「 蓮の台 - 黒い矢 」(八)
「 … ――― どうした? 紅炎 」
急に 紅炎の様子がおかしくなったので、白夜は不思議に思い始める。
紅炎は、自身と白夜が居る地点から 少し遠い場所の音を耳にしていた。
――― 時を同じくして、大通りの片隅が騒々しくなっていた。
「 睡蓮っ!!!しっかり!!! 」
「 やだよ!!睡蓮!!! ――― 先生、どうしよう!? 」
「 まだ矢は抜くな!!誰かっ!!儂らを診療所に運んでくれ!! 」
「 で…で…でも!先生 これ 何か変な煙出てるよ!? 」
「 おい!!誰か 馬を ――― !!! 」
日葵を呼ぶ 秋陽の声に気づいて駆けつけた日葵自身と春光 ―― 桔梗 ―― 光昭、
偶偶周辺に居合わせた武官達と人々が、目の前を通り過ぎて行く女王達には目もくれず、
黒煙を放つ矢が刺さったまま倒れ込んだ睡蓮を囲んでいた ――― 。
花蓮女王に敬礼中だったので、何処から矢が飛んで来て、何時の間に睡蓮の胸に刺さったのか目撃していた者は誰もおらず ―――
其の場の全員が、一体 何が起きたのか理解出来ずに居た。
「 睡蓮!!ごめん ――― 隣に居たのに……!しっかりするんだ!! 」
「 睡蓮っ!! 聞こえるかい!? 大丈夫だからね!! 」
―――――― 日葵と東雲の声は睡蓮に届いていた。
( 日葵さん…と東雲さ…ん…が心配……なさってる ――― 起き上がら…なきゃ………。
大…丈夫 ――― この矢は きっと、先生が…何とかして…くださ…る…――― )
薄れゆく意識の中で、睡蓮は自分を取り囲む人々の直ぐ後ろに晦冥が立ち、
自分のほうを見ている事に気が付く。
( また…私を……見ている ――― !? 皆さん……逃げて……――― !! )
晦冥の事を知らせたかったが、声が出せず ―――
氷の様な冷たい瞳で笑みを浮かべる晦冥の姿を見つめたまま、睡蓮は意識を失った…―――。
「 大丈夫!脈はあるよ!! ――― やっぱ、この矢 怖いし 変だよ!?
そんなに深くは無さそうだから、ここで抜いちまおうよ 先生!!
診療所に戻ってたら間に合わないかも ――― !? 」
「 ――― うむ、やってみるか……!
誰か! 布や綿を たくさん持って来てくれ!!できるだけ清潔な物じゃ!!
それと、東雲! 其処に置いとる酒を取ってくれ!! 」
秋陽の叫び声と同時に、春光 と 桔梗が有りっ丈の布や包帯を集め走り、
東雲も酒を渡すと、使えそうな物を探しに 復 天幕の中に戻る。
近くに居合わせた人々も、自分達の天幕や出店の中に止血に使えそうな物が無いか探して駆け回った ――― 。
―――――― 次第に、空に黒い雲が立ち込め 霧雨が降り始める。
花蓮女王を連れた長い行列は、何時の間にか大通りから去っており
女王の姿を目にして満足した民や、雨に濡れたく無い民達も帰り始め ―――
活気に溢れていた先程までの大通りの雰囲気からガラリと変わり、辺りは静けさに包まれていた。
「 桔梗! ――― 何があった!? 」
「 えっ…白夜!? ――― あ…あの娘……睡蓮さんが……!!」
他所の天幕などから 布を貰って走り戻っていた桔梗の後ろから紅炎に乗った白夜が疾風の如く飛び込んで来た ―――。
紅炎が勝手に走り出し、白夜は訳が分からぬまま此処迄 来たのだが
紅炎は 日葵 を 呼ぶ 秋陽の声を聞いて、何かが起こったと察知し、白夜を此処迄 連れて来たのだ。
「 ――― よしっ!俺が抜こう!! 任せておけ! 」
光昭が 思い切り良く 睡蓮に刺さる矢を握り緊めた其の瞬間 ―――
彼の掌には激痛が走り、直ぐに矢から手を離す―――「 熱っ…―――!!!? 」
「 ちょっと、あんた 何やってんだい!? 良いよ!! あたしが……―――! 」
「 駄目だ!!奥さんっ! 火傷するぞ!!! 」
「 !!? ――― あんた、その手……!? 」
光昭の叫びに、矢を抜こうとした手を 咄嗟に引いた日葵は彼の手を見て愕然とする―――。
矢を掴んだ光昭の手は 大火傷を負っており、僅かに煙が立ち込め、酷く焼け爛れていて、
光昭は負傷した 其の手の手首を もう片方の手で押さえ込み、
歯を食い縛って、必死に痛みを耐えてる様な形相で地面に片膝を突いた。
「 皆、矢に触るなぁ ――― っ!! その矢は普通の矢じゃ無いぞっ!!!! 」
光昭の叫びを耳にし、彼の手を目にした誰もが恐怖で慄き、後退りした様な体勢で 其の場に立ち尽くした。
音の無い雨が人々を包み覆う様に降り注いで行く ――― 。
「 でも、このままじゃ 睡蓮が…………!! 」
そう言った日葵と同じ事を秋陽 と 東雲 も考えていた。
長年の経験から、此の儘 睡蓮がいなくなってしまう予感に包まれ、三人は息を呑む ――― 。
「 ――― 父さん!! 何があったんだ!? 」
紅炎から下馬し、 其の場に駆け付けた白夜は、皆の輪の中心に倒れる睡蓮の姿を見て
心臓を何かに突き刺されたかの様な衝撃を受け 一瞬、言葉を失った ――― 。
「 なんで 誰も何もしていないんだ!? ――― 父さん!? 日葵!?
紅炎もいるから、早く 診療所へ…―――!!」
蒼白の表情で叫ぶ白夜とは対照的に「 あの黒い矢が抜けぬのが問題なんじゃよ…… 」と秋陽は力無い声で呟く。
「 抜いて良いのなら、俺が ――― ! 」
直ぐに地面に膝をついて座り込んだ彼が矢に手を伸ばすと、日葵が大慌てで
「 白ちゃん!!矢に触っちゃ駄目っ!!! その矢 普通じゃ無いんだ!? 」と彼を叫び止めた。
「 " 普通じゃない " って……!? 」
「 その剣…――― お前も剣士だろ? やめとけ、俺みたいになるぞ…… 」
光昭は、にっと笑った様な表情で 火傷した手の平を白夜に見せた。
「!?」
光昭の 其の手の、余りの痛々しさに白夜は眉を顰めると同時に
そのような恐ろしい矢が睡蓮の身体に突き刺さっている事に絶望を感じた。
矢から立ち込める黒煙が、睡蓮の身体を包み込む様に 彼女に纏わりつき、
白夜の瞳には 其の光景と、黒い布に包まれて海に倒れていた睡蓮が重なって見えた。
降り続ける細かい霧の様な雨が、辺りを白く煙らせて行く ―――。
「 ―――… 東雲、手伝え!! 」
「 !? 」
白夜が何を始める気でいるのか 東雲には見当もつかなかったが、
彼の事は信頼しているので無言で次の行動を待つ事 僅か 一、ニ秒 ―――
白夜は自身の剣を抜き放ち、 其の白刃で忽ちの内に秋陽の天幕の支柱や屋根に被せている布を止めている紐に斬り込みを入れ
東雲と共に " 天幕 ――― 外側に被せていた白布 " を剥ぎ取った。
天幕は、先程から降っていた雨を 多少 吸い込んでおり、湿って 通常より重くなっていたが
白夜はその巨大な白布を睡蓮に刺さる矢にグルグルと巻き付けると
其の布越しに 両手で矢を握り緊める ――― 。
「 日葵!睡蓮の身体を押さえててくれ!! 」
日葵にそう叫びながら、白夜は布で巻いた矢を力を込めて引き抜く ―――
日葵と秋陽も急いで睡蓮の身体に手を乗せて押さえ、光昭も片手で白夜に手を貸した。
熱さを感じなければ、白夜 と 光昭の二人がかりで引っ張った矢など
意図も簡単に抜け、睡蓮の身体から取り出された矢が放つ黒煙が、忽ちの内に辺りに拡がって行った。
「 っ…!! 」
掌に熱い痛みを感じ、白夜が布ごと矢を 地面に投げ捨てると
矢を巻いていた布が 一瞬で 煙を上げて焼き焦げ、白かった天幕の布地が黒に染まった ――― 。
「 まだ息はあるよ!!血も少ないみたい!! 診療所に帰るよ!! 」
布を取った為、秋陽の天幕は骨組みの部分だけになっており
非常事態とは言え、こんな大勢いる場所で睡蓮の肌を晒す事には抵抗があったので
日葵は、取り敢えず睡蓮の傷口に衣の上から酒をかけ、布を当てる事にした。
その際、矢が刺さっていた所に何か固い、平らな物がある事に彼女は気づく ――― 。
「 白夜!!光昭!!お前達も早く治療をするのじゃ! 」
「 俺は軽い火傷だから最後で良いよ! 二人を先に!! 」
――― 間一髪の所で矢から手を離した白夜の手は軽傷で済んでいた。
自分の両手を見ながら、白夜も内心 ほっとする。
白夜は、あの不気味な矢を調べようと黒焦げになっている布を広げたのだが、
睡蓮に刺さっていた矢は燃え尽きてしまった様で、跡形も無く消えていた。




