「 睡蓮花 」(二)
「 睡蓮! ――― 向こうから晦冥様が歩いて来た!! 」
「 えっ……!? 」
" 晦冥 " の名を聞いた瞬間、睡蓮の胸に黒煙を放つ矢が突き刺さった時の様な重い痛みが走る ――― 。
白夜へ対する緊張とは比べ物にならない、闇に引き摺り込まれるかの様な恐ろしさが襲い掛かり、彼への恐怖心を 決して 忘れていないと睡蓮は思い知らされる ――― 。
「 睡蓮……? 」
何時もの雰囲気から一変した睡蓮に気付いた白夜は、彼女を別の場所へと連れ出す事を諦めつつ、何故、そこまで晦冥に脅えるのか不思議に思いながらも晦冥から彼女を隠す様に睡蓮の前に歩み出る。
然し、人より背が高く、程良く筋肉の付いている身体の白夜の存在は 大勢の中に居ても 良く目立ち ――― 晦冥の瞳には真っ先に彼の姿が飛び込んで来た。
晦冥が白夜の前に立ち止まった様子を、二人から離れた場所から蒼狼も見ている ――― ( ……御二人とも、デカっ! )
「 白夜、久し振りですね。 」
「 はい、お久し振りです。 ――― その節はお世話になりました。 」
白夜は晦冥に敬礼を終えると、自分の背後にいた筈の睡蓮がいなくなってる事に気付く ――― 。
「 どうしました? 花が気になるのかい? 」
「 いえ、そういうわけでは…… 」
「 宮中の暮らしは慣れたかな? 」
「 …はい。 」
どうでも良い話は 早く切り上げて、睡蓮を探しに行きたいのだが ――― このまま 自分が晦冥と話し続ければ、晦冥が彼女を追う事も無いと考え ――― 白夜は適当に話を引き延ばすほうを選ぶ事にした。
「 あの……晦冥様は、今日は此方に どのような御用で? 」
「 花蓮様をお迎えに来たんだ。 」
「 え!? ――― 花蓮様ですか? 」
「 王宮内を覚えて貰う為に、最近 色んな場所にお連れしているのですよ。 ――― でも、私が 少し目を離した隙に、御一人で何処かに行かれてしまってね…。宮中は君達の御蔭で警備が行き届いているが、困ったものだよ……。 」
「 ですね……!」
自身が目を離した隙に何処かへ行ってしまった睡蓮を想い、白夜は心の底から晦冥に共感した。
其の白夜の相槌の仕方が気に入り、晦冥は彼を見て微笑む。
其の笑顔は、宮中の一室に年若い少年達を閉じ込めている様な男には とても見えなかった ――― 。
( 睡蓮 ――― 家か医院に戻ってるのなら良いんだけど…… )
――― 無我夢中で咄嗟に逃げ走った睡蓮は、何時の間にか大きな池の前に辿り着いていた。
走り疲れた彼女は其の場に立ち止まると、息を整える為に何度も大きな呼吸を繰り返す。
「 あ……! 」
声がした様な気がして、睡蓮が辺りを見渡すと ――― 華やかな黒い衣装と装飾品に身を包んだ、細く小柄の黒髪の少女が脅えている様子で自分のほうを見ている事に睡蓮は気が付いた。
―――――― 見覚えのある、同じ年頃に見える少女だ。
「 ……花蓮様? ――― あなたは花蓮様ですよね……!?」
「 ……!? 」
睡蓮は、慌てて 東雲に習った通りに膝まづくと、彼女に向かって頭を下げた。
「 い……いや……!! 」
「 え…? 」
「 来……来ないで!! 」
「 え…――― あの!? 」
睡蓮は何が起きたのか理解出来ず、唯、其の状況を見守る事しか出来なかったのだが、暫く花蓮の様子を眺め ――― 女王が必死に自分から逃げ出そうとしている事に気付く。
着慣れていない何枚にも重なった衣装の裾が逃げ行く女王の足下の邪魔をして、花蓮は其の場から上手く逃げ出す事が出来ず ――― 何度も躓きながら、泣きそうな顔で睡蓮のほうを振り返りながら逃げ進んだ。
其の姿は、まるで 晦冥に怯える自分の姿の様だと睡蓮は思っていた ――― 。
「 あのっ…!花蓮様!? 私は何もしません……! あのっ…… 」
「 いやあぁぁぁっ!! ――― ごめんなさいっ!! ごめんなさい……!!! 」
「 ――― 陛下!? 」
「 睡蓮!? こんな所まで来ていたのか!? 」
池の近く迄 来ていた晦冥と白夜が花蓮の悲鳴を聞きつけて現れると、恐怖心から其の場に座り込んで蹲っていた花蓮は直ぐに立ち上がって晦冥の胸に飛び込んで行った ――― 。
女王と入れ替わる様に、白夜は 睡蓮の傍に駆け寄る。
「 睡蓮? 何があった!? 」
「 何も…私は何も…… 」
白夜に呟く様に小さな声でそう言いながら、睡蓮は目の前に現れた晦冥に心の全てを奪われて行った。
彼女の顔はみるみる青褪めて行き、恐怖で呼吸する事さえ上手く出来なくなっている ――― 。
「 ……白夜、その方は花蓮様の即位式の時に矢に襲われた方だね? 」
晦冥が口を開いたのと同時に、睡蓮は小さく悲鳴を上げながら咄嗟に白夜の腕に摑まった。
自分の腕に触れた睡蓮の手が、何時かの病室の時の様に震えている事に気付き、白夜は 不思議に思いながらも 晦冥に対して身構える ――― 。
「 はい、自分の…――― 妹のような者です。 」
「 ……花蓮様、大丈夫ですよ? あの方の名は " 睡蓮 " ―――… 何も怖がる必要は無い存在です。」
「 !? ――― …… " 睡蓮 " ? 」
花蓮は晦冥の背後に身を隠しながら、狐につままれたかの様な表情で睡蓮を見つめた。
白夜の背後に顔を隠す睡蓮と、晦冥の背後から顔を出す花蓮と違いはあるものの、四人の姿は其々 姿見の鏡に映っている自分自身を見ているかの様に向かい合わせとなっていた ――― 。




