「 不可解な鏡 」(四)
東雲と桔梗が帰って暫く経った後 ――― 睡蓮は白夜の邸にあった正方形の鏡を手に持ち、浮かない表情で自身の顔を見ながら此れ迄の事を思い返していた。
――― 因みに、秋陽はご機嫌で食事の支度をしている。
( 私が誰かを思い出そうとしたのは、白夜さんと先生と桔梗さん…… )
年齢も性別も違う三人に誰が重なったのか ――― 考えても全く判らなかったが、白夜と秋陽が血縁者である事は 何か意味があるのでは無いかとも思え始めていた。
( 白夜さんは衣を着せてもらった時だったかしら…? 後ろ姿……? ――― 先生は光昭さんを上手く誘導されて笑顔になられた時……桔梗さんは、髪を束ねてくださった時……? )
然し、衣を着せるのは日葵もしてくれた事で、東雲にも髪を触られたばかり ――― 他の人物の後ろ姿や笑顔も目にしているのに、どうして其の三人だけなのか 睡蓮には全く解らなかった。
( あとは ――― あの晦冥と言う方…… )
晦冥を思い出しただけで、睡蓮は胸の傷が疼いたのを感じ、鏡を持つ手も僅かに震える・・・――― 。
( 初めてお会いしたはず……よね? 何がこんなに恐ろしいのかしら……――― " 赤色 " …? )
「 ただいま 」
「 !! 」
白夜が邸に帰って来るなり、睡蓮は無意識に手に持っていた鏡で自身の身だしなみを確認すると其の鏡を盾にする様に顔の前に掲げ ――― 白夜が現れる方向から自身の顔が見えない様に顔を隠した。
( !? ―――……あれは何をやっているんだ? )白夜は眉間にしわを寄せた表情で睡蓮を眺めた。
彼には睡蓮が また鏡を握って何かやっている様に見えている。
「 睡蓮? ――― ただいま 」
「 お…おかえりなさいませ!! 」
鏡で顔を隠したまま睡蓮は頭だけでお辞儀し、白夜は睡蓮の所をそのまま通り過ぎて行き ――― 秋陽のいる水屋(台所)へ向かうと紅炎に食事をさせたかどうかを父親に訊ねた。
「 ああー!!忘れておったわ! 」
「 だと思ったよ! 」
「 いや、でも 夜の分だけじゃぞ!? ――― ほれ、そこに用意はしておる!! 」
白夜は紅炎の食事が入った桶のような容器を手に持ち、また直ぐに外の馬屋へと向かう。
外で行う作業を終わらせて、早く 浴室に向いたいのだ。
「 白夜! 睡蓮にも覚えさせたらどうじゃ? 一緒に連れて行け 」
「 え………? 」
白夜は思わず歩みを止めて、何とも言えない面倒くさそうな表情を浮かべた。
睡蓮に教える事自体は構わないが、海で助けた話を最後に何日もまともな会話をしていない儘 ――― 再び、二人きり( と一頭 )になるのは苦行の様なものだ。
「 睡蓮、 紅炎の餌……ご飯のあげ方を覚えて欲しいんだけど……返事は良いから、兎に角付いて来て。 」
声を掛けた瞬間、睡蓮が逃げ出そうとしたのを察すると白夜は彼女の返事を聞かないまま邸の外へと向かって歩き進み ――― それを見て、気が変わったのか 言われたままに睡蓮が白夜の後ろを付いて行き ――― その様子をコッソリと確認し終えた秋陽は料理を再開する。
「 やれやれ、世話が焼ける二人じゃ……! 」
( 洗濯物も そのままか…… )
白夜は干しっぱなしにされた洗濯物を見て、" 誰が洗濯したのだろう? "と考えた ――― 候補は二人しかいない。
「 もしかして、今日 桔梗が来てる? 」
そう言いながら、後ろを振り返って目にした睡蓮の髪型が違う事に白夜は漸く気が付いたのだが、相変わらず俯いている彼女に声を掛ける事が出来ずに髪の話は流す事にした。
「 はい…――― いらっしゃいましたけど、帰られました。 」
「 え…? 彼女 一人で帰ったの!? 」
「 東雲さんがご一緒だったので お二人で帰られました。 」
「 ああ、東雲も一緒か…――― どおりで、昨日まで無かった飲み物の瓶が大量に置いてある筈だ。 」
其処で二人の会話は止まり、波の音が大きく鳴り響いた ―――――― 。
波の音の中、睡蓮は白夜との会話について " つい最近までの桔梗との会話に似ている " と考えていた。
桔梗とは最初からそんな感じだったが、白夜との会話の空気は明らかに以前と変わってしまっていて ――― 自分の態度が原因とはいえ、睡蓮は寂しさを感じていた。
彼女自身は気が付いていないが、何の記憶も無い状態は心の支えが何も無い様な状態でもあり ――― 人間関係も此の世の全ても秋陽の診療所で目覚めてから見聞きした事が全てである睡蓮にとって、白夜が欠けてしまうだけでも大きな悲しみを意味していた。
「 紅炎、睡蓮だ。 ――― もう 覚えてるよな? 」
紅炎は届けられた食事に気づくと、自分専用の放牧場から綺麗に掃除された馬屋に戻り ――― 睡蓮の顔を見つめるなり彼女の顔を舐め始めた。
「 ひゃあっ!! あ…あの……!? 」
「 大丈夫だよ! 気に入られてる証拠だ。 」
――― そう言って、最初は白夜も笑って見ていたが 紅炎がそのまま睡蓮を舐め続け、睡蓮の声が段々と卑猥な想像をさせ始めたので白夜は慌てて紅炎を押さえ込む羽目になる。
「 紅炎…お前も仲良しなようだな……!? うっ…!? 」
紅炎は困惑した表情の白夜の顔も一舐めすると、何事も無かったように食事を始めた ――― 。
秋陽同様、彼も全てお見通しなのだ。
「 睡蓮 、大丈夫!? 紅炎に悪気は無いんだ…――― ! 」
ふと、白夜は魂が抜けた様に其の場に座り込んでいる睡蓮の首筋が目に入り、頭から首にかけての痣が薄くなっているのを見て安堵すると、何時もの彼らしく ――― 睡蓮に優しく声を掛けた。
「 睡蓮、次は洗濯物を取り込もう? 」――― そう声を掛けて、白夜は 何時もと違う睡蓮の髪型に思ったままの言葉を口にしようとしたのだが、桔梗の思惑によって、全く違う言葉が口から出る事となる。
「 その髪飾り……桔梗のだね? 」
「 はい… 」
「 彼女、元気だった? 」
「 はい……!お洗濯の仕方を教わりました。 」
「 ――― そっか、じゃあ 行こうか睡蓮? 」
桔梗の思惑が役目を果たすと、白夜は自身の気持ちを隠す様に微笑み、言いかけた言葉を飲み込んだまま歩き出した ――― 。




