「 花の行方 」
―――――― 目覚めた瞬間、睡蓮はとても幸せな気分だった。
( 何か夢を見た様な気がする…――― )
どんな内容の夢だったかは忘れてしまっていたが、恐怖で一杯になっていた心の中は
落ち着きを取り戻していた。
( ここは、秋陽先生の診療所ね……? )
自分が診療所の寝台に寝ていると気付いた睡蓮は、ぼんやりと目覚める前に自分が何をしていたかを、ゆっくりと思い出す ――― 。
途中、体を起こそうとした際に 矢の傷の痛みに襲われて
漸く、自分に矢が刺さった事を思い出した。
「 あ…あれ…? でも、無い……!?」
彼女が胸の辺りを見ると、寝間着の中で真っ白な包帯がぐるぐる巻きになってはいたが
あの黒い矢が姿を消していたので、体に矢が無いのは 秋陽の御蔭に違い無いと思い
睡蓮は、 " やっぱり先生が救ってくれた! " ――― と、花の様に笑った。
( あの晦冥と云う方も……ここには いないわよね…? 皆さんは ご無事なのかしら…――― ? )
証明できる物は無く、何となくでしか無いのだが
あの黒い矢は晦冥の仕業の様な気がして、彼の姿を思い返すと急に不安が押し寄せて来て
部屋に独りで居たくなくて、誰か探しに行こうと痛む体を我慢して寝台から下り始める ――― 。
以前、目覚めた時と違って外から明るい光が差し込んでいるので
少なくとも、秋陽は何処かに居る筈だろうと寝台を下りた その瞬間 ―――
胸の傷に激痛が走り、彼女が其の儘 床に蹲る様にしゃがみ込んだのを日葵と交代で睡蓮の様子を見に来た白夜が目にし、彼女の許に駆け寄った ――― 。
「 傷が痛むのか!? 」
「 す…少し……。 」
睡蓮の返事を聞くと、白夜は彼女を軽々と抱きかかえ、そっと寝台の上に降ろした ――― 。
痛みに耐えて下りた筈なのに、再び寝台の上に戻ってしまった事について
睡蓮は、ほんの少しだけ 何とも言えない虚しい気持ちになった。
( い…いま、下りたのに…――― ! )
「 待ってて、父さんを呼んで来るから ――― ! 」
「 あ…待って――― !! 」
白夜がまたどこかへ行ってしまうと思った瞬間、睡蓮はとっさに
白夜の片腕をしがみつくように引っ張った。
「 ――― 睡蓮……? 」
「 あ……ご…ごめんなさい! ――― あの…でも、独りになりたくなくて……」
白夜がよく見ると、睡蓮の手が震えていたので
白夜の脳裏に東雲から聞いた即位式の睡蓮の話がよぎる。
確かに、晦冥は他の者達と違う雰囲気を持つ男だが、睡蓮を知っている様子も無かったので
彼の何がここまで睡蓮を怯えさせるのか、白夜には理由が解らなかった。
「 ……睡 」
白夜が何か言おうと口を開いた瞬間、秋陽が睡蓮と白夜のいる部屋に訪れ、
寝台の上に横たわったような姿勢で 白夜の腕に絡みついてる睡蓮と
彼女を静かに見つめていた自分の息子の姿を目にし、
秋陽は、瞬時に 自分がとんでもない失敗をしてしまったと痛感し、二人に背を向けた。
「 すまん! 出直す…… 」
「 違うから!! 何でも無いから!! ――― ほら、睡蓮が起きてるだろう!? ちゃんと診ろ!!」
―――――― 室内に白夜の叫び声が鳴り響いた。
結局、女性である日葵がいない事には睡蓮の身体を診る事は出来無いので
食事に行っていた日葵 が 睡蓮の部屋に戻り、白夜は新しい住まいに荷物を運びに出て行った。
――― 日葵達の話から、睡蓮は即位式から二日経っている事を知る。
「 え… 王宮の近くに住むのですか? 」
家移りについて聞かされた睡蓮は、自分の事も連れて行きたいと申し出た秋陽の言葉に目を見開いて驚いた。
「 うむ、白夜は そういう決まりが在るからなんじゃが儂も お主の治療の資料や情報を集めたくてのう。
宮廷には多くの書物が有り、優れた医師達が山の様におるんじゃよ。」
――― と、秋陽は張り切った様子で続ける
「 最初は、お主は日葵達の家にと思ったのじゃが
診察の度にあの階段を上らせるのは、治るもんも治らんと思ってのう。」
秋陽との話を 横で聞いていた日葵も
「 睡蓮、あんたに刺さった あの矢の犯人はまだ捕まってないんだよ……! ――― 王宮近くなら、武官もいっぱいいるからさ!ここよりちょっとは安全だと思うよ? ――― 昼間以外は、同じ家の中に白ちゃんだって いるんだからさ!! 」と、真剣な様子で睡蓮に告げた。
「 どうかのう?睡蓮…――― 急な話なのじゃが、一緒にどうじゃ?
まだ返事は貰っとらんが、桔梗も来るかもしれぬし、日葵にも通わせるから女子は お主 ひとりでは無いし、心配はいらぬよ? 」
秋陽の言葉を聞き、日葵は " ついに本格的な減量をおこなう時が来たか・・・ " と悟る ――― 。
「 はい……! 一緒に行くのは構わないのですが…――― 」
晦冥の姿が睡蓮の脳裏に浮かぶ ――― 。
花蓮女王の側近という事は、当然 晦冥も王宮の何処かに居る ――― 。
自ら晦冥 の 許へ近づいて行く事に、睡蓮は不安を感じずには居られ無かった。
然し、世話になっている身で 自由に選択できる立場に無い事も自覚しているし
今の自分の身体では あの階段を 何度も上り下りする自信も無く ―――
仲睦まじい日葵と春光の邪魔にもなりたくなかったので、睡蓮は自分さえ我慢すれば・・・・と、覚悟を決め始めていた。
思い詰めた様な彼女の様子に気付き、秋陽 と 日葵は少しでも場を和ませようと殊更に明るく努める。
「 大丈夫じゃ! まだ光昭も 此処におるし、儂らが向こうに移るのは あやつとお主の傷が もう少し癒えてからにするつもりだからのう。 」
「 白ちゃん と 紅炎 と 光昭は、昨日から運び屋と一緒に荷物運んでるけどね♪
片手とは言え、力持ちの光昭がいてくれて助かったよ!
睡蓮、あんたも彼にお礼言わなくちゃね ――― あいつは矢を抜こうとしてああなったんだから…… 」
日葵 は 光昭の手を思い出して震え上がり乍らも
「 そうそう!白ちゃんにも言っておくんだよ? ――― 最終的に矢を抜いたのは白ちゃんなんだからね!」と、白夜の存在を強調した。
「 え…? そうなのですか……? 」
矢を抜こうとした光昭がどうなっているのかは分からなかったが、
また白夜が自分を救ってくれたと知り、睡蓮は 自分の心が華やぐのを僅かに感じた ――― 。
( ? ――― 何かしら…? 胸に怪我してるからかな……? )
「 のう、睡蓮…――― 思い出したく無かったら言わなくても良いのじゃがお主は矢が刺さった時、どう感じた?
――― 痛かったとは思うが、熱さは無かったかの?
矢からあんなに黒煙が出ていて、光昭達も火傷を負ったのに
お主とお主の持っていた鏡は、大した傷にはなっていなかったんじゃ。それが どうしても 不可解でのう…… 」
――― 秋陽が首を傾げながら呟く様に睡蓮に尋ねると、彼女は矢が刺さった瞬間を何とか思い出しながら答えた ――― 。
「 あの……先生、痛みと熱さの違いは よく判らないのですけど
私、あの矢は あの晦冥と言う方が放ったような気がしていて…… 」
――― 言いながら、睡蓮は俯いた。
晦冥とは目が合っただけなのに、其処迄決めつけても良い物かと自分の中で葛藤しているのだ。
「 ええっ!? ――― でも、どうやってだい!? 」
「 あやつか…――― 然し、睡蓮 どうしてそう思うのじゃ?
いくら何でも、あの大勢の中で矢を放てば誰かが目撃しておるぞ!? 」
「 はい…。でも、私 あの方が恐ろしくて花蓮様に頭を下げるのを忘れていて……
その時に あの方と目が合って、気が付いたら矢が胸に…――― 」
秋陽と日葵は、俯く睡蓮を見ながら 怪訝とした表情で顔を見合わせた ――― 。
二人共、彼女が嘘を言っているとは考えてはいなかったが
仮に 晦冥が矢が放ったのだとしたら、何も持たず、誰かに指示もせずに
どうやって 矢を放ったのと言うのか・・・・・・。
秋陽と日葵は、睡蓮がいる部屋の前の廊下に出ると
彼女に聞こえてしまわないように、小声で今後の睡蓮の居場所について話し合いを始める。
「 先生…もし、もしもだよ? 本当に矢が " 何とか様 " の仕業なら……
やっぱり睡蓮は あたし達の所にいたほうが安全じゃない!?
家移りの文書も直接 届いたんだろ!? なんか、怖いよ! 」
「 否、落ち着くのじゃ日葵 ――― 確かに、あの男は怪しいが花蓮様の側近じゃぞ!?
睡蓮は ああは言っておるが、まだ 犯人と決まった訳では無い。
それに、お主達夫婦は共働きで 四六時中 睡蓮を見守る事はできぬじゃろ?
春光と晦冥では、体格的にも体力的にも晦冥のほうが有利じゃろうし……
万一の時、今のお主 ひとりでは適切な応急処置が行えるとも思えぬ。」
――― 秋陽の言葉を聞き、日葵は 春光が黒い矢に刺されて倒れる姿を想像して全身が寒気に襲われた。
そんな状況で、自分は落ち着いた処置ができるのだろうかと、日葵は真剣な表情で心の中で自問自答する。
「 その点、儂は一日中 家の中にもおれるし ――― 医者じゃ。
白夜もおるし、桔梗は来るかは分からんが……あの娘も朝から晩まで睡蓮の傍に居られる。
まあ、桔梗は武芸に秀でている訳では無いから、巻き込む事になったら直ぐに家に帰らせるが
あの娘が居てくれたほうが、白夜が本気出すからのう…。
――― それに、宮廷に居るほうが 何かあれば花蓮様や医官も頼れるし、晦冥の動きも掴みやすそうとは思わんか? 」
「 うん…… あたしも 人目が多いほうが良いとは思うね! 」
秋陽と日葵は、顔を見合わせて納得した様子で無言で頷いた。
――― 本当は、葬儀式や即位式やらが落ち着いたら身元不明者を保護した事を宮廷に報告する予定でいたのだが、秋陽は 其の報告を もう少し保留にする事にした。




