美女と魔獣
横に長い机が二つ横隣に並び、それが縦に五列ある空間の正面には教壇があって、その向こう側には大きなホワイトボードも設置されていた。また、右側奥にある出入り口脇にはビデオ付きの黒いテレビがこれまた黒いテレビ台の上に鎮座しているが、見る限りかなり年季が入っているほどに古そうだった。左側の壁に大きく2つある窓にはアルミサッシによる格子がされており、転落防止による保護を行っているここは塾の教室であった。今、一番最前列には白髪の混じったやや小太りの男が後ろ向きに斜めに構えるように1人だけ座っており、正面を向いた形で五人の少女がそれぞれ三人と二人に分かれてその男のすぐ前の席に腰かけていた。真っ白一面のホワイトボードには何も書かれておらず、しんと静まり返った教室内では正面上に設置されている時計が秒を刻む音だけが響くだけだった。
「それで・・・その後2人はどうなったの?」
前髪を綺麗に切りそろえた茶髪のパーマ頭をした少女がその巻き髪を指でくるくる巻いては戻しの作業を繰り返しながら、無音の沈黙を破る言葉を発した。
「もちろん幸せに暮らしたさ」
そう言った小太りの男は肩がこったのか、首をぐるりと回す仕草をしながら目を閉じ、しばらくその動きを堪能し始めた。少女たちは納得した表情をしながらもややうっとりとした目をしているのは、今しがたまでこの男がしていた物語がついに終わりを迎えたからだった。合計五回にわたって展開されたその物語も、今、ここにとうとう終わったのだ。
「『魔獣』と『美少女』の話、『美女と魔獣』・・・・最高!」
男が話して聞かせてきたその物語はそんじょそこらのドラマやマンガよりも面白く、興味がひかれたこの塾の生徒である中学三年生の少女たちはハッピーエンドを期待していただけに、その満足度は高かった。
「でもさ、これってホントの話?」
物語にのめりこみながらもどこか冷めた感じで聞いていた鮮やかな黒髪の少女はやたらズリ落ちるメガネを直しながら男を鋭く睨むような目つきを見せるが、それが彼女のくせだと知っているだけに何も言わずに微笑みを浮かべた。
「即席に考えたわりにはたいしたものだろう?」
その言葉にやっぱりねと言うメガネの少女に反し、他の少女、特にパーマの少女などは渋い顔をして止まない。彼女はこれが実話だと信じ、その『魔獣』と呼ばれた登場人物に恋しているような感覚を覚えるほどにのめりこんでいたせいか、その答えに対して明らかに不快感をあらわにしているのだ。
「だいたい、あの塾長が超能力者だなんて・・・ありえないし」
「まぁそう言うな・・・登場人物の名前ぐらい近場でもらうし、何よりこの塾を題材にした物語だ、三宅君の名前ぐらい借りてもいいじゃないか」
男の言葉に、この物語が実話だと信じていた少女たちの心は折られ、せっかくのいい物語を汚されてしまった気がしてひどく落ち込んでしまった。その時、勢いよくドアが開き、ショートカットも似合う活発そうな容姿をしたかなりの美少女が一斉に自分を見る目を見てややうんざりした表情を浮かべた。
「もしかして、まぁた『美女と魔獣』の話ぃ?ったく・・・・・・もう!」
自分を見ていた面子からしてまたその話かと不快感を表す表情を浮かべたかと思うと、今開けたところなのに勢いよくドアを閉め、廊下をバタバタ鳴らしながら去っていく気配を感じる男はやや苦笑しながら再度首を回し始めた。
「でもさ、天音ってぇ、極端にこの話を嫌うよね」
「だよね・・・第一回目の最初からもうなんかウザイって感じだったしぃ」
一緒に話を聞いていた友達のその言葉に、パーマの少女は何かに思い当たったのか、表情を曇らせて眉をひそめてみせるのだった。
*
大股で勢い良く鉄製の階段を下りてくるショートカットの美少女はトレーナータイプの赤いパーカーを着込み、ジーパン姿をしているためにやや暗くなってきたこの夕方の時間帯の中では遠目から少年に見られることもしばしばだった。
「あれ?上がったんじゃなかったの?」
今まさに階段を上がろうと丸い鉄製の手すりに手をかけかけていた少年が驚いたような声を上げるが、少女はため息を吐きながら肩をすくめる動作を見せただけで何も言わず、大股のまま階段を下りてきてしまった。
「授業まであと十分あるし・・・・気分転換っ!」
ふてくされたようなその態度から上で何があったかを理解した少年は苦笑を漏らすと上りかけた階段から離れて背伸びをした。
「天都くん!」
生徒用の自転車置き場となっている塾の建物の裏側、その階段の裏手あたりから姿を現したのはやや茶色がかった髪をウサギの耳のような形でピンクのリボンで結んでいるこれまた美少女であった。さっきのショートカットの少女である天音はどちらかといえばボーイッシュな美少女であり、ちゃんと女の子らしくすればとても十五歳には見えないほどの大人びた可愛さをもっている。ただ性格が男勝りなせいか、その容姿がかすんでしまっているのが実にもったいない。だが、この美少女は実に女の子らしく、肩甲骨付近まで伸びた髪を揺らしながら手を振って今、天都と呼んだ少年の元へと近寄ってきた。少年の長めの前髪から見える大きな瞳はハートに見えないことも無い。耳に触れている髪を後方に流した感じの髪形もよく似合っているその天都はよく見れば天音に似ていると言えよう。こちらももっと髪の毛をすっきりさせた髪形にすれば美形かもしれない。
「七星ちゃん、珍しく遅いね」
いつもは授業の20分前には来ている結城七星だが、今日は10分前を切っている。
「お母さんに用事頼まれたから・・・せっかく今日はあの物語の最終回だったから楽しみにしてたのにさ・・・」
かなりがっかりした様子でそう言う七星に同情的な顔をしてみせる天都を遠目で見ながらダメだこりゃと肩をすくめている天音は自転車でやって来る見慣れた顔を見て手を挙げた。
「おっそいなぁ・・・お前はいつも」
「よく言うぜ、遅刻女が」
黒い自転車を天音の前で止めた少年は今時珍しい丸刈りであり、野球部に所属していることが一目でわかった。中三の夏休み前ともなれば公式戦があるのだが、既に初戦で敗退しているために今では一足早く部活は引退状態にある。そのせいか、丸刈りながら髪の毛の量が多くなっていた。
「うっさいなぁ・・・お前に言われたくないよ、この中途半端ハゲ!」
「女のくせにそう言う言葉遣いはやめろよ・・・結城を見習えって」
「トキオ・・・お前はバカか?私がそんなしゃべり方してみろ、モテモテでお前なんかとはこうして口きいてない状態になるんだぞ?」
天都と話をしている七星を見てそう言った時雄だが、実際に天音が七星のように女の子らしくすればかなりモテるということは理解している。それにそうしなくとも、既に彼女を好きでいる男子生徒は結構多いのだ。現にこうして近くで接している時雄の顔も若干ながら赤い。男のような言葉遣いも、男っぽい性格も人気に結びついているのだ。そして時雄もまたそんな天音を好いているが、告白より何より天音自身が時雄に対して親友だと思っているのを知っているだけに何もできないでいるのだった。
「べつにぃ・・・問題ないね。それに自意識過剰なんだよ、お前は」
照れ隠しも込めてそう言い終わった矢先、時雄の鼻先を何かがかすめていった。冷や汗を流す時雄には何となくだがそれが何かが見えていたが、天音の体勢を見てその確信を強めた。明らかに蹴りを放った直後の体勢を取っている天音は時雄を戦慄させた。女ながら目に見えない蹴りを放つこの美少女の強さはケンカ友達でもある時雄はよく熟知している。
「さすが中学女子全日本空手チャンピオン・・・」
「ありがと!」
にっこり微笑む天音に胸の鼓動が大きくなる時雄だったが、一歩間違えれば頭を蹴られていただけに冷や汗を背中に感じていた。木のバットを軽々蹴り折る天音の実力は中学女子では負け知らずであり、無敗にして絶対無敵の女王として中学空手界に君臨していた。
「なんで双子の天都は無茶苦茶弱いのに、お前はこうも強いんだか・・・大人でも勝てないぐらいにな」
「まぁ、でも少なくとも私が絶対に勝てないと思う相手が三人はいるけどね」
「三人?」
「そ、三人ね」
何度か大人の男性有段者と試合をして圧勝した天音がこうまで負けを認める相手など想像も出来ない。そう思いながら時雄は天音が見ている視線の先にいる天都を見やった。もしかしてその3人のうちの1人が天都かと思ったが、その天都はケンカはおろか運動神経も鈍い方だ。
「二卵生の双子だから・・・似なかったのか?」
「顔?」
「それもあるけど・・・いや、顔は似てるのは似てるけどさ、お前の強さとかは似てないだろ?」
「さぁ・・・どうだろ」
どこか歯切れの悪い答えだったが、時雄はそれ以上何も言わずに意味ありげな視線を天都に向けている天音の横顔を見て可愛いと思うのだった。
「天音ちゃん、時間だよ!」
「はいよ!」
赤い腕時計をはめた手をかざしながらそう言う七星に男っぽい返事を返した天音は早足で2人の元に向かい、時雄は慌てた様子で自転車を置きに行った。
「ねぇ、天音ちゃんは『美女と魔獣』の話の結末、知ってるの?」
先頭をきって階段を上りかけた天音は一旦動きを止めて七星を振り返る。そしてその七星の隣に立つ天都をチラッと見てから肩をすくめる仕草を取った。
「結婚してラブラブなんじゃないの?」
「だよね!絶対そうだよね!」
そう言うと七星は嬉しそうに階段を駆け上がった。そんな七星のスカートがヒラヒラ風に揺れ、きわどい太ももから目を離せない鼻の下を伸ばした天都に対してさっき時雄を戦慄させた蹴りを放つ天音だが、その蹴りはむなしく空を切り裂いた。
「危ないなぁ・・・」
「ホント、よく言っといてくれ。俺もさっき鼻先をかすめるヤツをやられたんだ」
天都の言葉に時雄が割り込むようによってくる。
「お前の時はわざと外したけど、今のは本気で蹴りにいったんだ!」
天音は悔しそうにそう言うが、あのスピードの蹴りをこの天都がかわせるとも思わないし、何より天都が動いたようにも見えなかった。
「珍しいな・・・お前が失敗するなんて」
その言葉に鋭い目つきを時雄に浴びせた後、天音は下りてきた時同様に怒ったように大股で一気に三階までを駆け上がっていった。
「・・・・失敗したから怒ったのか?」
「さぁ?」
時雄の疑問にそう答えて苦笑する天都は天音を追うように階段を駆け上がりながら、物語の話し手である大山オーナーが『美女と魔獣』のどこまでを話したかが気になりつつも、今日は三宅塾長の授業とあって気を引き締めるのだった。
「大山先生」
パーマの少女は立ち上がりかけた小太りの男、このさくら塾のオーナー大山康男を呼び止めると椅子から立ち上がって身を乗り出すようにした。すでに授業の用意をするべく教壇の前に立った塾長の三宅光二がその様子を何気なしに見ている。
「もしかして・・・その『美女と魔獣』の主人公、木戸周人と吾妻由衣って・・・・」
そこで一旦言葉を切ったパーマの少女が言おうとしている言葉が何かを悟ったのか、ズリ落ちるメガネを直しつつ黒髪の少女が怪訝な顔をして小さく『それはありえない』とつぶやいた。
「もしかして、天音たちの親のこと?」
「だからありえないって・・・たしかに天音は強いし、顔も十五歳には見えない美少女だよ、生意気だけど・・・でも天都は、はっきり言ってイケてないしぃ」
メガネの少女はそう言うと、せっかくの物語がそれでは台無しになると疲れたような表情を浮かべて机につっぷした。どうもこの少女は天都と天音の兄妹を好いていないようだ。そんな少女を見ながら小さく笑う光二は何も言わずに今日の教材の部数を確認することに集中した。そしてその質問を投げられた康男も何も言わずに意味ありげな笑みを浮かべたのみでそのまま立ち上がると、あわてて教室に飛び込んできた七星、時雄、天都、天音を見てその笑みをますます強くしていった。答えを聞くまで納得できない少女がなおも食い下がろうとした矢先、光二が授業の開始を告げたために渋々席についた。普段は優しい光二だが、ひとたび授業となれば厳しいことは十分に理解している。そのまま教室を出た康男はやれやれとばかりに首を回すと、やや薄くなってきた白髪頭を撫でるようにしてから廊下を歩き始めるのだった。
*
『美女と魔獣』、周人と由衣の物語は幕を下ろした。しかしそれは長い人生にかかればまだ第一章にすぎない。だが、康男にしてみればフィクションとして話して聞かせた二人の恋物語は結婚したことによって完結したのだ。目を閉じれば鮮明に思い出される二人の結婚式。周人が由衣を抱き上げ、その周人の頬に由衣がキスをしている写真は今でも康男の宝物として自宅に飾ってあるほどだ。自分が二人を結びつけたという気持ちはない。あの二人は出会うべくして出会い、恋すべくして恋をした。その結果、結婚は必然であり、そしてそれはまた運命でもあったのだ。だからこそ、あれから十七年経った今でもラブラブで仲の良い二人の物語を結婚という人生の一大イベントで幕を下ろさせたのだった。由衣と出会うまでの周人の物語をプロローグ、そして出会いから結婚までを第一章とするならば、その第二章はもうすでに幕を上げているといえよう。二人の愛の結晶である双子の兄妹がつむぐ物語がそれなのだ。
父の才能と優しさを完璧に受け継いだ少年と、父親譲りの強さと母の美貌、そして男勝りの性格を受け継いだ少女の織り成す物語を、いつか誰かに話をする日も来るだろう。だがそれはまだまだ始まったばかりである。いや、まだ始まってもいないのかもしれない。
そしてその双子がつむぎ出す物語、それはまた、別の物語である。
これにてこの物語は『一旦』終了です。
一旦という表現を取ったのは幕間的な外伝が6つありますし、また、続編も、姉妹編もありますので。
特に、自分の書く物語のほとんどはこの話を起点として交わりを持たせています。
もちろん、個々に楽しめるようにはしていますが。
それらも順次掲載していく予定です。
とにかく、15年前に書いたこの話を修正しつつ完結まで持っていきました。
最後まで読んでいただき、ありがたく思いつつ、すでに完結させている前日譚である『異伝』もまた読んでもらえれば話がさらに膨らむので、そちらもよろしくお願いします。
読んでくださった方々に感謝しつつ、これで締めたいと思います。
ありがとうございました。