見えない気持ち(6)
8月28日の午後2時を指す時計の針を見ている恵は人通りの多い雑踏の中にいた。今日は待ちに待った周人とのディナーの日であり、ついでに映画も見ようということになっていた。恵の方の都合でこの時間に待ち合わせをしたのだが、場所が悪かったのか多くの待ち合わせの人間でひしめきあい、どこから誰が来るのか全くわからない状態になっていた。繁華街の中心地たる桜ノ宮駅は3つの路線がぶつかりあう大きな駅であり、その中にある大きな時計台は待ち合わせ場所のメッカになっていた。恵はその真下で周人が来るのを待っているのだ。10分前にここへ来てからすでに3人の男性にナンパされ、ややうんざりした気持ちで立っていた。いつも1人でこうやって突っ立っていれば必ず誰かがナンパをしてくる。強い口調で断りながらも内心は少し怖がっているのだった。今日の恵はこの間買った白いワンピースを着込んでいる上にいつもはしない化粧をしてややピンクめのルージュを引き、一見すればモデルのような感じに見えるためにナンパされやすくなっているのだ。そして午後2時1分、後ろから肩を叩かれた恵はビクッと肩をすくませながら凄い勢いで後ろ振り向いた。そこには息を切らしながらごめんと謝るような仕草をした周人がいた。またナンパかと思っていたせいか、安堵の表情を浮かべた恵はその髪型が自分が以前にセットした形になっている事に驚きながらも嬉しくなった。あの日以来一度もしなかった周人が自分とのデートの日にしてきてくれた事が嬉しくて仕方がない。
「すまない!駐車場が混んでてさ・・・・待たせたろ?」
かなり急いで走ってきたのだろう、息が切れて言葉も満足に出せていない。薄いブルーのシャツに白いパンツ、そしてベージュの靴をはいた周人はいつもの周人とは違ってぐっとかっこよくなっていた。恵と釣り合う周人といったその2人を見やる周囲の視線は有名人を見るような感じになっている。とりあえずこの人混みから出ることにした2人は2時半からの上映になっている映画を見るためにその足で映画館へと向かった。映画館は大型ショッピングモールの中にあり、全部で7つのスクリーンが楽しめるようになっていた。またボウリング場やカラオケ、ゲームセンターといったアミューズメント施設も充実しており、買い物のみならず娯楽を楽しむことも出来て1日中楽しめる場所として多くの人で賑わっていた。そして12階建てのこの建物の最上階に、今夜のディナーを楽しむレストランがあるのだ。夜景を楽しめるそこは若者やカップルのみならず、家族連れにも人気を博しており、休日などは予約なしでは入れないほどであった。値段も高めな物からリーズナブルな物まで幅広く、今日もカップルや家族連れで賑わっているのだ。今日はまずアクション映画を堪能した後、ボウリングをするという予定になっていた。早めにチケットを買いに来て正解だったのか、すでにチケット売り場には長い行列が出来ていた。2人が観る映画は公開されてからそこそこ日にちが経っているためどちらかといえば空いており比較的いい席が確保できた。上映までにまだ20分ほどある上に全席指定なため、2人はポップコーンとジュースを買うとトイレも済ませて早々と席に向かった。ゆっくりしても10分あれば全て終わり、さっさと座席に着く。中は結構空いていた。
「映画なんてホント、久々だよ」
言いながらポップコーンを一掴みして口に入れ、入れ物ごと恵に差し出した。恵はありがとうと言い、同じようにポップコーンを頬張った。
「木戸クン、DVD派だったわよね?こないだ家に行ったときもレンタルDVDの袋が見えたし。でもぉ、あれはやらしい系かなぁとか思ったりして・・・」
「やらしい系も縁がないや・・・いろいろ忙しいからね。結局アクション借りて、観ながら寝ちゃうんだよ」
苦笑しながらそう答える周人は恵の方を見た。ジュースを飲みながらも笑顔を返してくれる。
「やっぱり君は美人だよ」
全く予期していなかったせいか、さらっとそういうことを言われた恵は照れたように顔を伏せてしまった。
「ありがと。木戸クンもいい感じだよ」
周人を上目遣いで見るようにしながらそう返すのが精一杯だ。
「せっかくなんだしと思ってね・・・こうやってデートなんて久しぶりもいいところだから・・・」
「彼女いない歴って、何年なの?」
ここがチャンスとばかりに恵はその質問を投げかけた。この手の話題を振るタイミングをいつも逃しており、今日こそはと気合いを入れてきたのだが意外と早くそれはやってきた。
「3年・・・・かなぁ?・・・といっても1人としか付き合った事はないんだけどね」
「そうなんだ・・・」
そうこうしていると幕がゆっくり開いていき、徐々に劇場内が暗くなっていく。その為、少し表情が暗くなっていた周人に気付かないまま映画は始まった。
2時間弱の映画を終えてボウリング場に向かった2人はタイミングが良かったのかすぐにプレーを楽しむことが出来た。運動神経がよさそうな周人だったがボウリングは苦手なようで、1ゲーム目は恵に圧倒的大差をつけられて敗北を喫してしまった。2ゲーム目はそこそこいい勝負になったものの、結局周人が負けてしまった。3ゲーム目も恵が取り、良いところなく周人のボウリングは終わってしまった。勝ちにこだわる周人の結構子供っぽいところを見られた恵は終始ご機嫌で、この1日で周人がますます好きになっていった。ムキになっても嫌味が無く、さっぱりとしている所に気付き、胸をときめかせた。ボウリングを終えた時点で予約の時間までまだあと1時間以上もあるため、2人は軽いウィンドウショッピングを楽しむ事にした。腕を組んだりはしていないが、2人の雰囲気は端から見れば愛らしいカップル以外の何者でもなかった。自然な雰囲気の中、店の中の珍しい物を見つけた恵が咄嗟に周人の腕を組む。周人もそのままで恵に付き合ってその品物を吟味した。その店を出てから自分が腕を組んでいることに気付いた恵はあわてて身体を離したが、周人は笑顔を見せたのみで何も言わなかった。2人はそのままゲームセンターに向かう。ここのゲームセンターはメダルコーナーがかなり大きく、その他にも体感や音楽ゲームも豊富に揃っていた。
「ココ、初めて来たけど、結構すごいねぇ~」
見渡すようにしてそう感嘆の声を上げる周人は、プリクラの立ち並ぶコーナーをじっと見ている恵に気付いた。微笑を浮かべた周人は恵の手を引き、無言のままそっちの方向へと向かった。手を握られているだけでもドキドキしているところへ、どこへ行くのかとさらに鼓動が高鳴る。周人は恵の手を握ったまま列をなして女の子やカップルが順番待ちをしている一番人気のあるマシンの最後尾に列んだ。
「記念の1枚、撮っておくかなってね」
やや照れたような顔をしながらそう言うと、列んでいる顔ぶれを見渡す。そんな周人の手をギュッと握り、恵は笑顔を見せた。
「ありがとう」
自分の願望に気付いてさりげない優しさを見せた周人はお礼を言う恵をチラッと見たのみで別にいいよと素っ気なく答えた。だがそんな周人の優しさが身に染みる恵は身体をすり寄せるようにしてみせた。クーラーがガンガンに効いているため、密着させても暑くはない。周人もそんな恵を振り払うことなく、前を見据えるのみであった。10分ほど待つと順番は回ってきた。プリクラ代である400円を200円ずつ出し合い、仲良く並んでカメラの前に立った。鏡を見ながら何度も前髪を直す恵を微笑を浮かべながら見やる周人は立ち位置を確認する。恵は周人と並ぶと緊張した面もちで画面を見た。
「んな緊張されるとこっちまで緊張しちまうよ」
苦笑混じりにそう言うと、幾分か恵の緊張もおさまり2人は面白いポーズを取ることで話し合った。結局モデル風な感じで全身を、上半身のみの分は笑顔の分を採用し、シールは出来上がった。スタンプや落書きを施し、上々の出来栄えで仕上がったそれを2つに分けた。恵は折れないようにそっと大事に手帳に挟み、周人はセカンドバッグの中にしまった。その後、レースゲームなどをして楽しんだ2人は予約の時間10分前にレストランへと向かったのだった。
12階の一角を占めるレストランの造りは高級感をあおるものだった。表示されている値段もまちまちで、中の人間もまたまちまちであった。家族連れやカップル、女性同士にサラリーマンの男性などが見て取れる。恵が入り口で予約名を告げるとスーツ姿の若い店員が丁寧な仕草で中へと案内してくれた。窓から見える景色は絶景で、ネオンや車のランプが色とりどりの模様を描いていた。ここのレストランの造りは特殊な構造になっており、カップル席はしきりで覆われた個室のようになっているので甘い一時が過ごせるよう工夫されていた。無論家族連れ用の為のやや大きめのスペースも設けてある。一番奥の窓際に案内された恵はチケットを差し出し、少し高めのコースを注文することにした。どのみち半額になるのだし、給料が出たすぐ後という事も計算に入れ、周人の了解も取ってあった。そんな2人の様子を、離れた場所からうかがっている者がいた。黒いミニスカート姿であるにも関わらず、大胆に露出させた足を組み、茶髪に大きなピアスをつけた少女がそれである。テーブルを囲むしきりは完全に全てを囲うものではなく、4つの辺を、角に人が1人通れるほどの隙間を明けているためにある程度の様子を掴むことができるのだった。ノースリーブの黒いシャツを着てカクテルを飲みながら微笑を浮かべるその少女は恵の妹である亜佐美であった。カウンター席に腰掛け、ウェイターの若い、これまた長髪に茶髪といった風貌の男を従えていた。
「あれがお姉ぇの本命か・・・車の男も良かったけど、こっちもいい男じゃん」
ここから見えるのは周人の横顔が少し程度であったが、さっき席を案内される間にひとしきりの顔は見ておいた。もちろん、恵に気付かれないようにウェイターを壁にするように横に置いての事だったが。
「奥手のお姉ぇにしたら上出来ね・・・これは面白くなりそ!」
そう言いながらカクテルを口に含む。とても高校生には思えない見事な飲みっぷりだ。
「あんたのくれたチケット、無駄にならなかったわ、ありがとっ」
「まさか自分の彼氏をこういう風に利用するとはね・・・でもま、お姉さん、負けず劣らず美人じゃん」
亜佐美の彼氏であるその若いウェイターはここでバイトを始めて半年が経っており、それなりに割引等のチケットは手に入れやすい立場にいた。もっとも、亜佐美と付き合いだしたのはつい最近の事であり、男にしてみれば本命なのだが、亜佐美にすればいつでも縁を切れる程度の彼氏という存在である。
「おい、ぼさっとしてるんならお客様のお水でも見て差し上げろ!」
野太い声が男の背後から聞こえてきた。何事かと亜佐美が振り返ると、直立不動で、はい、と返事をし、すぐにその場を立ち去った彼氏のいた場所には見た目も怖そうな大男が立っていた。短く刈り込んだ髪を金色に染め、黒いスーツに紫のネクタイを締めたいかにもヤクザ系の容姿をしたその大男はそのまま周人と恵がいる席にズカズカと大股で歩いて行ってしまった。呆然とそれを見送るしかない亜佐美は何が起きたかを理解出来ずにあわてた様子で水入れを持ってやって来た彼氏を呼び止めた。
「あのヤクザみたいなの、誰?」
「ヤクザよりも恐ろしい、ウチのオーナーだよ」
「あれがオーナー・・・・?」
どこからどう見てもヤクザな感じだが、通りすがりに客に挨拶する姿勢は凄く丁寧であった。そのオーナーは周人のいる席の所に立ったまま動かなくなった。
「ちょっと何なのよ・・・あんた、ちょっと見てきてよ」
席を立たずに体を動かして何とか状況を把握しようとするがオーナーの体は大きく、完全に壁になってしまって全く様子が見えないのだ。
「仕事しないと殺されるよ・・・」
「あの辺で水を入れまくってくればいいのよ、いいから早く行けって!」
亜佐美は彼氏をせかし、下着が見えるのもお構いなしにお尻を蹴り上げる仕草を取る。そんな亜佐美を困った顔をしながら見やる彼氏は渋々と手前のテーブルから順に水を入れながら慎重に奥へと近づいて行くのだった。
注文を聞いていた若い真面目そうなウェイターは突然現れたオーナーに驚き、これまた直立不動となった。それは恵も同じで、とてもオーナーとは思えない風貌のために目を丸くして身を固まらせた。そして周人も驚きの表情を見せたが、それは恵の驚きとは違い、すぐに笑みに変わった。オーナーも周人の顔を見て微笑を浮かべたため、この2人が知り合いであるということを悟ったウェイターと恵はホッと胸を撫で下ろした。オーナーはそのままウェイターに下がるよう命じると、ウェイターは丁寧に一礼をしてそそくさとその場を立ち去っていった。ウェイターが去ったのをチラッと横目で見てからオーナーは満面の笑みを浮かべたままバンと周人の肩を叩くようにしてみせた。
「久しぶりだなぁ、木戸ぉ!」
「まさかこんなところであんたに会うなんて思いもしなかったよ」
互いに懐かしむ2人を呆然と見ていることしかできない恵はどうしていいか分からずに目をパチクリさせるしかなかった。
「で、こっちの超美人は彼女か?」
チラッと恵を見てにんまり笑う大男に軽く会釈をした恵の表情は当たり前だが強ばっていた。
「いんや、残念ながらね・・・彼女じゃないよ」
そう言って肩をすくませた周人を見やる恵の表情は暗く沈んだ。こうはっきりと否定されてはどうしようもない。だが、次の瞬間、その表情は一転した。
「まぁ・・・だけど、今のところは、って感じにしとくよ」
「ほぉ、あのお前がなぁ・・・月日も流れりゃぁ変わるもんだ」
「で、お前さんはここで何を?この店の借金の取り立てかい?」
恵は周人の言葉の意味を理解するまでに少々時間がかかったが、口元を笑みがよぎるまではそう時間はかからなかった。
「ここのオーナーやってる。ま、ようするに経営者ってヤツだな」
ぼりぼりと頭を掻きながら照れたようにそう言ってのけたオーナーは驚きの顔をしている周人を見た。
「月日か・・・あのお前が有名レストランのオーナーとは、変わるもんだ」
感心したようにそう言う周人は苦笑を漏らした。
「あの時のつながりでこうなったんだが、人生はわからんとつくづく思うよ」
「日本最強のチームで最強の男が、レストランのオーナーかよ・・・」
しみじみそう言うと、周人は水の入ったグラスを見つめて何かを思い出すようにした。
「バカ言いやがれ・・・最強はテメーだろうがよ。『魔獣』と呼ばれたお前がここでこうして女性とディナーって方が笑わしやがる」
がっはっはっと大声で笑うと再度周人の背中を叩いた。恵は何の事かわからずただ戸惑うばかりである。そんな恵の様子を見たオーナーはテーブルの上に置いてある半額チケットを見た。
「お前には大きな借りがある、今日はオレのおごりだ、存分にやってくれ」
「借りってお前・・・・あれは帳消しになったろ?」
周人は困惑した顔をし、恵もまた驚きの表情をしていた。そんな恵にごゆっくりと言いながら丁寧な仕草で頭を下げると、引き留める周人を無視してチケットを残したままそそくさと去っていった。
「はぁ~、こういうところは変わっちゃいねぇな・・・ま、せっかくだからお言葉に甘えようか」
何ともいえない笑みを浮かべてそう言う周人に従うしかない恵は小さくうなずくのが精一杯だった。明らかに混乱している恵を見た周人は少し夜景を見ながらゆっくりと説明を始めた。
「こう見えて昔ちょっとワルやっててね・・・日本最強の暴走族『ミレニアム』の頭やってたさっきのオーナー、千早茂樹とヤリあったんだ・・・ま、この店の名前も同じミレニアムだけど」
そう言うと呆気に取られている恵を見つめて肩をすくめるような仕草をしてみせる。結局その戦いはわずかの差で周人が勝ちを収める結果となったが、その直後に第三勢力の介入もあって周人にしてみれば決着は引き分けに等しい勝ちだと認識していた。その第三勢力から逃れるために倒れる茂樹をかばいながらなんとかその場を脱した周人に、いつかはこの借りを返すと茂樹が言ったのだ。それがさっき言った『借り』だと説明した周人は注文もしていない高そうなシャンパンを持ってきた茶色い長髪のウェイターを怪訝な顔をして見上げた。
「こちらはオーナーからのサービスです」
言いながらてきぱきとグラスにシャンパンを注いでいく。もう茂樹の好意を受け取る覚悟を決めた周人を横目に恵は少し動揺していた。ウェイターは一礼してすぐに去っていき、残された2人はグラスを手にした。正確には周人がためらう恵に乾杯をうながしたのだ。
「では、乾杯」
「乾杯」
チンという小気味良い音を響かせてグラスが当たる。少し口に含むと甘い味が口いっぱいに広がった。どうやら女性でも軽く飲める物を選んでくれたらしい事に感謝しつつ、グラスを空にした周人は話の続きを始めた。
「『魔獣』ってのはその時ついたオレのあだ名なんだ」
「そういえば聞いたことがある・・・『魔獣』と呼ばれる男が『キング』を倒したって・・・」
「おいおい・・・・優等生なら知らないはずだぜ?もしかして・・・青山さんも、ワル?」
苦笑混じりにそう言う周人を見た恵はあわてたように手を振った。
「う、噂よ噂!高校の時、同級生の男子がそう話してるのを聞いてわけわかんないなぁって思ってたのよ」
必死で否定するような口調に笑みを返す周人はその頃を思い出すようにしながら夜景を見やった。つられるように恵も夜景を見やる。すぐ近くを通る高速道路に車の流れるライトの光が川となって流れていた。
「『キング』ってのはヤクザすら恐れるほどの強さと権力を持った若干25歳の大男だ。警察すら手が出せないほどの男で、ヤツが犯した犯罪は数知れない。で、たまたま運良くオレがキングをやっつけたのさ」
「どうしてキングと?」
「ちょっとした恨みがあったのさ」
素っ気なくそう言うと、これ以上は言いたくないとばかりに口を閉ざしてしまった。左頬の傷がいやに目につく恵は自分の知らない周人の一部分を知ってやや困惑していると、前菜が運ばれていた。
「さぁ、食べようぜ。今日は楽しまないと、ね?」
そんな恵を気遣ってか、一転して笑顔でそう言う周人を恵もまた笑顔で見やった。これ以上は聞くことはない、本人が言いたくないことを詮索したくないと自分に言い聞かせ、恵は夜景と料理を楽しんだ。シャンパンでほんのりと赤く染まった顔を見ながら、周人は少しだけ昔のことを思い出しながら夜景へと目を向けるのだった。
「あいつ、オーナーの知り合いみたい」
偵察から戻ってきた彼氏からそう説明を受けた亜佐美は肘を付きながら何かを話している周人を見ていた。
「でも昔のっていう感じだったなぁ・・・・」
彼氏はそう告げると客に呼ばれてオーダーを取りに行ってしまった。残された亜佐美は何かを思案するかのようにジッと周人を見つめている。
「調べてみるのが・・・いいみたいね」
そうつぶやくと3杯目のカクテルを一気に飲み干す。まだ高校二年生の17歳でありながら見事な飲みっぷりである。そしてブランドのバッグからスマホを取り出すと、おもむろにどこかへかけ始め、手帳からメモを千切ってそこに何やら書いた後、空になったカクテルグラスの横にその紙を置き、そのまま彼氏に何も告げずに店を後にするのだった。やがて戻ってきた彼氏はいなくなった亜佐美の残したメモを見てがっくりと肩を落とす事しかできなかった。
『支払いよろしく~、亜佐美より』
そのメモを見た男の表情が見る間に険しくなっていく。
「最近、舐めすぎだな、亜佐美・・・・」
怒りに握った拳が揺れる。男はメモを握りつぶすと、怒りに満ちた顔を口紅の跡が残るカクテルグラスへと向けるのだった。
出てくる物全てがかなり豪華な料理に驚きつつも、2人は残さず全てを平らげていた。今では残すはデザートと食後のコーヒーのみである。
「おいしかったぁ・・・でも、これっていったいいくらのお料理なんだろう?」
「多分一番高いヤツだと思うよ・・・」
周人はそう言うと一息つこうとたばこに手を伸ばしかけて一旦手を止めた。その動きを見て小首を傾げる恵だったがその意図を察し、どうぞと笑顔でたばこを勧めた。女性の前で遠慮をしようとした周人の心を読んだのだ。悪いねと言い、たばこに火を点けて食後の一服たるその味を満喫する。テーブルの上の灰皿からして喫煙席のようだったので、断る理由はない。
「木戸クン、就職どうするの?」
不意にそう話題を振られた周人は近くに置いてあるアルミ製の灰皿を引き寄せるとたばこの灰を落としながら一息おいて返事を返した。
「今吟味中~ってところかな」
そう告げると再び視線を夜景に走らせた。
「木戸クン、先生の才能あると思うよ。子供たちにも人気あるしさ」
「まぁ、一部においては不人気だけど・・・でも、それも候補にあるんだけどね・・・・」
周人はそう言うとやや苦々しい表情を浮かべて見せた。あのプールの日に由衣にはすでに塾ではなく、以前から誘いを受けていたカムイモータースに決めた本心を明かしながら、恵にはそれを言えない自分に苦さを感じているせいもある。だが、今のこのアルバイトが気に入っている周人にとってカムイに就職することは悩みに悩んだ末の結論なのだ。もちろん、康男からもこのままずっと塾にいて欲しいとも言われていた。だが、周人が選択したのは世界へ羽ばたく可能性を持った仕事だったのだ。たばこをもみ消し、用意されたゆず味のシャーベットを口にした。恵も美味しそうにそれを食べながらも周人がこのまま塾にいてくれることを望んでいた。恵はこのまま教員の資格を取り、塾に就職したいとおぼろげながら考えていたのだ。学校の先生もいいかもしれないが、今の塾がすでにバイトを越えた領域にあるため、特にそう思っているのだ。好きな人とずっと一緒に同じ職場にいたいと願う恵だったが、こればかりは周人が決めることと、それ以上は何も言わなかった。周人にはコーヒーが、恵には紅茶が用意され、全てのメニューがここに終了した。ますます美しさを増す夜景を見やりながら恵は今の雰囲気ならばと、常々周人に聞こうと思っていた質問をぶつけることにした。
「木戸クン、今は好きな人とかはいないの?」
ごく自然な感じでそう問われた周人はカップを置くと、肘を付いて恵を見た。紅茶のカップを口に当てたまま、大きな目をくりっとさせた恵は小首を傾げるような仕草を取る。
「前に新城にも聞かれたんだけどさ・・・・今はいないよ。好きな人も、彼女も・・・ね」
やや苦笑気味にそう答えて再びコーヒーをすする。どこか安堵の表情を浮かべながら小さくそう、とだけ答えた恵はカップを置くと美しい夜景に視線をやった。その横顔を見やる周人の頭の中には恵でも由衣でもない、恵の知らない少女の顔が浮かんでいる事など露も知らないのだった。
食事を終えた2人はレジの近くにそびえるようにして立っているオーナーの茂樹の元へと歩み寄った。恵は軽く会釈をし、周人は見上げるようにその目を見ている。
「本当にごちそうになっていいのか?」
「ああ、いいさ。どうでしたか、我がレストランの最高のコースのお味は?」
丁寧な口調で恵に向けて放たれたその質問に、笑顔で美味しかったですと返事を返す。その返答に満足そうな笑みを浮かべた茂樹はありがとうございますと丁重な言葉で頭を下げた。
「料理長にも気合いを入れてもらったからな・・・また来てくれよ。君たちなら格安にしとく。オレがいない時でもスタッフには伝えておくから」
店の入り口まで先導してくれながらご機嫌な様子でそう言う茂樹に、周人は淡い微笑を浮かべて見せた。周人が知っている茂樹の印象は圧倒的に喧嘩が強く、暴れ狂う巨人といったものだった。だが今は違う。誇りに満ちたレストランのオーナーの風格を持った立派な大人の男なのだ。
「そういえばこの間芳樹にあったよ。相変わらずというか、元気そうだった」
「喧嘩がらみか?やるなら手を抜いてやってくれよ?」
「手を抜いたらこっちが殺されかねないぜ・・・」
「じゃぁ殺さない程度、に訂正しとくよ」
そう言って笑いあう2人を見ながら果たして周人がどれほど強いのか思案する恵だが、普段の周人から喧嘩をしている姿は想像出来ないため、全くイメージが湧かなかった。
「たまたま会っただけだよ・・・そん時にお前さんに『警察のやっかいにならないように』って伝えてくれと言ったんだが、撤回しておくから」
その苦笑混じりの言葉に茂樹は豪快な笑いをして周人の背中をバンと叩いた。結構きつめに叩かれたのだが、たいして痛がる事もせずに周人もまた笑みを浮かべていた。
「今はこっちに手一杯でな、引退したチームのことは全てあいつに任せてある。もし、あいつが何かやらかしたら遠慮はいらねぇ、チームごとつぶしてくれ」
「オレ1人じゃつぶせないって」
「お前だからつぶせると思ってるし、お前しかいないとも思ってる・・・それにお前には最強の4人がついてるからな」
「あの4人とも今じゃほとんど連絡とってないからなぁ・・・それに、めんどくさいのはもういいよ」
遠くを見るようにしながらそう言う周人の背中を再度バンと叩くと、茂樹はそのまま右手を差し出した。苦笑する周人も右手を差し出し、ガッチリと握手を交わした。その瞬間、周人の表情が一瞬だけだが強ばったのを、恵は不思議そうに見ていた。
「相変わらず食えない男だな、あんたは」
「おめぇもな」
2人はそう言いあうとニヤッと笑いながら手を離す。その後、2人ともやや険しい表情をして向かいあっていたが、すぐにそれは笑顔に変わった。今度は今のわけのわからない会話に首を傾げる恵とも握手をかわす茂樹を見る恵は、茂樹のその手の大きさに驚いてしまった。
「絶対また来てくれよ?」
「ああ、また来るよ」
「ごちそうさまでした」
2人がエレベーターホールに消えるまで、茂樹は一礼をして見送ってくれた。ホールの窓から見えるさっきとはまた違った角度からの夜景を見ながらエレベーターが来るのを待つ恵はさっき疑問に思った事を質問した。
「さっきの握手、何かあったの?」
「握手の際に手首の関節を極めてきたんだよ、あいつは・・・まぁ、でも、オレがそうはさせなかったって事だよ」
「・・・信じらんない」
そうとしか言葉が出ない恵に笑みを返すと、やってきたエレベーターに乗るようにうながした。2人だけを乗せたエレベーターのドアは音もなく閉じられ、下へと向かった。
「今日は結局、木戸クンのおかげでチケットも使わず仕舞いだった・・・逆にお礼を言わなきゃ・・・」
「そもそもそのチケットがなけりゃこうなっていなかったんだ、礼を言うのはこっちだよ、ありがとう」
笑顔でそうお礼を言われた恵はお酒のせいではない頬の赤みを見せていた。その後、車で家まで送ってもらった恵は今日一日の事を思い出し、眠りに落ちるその瞬間まで周人のことばかりを考えていた。記念に撮ったプリクラはスマホケースの裏側に貼り付け、残りは大切な物をしまってあるお気に入りの小箱の中に大事にしまい込んだのだった。今日一日で随分心が近づいたような気がした恵は満足そうな寝顔で眠りにつくのだった。




