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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
101/127

あなただけを・・・(19)

結婚式は都内赤坂にある超高級ホテルにて行われていた。地上32階建てのこのホテルは24階に空中庭園を設けており、そこから上の階はホテルの壁を形成するようにして客室が用意されている。つまりは、箱の蓋を除いた状態で真上から見れば芝生が敷き詰められ、噴水まであるチャペルが空中庭園を占領しているのだ。芸能人がよく使用するこのチャペルで式を挙げた菅生と優子はそのままこのホテルの20階にある大広間『鳳凰の間』にて招待客千人もの盛大な披露宴を行うのだ。世界に羽ばたくカムイモータースの社長ともなればこれぐらいの規模は当然であり、日本だけではなくアメリカやヨーロッパからの招待客も多かった。国内の有名著名人も多く集まり、財界や政界にも幅広いネットワークを持つ菅生ならではの招待客にただただ圧倒される由衣は受付開始までまだ時間あるためにホテル18階にあるラウンジでくつろぎながらも緊張した面もちを崩せないでいた。


「やっぱ・・・・場違いカモ・・・・」


しゅんとしたようにそう言う由衣に小さく笑う周人もどこか緊張している。会社でも招待されているのは部長以上の役職ばかりであり、もちろん遠藤や島原も呼ばれていないのだ。


「シュート・キド・・・感じが変わったからわからなかったよ」


唐突に由衣の背後からそう声をかけた人物を見てあっという声を上げて立ち上がった周人は丁寧な仕草で頭を下げた。そんな周人に驚きつつも後ろを振り返った由衣の目に飛び込んできたのは白髪をパーマさせた髪型をしたアメリカ人とおぼしき男性だった。由衣を見て何か感心したような顔をしてみせたその人物は人なつっこい笑顔を見せると胸に手を置いて紳士的な態度で頭を下げた。その仕草を見てあわてて立ち上がった由衣も丁寧なおじぎをして挨拶を返す。


「いやはや、君も隅には置けないなぁ・・・・・まさかこんなにキュートなステディがいるなんてね」


おおよそ外国人とは思えない流暢な日本語でそう言う男性に照れた笑顔を返す周人だったが、その男性の背後に立ちながらカクテルを口にしている目つきの鋭い若い男性に目をやった。


「いえ、そんな・・・彼女はユイ・アズマ、僕の大切な女性です」

「由衣です、はじめまして」


周人にそう紹介されたせいか、はにかむような笑顔を見せる由衣を見てにんまり笑った男性はそっと由衣の左手を掴むとその甲に軽い口づけをした。映画でしか見たことがなかったその仕草に照れまくりながらも嫌な気が全くしないのはこの男性が紳士だからだろう。


「私はエリック。エリック・ノーティラスと申します、よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願い致します」

「ミスター・エリックはアリス嬢のお父さんが経営しておられる会社の常務を務めてらっしゃる方で、カムイF1チームとの連携を取ってくださっているんだ。」


エリックの事をかいつまんで紹介した周人の言葉からも、この人物がかなりの地位にいることは理解できた。さらに、そんな人物が顔を覚えている周人をまたすごいとも思う由衣だった。


「シュートとはアメリカで世話になってね・・・それに・・・」


そこまでで一旦言葉を切ったエリックはそっと由衣の耳元に口を近づけた。


「私も武術をたしなんでいたので手合わせ願ったら・・・まさに秒殺だったよ」


どういったいきさつでそうなったかはわからないが、エリックのその言葉に由衣は顔を見合わせて笑った。


「ミスター、彼は?」


そう言いながら、周人はエリックの後ろでそっぽを向いている青年へと目を向けた。


「あぁ、彼はロバート・ネメシス・・・アリス様の婚約者候補の大本命、若手のスーパーホープだよ」


そう紹介されたロバートは無表情のまま周人に近づくと、周人を値踏みするかのようにしてみせる。そんなロバートの視線を全く気にすることなく手を差し出す周人を鼻で笑ったロバートは一瞬だけ握手を交わすとすぐさま離れた場所に立った。


「ミスター、私は向こうで飲んでいますので」


こちらは日本語がダメなのか英語でそう言うと由衣をじぃっと見つめた後で去っていった。そんなロバートを苦笑混じりに見送るエリックは肩をすくめてみせると周人が勧めた椅子に腰掛けた。


「気にいらんのだろうさ・・・君がアリス様を助けた事がね」

「知れ渡っている、ということですか?」


一応名目上アリスはアメリカの特殊部隊が救出した事になっている。もちろん、上層部のごく限られた者以外はアリスがさらわれたことすら知らないのだ。つまり、周人がアリスを救ったという事実を知る人物は片手で数えられる程度の者しかいないということになる。


「スーパーホープってのも伊達じゃないってことですね」


その言葉にうなずくエリックは由衣が取ってきたカクテルをにこやかに受け取るとそれを口にした。丸テーブルを囲んで三角を描くように座る3人の間にしばらくの沈黙が流れた。


「ニューマシンは受け取ったかい?」


思わず英語を使ってしまったエリックはチラッと由衣を見やったが、由衣は周囲を見渡すようにしてさっき去っていったロバートの方を向いていた。さっきの冷たい反応からどこか遠藤を彷彿とさせられたが、そのロバートと目が合ってしまい、ムッとした顔をしてからうつむくようにしてしまった。


「5日前に受領しました。ありがとうございました」


英語には英語が礼儀とばかりにそう返す周人の言葉のうち、『サンキューベリーマッチ』だけははっきり聞き取れた由衣は車の話かと悟り、少し離れた場所にある窓の外へと顔を向けた。


「ロバートは気に入らないのさ・・・あいつはアリスに心酔しているからな・・・そのアリスが自分ではなく日本人に気があると、しかも危機を救われたと知ってね」

「自分で救いたかったと、そういうわけですね」

「勝手に恋敵を憎んでいるだけだよ・・・まだまだ若い」


そう言って笑うエリックを不思議そうに見やる由衣は普通に英語を話せる周人を凄いと思いつつ自分も英語を話せたらいいなぁと思い始めていた。英語が理解でき、話せるようになればアリスとも互角に戦えるといった考えも浮かんでくる。


「それに、ロバートはあのゾルディアックからマーシャルアーツの手ほどきを受けた事もあってね・・・ヤツを師事しているからこそ、それを倒した君を憎んでいるのかもしれんな」

「なるほど・・・そういえばそのゾルディアックですか、彼はどうなったんですか?」

「身柄を拘束されていた独房を脱走して逃走・・・4キロ離れた場所に手錠と、手錠が繋がったままの左腕が発見されたが・・・消息は不明だ」


目を細めてそう言うエリックの言葉に表情を曇らせた周人はゆっくりとため息をつくとソファに身を埋めるようにしてみせた。そんな周人とエリックを交互に見やる由衣は不思議そうな顔をしたが、仕事の話か何かだろうとジュースの入ったコップに突き刺さっているストローを口にくわえた。


「今頃は外国へ飛んでいるだろう。ヤツは裏社会でも顔が利くからね」


その言葉に周人は先日桜から来たメールの内容を思い出していた。『ゼロには凄腕の外人が付いている』といった内容のそれを。


「日本にいないことを祈りますよ」

「だが、君がいる日本が最有力だろうがね」


そう言われては苦笑するしかない周人は由衣をチラッと見やった。もしゾルディアックが日本にいて復讐の機会を狙っているのであれば一番危険が及ぶ確率が高いのは由衣だ。周人の最大の弱点は由衣しかない、そして自分であれば確実にその弱点を突くだろう。


「それに妙な噂も耳にしている・・・」

「噂?」

「日本政府が極秘裏にNASAで開発していた宇宙空間で使用するロボットアームを手に入れようと動いていたらしい・・・多目的に活用できるその腕は『人間の左腕に装着可能な義手』ということになっている」


左腕と聞いてピクリと眉を動かした周人の険しい表情を見て由衣もまた怪訝な顔をしてみせた。何を話しているかはわからないが、その雰囲気は読みとる事ができる。


「『フル・タクティカル・アームズ』といって、刀剣や盾、ドリルにもなる5つの形態に自在に変化させる事が出来る、その名の通り『戦略的武装兵器』といえる代物だそうだ。わが社で開発した形状記憶合金を使用し、かつ、発展させた最先端技術の結晶だ」

「タクティカル・アームズ・・・」

「何故日本政府がそれを欲しているかはわからんが・・・ね」


一応口を濁すようにそう言ってカクテルを口にしたエリックは不安そうな顔をしている由衣へと顔を向けてにんまりと笑って見せた。


「いやはや、こんなところで仕事の話はまずかったね・・・キュートな彼女が退屈してるよ」


そう言ってウィンクされた由衣は小さく微笑むと、隣で頭を掻く周人を見やった。


「さて、では行こうか・・・そろそろ受付の時間みたいだ」


近づいてくるロバートの気配を背中越しに感じたエリックはおもむろに立ち上がると服装を正す。そんなエリックにつられて立ち上がった2人も招待状を確認しながら会計のための財布を取り出した。そんな周人の手を遮るようにそっとシワだらけの手を置いたエリックは意味ありげに微笑むと英語で『おごるよ』と微笑んだ。そんなエリックに困った顔を見せてから頭を下げた周人を見て今エリックが言った言葉の意味を理解した由衣もまた丁寧に頭を下げる。そんな2人を見てにこやかな表情を浮かべたエリックは立ち去ろうとしてふと足を止めた。


「あー、そうそう・・・仕事の話ついでだが、トキワもル・マン参戦を近々表明するらしい。その新型マシンはカムイがまだ実験段階の形状記憶金属、特殊メタルを一部採用しているとか・・・・」

「まさか・・・・・」


トキワと聞いて、自分の同級生でカムイと国内で1、2を争う自動車産業の大手メーカートキワ重工の娘である常磐紫織を思い出した由衣は苦虫を噛みつぶしたような顔をしてみせる。周人に一目惚れしてちょっかいを出してきた詩織は今でこそ沈黙を保っているのだが、いつまた活動を再開するかわからない。そんな不安をつい最近まで忘れていたのだが、意外なところで思い出されてしまったせいか、可愛い顔が台無しな表情はしばらく崩れなかった。そして周人はトキワがすでに形状記憶金属を実戦投入してくるという言葉に少なからず動揺していた。カムイ本社で研究と開発の実験段階にあるその特殊メタルとは形状記憶流体金属、周人のダブルワンに試験的に装備されたウイングがその特殊メタルを使用していた。一定の電気信号を送ることによって記憶している形状に瞬時に変形する事が出来る上に、まるで液体のごとき動きで変形するその素材は全く無駄のない動きで瞬時にその形態を変化させる事が出来るのだ。だからこそ、ダブルワンのウイングは車体に溶け込むような感じでありえない形に変化する事ができたのだった。発する信号の種類を増やせばさらに複数の変形が可能なその特殊メタルを実戦に投入すれば車の空気抵抗を瞬時に変化させることが可能なため、燃費とタイヤの摩耗を大幅に減らすことが可能となる。そして今現在その技術を実践投入しているのは世界でもクロスフォードインダストリー社しかない。思わぬところで思わぬ情報を掴んだ周人はこれからの仕事にそれを活用しようと思いつつも、とりあえず今は仕事の事は忘れる事にして由衣を伴ってラウンジを後にするのだった。


それは周人と由衣が思っていたよりも派手な披露宴ではなかった。それでもテレビで見る芸能人のド派手な披露宴と比べてという意味であり、一般的から考えれば十分派手であった。やや長めのベールを引きずるようにして純白のドレスに身を包んだ優子はかなり美しく、そこにいた招待客全員をうならせ、感嘆の声をあげさせた。そんな優子を見る由衣はいつかこうしてウェディングドレスに身を包み、周人と並んで歩きたいと強く願ったほどだった。あまり結婚について意識した事はない由衣は今はまだこの関係を続けていきたいと思っている。静佳にいつかはこうなると告げられて安心しているせいもあったのだが、目の前でこうも美しい花嫁姿を見せられてはさすがにそれを意識してしまうのは女性として当然の事だった。2人はエリックたちと同じ円卓に座っており、終始和やかな感じで美味しい料理とお酒を楽しんだ。みな気さくで愉快な人たちばかりのせいか、由衣も緊張することなく楽しい時間を過ごし、周人は周囲から早く由衣にも花嫁衣装を着せてやれとせかされて照れた笑いを浮かべていた。やがて新郎新婦はお色直しと言うことで和装に着替えてきたのだが、この時も扉が開いた瞬間にため息のような感嘆の声が漏れる。白無垢を着ても美しい優子の横にたたずむ紋付き袴姿の菅生もりりしさを持っていた。そんな2人が高砂席につくと祝辞やイベントが行われ、多くの祝電が披露された。かなり有名な財界著名人たちからの祝電の中には赤瀬未来からのものも含まれていた。そんな未来からの祝電を聞きながら彼女が想いを寄せる黒崎星くろさきせいの事を思い出す周人は赤ワインをそっと口にしながら遠い日の自分を思い出すのだった。そして最後のお色直しと数々のイベントを終え、新郎新婦の両親への花束贈呈、そして新婦から両親への手紙を読み終えて新郎が最後の挨拶をして披露宴は終わりを迎えた。もはや感動しっぱなしの由衣はもらい泣きするほどであり、周人も終始微笑みを浮かべたまま会場を後にするのだった。そして外で出迎えてくれている新郎新婦と両家の両親たちの前へと進む2人を、まず菅生がにんまり笑いながら手を差し出して出迎えた。


「よぉ、今日はありがとう!男前、君の結婚式、楽しみにしてるからな」

「おめでとうございます・・・僕のはまだまだ先でしょうけど、その時は招待させていただきます!」


きっぱりそう言いながらガッチリ握手する2人に横からそっとお菓子の入った手の平に収まる程の小さな包みを差し出すのは青いドレスに身を包んだ優子であった。


「今日はありがとう・・・木戸さん、今日はきまっててカッコいい!毎日それで出社したらいいのに」

「おめでとうございます。優子さんもとっても綺麗でした」


そう言って照れた顔をしながら両手で握手する周人を横に、由衣が菅生の前に立つ。ドレスアップしてその美しさを際だたせている由衣に嬉しそうな笑顔を見せる菅生にそっと頭を下げた由衣はがっちりと握手を交わした。


「本日はおめでとうございます。感動しました!」

「ありがとう・・・やっぱり君は綺麗だよ。結婚してもファンは続けるからね」


そう言う菅生に照れた笑顔を見せた由衣に包みを差し出す優子もにこやかな笑みを浮かべていた。


「ありがとうね・・・なんか、私がかすんじゃうぐらいですよ、今日は」


そう言う優子に困ったような顔をする由衣にクスッと笑う優子は由衣と握手をするとそっと引き寄せるようにしてその耳元にささやいた。


「今度会うときは、この位置、逆になってると思っていいかしら?」


その言葉に顔を赤くしながらも嬉しそうに微笑み返す由衣を見てにっこり微笑んだ優子に頭を下げ、周人と由衣は少し離れた場所に立ってお互いに見つめ合って微笑むのだった。


午後6時半ともなればかなり暗くなった空は過ぎ去った夏の名残を見せながらも秋を表現していた。ついこの間まで7時過ぎまで明るかった空はもはやかなり薄暗い。少しだけとはいえお酒を飲んでいる由衣はやや眠そうな目をしながら助手席から見える景色をぼーっと見ているのだった。結局あの後、新郎新婦と一緒に写真を撮った2人は2次会には参加せずにそのまま帰路へと着いたのだ。周人も由衣を送って行く事を考慮して極力お酒を飲まないようにしていたせいか、そう眠くはなく運転に集中していた。やがて十五分ぐらい走ったところで由衣が体勢を崩れさせ始め、心地の良い規則正しい寝息を立て始める。緊張も解け、アルコールが入ったせいもあって眠くなってしまったのだろう。ドアにもたれかかるような感じになっている由衣の寝顔を見ながら口元に笑みを浮かべる周人は男性招待客からかなり熱い視線を浴びていたにも関わらずそれを全く気にするそぶりを見せなかった事に嬉しさを感じていた。当たり前だが、新婦の優子には敵わなかったものの、それでも千人近い招待客の中でも由衣の綺麗さ、可愛さは群を抜いていたと言えるだろう。そんな由衣を恋人としている自分の鼻も高い周人はいつの日か純白のドレスに身を包んだ由衣の横に立つことを夢見ながら、決してこの愛しい人を手放すまいと心に誓った。エリックの言葉も頭をよぎる中、再度横目で由衣を見やった周人はやや表情を険しいものに変えながら前を向いて運転に集中した。


「オレの全てを賭けて、お前を守るから」


ゾルディアックの顔を思い浮かべたせいか、やや顔つきを険しくしながらも固い意志を口にしながら、周人はその決意を忘れまいと心に刻みつけるのだった。


今年は残暑が長かったせいか、秋は駆け足で終わりを告げた。そのすぐ後にやって来た冬は暖冬であったのだが、その暖かさの合間を縫って時折やってくる寒波が身に染みるほどの寒さを演出し、数年ぶりにホワイトクリスマスになるのではないかとしきりに天気予報のお姉さんが嬉しそうに話しているのをぼんやりと見つめながら大きなせんべいを頬張った。ばりばりと大きな音を立てながらソファに寝転がる娘の姿を見て痛々しく思うのか、大きくため息をつく父は分厚い生地のパジャマ姿で風呂上がりの濡れた髪を黄色いバスタオルで拭きながらその天気予報を見やった。柔らかいソファの上でジャージ姿でうつぶせになりながら足をブラブラさせる由衣はテーブルの上に置かれた袋からせんべいを取り出すと口に運ぶ。もはや機械的なその動作はここ最近の習慣となっていると言っていいだろう。


「ホワイトクリスマスか・・・お前、クリスマスイブは木戸君とどこかへ行くんだろう?」

「うん、高級レストランでディナーだよ」


寝そべったまま顔だけを横に立つ秀雄に向けてそう言う由衣は大きな音を立ててせんべいを噛み砕きながらテレビ画面へと視線を戻した。どうやらこの寒さもクリスマスまでであり、年末にかけてはまた暖かいようだった。


「ディナーか・・・いいなぁ・・・」


しみじみそう言いながら由衣のお尻をぺちんをはたくようにして退くように告げ、せんべいをくわえた由衣は渋々身を起こして秀雄が座れるスペースを空けた。


「お母さんとどっか行けばいいじゃん」

「・・・お金かかるしなぁ」


意外とせこいことを言う秀雄をやや軽蔑したような目で見やった由衣だったが、すぐに7時のバラエティ番組が始まったテレビ画面へと顔を向けた。


「今年は泊まりじゃないんだな?」

「ないよ・・・遅くなるけど、ちゃんと帰るよ。その辺、周人はしっかりしてるしね」


去年のクリスマスは周人の会社のパーティに出席した後、そのままホテルに泊まった事を思い出した由衣は2人が初めて結ばれた時の事を思い出しながらにんまりと口元を緩め、ややだらしがない表情となっていた。そんな娘を見てまたもため息をつく秀雄であったが、確かにそういうところはしっかりしている周人だからこそ自分も気に入っているのであり、由衣を任せていられるのだと思った。


「なんだったら・・・泊まりでもいいけどな」


ぼそっとつぶやくようにそう言う父に意外な顔を向けた由衣は真っ直ぐ画面を見たままの秀雄に擦り寄るようにしてみせた。


「あれあれ~・・・・どういう心境の変化ですかな?」

「別に・・・木戸君を信用しているというだけの事だ」


素っ気なくそう言うものの、やはり泊まることは心配な父親の心境は複雑である。


「ふぅ~ん・・・・・・じゃ、そうしよっかなぁ」


そう言って考え込むような仕草を取る娘をチラチラ見ながらどうしたものかと考える父はさっきの言葉を撤回しようと由衣の方へと体を向けるようにした。


「でも、帰るよ・・・きっと周人がダメだって言うだろうし」


あまりに意外な由衣の言葉に出しかけた言葉を飲み込んだ秀雄はどこかホッとした様子でテレビを正面に据えるように体の向きを元に戻した。そんな父を見てクスッと笑う由衣は勢いをつけて立ち上がると大きく背伸びをしてみせた。


「今からこれじゃ、私が嫁に行ったら・・・父さん死んじゃうかもねぇ」


ニタリと笑いながらそう言う娘の言葉も無視するかのようにテレビから視線を外さない秀雄に肩をすくめてみせた後、そのまま風呂場へと向かって歩き出す由衣の気配が完全に消えてからリラックスしたようにソファに身を埋める秀雄は悲しげな表情をして今まで一番大きなため息をついた。


「死にはしないけど・・・毎日泣いちゃうかも・・・・」


つぶやくようにそう言う秀雄は菅生の結婚披露宴に出かける由衣のドレス姿からウェディングドレス姿を想像し、またも瞳をうるうるさせるのだった。


生徒たちを見送る2人の口から漏れる白い息がその寒さを物語っていた。昨日まではその寒さは軽く感じられたのに、今日はひどく冷え込んでいる。おそらくこの寒さが普通なのだろうが今年の冬は暖かいせいかいつもよりもずっと寒く感じてしまう。いつものようにバスが角を曲がっていくのを見届けた2人は我先にと職員室へと駆け込んだ。耳まで痛くなった体を温めるヒーターの設定温度をやや高めにしながら、光二は熱いコーヒーを入れにそのまま台所へと入っていった。自分はミルクと砂糖を少な目に、そして恵の分はミルクと砂糖を多めに設定する。もはやお決まりとなっている分量を入れ終えた光二が差し出すコーヒーを美味しそうに飲む恵の横に腰掛けた光二は雑然とした机の上にコーヒーを置くと簡単に片づけを始める。そんな光二を見ながらコーヒーをすする恵はチラッとカレンダーを見てから光二に視線を戻した。


「来週はクリスマスか・・・何もその日に寒くならなくてもいいのになぁ」


暑さも寒さも苦手な恵が好む季節は春である。ゆったりと暖かいあの何とも言えない気候が好きなのだ。そんな台詞を聞きながら小さく笑う光二は夏に初めてデートしてからクリスマスイブでちょうど十回目のデートになることを思い出しながら一口コーヒーをすすった。


「あの・・・一応予約入れときました・・・・例のお店」

「そう、楽しみね」


最近は恵とデートする事が楽しくて仕方がない光二はしっかりとクリスマスにも予定を立て、恵が食べたいと言っていたカニづくしのお店を予約しておいたのだ。なにより恵の喜ぶ顔が見たい、それだけの為に早くから予約を入れていた光二は恵に断られるのではないかと内心ドキドキしていたのだが、元々クリスマスを一緒に過ごしたいと思っていた恵にとって断る理由などなかった。光二とデートを重ねるたびに、恵の中の周人が薄れていく。最初は周人に似た優しさをそこに重ねていた恵も、不器用ながら一生懸命自分を気にかけてくれる光二に心を開いていた。今では一緒にいて充実感を感じ、安心感も得られるほどに。そして光二もまたそんな恵を好きになっていた。たまにキツイ言葉も浴びせられていたのだが、それでも恵は優しく光二を見守るようにしてくれていた。映画のチケットが予定の時間で取れなくても、人気のお店で三十分待たされても、恵は何も言わなかった。気が付いたら恵の事ばかり考えていた光二はクリスマスイブの夜に告白しようと決心を固めていた。とりあえず映画を見てブラブラし、カニを満喫して夜景を見る。何度も何度もシュミレーションした成果を発揮する為にも、光二は下調べに余念がなく、道場や塾のバイトも精一杯頑張ってきた。そんな光二をちゃんと見ている恵も頼れる存在となった光二に心をときめかせていたのだった。


「塾長が帰ってきたら、行く?」

「そうですね、久しぶりに行きたいですね」


そう言って微笑み合う2人は小1時間ほどして戻ってきた康男と一緒に行き慣れた居酒屋で楽しい一時を過ごすのだった。


クリスマスイブ当日は天気予報通りの寒空であり、朝からどんよりとした濃いグレーの空が彼方まで広がっていた。確かに雪が降ってもおかしくない天気であったのだが、いまだにその気配はない。風もさほどないがやはりかなりの冷え込みようであり、迎えに行った玄関先から飛び出すように出てきた由衣は白いコートにピンクのマフラーをし、チェックのロングスカートに茶色いブーツを履いた完全防寒体勢で車に乗り込んだ。そんな由衣に苦笑しながら車を発進させた周人もまたハイネックのセーターに黒いパンツを履き、後部座席にはグレーのコートが置いてある。いそいそとコートを脱ぎながらマフラーと揃えて後部座席に置く由衣は暖かい車内の空気にホッとしながらシートベルトを着用した。


「寒いよなぁ、今日は」

「でもスケート場は屋内だし、少しでもましじゃない?」


そう言う由衣にうなずく周人だったが、生まれてこの方スケートなどやったことがない。スキーの経験なら4度ほどあったのだが、スケートは皆無だった。対する由衣は高校時代からちょくちょくしているせいか、そこそこ滑れる状態にはなっている。そんな由衣とは対照的に立つことすらままならないだろう自分が果たしてどうなるのか想像もつかない周人は心に不安を抱えながら桜ノ宮よりやや北に行った場所にある多目的ドームに向けて順調に車を走らせていた。桜ノ宮の北には住宅街と大きな公園が存在している。そしてその住宅街手前にある多目的ドームは夏にはプール、冬にはスケートリンクとして機能しており、それ以外の期間はマーケットやライブに活用されていた。約四十分ほどで到着したそのドームの駐車場に車は少なく、客足が少ないのではないかとへたくそな自分を見られることが不安だった周人はそこに希望を見いだしていた。だが実際は結構な人がいてそれなりにスペースはあるものの、どちらかといえば混雑しているように見えた。どこか重い足取りで向かった受付で貸しスケートを手にしてそれに履き替える。どうにも居心地が良くない足のバランスに不快感を覚えつつ、すでに氷の上でくるっと回る由衣に引きつった笑顔を見せる周人は恐る恐る氷の上にその記念すべき第一歩を踏み出した。もちろん、リンクを囲む手すりから手を離すことはなかったのだが、それでも普段の運動神経がいいのか、周人は足を震えさせながらも手すりから手を離して立つことができた。


「やるじゃん!それじゃ行こう!」


いきなり行こうと言われて、はいそうですかといかない周人はへっぴり腰になりながら由衣に手をつながれて足を動かすことなく体を固まらせたまますーっと前へと滑り出す。美人な由衣は周囲の注目を浴び、そんな由衣に引っ張られて進む自分を恥ずかしいと思う余裕すらない周人は由衣の教えで自力で足を動かし始めた。だがやはりこういうものはこけて上達するもの、周人はバランスを崩して尻餅を付いたがうまくバランスを取りながら自力で立ち上がる事には成功した。それから何度もこけながらも根気よくコツを教えてくれる由衣のおかげか、それなりに滑れる格好にはなった周人は由衣の手がなくても1人で少し様になるような感じで前へと進んでいく。並行してすべる由衣もこの調子ならすぐ上手くなると思った矢先、勢いよく滑ってきた中年の男性にかすめるようにされた周人はバランスを崩してしまい、隣に立つ由衣をも巻き込んで豪快に倒れ込んでしまった。不意をつかれた感じの由衣が背中から固いリンクに叩きつけられると思った矢先、こけながらもそれを受け止めた周人のおかげか、周人の上に倒れ込んだ由衣はすぐに身を起こして周人を見やった。だがこのあたりはさすが武術をたしなむ周人は見事に受け身を取っており、さらに倒れながら由衣を抱き留めた反射神経も素晴らしい。そんな周人にお礼を言いつつ手を貸す由衣は立ち上がる周人に微笑みかけるとそっと抱き寄せるようにしてみせた。周囲の男性たちから嫉妬の視線をうけながらもそれを無視して謝る周人はもうこけまいと誓いながら由衣の指導を受け、1時間後には由衣と同レベルの段階まで滑れるようになるのだった。


ハリウッドのスター俳優が主演を務める映画でありながら日本人俳優も多数起用したその映画はアメリカ人が史実に近い幕末背景や人物像を描くことでも話題となっていた。早くもアカデミー賞受賞の呼び声も高いせいか、公開から2週間経っている現在でもすでに昼の1時からの上映分のチケットしか取れない状態となっていた。9時半に劇場へとやって来た光二と恵だったが、これは予想の範囲内であり、また予定通りでもあった。以前も前評判の高い映画を見に来た際にこういう状況に陥った事があり、それを教訓として早め目の予定を立てていたのだ。とりあえず予定通り1時からのチケットをゲットした2人はそのまま同じ建物の中にあるボウリング場へと向かう。朝の9時から営業しているこのボウリング場は大抵1つ2つの空きレーンがあることも調査済みだ。しかも今日は時間が早いせいか半分近くのレーンが空いているボウリング場は広さを際だたせながらものびのびとプレーが楽しめる。隣のレーンでゲームを楽しむ親子連れを見ながらお昼ご飯を賭けて1ゲームすることにした2人は隣の親子が驚くほどのハイスコアを次々と叩き出していった。光二がストライクを取れば恵もそれに続き、スペアも確実に取っていく。気が付けば光二が180、恵が181という高スコアとなり、凄まじい接戦をものにした恵の最後の1投がストライクを叩き出した瞬間、光二に向けて渾身のガッツポーズを取ってみせた。対照的にガックリ肩を落とす光二だったが、不思議と悔しさは感じられない。いつも以上の実力を発揮して負けたのだ、悔いはなかった。


「ンフフ~、お昼は豪勢に・・・って言いたいところだけど、メインのディナーがお腹に入らなかったら意味ないからなぁ・・・」


そう困ったように言う恵に微笑みを見せる光二は何なりとお申し付け下さいとうやうやしく頭を下げた。そんな光二を見て腰に手をやり、大げさにうなずく恵を見て笑う光二につられてか、恵も楽しそうな笑顔を浮かべた。次はジュースを賭けてもう1ゲームする事にした2人はまたも似たようなスコアを叩き出し、今度は光二が接戦をものにしていた。無意識に光二の腕を掴んだりする恵や、失敗して泣いたフリをする恵の頭を撫でる光二を見やる隣のレーンの夫婦は、かつて自分たちにもあんな頃があったなぁとしみじみ思いながら微笑ましいその光景をにこやかに見るのだった。

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