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7/12

                    Ψ

 

 他県の人間十人に「K町は?」と聞けば、「知らない」が六人、「温泉」が二~三人、「お城」と答えるのが一人か二人ってところか。

 そのくらいには温泉が有名で、逆に言えば温泉くらいしか目立つもんがないとも言えるが、一応温泉街と呼ばれるのに適当なほどの景観は存在し、遠くから見る分にはカビや黒ずみが分からないホテルや、建て替えに伴う税金を持っていかれるよりは地震で潰れる道を選択している旅館や、町が予算を消化しなきゃいけないので作ってみた足湯場などがある。

 だが温泉設備が固まっているのは駅の向こう、つまり学校のある側だな。無駄に遠いし、硫黄くさい湯は好かないし、健康体の俺は擦り傷から病中病後まで効く温泉に浸かる趣味もない。案外地元民は入らないものだ。あえて銭湯というのもひねくれているように見えるが、安いし、近いからな。

 脱衣所のロッカーのカギが、意外に引き抜かれているな。

 扇風機の下の籐椅子では、土人形みたいなオバサン連中が裸で喋っている。

 盛況じゃねえか。

 浴場に行ったら、あいてる椅子がなかなか見付からなかったくらいだよ。

 ……畜生、あそこしか無いのか。

 俺は、隣の奴に話し掛けた。シャンプーは持って来たんだが、ボディーソープを忘れてしまってな。桐生寧は石鹸を足で小突いてよこした。

「貴様らしいな。肝心なものは持ち合わせていない」

 桐生は目を瞑ったまま、頭皮をわしわしと洗っている。

「何者だ? あの、貴様にもどいている女は」

「お前に話したって、分かるかよ」

 俺は石鹸をごしごしとタオルになすりつける。

「クラスの小野まゆみ株は急上昇している。明るく社交的、誰とでも仲良くしようという誠意がある。小野まゆみを卒業式まで出せない粗大ゴミのように思っていた者たちの中へ、笑顔で飛び込んで行き、拒絶や冷笑の壁を打ち壊そうとしている。既に七人程度と良好な関係を築きつつある。クラスのためには、最初からあの者が登校すべきだったな。貴様とは天と地ほどの開きがある」

「勝手なことをやりやがって。しかも、クラスのやつらも、まんまと騙されるのかよ。どうなっていやがる」

「……」

 俺はタオルで体を闇雲にこする。桐生は頭部に泡をのせたまま目を瞑っていたが、やがて俺の迷惑も考えずにシャワーを派手に使う。

 俺はイラッときたが、奴には殴ってしまったり石鹸を借りたりなど負い目があるので、大人しくしていた。

「お前の方こそ、いつもの委員長っぽいスタイルじゃねえのかよ。実の親父さえ気が付いてねえじゃねえか。親父殿は、のれんの前のベンチで呑気に一服してらぁ」

「毎週一回、ここの〝やさい牛乳〟をるのが余のスタイルなのだ。髪留めや整髪料は余計につき、あらかじめ取っておく。メガネ着用者が常にメガネを掛けるわけでもない。大地震の時、一本しか無いメガネが壊れたらどう避難するのだ? コンタクトを懐に持っておくのは常道。風呂場でも便利だ」

 たしかに。抗うつ剤を懐に入れておくよりはな。

「……髪を下ろし、メガネを外してしまえば、父はもう余を認識することができん。杓子定規な官僚ゆえにな。偉い男だろう?」

「ぜんぜん偉いとは思えねえのが不思議な男だがな。そこらへんの〝庶民的〟なところが、却って偉いというわけか?」

「異常な馬鹿である貴様には、偉大さが理解できん」

 桐生はシャワーを止め、立ち上がった。水を吸った黒髪が背中にくっついている。

 こいつ、めちゃくちゃ痩せていやがるな。骨と皮みたいじゃないか。道理で胸には栄養が回らんわけだ。

「ともかく、あの女子が小野まゆみの代わりを務めるということならば、クラス委員長の余も大いに賛成したい。貴様はクラスの余計者に過ぎん。二度と来ないことを心から願う。貴様が手を触れた石鹸も、返却の必要は無い」

 桐生は湯煙の向こうへ消えて行った。

 やっぱり、最高にいやらしい奴め。

「まゆみさんっ」

 フェイクが隣に来た。

 やつはツインテールをほどき、髪を下ろしていたので、鏡には少なくとも双子にしか見えない顔が並んでいる。

〈法律的ロボット〉か。

 そういう話題というか、議論というのか、一時期ネットやテレビを賑わしていたっけな。俺が小学生ぐらいの頃だった。

 当時の俺は、何を言っているのかも分からなかったし、興味もなかったんだっけ。きのうH.L.H.のことを調べていたら、当時のことを思い出したよ。

 あの頃は、世の中のことが今以上に良く分からなかった。政治家とかいう背広のオッサンたちを映すよりも、アニメとかサッカー中継の時間を拡大してほしいと思っていた。株とか為替の数字が毎日決まった時間に流されるが、何の意味を持っているのかは不明だった。ほかにも、年金の財源がどうとか、輸出と輸入のバランスがどうとか、長引く不況で業界再編がどうとか、企業の収益やGDPが前年比マイナス何パーセントだとか、色々なことがパソコンやテレビの向こうから流れてくるんだが、俺にはサッパリ意味不明だった。退屈だった。そういう出来事は、ニュースのかなりの割合を占めた。

 俺は、こう思うようになった。ニュースっていうのは、子供でいうアニメみたいなもので、「大人向けのフィクション」なんだと。大人はそれを見ると楽しいんだろうってな。うちの親は毎日そこそこ見ていたしな。

そしたら、違ったんだ。俺がフィクションだと思っていた様々な意味不明な出来事によって、世の中は色々と変わっていくらしいとうことが分かった。その適当な定時報告がニュースというわけだった。〈法律的ロボット論〉とやらも、その報告の一つに含まれていたことを、俺は思い出した。

 俺の隣に、H.L.H.の実物がやって来てからな。

 なるほど。こういうことを言っていたのだな。

 それにしても、よくできた体である。俺よりずっと胸がでかいとか、この際そんな話ではない。肌にフランケンシュタインみたいな継ぎ目があるわけじゃなし、機械の腕を生やしているわけでもなし。ネットの資料によれば、「大半の外骨格」と「一部の感覚器官」が人工物だということだが、本当なのかね? どこから見ても人間じゃねえか。

 こいつの瞳が桜色をしていて、俺の瞳はやる気のない色。一般の人間が見たら、そこで区別するしかないだろう。

 そうだ、こいつらの眼球には、特殊な加工が施されているらしい。目玉自体が人造物なんだったかな? とにかく、「H.L.H.チェッカー」とかいう器具をこいつらにかざすと、目玉に刻印されたコードを読み取り、「人間じゃありません。ロボットです」という反応を返すらしい。ロボットが人間になりすますのを防止する仕掛けだという。

 俺が鏡の向こうの桜色の眼を見ていたら、

「あたしの目が気になるの?」

 ちっ。人間様がロボットに心を読まれるとは。

「ねえ、驚かないでね。H.L.H.チェッカーであたしをチェックしても、H.L.H.の証明は得られないのよ。あたしはコードを焼かれちゃってるから。この目の色はコードを焼いた時の名残りなの」

 ふうん。そうですか……。なに? ということは何か? 今のお前は、人間になりすまし可能ということなのか?

「笑えねえことばっかりやるお前にしては、面白いことを言ったな。そう簡単になりすましができたら、苦労しねえだろう」

「でも、あたしのコードを隠滅したのは国だもん。簡単にできるのよ。あなたが帰って来るまでは、ロボットだってバレるようなことがあったらいけないでしょ。国の機密がかかっているんだしね」

 それも、そうだな。

「あたしにとっても、今回のプロジェクトは大事なんだぁ。〝職閾〟が思わしくないから……。あなたの代わりがうまくできるといいんだけど」

 フェイクは俺の手からタオルを奪い去り、後ろへ素早く回り込んだ。

 がしがしと俺の背中をこすってくる。

 こら、人に断りもなく勝手に……。あれ、だが、意外と気持ちいいな……。

 ふと、やつが椅子を引く音が聞こえたかと思うと、ぎゅう~っと俺の背中に体をくっつけてきた。やつの顔も、いつの間にか俺の肩口にビタァと乗っかってやがる。

「おいこら、気持ち悪いな!」

「え~。あたしは気持ちいいんだけどぉ」

 な、なんだと。

 というか、耳元で湿った声を出すな。鏡を見るに、奴を振り返ろうにも振り返れん。振り返ったら、強制キスになってしまう。

 その点、これ以上ないくらいに背後を取っているやつは、したい放題だ。手を回して俺のほっぺたをナデナデしたり、首筋をペタペタ触ったり。密着部分から、やつの汗ともお湯ともつかない液体が、ジワジワとしみてくる。

「あたしの〝本人〟のことを、もっと知りたいと思ったって、別にいいじゃない?」

「〝本人〟だと?」

「そうよ。〝本人〟と言ってもいい人。あたしたちH.L.H.は、人間に奉仕するための存在。仕える人間は選べない。派遣された先で奉仕作業に従事するだけ。今まではそうだった。でも、あなたは違う。ほら、鏡を見て。あなたとあたしはそっくりなのよ。あなたならあたしは喜んで奉仕できる。自分がH.L.H.で良かったって、はじめて思えそうな気がする。こんなにもあたしに近い、あなた。あなたのために働けなかったら、あたしはH.L.H.として不適格品だと思う。消されても仕方がないと諦める」

 なんだこいつ、自分語りを始めやがった。こんな時まで穏やかに笑ってるんだな。まるで他人だ。

 俺は動くに動けず、黙って鏡を見ている。だって、同じ顔同士が公衆浴場で組んずほぐれつ、ヌメヌメツルツル争っているのは、想像するだに異様な光景だからな。

 幸い、こいつも小声だ。このまま組んずだけなら、多少怪しいと思われるぐらいで済む。湯船に居るであろう桐生に醜態をさらしているのは嫌なものだがね……。

「あたしは、テストされてるの。生き延びるか消されるかの瀬戸際。桐生一男さんがあたしを採点して上に報告する。あなたの贋物だってバレたら不合格。さぁて、どぉなるかしら。あなたはいいよねぇ。あたしみたいに簡単に消されたりしないから。クスクス」

 フェイクは笑った。催促に来た借金取りをうやうやしくもてなすみたいな具合だった。こいつ、ニイッと笑った右の犬歯が八重歯になってるんだな。今まで気付かなかった。

 ウーム。どうも俺はのぼせているな。話の色々なところを辻褄合わせすることができん。

「消される」って、どういう意味だ? 「生き延びる」の対義語で使っていた気がするが。だとすると、なんだ? 殺されるってことなのか? 誰に。どうやって。んなバカなことがあるのか。あるわけないよな。一種の隠語だろうよ。

 だってお前は「不合格なら消される」って言ったよな。そして現時点で完全に不合格なんじゃねえのか。「贋物とバレたら不合格」だなんて、桐生はじめ公衆の面前で言明していいのか。既にバレてるじゃねえか。

 お前は、ひょっとしたら、バカなのか? 卒業単位取得さえ覚束ない俺よりも……。

 やつは鏡に映る俺をからかうように、半閉じ目の挑発的な笑みを浮かべた。

「ねえ? あたしのトラウマ、聞かせてあげようか?」

 話す気まんまんの顔だな。なぜ唐突に話を変えるんだと訊いても、答える気は0なんだろうなあ。などと考えていたら、こいつはすでにサラリとトラウマ告白を終えてしまった。

「前の派遣先で、人殺しをした。H.L.H.の人殺しは、想定される誤作動の中で最悪のもの。原因究明のため、あたしは回収され、凍結されていた」

「なぜ急にトラウマ話なんだよ?」

 俺は、機械的に訊くばかりである。密着しているこいつの体が、いきなり俺を締め上げてくる妄想を追いやりながら。

「いいじゃない。グチくらい聞いてよ~。どうせあたしは、〝職閾〟が低い旧型だもの。ニコニコして仕えているだけの、優良なH.L.H.とは違うんだから。主人を困らせるグチの一つも出ちゃうのよ。――あのね、あたしたちH.L.H.は、奉仕作業用のロボット。人間に奉仕せずにはいられないように造られているの。だから、派遣先で主人に奉仕することはH.L.H.の喜びよ。そして、徹底的に奉仕すればするほど、充実感を感じることができるの……普通の個体ならね。あとで判明したことだけど、あたしは〝職閾〟が水準値ギリギリだったの。もっと詳しく言うと、主人に奉仕するための〝従属報酬系〟っていう部分の支配力が、通常の個体よりも劣っていた。だから、罪を犯した。あたしはH.L.H.の存在様式を誤った。通常の個体なら、主人に奉仕する以外の作業は行わない。いつだって奉仕する者であることが、H.L.H.の喜びなんだもの。だけど、〝職閾〟が低レベルだったあたしは、働いている気がしなかった。どれだけ毎日の奉仕活動に徹しても、僅少な喜びしか感じることは無かった。あたしは、主人の子供に目をつけた。主人が一番かわいがっている対象は、その子供だった。いつも楽しそうに子供と遊んでいた。あたしがその地位を占めれば、主人はあたしを誰よりも大事にすると思った。そしたら、あたしも喜べる気がした。だけど、そうはならなかった」

 そりゃ、なるわけねえよ。

 俺は奴の喋る語句が耳に入ってくるままに、おそらく奴の脳内イメージよりも千倍は陳腐な殺人劇を頭に浮かべてみたんだが、その低クオリティ劇の展開としても、子供を殺された父親が、殺した奴をかわいがるようになるとは思いがたい。回収だか凍結だか知らねえが、処分を受けて当然だ。

 だが、かつて凶行に及んだ危なっかしいロボットが、なぜ再び世に出ているのかね。

 しかも俺のそばに。

「H.L.H.が出始めた頃は、あたしみたいな動作不良の個体が他にも居たみたい。だから改良が重ねられた。いま出ているH.L.H.なら、不良動作はまず起こさないわ。〝職閾〟の基準は更に引き上げられたし、旧世代の個体の処分も進んだ。あたしも、本当なら、今頃は生きていなかった。不良箇所の解析が済んだら凍結され、病気の人間に臓器を供給する個体として利用されることになっていた。だけど、あたしの凍結は解かれたの。それだけじゃなく、H.L.H.として今後の使用に耐えるかどうか、もう一度試してもらえることになったんだ。あなたが居たから。あなたが〝人工政府計画〟の被験者に選ばれてくれたからよ」

「選ばれてくれたって言うけどなあ、俺は自分の意志で選ばれたわけじゃねぇぞ」

 俺は背中に手をやり、奴と俺の間に半端に挟まっている手ぬぐいを引き抜いた。

 その手ぬぐいを洗面器の中で洗うフリをしながら、じつはどういう顔を作ったらいいか分からなかったんで、適当に仏頂面していた。

 ちくしょう。この時間、なんか重いな。

 正直なところ、こいつがロボットか人間かという問題は、俺にはどうでもいい。それは学者が勝手にやりゃあいい話だ。

 要は、こいつがロボットだろうと人間だろうと、この鏡を見てみろ、こういう外見の奴をだな、ガシャガシャ音を立てて歩く箱形の金属の集まりだと思い込むのは無理だと言わざるを得ん。そうだろ? 

 一言でいうと、俺は他の人間たちを人間だと思うのと同じぐらいには、このロボットを人間だと錯覚してしまっているわけだ。目玉の認証コードを焼かれちまったコイツには、H.L.H.チェッカーとやらも意味をなさないんだろう?

 俺は、苦手なんだよ。俺のおかげでもう一度生きるチャンスをもらえただの、俺になら喜んで奉仕できるだのと言われてもなあ、重いんだよ。

 お前がどんだけ必死で生きてるのかとか、過去にどんなひどいトラウマを抱えているのかとか、それでもどうしてニコニコしてられるのかとか、そんな事情は一切知らん。想像もつかん。

 よく分からんが、たぶん俺はお前と違って、人間的にも人生経験的にも中途半端な奴なんだ。お前のように過激で苛烈で衝撃的な人生を送っている奴から気持ちを打ち明けられても、どう返したらいいか分からん。

 何を言っても俺の不恰好さが露呈するだけのような気がするよ。ああムカつく。

 だが……。このぐらいは言ってやった。どうせ俺は、明後日にはこの町を去るんだからな。

「やりたいようにやれよ。テストとやらに合格したきゃな」

「うん。頑張る」

 鏡を見るとまあ、同じ顔をしていながら、よくもこう俺とかけ離れた表情ができるものだ。

 俺も、苦笑を込める意図で、少々やつの顔をマネしてみたさ。

 その時、鏡を見ていて気付いたが、あんなに居た客がゴッソリ居なくなっていた。

 見る限り、頭にタオルを巻き付けた桐生が湯船に浸かっているだけのようだ。

 そんなに長いこと、俺たちは喋っていたかねえ。


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