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9/12

                   Ψ

  

 フェイクがバスで連れ去られたとしたら、悠長に構えてる暇はねえ。

 俺は家に戻り、ババアのチャリを拝借した。ババアは何処かに行ってるようだし、こっちは緊急事態なんだ。晩飯の買い物くらいは断念してもらおう。

 俺は、町の東側へチャリを走らせた。

 桐生には西側の捜索を頼んである。

 あいつがフェイク探しを「いいぞ」の一言で承諾したのは何故なのか。後ろカゴ付きママチャリの立ち漕ぎを続けてみても、理由が思い浮かばん。例によって家臣が持ってきた政務に許可を出すような傲然とした態度ではあったが、女王様気取りがしたいだけなら、「断る」と言ったっていいわけだろう。

 となると、俺に恩を売っておき、俺の髪を真っ黒に染めさせようという算段でもしているのか。そうはいくかい。俺はポイントカードじゃないんだからな。

 桐生が俺に手を貸すとは意外だったが、このさい、あんな嫌味の塊みたいな奴でもありがたい。奴が東大を狙っている秀才だというなら、フェイクの居場所を推理して捜し当てるぐらいのことをやってみせてもらいたい。そしたら、奴にはマクドナルドのハンバーガー三つくらい奢ってやってもいい。しなびたショウガのように痩せ細った肉体に、ジャンクフードで脂肪を付けてやれば、風呂場で見ても引かないくらいには健康的になるだろう。こんなド田舎にもマクドナルドは出店していることだし。

 あ。

 ひょっとすると、奴がいつも読んでいるラノベのせいか? 

 そうなのかもしれん。

 俺が即興で立てた仮説によれば、やつは薬物中毒者のごとくラノベに毒されていて、もはやラノベ的なものにしか興味を示さないラノベ脳なのかもしれん。

 俺が持ち込んだ案件にラノベ的なニオイを嗅ぎ取ったというわけか? 

 だとしたら、フェイクが見付かった後で、お前に伝えてやりたいよ。ラノベ的な事件に首を突っ込むのはやめておけ、とな。

 ラノベ的事件が現実に降り掛かってみろって。たまったもんじゃねえんだからな? そりゃもう、俺がお前なんかに人探しを頼む羽目になるぐらいなんだから……。

 

 

 雨が降ってきたぞ。

 今は何時で、ここは何処だ? 

 暗い夜空と、黒い山肌しか見えん。寝相の悪い俺の布団の上を夜にさまよっているダニの目からは、似たような景色が見えることだろうな。

 明かりのたぐいといえば、百数十メートルおきにポッツンポッツンと続いている街灯ぐらいのもんか。

〝街〟灯っていうか、どう見ても山しか無いが。

 俺は町の外れまで来てしまったらしいな。

 ラノベだったら、こんな辺鄙な所まで来れば、敵のアジトなり目的の人物なりを見付けていてもいい頃である。しかし、何も無さすぎて、この場に寝ちまいたいほど疲労しているぞ。このビターさは現実ならではだな。

 そして、ママチャリの細タイヤが濡れた路面でスリップし、両手・両袖・髪の毛に水がビチャリ。これも、現実。

 俺は急に、何もかも嫌になっちまって、自転車の首を来た方向に反転させた。

 最初から分かってたよ。

 見付かるわけなんか無いってことは。

 俺は自転車、桐生は徒歩。場所も分からない研究施設に行っちまったマイクロバスにどうしたら追い付けるのか教えてくれ。

 俺は、桐生から携帯電話の番号を預かっていたのだが、掛けようとは思わなかった。掛けなければ、桐生がフェイクを見つけたかどうかは分からないだろう。それでも、見付からなかったと告げられるよりは夢がある。

 そうだよ。こんなのは夢想さ。ひとときの自作アトラクションだよ。雨には祟られてしまったけど、かなりいい運動になったじゃないか。

 K駅前に戻って来た俺は、さっき考えにのぼったこともあって、雨やどりのためにマクドナルドに立ち寄った。

 桐生が呑気にコーヒーをすすっていた。

 

 

 目の前に立っている俺が見えているのかは分からん。

 だが、こうして黙っている限り、会うたびに表紙が変わっているラノベから目を離す気は無いようである。

「……おい」

「なんだ、貴様か。何用だ?」

「探してくれたか? 俺のフェイク」

「ああ、そのことか」

 やつはラノベを畳み、机の上に置いた。目のでかい女の子が極彩色で描かれているカバーイラストが見え、三行にも渡る無駄に長いタイトルが印字されている。

「そのことなのだがな」

 桐生は足を組み換え、顎の上下動一往復のもとに、コーヒーをグイと飲み干す。雨に濡れてもいない長髪がさらりと擦れ合う。「おかわり」と言ってバイトに手を振った。

 やつは、珍獣の檻でも見るように、下から覗き込んだ。

「はっ」

 大マジメな顔の内部から、やたらと間の抜けた声が吹き出る。

 一瞬後、やつは上半身を弓なりに反らして笑いだした。

「ハハハハハハ。……」

 何がおかしかったんだろうな。少なくとも俺は、顔を真っ赤にして息継ぎに困っている桐生を見ても、助けてやりたいとは全然感じなかった。それにこの官僚の御令嬢は、周りの客の注目を集めないように声量を絞って笑うから、サイレント映画でも見ているような肩透かし感がある。馬鹿笑いまでどこか奥ゆかしいんだ。

 店員が紙コップにコーヒーをついでいった。桐生はラノベをギュルリと丸め、コップの中へブチ込んだ。やつの親父が風呂に入ったときのように、テーブルにはコーヒーが溢れた。

 やつは目尻の涙を拭いて言った。

「頭は大丈夫か? 聞けば、あいつを連れ去ったのが国の研究機関だとか。貴様は国がそんな暇なことをやると思っているのか。ライトノベルでもあるまいに」

 まさか、最後の一言をお前に言われようとはな。

「てめえ。俺がラノベと現実を混同してるとでも言いたいのか?」

「混同していようと、いまいと、構わんよ。貴様の頼みを聞いたフリをしたのはどうしてだと思う? この場面で貴様にヒトコト言うだけのためさ」

 桐生は席を立ち、すれちがいざま、ヒトコト残して退店した。

 ――愉快な時間をありがとう。これからも頑張り給え。

 俺は不愉快を通り越して桐生を見直していたよ。骨の髄までな。 

 奴には二度と会いたくもねえ!

 これからは、学校で会ったって一切相手してやるもんか。いや、そう思ってるのは向こうも同じか。俺だって、最初から予感はしてたよ。俺を手助けするようなことを委員長がやるわけねえ。

 なのに俺は、どうして委員長にフェイク探しを頼んだんだろうね。

 紙コップからラノベが生えている奇妙な物体を眺めながら、自分が情けなかったよ。

 さてと。フェイクを見付け出せる確率もゼロとなり、俺がやれることは何も無くなったな。

 それなのに、俺は今さら、フェイクの偏執的な泣き笑いを思い出してしまう。

 ――あなたはあたしを見放さないでいてくれるわよね?

 ちっ、あほらしい、知るか。俺はな、お前らが来てから、俺を巻き込んでいる相当に遠大そうなイベントを理解しようとするだけで精一杯なんだ。お前の面倒まで手が回るかよ。

 俺はマックを出た。

 ママチャリをキイキイいわせて家路を辿りながら、不思議とこんなセリフが口をついた。

「悪かったな……」

 どうして謝ったのかねえ。後ろ指さされるようなことをした覚えは無いんだがな。俺は、自分ではできる限りのことをやったはずさ。

 それでも、お前を捜すことはできず、お前は回収されちまった。それだけのことだよ。いわゆる、非情な現実というやつだな。お前にとっては残念だろうが、まあ、大人しく受け入れるんだな……。

 家に着いた。が、いまだに誰も居ねえ。どうなっていやがる? 

 まあ、いいさ。

 いま俺がやれることといったら、屋根裏部屋で静かに寝るぐらいのものだからな。

 そうだろ?

 

 

 もちろん、寝られやしないよ。色々と、考えなきゃならないことがあるような気がしてな。

 あれこれ考えたからといって、今の俺の状況を納得させてくれる説明は見付かりそうになかったし、それが分かってたから腹も立った。

 結局、俺は、いつもと同じようにグチっているだけなんだ。学校に行って「つまらねえ」とグチるのと同じ要領で、桐生一男や〝人工政府協会〟のやることに腹を立てているだけさ。いつもいつも、グチしか出ねえような状況にばかり身を置いている自分に腹が立つ。こういう状況はいつになったら好転する? どうやったら好転する?

 時間が経っても、何をやっても、好転しなかったらどうする?

 いやむしろ、悪化の一途をたどるばかりだったら、そのとき俺はどうなってるんだ? 俺の体だか心だかそれとも両者の複雑に融け合った部分だか知らねえが、耐えられるのか? 

 よく分からないが、畜生、俺はウナギの寝床みたいな狭苦しい所とは言え、こうやって雨の音を聞きながらベッドでゴロ寝していられることを幸せだと思った。

 俺は、今のところ、俺のフェイクや上条京香を急襲したような計り知れぬアクシデントの執行をどうやら猶予されているらしい。

 しかしなあ。空手の試合前日なのになかなか寝付かれないような最悪なヤキモキ感が続くだけだというなら、執行猶予はそんなに良いことなのか? 

 計り知れぬアクシデントなら、すぐそこで大口を開けて待っているかもしれないじゃないか。近く俺が行く予定になっている、人工政府研究所とやらの中にな。

 だとしたら困りもんだ。桐生一男に頼んで、なんとか延期や中止に至らせられぬものか……。そこで俺は舌打ちする。

 くっ。俺も弱くなったもんだよな! 昔は、一万人を収容するD市の体育館で大会に出たこともあったんだ。コロッセオみたいな仰々しい体育館が見えてくると、武者震いを起こしたもんだけど……。

 それとも、十年間の空手で培った経験ごときで立ち向かっても吹き飛ばされちまうような状況というのが世の中には存在し、それが今だというのか。俺は、レベル1で魔王城に連れ去られようとしているのか。なんだろうね、こんなラノベそのものの筋に巻き込まれ、それが案外怖いという屈辱。

 だが……。

 俺は認めねえぞ。沽券にかけても、ラノベごときに参ったというわけにはいかんのだ。日本国だろうが人工政府だろうが、掛かって来てみろ。この俺様がまとめて相手をしてやるよ。

 いや、やっぱ掛かって来るな。心の準備がまだなんだ……。

 寝床で悶々とのたうち回っていたら、玄関のチャイムが鳴った。

 

                    Ψ

 

「ハァイ」

 雨の中、フェイクが立っていた。

 俺は、自分の表情が緩むのを覚えた。夜に誰も居ないところに話相手が増えることは、多少は意味があると思えるだろ。

 研究施設から脱走して来たんだろうか? どういう時でもニコニコしていようという、病的な特徴は変わっていないと思えるが。

 ……よく見ると、フェイクの浴衣はさほど濡れてはいない。シミの具合から見て、門の前で車から降ろされたと考えればピッタリくる。

 姿こそ見えないものの、俺は政府のやつらの影を家の裏手あたりに感じるのであった。

「これ、ラボから渡された書類。あとで桐生一男に渡してくれって」

 フェイクは小脇のビニール袋を俺に渡した。

 中を覗くと大判の茶封筒が見えた。

「……さて。じゃあ俺は台所借りるぜ。サラダ作る約束になってたもんな」

 フェイクはズカズカと台所を目指す。

 お、お前、なんか前と変わってねえか?

 俺は疑念を感じながら奴を目で追い掛け、その背中が台所へと消えるや、奴の持ってきたビニール袋を剥いてみた。

 茶封筒の表面には、「修理内容説明書在中」というハンコが押してあった。

 疑念が確信に変わるまでは、すぐだった……。

 奴の作ったサラダは、物凄くうまかった。

「修理? もちろん、されたよ」

 奴は俺のコップに茶を注ぎながら言う。

「動作不良はかなり酷かったんだが、それでも上層部の結論としては、お前の代わりができるのは俺しか居ねえだろうっていうことでな。大至急、不具合のある箇所を直すことになったんだ。どこをどう修理したのかってのは、さっき渡した書類に書いてあると思う」

「お前、処分される……はずじゃなかったのか?」

「あぁ、デマだよデマ。桐生一男がそう言ってたって? 研究施設の職員は、文系の事務方を軽視してるからな。ああいう杓子定規の役立たずには、適当な見通しを伝えておけば安心するだろうってさ。あとで修正された連絡がいくだろう」

「研究施設ってのは何処にあるんだ? 遠いのか?」

「それがなあ、フロに入ったところまでしか覚えてないんだよ。修理中は麻酔かけられてるしなぁ。現在のH.L.H.工学は凄いもんで、記憶の選択的消去なんて朝飯前なんだ。頭の中を、こう、グチャグチャっとな。人間にとって都合のいいロボットにするためには、都合悪い記憶を残さない方がいいだろ?」

「お前、そんな……。笑って言ってるけど、怖くなかったのか? 頭をグチャグチャってなぁ」

「頭はH.L.H.の中心部さ。要は、俺そのものってことだ。俺自体がグチャグチャッといじられて変わってしまえば、怖いことなんか無い。一部だけが変わるから、その変わった部分が怖いんだよ。全部変わってしまえば、怖いなんて感情は起こりようもないんだ」

「そんなもんなのか?」

「お前も変わってみなよ。そしたら、分かる。ああ、だけどお前は、〝人工政府協会〟での実験があるからいじれないか……。とにかく、俺は修理されてハッピーだよ。研究施設のやつらが頑張ってくれて、俺は色々な点でお前に近くなったそうだ。今の俺なら、お前が留守の間は完璧に代わりができる自信がある。どこでも行って来な!」

「そ、そうか……」

 拳銃連射のように音圧のあるトークと、大熊の力をも上回る肩叩きに圧倒され、俺は頷いてしまった。

 以前はどうしても別人にしか見えなかったのに、

 なぜだろう。

 皿洗いをする奴の姿は、どこからどう見ても俺だった。

 そのとき俺は、奴を祝福するというより、奴には申し訳ないが、消し去りたくてたまらなかった。

 俺をな。

 なぜなら、奴は自分でハッピーだと言うんだからハッピーなんだろうが、かたや絶対にハッピーな気分ではない俺という変な奴が、ここに突っ立ってるんだからな。


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