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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第一章
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優しさの値段(2)

西校の2階には1つの大きな部屋があって、総勢30人は軽く座ることが出来るほどの広さを持ち、その人数が座れるだけの長テーブルがいくつか用意されていた。教壇がある方向には壁一面にホワイトボードが取り付けられている。教壇側のドアのすぐ横には、壁に設置された外線も内線も使用可能な白い電話もあって、その下には教材をしまっておける小さな棚もあった。また部屋の後ろにも小さめのホワイトボードがあり、窓側には20インチのテレビが置かれたテレビ台もある。その中にはDVDデッキも確認できた。今この部屋に座っているのは中学二年生の生徒18名。男子11名、女子7名といった配分だ。教壇のある一番前の席には女子が座り、一列あけて男子がまばらに座っていた。男子は2、3人が固まったグループで座っているが、女子はひしめきあうようにして皆教壇の前に固まって座っていた。そしてドアが開くと、さっきまでうるさかった男子は静かになり、女子はやや声を大きめにして入ってきた新城に挨拶をした。新城はさわやかな笑顔で挨拶を返すと後の男子にも挨拶をした。新城の授業以外ではバラバラに座る女子も、やはり格好の良い新城の近くにいたいらしくいつもこうなのだ。用意したプリントを教壇の端に置くと教科書を出すように指示を出しつつ、自分も市販されている教科書テキストを開いた。授業が始まれば厳しい新城を知っているため、女子も静かになり、講義に集中した。康男の時とはまた違ったピリピリムードになるのだが、女子生徒はやはり新城をチラチラ見やりながらもその雰囲気を壊さないようにしていた。



一方、3階は2つの部屋に仕切られ、そのうちの1つを今、周人が受け持っている中学三年生が使用している。もう一つの部屋は無人であり、水曜日以外はそこを使うことがなかった。部屋は基本的に2階の大部屋と同じだが、18名がせいぜい入れるほどであり、テレビも無かった。その教室に13名がひしめき合うように座っている。前の方は男子が、後ろの方は女子が使用している。教壇の前に立つ周人がテキストを開くと、生徒たちも同じように開く。だが、かなりやる気の無さそうな一番後ろの女子生徒4人は気怠そうにアゴに手を付き、やる気の無いあくびをしていた。周人はそれらを見て見ぬ振りをし、授業を始めた。彼女たちは周人がここへ来た時からずっと、こと周人の授業に関してはこういった態度を取っていた。このクラスは人手が足りていたときは新城が受け持っていたのだが、今は周人が引き継いでいる。そのため新城のファンクラブを名乗るその4人にとって周人の存在は疎ましい以外の何者でもないのだ。とりあえず授業は受けるものの全くやる気を感じさせないその女生徒たちを、最初のうちはそれなりにたしなめたりしていたのだがそれも意味が無く、周人も困り果てていた。一度は塾長に交代を申し入れたのだが、あっさりと断られたのだ。周人は心の中でため息をつくと、授業に集中した。



「どうして木戸クンに三年生を?」


かれこれ授業が始まって一時間経った20時過ぎ、恵はやや大きな声で康男に問いかけた。机の整理を終えた康男はノートパソコンを立ち上げて何やら打ち込み作業をしていたが、顔を恵の方に向けた後でじっと自分を見つめる視線に対し、おもむろに立ち上がるとまたも周人の席に向かった。


「吾妻さんたち、そのうち授業をボイコットしかねませんよ?」

「今日は新城君が来る日だ、それはないさ」


康男は恵を見たまま自信ありげにそう言った。吾妻とは今周人が受け持っている中学三年生の女子生徒、吾妻由衣あづまゆいであり、さっきの女子生徒4人組のリーダー格の生徒だった。かなりの美人であり、中学生には全く見えないほど大人びた少女で、時には大学生に間違われるほどだった。やや茶色がかった髪は胸元まであり、胸も大きくとても15歳には見えない彼女は学校でも1番の美少女だった。化粧をすればそれこそ20歳ぐらいに見えるだろう。現に何度か町で芸能事務所にスカウトされたこともあるのだ。そんな彼女は新城に惚れ込んでおり、自ら進んでファンクラブを結成したほどだ。大学生の新城に合わせて背伸びをしているかのように大人びた服装をし、たまにルージュをしてくるほどの気合いの入れようだった。その為、本来ならば新城が行っていた今日の授業が周人に変更になってからは明らかに不機嫌で不真面目な態度を取っていた。1度、康男に元のシフトに戻せと抗議したほどだ。だが塾長である康男にあっさり拒否され、渋々授業に参加している。今日は新城が来ているせいもあり、なんとか塾にだけは顔を出しているといった感じがありありでもあったが。


「それに、木戸君なら彼女たちを変えてくれそうでね」

「変える?無理でしょ・・・あの子が好きな新城クンならいざ知らず・・・」

「いや、新城君では駄目なんだ」


意味ありげな言葉を残し、押し黙った康男を見やる恵は少し憮然とした表情で給湯室に向かった。その空気を呼んだ康男は苦笑しながら恵がコーヒーを入れて戻ってくるのを待った。


「彼女、吾妻さんが男性の優劣を決める基準ってなんだと思う?」


戻ってきて周人の机の上に康男の分のコーヒーを置いた恵に頭を下げながらそう質問する康男は足を組んだ膝の上に肘を付き、その上にアゴを乗せた。恵は答えを考えながら席につくと両手でカップを包み込む様にしながら思案した。だが分からず、素直に分かりませんと返事する。こういったさばけた性格の恵を、康男は買っていた。そのはっきりした性格だからこそ、ちょっと臆病な部分を見せた時、意地悪をしたくなるのだ。


「どれだけいい車に乗っているか、どれだけいい容姿をしているか、どれだけお金を持っているか、どれだけ自分を評価して物を与えてくれるか、だとさ・・・」


その言葉に呆気に取られた表情をしてみせる恵。もはや考え方は同じ大学の女子と似ており、とても中学生の考えだとは信じがたかった。実際大学でもそういう考えを持つ女生徒も多いのだ。


「つまりお金うんぬんを除けば新城君は見事クリアなわけだ」

「だったら尚更新城クンに授業させればいいのでは?」


恵は眉を曇らせながらそう問いかけた。理想に限りなく近い新城、しかも好意を持っている相手ならば尚のこと言うことを聞き、成績も伸びるに違いない。恵はそう考えていた。


「成績だけを考えれば・・・ね、だが、彼女はそのまま大きくなる。そしていずれは大きな落とし穴にはまる・・・・」

「はい・・・そう思います」


確かに自分の友達もそういった考えを持っており、そのせいで騙されたりとヒドイ目に遭ったりもしている。15歳でそういった考えを持っているのならば高校や大学へ進めばそのまま男をナメてしまう可能性は非常に高い。それは危険な事だった。だが、毛嫌いしている周人がそれを更生させる事はまず不可能だろう。言うことなど聞くはずがないのだ。その空気を読みとった康男は周りを見渡し、窓もドアをも閉まっている事を確認してから恵の方に顔を寄せて小声で話を始めた。


「君も知っての通り、彼には不思議な魅力がある。オレはそれに賭けてみたいんだ」

「でも、彼も吾妻さんを苦手としていますよ?」


たしかに周人は何かと絡んでくる彼女を苦手としている。それは端から見ている康男ならよく分かっているはずである。それでもあえて周人に賭けてみると言った康男の気持ちが知れない恵は憮然とした表情をしたままコーヒーをすするように飲んだ。


「彼には、本当の優しさがある。君が彼に惹かれたのもそこだろう?」


いきなりそう言われたその言葉に激しくむせた恵は康男に背中をさすられながらも赤面していた。こうまではっきり言われたことはなかった為と、自分が周人を好いている事がバレていることに動揺してしまったのだ。


「ゴメンゴメン、悪かった・・・・」


落ち着きを取り戻した恵だが、顔を上げることができずに伏せたままの態勢を維持している。普段は男勝りな部分を持つ恵も、事こういった話題には免疫がない。赤くなった顔は全く収まる気配を見せないでいた。


「やっぱり・・・・わかります?顔や態度に出てますか?」


消え入るような声でそう言う恵は相変わらず顔を伏せたままであった。むせたせいではない胸の動悸もいまだ激しく、全身が熱を帯びたように熱かった。


「いや、オレだから、こういう商売をしているオレだから分かっただけさ。現に周りは誰も気づいていないし、言うつもりもないよ」


恵は少しだけ顔を上げ、上目遣いにそっと康男を見やった。その視線をまっすぐ受け止めた康男は真面目な顔をして頷いた。


「優しいですよね、木戸クン・・・でも、吾妻さんを更生させるのは至難の業ですけど」


そう言うと、ゆっくりとコーヒーを飲む。周人の優しさを口にした時の恵は可愛らしく、康男は改めて恵が美人であると認識した。


「そうだな・・・だが彼の中の何かに触れる事が出来れば、なんとかなるかもしれない」


康男はそう言うとコーヒーを一気に飲み干した。時間は既に20時20分になろうとしている。


「どのみち、数学に関しては木戸君の方が力は上だ。彼女たちは受験生でもあるし、その辺を考慮してのことだから変更はしない。きちんと秋まではやってもらうさ」

「秋までなんですか?」

「秋には新しいバイトを雇うという条件で掛け持ちしてもらっているからね。アピールするなら何かと露出度が高い夏がチャンスだよ?」


最後の言葉を耳元でささやくように言うと、康男は自分の席へと戻っていった。再び顔を真っ赤にした恵はしばらく熱っぽい体を冷やす為、一旦外の空気を吸いに出るのだった。



21時になり、ぞろぞろと外に出てきた生徒たちは新城の乗ってきたスポーツカーの前に群がっていた。彼がこの車を買ってから既に3ヶ月、いまだに人気が高い状態にある。それもそのはず、この車は最新型の機種であり、300万はする代物だったからだ。赤に白いラインが入ったシュヴァルベR―99、通称『アール』と呼ばれるこの車は走り屋が好む車であり、有名なル・マン24時間耐久レースでも上位に食い込むほどの高性能車であった。貯金としてコツコツ貯めていたお金70万円を頭金として納めたこの車のローンは5年。バイト代すべてを注ぎ込んでも支払いに困る車であったが、就職後に返すということで親の援助も受けていた。新城にとってこの車は憧れのものであり、買ったことで責任感を得て色々なことに打ち込める気力の源になっていた。彼女のいない新城は塾に来る以外にほとんどこの車に乗る事は少ない。自慢のために乗っているのではないが、出かけることイコールにアルバイトが存在している状態だ。彼は決して理想が高いわけではないのだが、自分が好きにならない限り付き合う事はしない性格だった。現在は片思い中であり、もっぱら相手との距離を縮めることに終始していた。が、残念ながらその距離は一向に縮まる事はなかった。職員室から出てきた康男は駐車スペースに置いてある送迎用のバスに乗り込むと、建物の横に移動させて駐車した。今日は総勢31名を乗せるこのバスの定員は40名の大型であり、約1時間かけて生徒の送迎を行うのだ。ここは田舎で校区が広いため、どうしても広範囲の生徒が集まってしまうのだ。さくら校では小型のワゴンが1台で、それこそ20分もあれば事足りるほどである。康男はアールに群がる生徒たちをバスへ乗るよううながすと、たばこを吸いに出てきた周人に近寄っていった。


「悪いな、今日、泊まりにさせちゃって」

「いいっスよ、オレ、どのみち一人暮らしですから」


たばこに火を点けてそう言う周人はその火に無理矢理近づく新城に対しムッとした表情をして見せた。新城は意味ありげな笑みを浮かべたまま自分もたばこを吹かすと、肩をぐるぐる回して軽い運動をするのだった。そのままチラッと周人の左頬を見やる。左目の下に横に走る傷がそこにあった。刃物か何かで切ったような傷が5センチほど、目の下2センチぐらいのところから少しこめかみに向かって緩やかなカーブを描いていた。雨の上がった空だが、月も星も見えない。上空にはまだ雨雲がいるのだろう、梅雨はまだ明けそうにない。雨が降ったせいかそれでも蒸し暑さは幾分ましになっていた。だがやはり湿気がきつく、すぐまた蒸し暑くなるだろう。だが季節はもう7月。夏はすぐそこまで来ているのだ。


「新城先生、いつあの車に乗せてくれるの?」


可愛らしい声を上げながら吾妻由衣が近寄ってきた。横にいる周人を押しのけるようにして他の3人も寄ってくる。アイドルを前にファンクラブがここに勢揃いをしたのだ。


「そうだなぁ・・・まぁ高校に受かったらだな」


軽くそうかわす新城に対し不満の声を上げながらも擦り寄る4人に、周人はやりきれない思いを心の中で感じていた。自分の授業では決して発しないそのやんわりした可愛らしい口調、今日の授業でも刺々しく答えを言うほどであった。これを雲泥の差だというのだろう。そう感じて肩をすくませ立ち去ろうとした周人を、意外にも由衣が呼び止めた。その口調はやはり刺々しく、目も睨むような、それでいてバカにしたような視線を向けている。


「木戸センセーはどんな車に乗ってんの?」


うって変わった口調だったが、もう慣れている。


「普通の車・・・だよ」


少し困ったような顔をした周人を見た瞬間、由衣は意地悪な笑みを浮かべて、まるで見下すような感じで腕組みをした。


「ハッ!せめて車はアールでしょ?ア―ル!」

「ワゴンRもアールだけどな」


そう言い残して立ち去る周人の背中に、まるで罵声のごとき声があがった。


「何それ?ギャグ?さっぶーい!そしてサイアクー!」


芝居がかったその声すら無視した周人は鉄製の階段に腰掛けて携帯の灰皿を取り出すと灰を落とした。そのまま空を見上げるが月はない。周人はため息を漏らすように微笑み、そのまま月のない空を見つめ続けた。今の言葉にさすがに腹を立てた感じの康男だったが、肝心の周人本人が何も言わなかったのを受けてあえてとがめず、バスに乗るよう強い口調で告げた。塾長である康男が怖いことは授業で身に染みているのか、大人しくそれに従った4人は再度周人を睨むようにすると素早くバスに乗り込み、窓の向こうからにこやかな顔で新城に手を振った。新城はバスから離れるようにして手を振っている。康男は全員が乗ったのを確認すると、クラクションを軽く2回鳴らしてからバスを発進させた。そのバスが大通りを左折したのを確認した新城は周人の横に腰掛けた。たばこは既に半分近く無くなっている。


「よくキレないな」

「キレて済むならとっくにキレてるさ」


2人はまたもぽつぽつ降り出した雨に閉口しながらあわててたばこの火をもみ消し、立ち上がった。職員室はプリントなどの書類があるために完全禁煙である。本格的に降り出した雨から逃れる為に職員室に戻った2人は恵を加えて小1時間ほど雑談し、康男が戻るのを待つのだった。

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