「 睡る花のような少女 」(三)
少女の話から、秋陽は 少女が健忘症( 記憶喪失 )を起こしていると診断した ―――――― 。
「 物理的な衝撃を受けたり、精神的な問題から記憶が消えてしまう事があると
噂には聞いておったが、この歳で初めてその症状のもんに遭遇したわい……」
少し前に、野菜などの煮汁で緑色に濁った吸い物を持って部屋に戻って来ていた日葵も秋陽に同意するように頷いた。
「 …… 思い出す方法はないのでしょうか? 」
少女が不安そうな表情で尋ねると、秋陽は 厳しい表情で答えた。
「 医者として 任せておけと言いたい所じゃが、正直、何とも言えぬ……。
一生 戻らぬ者もいれば、数日 安静にしていて戻った者もいるようじゃし
何かの衝撃で戻る場合もあると聞く。
お主の場合、かなり水を飲んでおったようじゃから
海の中を 彷徨ったのだとしたら その時の恐怖か
流される途中、どこかで頭を強く打ったのが記憶喪失の原因かもしれぬな。」
秋陽は言わなかったが、少女は布一枚だった割には綺麗な身体をしていた。
唯、頭部から首筋にかけて 人為的に付けられたと思われる痣が出来ており、
それが記憶喪失の直接の原因ではないかと考えていた。
殴られたような跡は、他にも少女の身体に付いており、
それらの痣は全て最近できた物と思われる・・・・。
本当は先程、その痣が どのような状況で付いたのかを聞き出すつもりで
日葵を外したのだが、忘れているならば無理に思い出させる必要は無いと考え
秋陽は 痣についての話を封印する事にした。
――― 時には、忘れていたほうが幸せなこともあるからだ。
「 まあ、心配はいらぬよ。お主は、記憶能力以外は 正常で健康なのだから
思い出せぬとも生きては行けるし、明日には ひょっこり思い出すかもしれぬ。
症状の経過も診たいし、暫くの間は ここにおると良い。」
残酷な記憶なら忘れたままのほうが良いと 親心では思っているが
医者としての秋陽は、久しぶりの難題に 密かに闘志を燃やし始めていた ――― 。
「 さあ、お飲み!冷めちまうよ!? 」
秋陽が話してる間、吸い物が冷めて行くのが気になっていた日葵が 痺れを切らして せっつく。
少女は、黙ったまま 目の前に置かれた緑色の吸い物料理を、 唯、 ぼーっと眺めた。
「 先生の言う通り、生きてるだけで儲けもんなんだから落ち込むこたぁないよ?
いざとなりゃあ、あたしの妹か 養子になったって良いんだ!
あんたとあたしなら、きっと 美人姉妹って噂されて
男に不自由しない人生になるだろうから大歓迎だよ! 」
――― 日葵は結婚しており、愛妻家の夫がいるのだが、後半の部分も割と本気で言っていた。
渡された吸い物を飲みながら、少女は自分が汁料理の飲み方は覚えている事に気づく。
( だけど、いつ口にしたのか……
そもそも、最後に食事をしたのはいつなのかしら…? )
自分に関する記憶が無い事も、戻せないかもしれない事も平気なわけでは無いが
不思議と あまり動揺はしていないなかった。
( 二人が言うように、思い出せなくても大丈夫なような気がする。どうしてかしら……?)
何も食べていなかったせいなのか、口に入れた緑の液体は不思議な味に思えたが
その温かさは 心にまで染みこむかのように 優しく少女を癒した。
( おいしい……ような気がする……。)