「 蓮華の花守 - 見合い 」(十八)
「 記憶が無いとは、どの様な感覚なのかな? ――― 悲しいですか? 不便でしょうか? 記憶を取り戻したいですか? 」
答える気も、答える余裕も 睡蓮には無かったが、晦冥も彼女の返答など望んではおらず言葉を続けた ――― 。
「 しかし、睡蓮 ――― 君は運が良いですよ?記憶を無くしても 何不自由無く生きている事もそうですが、その胸に矢が突き刺さった筈なのに生きている。 」
――― それは、確かにそうかもしれないと 睡蓮は晦冥の言葉を否定する事が出来ず、寧ろ 彼から語られる言葉に関心を持ったかの様に耳を傾け始める。
晦冥は冷たさと鋭さが入り混じった眼を睡蓮に向けていたのだが、薄闇と逆光に隠れた彼の表情に睡蓮が気付く事は無かった ――― 。
「 思い出す事が全てではありません…――― 記憶は生きる上で邪魔になる時もある…… 折角 手に入れた " 睡蓮 " としての幸せな人生を大事に生きなさい。 」
「 ………あなたは 」
消え入りそうな小さな声ながらも睡蓮が口を開いたので、部屋の前を過ぎ去ろうとした晦冥は彼女の言葉に興味を持ち、耳を凝らして足を止めた ――― 。
薄暗い中でもお互いがお互いの顔を眼を逸らさずに見詰め続けているのは判っている。
「 あなたは私の事を…――― 記憶が無くなる前の私の事をご存じなのですか……!? 」
「 …まさか! ――― それなら、君を見つけて 放って置く訳が無いでしょう? 」
睡蓮自身も可笑しな質問である事は自覚していたが、苦笑した様な晦冥の声を聴いても心の中は納得出来ず ――― 白夜や 秋陽、桔梗に感じた懐かしさにも似た " 何か " を 薄暗闇の中に佇む 晦冥の姿から感じずにはいられない自分の心にハッキリと気が付いていた。
「 晦冥様? 」
「 白夜か…――― 良かったね、睡蓮 」
睡蓮と聞き、血相を変えた白夜が晦冥を押し退ける勢いで扉の前に駆け込むと、闇に包まれて立つ睡蓮の姿が彼の瞳に映し出された。
「 本当に君は運が良い……。 」
晦冥は睡蓮に敬服と羨望を浮かべた眼で誰の耳にも聞こえない程の小さな声で呟くと、「 貴方を探していたのですよ 」と 嘘か誠か 和やかに ナジュムに 此の後の予定を伝え始めた。
彼の其の様子を、睡蓮は 極度の緊張から乱れた呼吸を整えながら睨み続け ―――
震え怯える睡蓮を見つめながら、彼女の傍らに身を置いた白夜の胸の内は晦冥に対して僅かに残っていた情の全てが怒りへと変化を遂げようとしていたが、怯える睡蓮を目の前にしても、彼女に触れる事への躊躇い ――― 桔梗の泣き顔の記憶と睡蓮を抱き寄せたい衝動 ――― 保護本能。
彼の心の中で理性と本能が衝突し、真っ向からの対立を繰り広げようとしていた ――― 。




