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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第一章
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優しさの値段(1)

間もなくやって来る夏の到来を遮るように、梅雨のジメジメとした雨はもう何日もやむことをしない。

どんよりとした黒い雲が遙か上空までを支配し、その存在の証として雨を降らせているかのようだった。こういった日はバイクよりも車の方が快適なのだが、小さなバイクならば脇道をすり抜けるように走ることが出来るため、バイクの運転手である木戸周人きどしゅうとはフルフェイスのヘルメットに雨避けとして着用している黄色に青色の混じったウィンドブレーカーをはためかせながら帰宅ラッシュで渋滞している車を次々と追い抜いていった。



周人は一週間のうち、4日はアルバイトを入れている。それも小中学生を対象とした塾の講師のアルバイトである。主に小学二年生と中学三年生を受け持っており、西と東2つの支部があるその塾の2つの支部を掛け持ちしていた。土曜日などは忙しく、小学生を夕方に、その後10分ほどの休憩を挟んですぐに中学生の担当となっているほどだった。基本的に2つの支部はそれぞれ専属のアルバイトを雇っているのだが、今向かっている『さくら塾西校』のアルバイト講師が2人同時に辞めてしまった為、塾長から次のアルバイトが見つかるまでの間で急遽掛け持ちを依頼されたのだ。アルバイトとして雇われている『さくら塾』はもともと小さなテナントを借りて細々とやっていたのだが、塾長が家を持った桜西町の方でも開校し、今ではそちらの支部が拠点となっているのだった。西校はテナントではなく塾長が建てた鉄筋3階建てで、さくら校よりもかなり大きい。一度に3つの学年を教えることが出来るほどだ。桜町のさくら校を受け持っている周人は教え方も上手く、塾長の信頼もあって、そこを見込まれて掛け持ちを依頼されているのだった。もっとも、西校へ向かうのは今日が初めてではない。すでに掛け持ちを始めて1ヶ月になろうというところか。梅雨の時期は通うのも大変だが、今日は小降りの雨でまだ助かっている。しかも今日は通っている専門学校でちょっとしたイベントがあったため、今からでは授業の準備にぎりぎり間に合うかどうかになってしまうだろう。本降りだったならばさらに速度が落ちるため、遅刻になってしまうところだ。信号に引っかかったものの、この信号を左折して直進すれば塾はすぐそこだ。周人はため息を漏らしながら雨のせいで赤くぼやけるように光る信号を凝視していた。憂鬱な気分は何もこの雨のせいだけではない。今日の担当である中学三年生に問題があるのだ。やがて信号が青に変わり、周人はそんな気分を吹き飛ばすかのようにアクセルをふかして塾へと向かうのだった。



白い壁はまだ綺麗で、1階を除いた2階と3階は同じ間隔で黒い枠で出来た窓が取り付けられていた。一番奥の窓には格子が付けられており、落下防止をうかがわせた。手前には外階段があり、少々重そうなドアがある。建物内部に階段が存在しない為、2階と3階へ上がるためにはこの鉄で出来た外階段を上る以外に方法はなかった。その階段の奥には大きめの駐車スペースがあり、横に4台は駐車が可能なほどである。建物のすぐ右側、階段の反対側はのどかな風景が広がる田んぼであり、この辺がまだ田舎であることがうかがい知れる。十字路に面した建物の左側には空き地があって、そこに自転車が乱雑に駐輪されていた。その十字路を少し奥に行った場所には大きなフェンスがあり、その向こうは子供たちが野球をしたりサッカーをしたり出来る遊ぶための広いスペース、公園もどきの広場があった。車が徘徊する大通りまでは直線で50メートルもないが、この辺は住宅街からも外れているために車の通りも少なかった。もっとも、大通りのさらに向こうにある幹線道路と繋がった高架が最近開通し、そのまま真っ直ぐさくら町の中心地に伸びているために皆それを利用しており、この大通り自体には車が少ないのだ。塾であるその白い建物の道路側には大きく『さくら西塾』と青地に白文字で書かれた看板が据え付けられていた。その看板の前を通って駐輪されている空き地にバイクを止めると、座席シートの下から鞄を取り出して建物の1階軒先へと飛び込んだ周人は入り口で濡れきったウィンドブレーカーを脱ぐとパタパタと揺らすようにして水滴を落とした。そしてドアを開き、スリッパに履き替えるとまるで学校の職員室のようなその場所の右側奥に向かい、鞄を置く。ここが周人の机になっていた。今日はこの後、15分後の19時から中学三年生の授業があるのだ。教材はもっぱら教科書テキストだが、塾独自のプリントも用意しなければならない。とりあえず先週用意しておいた問題のプリントを人数分より少し多めにコピーする。今日は総勢13人と、この塾にしては若干多い人数となっているのだ。15枚をコピーするよう設定し、一息つく。この作業後には教科書テキストを予習しなくてはならない。本来なら40分前には到着するのだが、何せ今日は時間がない。ほとんどぶっつけ本番にも近い状態で授業を行わなければならないのだ。周人は再度ため息をつくとコピーの終わった用紙をひったくるようにして取ると机に戻り、テキストを開いた。


「あら、今日は遅いじゃない?」


玄関のドアを開けて入ってきたのはショートカットの茶髪に、大きめの丸いシルバーのピアスをつけた女性、青山恵あおやまめぐみだった。シックなグレーのワンピースを着たその女性は周人とは背中合わせの席に腰掛けた。くっきりした二重は大きな目をより一層強調している。なにより一目見ただけで美人で知的な印象を与える彼女は周人と同じ20歳の大学生であった。西校専属のアルバイト講師、しかも英語を専門としている。それは彼女が外語大学に通っているからだった。ちなみに周人はコンピューターの専門学校に通っているため、数学を専門としている。だが元々少人数がメインのこの塾、しかもここより生徒数が少ないさくら校においては英語も教えなければならない。中学生にはテスト前以外は数学と英語、小学生は基本的にメイン4教科を教えている。周人の担当は中学三年と小学校二年であるため、この落差は結構大きかった。


「学校でちょっとしたイベントがあったもんで・・・焦った焦った」


苦笑気味にそう言いながらもテキストに赤いラインを引いていく。これは講師用のテキストであり、それぞれ塾から各講師個人用に用意されているのだ。これに自分なりに印を入れて教えていく手順や項目を書き込んでいくようになっていた。


「そう。で、今晩は泊まり?」


やはり自分がさっきまで教えていた小学六年生のテキストを開き、今日の復習と次回の予習を行う恵は周人の方は向いていない。お互い背中合わせで会話をしているのだ。


「生徒は期末前だし、オレも明日の授業はしれてるから・・・・そうなるね」


閉じたテキストをトントンと机の上で揃えるようにするとコピーした紙をその上に重ねる。徹夜をするアルバイトは周人ぐらいなものだ。もちろん、給料には反映されないものの、一人暮らしをしている周人にとって、ここで塾長と話をしながら過ごす時間が好きだった。この塾のアルバイト料は一定の金額で固定されている。時給ではなく月給制に近い。これは面接の際に受け持つ学年、教科によって決められていた。かといって個人的な休みが多くなれば時給に換算して減給される。


「晩ご飯、またみんなで食べに行くんでしょう?私、今日遅くなってもいいし、みんなで行くなら一緒するから」


ここでようやく椅子を回転させて周人の方に向いた恵は座ったまま大きく背伸びをしてみせる。本来ならば恵のバイトはここでもう終了なのだ。今日は金曜日でもあり、このあと授業がある周人と、もう一人のアルバイト講師である新城直哉しんじょうなおやと塾長の3人は全ての授業の終了後、いつも近くの居酒屋で晩ご飯を食べてから帰るのだ。もっとも、授業が終わるのが21時であり、そこから生徒の送迎があって出かけるのは22時を回る。つまり今から軽く3時間は時間があるのだ。ちなみに生徒の送迎は塾の専用バスで行われている。


「そりゃぁいい、男ばかりでむさ苦しくなくってな」


そう言いながら入ってきたのは今まで女子生徒に掴まっていた新城であった。モデルのような容姿をした彼は塾の中でも、また通っている大学の中でも女生徒に人気があった。その美麗な容姿はこれまで何度か雑誌のモデルにスカウトされているほどである。長髪はやや茶色がかった黒で、サラっとしたその髪をウェーブをかけた感じで後へやっている。切れ長だが二重の目は人を引きつけるような輝きを出している気がする。彼はすでにこの後の授業の準備も出来ていた。今日は大学が休講であり、14時過ぎからここへ来ているからだ。周人と同じように新城にとってもここは自宅や学校にいるよりも楽しく、また落ち着くのだった。


「悪かったな、むさ苦しくて」

「さっきバスが着いてたぞ。そろそろ準備した方がいいんじゃいかな・・・特に、『心』のな」


新城にそう言われてがっくりと肩を落とした周人は右手をブラブラさせてそれに応えると、のっそり立ち上がって職員室を後にした。


「青山さん、飯終わったら送って行くよ」


恵の横の席に座りながらそう言う新城は教材の準備にかかる。すでに机の端に置いてあったそれらをまとめ、簡単なチェックを行った。


「いいの?飲めなくなるわよ?」

「今日は飲まないからさ・・・・どのみち通り道だし」

「じゃぁ、お言葉に甘えるわ。よろしくね」


そう言いながら可愛らしい笑顔を振りまいて軽く頭を下げる恵を見た新城の顔はどことなく嬉しそうで、しかも赤かったが、教材を手に立ち上がるとドアの方に向かう頃にはもう治まっていた。


「こっちこそ」


そう言い残し、新城は部屋を後にするのだった。1人取り残された恵は再び背伸びすると給湯室とも炊事場とも言える部屋の端にある窪みに設置されている小さな台所へ向かうと、棚からお菓子の袋を取り出し、インスタントのコーヒーを入れた。給湯室の横には簡易ベッドまで設置されており、そこでは徹夜の人間が仮眠をしたり、気分が悪くなった生徒を一時的に処置できるようになっていた。が、もっぱらここで仮眠をしているのは周人と、雑用で勤務している塾長の甥の新垣貴史ぐらいなものだ。新垣は授業を終えた小学六年生と五年生を送るため、中学二年生と三年生を迎えに行っていたバスを入れ替わりに使用して外に出ているのだ。そのバスのライトが外から窓を通って大通りの方へと抜けていった。二学年合わせると20人からなる生徒を順番に送っていったのだ。そして中学生を迎えに行っていた塾長である大山康男おおやまやすおが新城と入れ替わりに職員室に入ってきた。


「雨が上がったおかげで助かった・・・・間に合わないかと思ったよ、いつもよりヒドイ渋滞だ」


やれやれといった口調で給湯室に歩み寄ると恵の横に立った。恵は自分の為に入れたコーヒーを差し出したが、康男はそれを丁重に断った。自分の分は自分で入れる、そうゼスチャーをし、恵を席の方へと向かわせた。こういう康男の性格が恵たちアルバイトをしている者たちから信頼されており、また生徒たちからの信頼も厚くさせているのだった。170センチの身長ながら小太りな体をしている康男はやや崩れた7/3に分けた髪を掻き上げながらポットのお湯をカップに注いだ。


「木戸クンも遅れがちだったから遅れてあげた方がよかったかも」


笑みを含みながらそう言う恵を振り返る康男はそうなのか、とつぶやくとすぐ近くの周人の席に座った。


「今日、私も一緒に晩ご飯をお願いします。木戸クンと新城クンには了解済みです。新城クンが送ってくれるって言ってくれてますし」


嬉しそうにそう言う恵を見やる康男は、どこか意地悪な笑みを浮かべながらコーヒーをすすった。授業はさっき上がった2人に任せ、自分は事務を行うべくここにやってきた康男だが、実際にこなす事務の仕事は無いに等しい。


「まぁ、なんだな、雨だし、木戸君はバイクだからなぁ~」


誰に言うでもなくそう言い放つ康男は横目でチラっと恵を見やると残ったコーヒーを一気に飲み干した。恵も何も言わずに目を閉じると、味わうようにコーヒーを少し飲む。


「塾長のその意地悪な所は嫌いです」


キツイ口調でそう言われた康男だが、別に腹が立つ事もない。職業柄か人間関係、特に個人個人の思考を見抜く力に秀でている康男は恵の本心を突いたのだ。


「木戸クンって、車持ってないんですか?」


少し伏せ目がちにそう言う恵は康男と目が合い、あわてて目を逸らした。


「持ってるよ、車種は知らないけどね」

「そう、ですか・・・」


周人がこっちに派遣されてきてもう一ヶ月、ただの一度も車で来たことがないのだ。週に2回、すでに8回はここへ来て顔を合わせているのだが、その全てがバイクなのだ。しかも少し型の古い小さ目のやつだ。それは中古で買った物だと一目でわかる。


「さて、お仕事しますか・・・・青山さんは?」


おもむろに立ち上がった康男は飲み終わった紙コップを台所のゴミ箱に捨てると、自分の席がある場所を見た。机の上には乱雑にプリントやテキスト、それに郵便物が山積みされている。今いる周人の席は大通り側であり、そのまっすぐ南側、ちょうど給湯室と対角線上にある方向にその席があるのだ。


「大学の勉強をします。ここは静かだし、やりやすいですから。塾長はまず机の整理!」


最後だけややきつめに強調する恵に対し、素直に『はい』と言うと、康男は自分の席の片づけを始めるのだった。

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