで・・・確かに同じモデルの子と飲みには行ったけど、何もなかったんだ・・・ホントだぜ」
「嘘・・・」
「いや、ホントだって!」
聞く耳を持たないという風なミカの言葉に、普段は浮気など日常茶飯事であり弁解もしない哲生が珍しく潔白を宣言している。ここ2年の哲生がどう浮気をしてきたか知らない周人はそれを信じていいかはわからない。だが、ここまできっぱりと反論する哲生を珍しいと思いながらミカを見やった。ミカはやや顔を上げたが、不信感溢れる目でジッと哲生を見ているのみである。そんな視線を真っ向から受け止める哲生は真剣な眼差しでミカを見つめ続けていた。
「1ヶ月に3回だと言ってたぜ?・・・その辺は?」
腕組みしてそう問う周人の方を一瞬見た哲生だったが、またすぐにミカを見つめ、説明を始めた。
「・・・実は、モデルの子の恋愛相談を受けていたんだ・・・それがややこしいことになって、その子がオレをダシにして相手の気を向けようとしやがったんだ。そしたらモデル仲間にオレと寝たとか言いふらしやがったから・・・」
吐き捨てるようにそう言うと、そっとミカを見た。ミカは半信半疑の顔をしていたが、さっきとは違って表情は幾分かましになっている。そんなミカを見る周人は苦笑し、そっとミカの肩に手を置いた。ミカはビクッと体を震わせたが、恐る恐る周人の顔を見る。自分を見るその顔には優しい笑みが浮かんでいた。
「昔からこいつは変に言い訳をする癖があったけど、モテだしてからはそれもなくなった。逆に開き直ることを覚えたからだ。そのこいつが必死で弁解している。オレはこいつをよく知ってるし、ミカもよく知ってるよな?」
しばらく間を置いたが、ミカはその言葉にうなずいた。
「たしかに女性にはだらしがなかったけど、今、こうしてちゃんと自分の彼女を迎えに来てる、弁解もした。今回は誤解ということでさ、許してやってくれないか?」
その周人の言葉にやや顔を曇らせながらミカは再び俯き、黙り込んでしまった。哲生は依然として真剣な目でミカを見つめ続けている。
「でも・・・・もうツライの、ヤだし・・・・」
「お前と付き合いだした当初こそ、浮気はしたけど、今はお前だけなんだ。信じてくれ・・・・・・とは言い難いか・・・・」
哲生は自虐的な言葉でそう言い、深々とため息をついた。付き合い始めた当初はデートをすっぽかして他の女性と遊びに行ったりしていた。それでも哲生を信じ続けたミカの心に彼自身が反省し、今ではもうそういった事はなくなっていた。だが昔の事があるだけに、噂が誤解を招いてしまったのだ。
「ミカ?」
周人の優しい言葉に顔を上げたミカは怖々と哲生の顔を見た。哲生は1度たりとも目を逸らす事なくずっとミカを見つめ続けている。
「信じていいの?」
かすれるようなその声に、哲生は力強くうなずく。
「じゃぁ・・・・許す・・・」
小さいながらもはっきりそう言ったその言葉にその場の空気が一気に和らいだ。誠と圭子はお互いにうなずき合い、周人は笑みを浮かべ、当の本人たちは見つめ合ったままの状態だった。
「お前だけが、ずっとオレを信じてくれてた。だからオレにはお前しかいないって思えたんだ・・・・ごめんな、ミカ」
「いいよ・・・・でも・・・・今度本当に浮気したら・・・・チンチン切り飛ばして、殺すからね?」
低い声でそう言うミカに引きつった笑顔を浮かべた哲生だったが、優しくそっとミカを抱き寄せた。ミカも一瞬驚いた顔をしていたが、徐々に嬉しそうな笑顔へと変化させてその胸に顔をうずめる。自然と手を繋ぎ合う圭子と誠の横に立ってその様子を微笑みながら見つめていた周人は、急に哲生に睨まれて怪訝な顔をしてみせた。
「何だよ・・・・その目は・・・」
「巨乳のミカと一夜を共にして・・・・・お前こそ何も無かったんだろうなぁ?」
ミカの両肩に手を置きながら凄むようにそう聞く哲生に、ミカはきょとんとした顔で哲生を見上げた。周人は疲れたような顔を見せながらも、哲生がミカを真剣に好いていると確信できて内心嬉しく思っていた。
「何もなかったよ」
そのミカの答えに周人も哲生もホッと胸を撫で下ろしかけたその時、ミカは何かを思い出したように言葉を続けた。
「あ、そうだ!う~んとね、キスしてぇ、胸に顔を埋められてぇ・・・バスタオル1枚の姿を見られた・・・でも襲ってもいいよって言ったのに何もしてこなかったよ。だから何もなかった事になるねぇ」
その言葉に、哲生はワナワナと全身を震わせてゆっくりと周人の方へと顔を向ける。その周人は必死な様子で反論を口にした。
「アホぬかせ!あれはほとんどお前が・・・・」
「キスはしたけどぉ・・・後はしゅうちゃん、だよね?」
全く何も考えずに無邪気にそう言うミカに対し、周人はもはや地面にヘタリ込み、がっくりとうなだれていた。それを見てお腹を抱えて笑い続ける誠と圭子をよそに、哲生の怒りは絶叫となって周囲に響き渡ったのだった。
一旦道端に車を止めて周人のマンションに戻った一行はさっきのミカの話から出た誤解を解き、一転和やかな雰囲気でコーヒーを飲んでいた。朝にミカの母親からの留守電を聞いた哲生が急いで迎えに行こうとして車を走らせようとし、そこへ偶然通りかかった2人を乗せてここまで来たのだ。道程約3時間のドライブを終えてこの桜町にやって来た3人はまだ昼食を取っていないため、周人は焼き飯を作って3人に振る舞った。ミカは哲生の横で嬉しそうにしており、周人は2組のカップルを見ながら仲良くやっている事に心底嬉しさを感じていた。
「そうだ!」
そんな中、ミカが突然大声を上げて立ち上がると勢いよくパソコンデスクに向かう。だが周人は全く動せずにコーヒーを口に含んだ。
「あれぇ~・・・・ない!ないよぉ!」
そう言うと膨れっ面で周人を睨むようにした。周人はそれを完全に無視をして目を閉じ、黙ったまま知らん顔でコーヒーをすする。焼き飯をがっついていた哲生はその様子に怪訝な顔をしてとぼとぼ戻ってくるミカを見やった。ずっと周人を睨んだままのミカだったが、ペタリと座ると哲生の腕に絡みつくようにしてみせた。
「何だよ?何が無いんだ?」
焼き飯を全てを平らげた哲生は大きく息を吐き出して満足そうにしながらそう質問を投げた。お茶の入ったコップを手に取りながらいまだに周人を睨むミカをなだめるようにしてみせる。
「プリクラ・・・昨日はあったんだよぉ?可愛い、すんごく可愛い女の子を抱っこしてほっぺにチューされてるのぉ」
「何ぃ?」
その言葉に、全員が一斉に周人を見た。哲生と誠は興味有りといった感じだが、圭子に至っては目をキラキラと輝かせている。そんな視線を受けながらも、当の本人は相変わらず知らん顔をしながらコーヒーカップを静かに置いた。
「んなもんないって・・・あるわきゃねぇし」
静かにそう言うのだが全員の目は明らかに周人を疑っている。頬を膨らますミカの横で哲生が凄まじい形相で睨んでくる。誠と圭子は興味津々といった顔で見つめており、周人はまさに四面楚歌状態に陥ってしまった。
「そんなに可愛かったのか?」
「うん、アイドルみたいだった・・・・」
「マジ?」
「激マジ!」
さっきまでの険悪なムードはどこへやら、チームワークも抜群に2人は揃って周人を睨むとさっさとそれを出せとばかりに手を差し出す。ごまかそうと横を見たが、そっちの2人も同じように手を差し出した。めまいがするのを覚えながら、周人はそのままテーブルに突っ伏してしまった。
「勘弁してくれよぉ~・・・」
「とりあえず見せてよ・・・彼女じゃないんだったらいいじゃん、友達かなんかなんでしょ?」
圭子はニヤつきながらそう言い、その言葉に他の3人もうなずいた。もはや逃げられないと観念してか、しぶしぶ財布を取り出した周人はそこから1枚のプリクラを取り出した。昨日あの後、もうバレないようにとそっと財布の中に入れておいたのだが結局何の効果もなかった。それを見た全員が声を上げ、笑いを巻き起こした。
「やるじゃん周人!可愛い子じゃないか」
「可愛い・・・お前、可愛すぎるぞこの子・・・・マジ可愛い・・・・」
「へぇ~、すごいねぇ・・・確かに可愛いじゃん!」
やたら可愛いを連呼する哲生がミカに頬をつねられて痛々しい顔をしている横で、圭子が周人に優しげな微笑みを返した。
「この子の事、好きなの?」
「・・・それ15歳、バイトやってる塾での教え子、ただそれだけの関係」
淡々と由衣の説明をするが、逆にそれが不信感を相手にもたらしていく。何故生徒とこういったプリクラが撮られたのかもその要因である。さらに冷ややかな目を浴びせてくる圭子だったが、顔は嬉しそうな顔をしていた。
「ほんとにぃ?その割には嬉しそうじゃん?」
「・・・・・そうだな・・・・でも好きではないよ」
きっぱりとそう言い切った周人に、圭子は少し考え込むような仕草を取った。誠も哲生も同じであり、ミカだけが普通にコーヒーを口に運んでいる。
「そうか」
そうとだけ言うと哲生はプリクラを周人に返した。受け取った周人はテーブルの上にそれを置き、ぼんやりとそれを眺めた。
「恵里ちゃんの為を思うなら、もう1度誰かを好きになるこったな」
哲生はそう言うと、残っていたお茶を一気に飲み干した。誠はうつむき、圭子とミカは顔を見合わせてから周人を見やった。みな『恵里』の死を知っているだけに、周人の気持ちを思うと後押しする言葉を投げるしかない。周人はうなずくと、全員に笑顔を向けた。
「昨日ミカから、恵里からの3年遅れのメッセージを受け取ったんだ。だから、これからは前向きに頑張るさ」
そう笑顔を見せる周人に、みんなの顔もほころんだ。
「あっち帰ってきたらさ、またみんなで大騒ぎしようぜ!純や十牙たちも呼んでな」
哲生のその言葉にその場にいた全員がうなずいた。圭子もそれに加わることを約束し、ミカもそれに賛同した。
「純たちは元気にしてんのか?」
その周人の問いに3人が3人ともうなずいた。純とは名を戎純といい、かつて周人と戦ったこともある柔術家である。世間的にグレていた頃に復讐に燃える周人と出会い、戦いを通じて周人の『恵里』のための復讐を知って仲間に加わったのだ。それ以来は親友となり、今でも交流は続いている。そして十牙とは名前を柳生十牙といい、あの有名な柳生新陰流の末裔である。ここにいる宝蔵院裏秘流棒術を操る誠の親友でもあり、こちらも『キング』との紛争時に哲生を通じて知り合ったのだった。もっとも、やはり誠も十牙も当初は敵であったのだが。とにかくこの5人、柔術の純、棒術の誠、剣術の十牙、合気気功柔術の哲生、そして古武術の周人のたった5人で『キング』の率いる軍団を壊滅させていたのだった。圭子は周人の同級生であり、恵里とも面識がある。そのせいでキングとの戦いを全て知っている人物でもある。2人は結婚を前提に今でも仲良く付き合っているのだった。今現在では、もはや彼女がいないのは周人だけになっており、その事を告げられた周人は渋い顔をするしかなかった。
「純ちゃんはねぇ、もう働いてるのよ。お父さんの会社を手伝っているの」
「ライトニング・イーグルと呼ばれたあいつが宅配の会社だ・・・動きが素早いあいつにはぴったりだろ?」
「あとはみんな学生だよ」
誠と圭子の言葉にうなずいた周人は自分がこの春から社会人になることを告げ、春には1度故郷であるN県に戻ると約束した。そして話が弾んだせいかすぐに夕方になり、4人は帰ることになったのだった。
赤い車はスポーツカーであり、中は狭い。そんな中に4人はきつい上にこれから3時間もこのままの状態で走り続けなければならないのだ。後部座席で折り重なるようにしながらも笑顔で手を振る誠と圭子に別れの挨拶を済ませ、助手席にちょこんと座るミカを見やった。ミカは少し悲しそうにしながらもそれを我慢して見送る周人に笑顔を見せた。
「じゃぁな、うまくやれよ?」
「また喧嘩したら来るからね」
そう言うミカに苦笑する周人の腕を引っ張るミカはそのまま顔を引き寄せて耳を近づけるとそっとその耳元にささやいた。
「そん時はぁ、遠慮しないでいいからね?」
呆気に取られる周人の口元にゆっくりと淡い微笑が浮かんだ。哲生はその言葉が聞こえていたにもかかわらず、あえて何の反応も示さなかった。
「テツ、気をつけて帰れよ」
「おう!まかせとけ!また近い内に来るかもよ?」
「来い来い!待ってるぜ」
ミカの前から手を伸ばし、ガッチリ握手を交わす。この哲生がいなければ、自分は『キング』の元に辿り着くことなくのたれ死んでいただろう。一番の親友、いや、真の友、『真友』と言うべき哲生と別れの挨拶を終えた周人は全員に手を振ると、車が完全に見えなくなるまでずっとそこにたたずんで手を振り続けたのだった。




