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追躡

追躡


「……王女様」

 赤く染まった騎士の胸に手をかざしていた。発動させた小さな魔方陣の下で、流れ出る赤は止まらなかった。

 騎士は掠れた声で呼ぶ。美しい海のような瞳は虚ろで、それでも捉えるべき瞳を見つめていた。

「どうか貴女は、貴女のままで、いてください」

 魔法が薄れていくのを感じる。彼が遠くなっていくのを感じる。それでも続けるしかない。彼がいなくなるのを、認めたくない。

「いやだ……いかないでっ……」

 硬い手のひらが頬に触れる。そっと目の下をなぞる親指で、自分が泣いていることに気づく。

「俺がいなくなっても、王女様はきっと、大丈夫です」

 騎士はいつものように優しく微笑む。

「ずっと見守っています。ずっと、傍にいます。だから」


 笑っていてください。愛しのレーラ。


 刹那、魔方陣が硝子のように砕けて散る。

 頬の手が力なく滑り落ちるのを、空いてしまった両手で支えて、温かさの残った彼の手にすりつく。(あふ)れそうになるものを唇を噛み締めて抑えようとしても、こぼれていってしまう。

「アグノ……アグノっ…………いやだ、置いていかないで……」

 ふと、花弁が騎士の傍に降りる。彼の瞳と同じ色をした花。彼が愛した花。

 強い風が吹く。青い花弁が舞い狂い、黄昏色に染まって消えていく。彼の手をそっと握って、その先を見つめる。

「私も、私も…………」

 手を伸ばす。


───連れていって、アグノ。




□■□■□■□■□■




「い…だ……い…ない、で……」

 苦しそうに絞り出された声が微かに耳に入る。椅子にもたれ眠らずに閉じていた目をゆっくり開け、黒い瞳で声の主を見下ろした。

 窓から入る淡い月の光が、透き通るように白い肌を照らす。眠っている目には涙がたまっていく。

 彼女は眠る度、夢にうなされていた。依頼を受け、傍についてから五日が経ったが、彼女は何もかも話したがらない。寝ている時はただ傍に座って、彼女の涙をぬぐう。毎日それの繰り返しだった。そうして彼女が起きれば、いつも夢など見ていないように振舞って、世間話と軽いお遊びに付き合わされるだけだった。

 傭兵は椅子から腰を上げ、今にもこぼれそうな雫を親指でなぞった。微かにまつ毛が揺れて、また涙が溜まっていく。浅く緩やかな息を吐いて、頬の手をゆっくり退けようとすると、突然彼女の手がそっと傭兵の手を包み、引き戻され頬がすり寄る。

「アグノ……」

 はっきりと、人の名を呟く。彼女の表情がそうさせたのか、包む手が緩んでも、傭兵は手を引くことができなくなった。

「わ…た………私…も」

 彼女はそう言った後、薄く目を開けた。ぼう、とした視線がおもむろに傭兵に向けられる。と、彼女は数回瞬きをして、意識をはっきりさせようとする。

 傭兵の手が頬にあてがわれていること、そして自分の手が添えてあるのに気づくと、白茶色の目を泳がせ狼狽えながら手を引っ込めた。

 傭兵が手を退けると彼女は体を起こし、無意識なのか、手のあったそこに触れる。うつむいて堪えるように息を吸い込み、再び顔を上げた。

「どうやら泣いていたみたいだな。嫌な夢でも見たのか……覚えていないよ」

 ぎこちない笑みを作って口を開く。彼女自身が覚えていないはずがなかった。彼女の見る夢は、夢であって、夢ではないのだから。

 傭兵はただじっと見つめた。瞳の奥の感情を探り取るように。そうして彼女の顔から次第に笑みは消え、瞳は避けられた。

「その目で見るのはよしてくれ。……嘘をついた。すまない」 

 傭兵は首を振り、口を開いた。

「理由があったんだろう。……わかっている」

 感情のない声に彼女は少し戸惑いを見せて、すぐにため息交じりに笑った。

「隠していたつもりではなかった」

 橙に近い綺麗な金髪をかき上げ、目を伏せた。

「今まで黙っていて申し訳なかった。ずっと決心がつかなかっただけなんだ。自分が本当はどう思っているのか、わからなくて」

 再び傭兵を見据えた視線は、意志の強さがにじみ出ていた。

「決心してもいつ言おうかと悩んだ。だが、今言うべきだな。……長く待たせた」

 その先の言葉を、傭兵は黙って待つ。聞くまでもないことなのはわかっていた。だが、彼女の口から聞く必要があった。

 彼女は月に照らされた、花瓶に入った一輪だけの青い花を見つめる。そしてゆっくり、言葉を紡いだ。

「殺してほしい。愛しい人の所へ──アグノの所へ行きたいんだ」


 城の庭は、少し欠けた月が地面を照らしていた。暖かな昼間とは違い、肌を刺すような空気が支配する夜は、風で揺れた葉の擦れる音や遠くの虫の声が鳴るだけで、その静けさを破るものは何もなかった。

 着替えるからと先に外に出された傭兵は、昼間とは雰囲気の違う庭を歩く。手入れの行き届いた美しい庭の中に、一際目立つ青が目にはいる。暗がり中、月の光を借りて青く揺らめく小さな花が集うそこだけは、異様に不思議な存在感を放っていた。

 傭兵の足はそこへ向かう。ひとつの区切りのようにある鉄柵の門の外から、視界に入ったその景色を改めて眺めた。

 二度目の景色。傭兵がここを見るのは初めてではなかった。その時はほんの少しの時間だった。立ち入って、そして────。

 傭兵は中に入り奥まで歩く。立ち止まったそこで、視線を足元へ下ろす。柵に沿って囲うように植えられた花とは離れた所に、たった一輪だけ、踏み固められた地で咲いていた。その横には、この国の騎士のみが着けることを許された勲章が置かれていた。傭兵はしゃがみ、その勲章を手にとろうと手を伸ばした瞬間。背後で、何かが落ちる音がした。

 傭兵は手を止め、立ち上がって静かに振り向く。門の前に、彼女はいた。視線がぶつかると、体を硬直させ顔を引きつらせる。見開かれた瞳には別の景色が映っているのだろう。しかしそれは、幻想だとは言い切れない。

 傭兵は彼女の足元に落ちていた二振りの練習用の剣を拾い、片方を彼女の目の前に差し出す。

「無断で入ってすまなかった」

 真横からの傭兵の声で我に返り、差し出された剣を戸惑いながら受けとる。その感触が伝わると傭兵は手を離し、今まで行っていた打ち合い場へ足を向けた。が、一、二歩進んだところで腕を掴まれ、制止させられる。

「待ってくれ。……ここでいい」

 その表情は硬い。それは決心からなのか、弱い感情を消すようにしているのか、傭兵にはわからない。

 彼女は先に門をくぐった。中央まで進み、傭兵の方を振り返る。高めに結われた髪が揺れ動き、背に収まると、彼女はふいに微笑んだ。

「思い出話も一緒に聞いてくれ。構わないだろう」

 傭兵も門を通り、距離は空けるようにして歩み寄る。靴の音が止むと、傭兵は何も言わずただ彼女を見つめた。肯定であることに確信を持ったように一つうなずいて、彼女は深く息を吸った。

「私は、この国に生まれてきてはいけなかった。……平民生まれだったら、まだよかったのかもしれないな」

 発せられた彼女の声は、静かな空気を決して乱さなかった。

「王族が排除しようとしている『魔法使』の一人が私だった。王族の恥。年齢分の年数、そう言われ続けた」

 この国は魔法使いを全て排除しようとしていた。この国がある大陸の人間は全て、本来魔法が使える。しかしこの国は魔法によって滅ぼされかけたことがあり、それによって魔法を嫌うようになったのが始まりだった。

 その国の人間だけは、長い時を経てしだいに魔法を使う力がなくなっていった。今ではほとんど魔法を使いこなせる人間はいなくなっているが、まれに魔法が使える人間が生まれてくる時がある。彼女もその一人で、しかも運悪く王族の血を引いて生まれてしまった、『恥』という烙印を押された唯一の存在だった。

 王女は笑みを崩さぬまま続ける。

「魔法使であるのは事実だから仕方のないことだとすぐ切り捨てて、代わりにその恥を消し去るくらい剣でのし上がろうと考えていた。……でも、上手くいかなかった。女であることが、剣を握ることを邪魔してくる。恥から逃げる手段は失った。もう私は駄目なんだと思って、こんなことなら死んでしまおうと思った。そう、ちょうどこの場所で。誰もいなくて静かで綺麗で、死に場所には良いところだろう。そのつもりで短剣を持って夜に行ったら、彼────アグノと出会った」

 そこで彼女はひと時口を閉ざした。傭兵をまっすぐ、訴えるように見つめる。

「彼は私のすべてを認めてくれた。魔法使だからといって嫌ったりしなかった。剣も鍛えてもらって、お陰でからかわれたり馬鹿にされなくなった。王族からの目は変わらなくても、少なくとも騎士達は私の味方でいてくれた。ずっと笑っていられた。これ以上ないくらい、幸せだった。でも」

 ゆらりと、空気が変わる。

「全部なくなった。アグノが殺されて、私は一人に戻った。……結局、剣で強くなっても、意味がなかった。魔法を使わなくても、使えるだけで『恥』だった。アグノという存在がそれを見せないようにしてくれていただけで、本当は何も変わらなかった。……外の見える鳥籠じゃ、私は生きられない。外に逃げることができないなら、生きていたって仕方がない」

 王女は練習用の剣を投げ捨てた。

「そう思わないか、傭兵殿」

 その声と同時に、傭兵に向かって駆け出した。腰に差してある細身の剣を抜き、首をめがけて斬りかかろうとする。

 傭兵の表情が微かに崩れる。自分ではそれに気づいていないのか、反して行動に隙は無かった。握っていた練習用の剣を刃に滑らせ、流した剣を叩き落そうとしたが、その前に体勢を立て直され次の斬撃が繰り出される。傭兵には見覚えのある剣筋だった。あの日、最期に傭兵に向けて放たれた攻撃。

「…………っ」

 瞬きで決着はついた。当たれば重たい一撃は、前にしか飛ばない。傭兵は彼女の背へ回り、剣の先を胸の裏に置いた。貫けば簡単に命を奪えるその一点に。

 王女は敗北を知ると、前に突き出した剣をゆっくり下ろし、鞘にしまう。傭兵は動くことなく覇気のない背を見据える。

「何のつもりだ」

 感情なく言う。殺意のない斬りかかりだった事への疑問。憎悪や恨みのために振られた剣では決してなかった。

 しばらくして、王女は深く息を吐いた。

「二度も全く同じ動きで人を殺した感想は」

 憂いのこもった小さな声で問いかける。傭兵は答えなかった。否、答えられなかった。向けていた剣を視線と共に下ろす。間違いなく同じ手で相手を敗北させた。彼女がそう言えるなら、あの日、殺す瞬間までも見せてしまっていたということになる。

 傭兵にとってはこれ以上ない復讐になったかもしれない。だがその言葉で復讐を終えたつもりだとしたら、彼女の感情に行き場はない。

「……これで、復讐だと思わせてくれ」

 振り返った王女の表情は憂いを色濃く含んでいたが、ほんの少し笑みを混ぜていた。逸らされた傭兵の瞳に微かな感情があることに気づくと、彼女は頭を下げた。

「貴方にとっては最悪な復讐方法をした。……わかっている。貴方の意思で殺したんじゃないことくらい、痛いほど知っている」

 その声に、傭兵はゆっくりかぶりを振った。

「私の意思ではなくとも、私が殺したことは事実だ。人殺しに謝る必要などない」

「私の感情の逃げ道を作るのはやめてくれ。……貴方の優しさにすがりたくなる」

 傭兵の言葉を、震えた声がはねのけた。漏れそうになる感情をこらえるように唇を噛み、うつむく。

「すべては私がいけないんだ。アグノは、私と一緒にいなければ死なずに済んだ。『魔法使』である私が、自分の立場を考えて拒絶しなければならなかった。生きやすさを求めてはいけなかった」

 白茶色の瞳に溜まる水が、雫となって落ちていく。

「彼と共に生きる幸せを知ってしまった所為で、崩れた後の絶望があまりにつらく感じてしまう。笑いたくてもなぜか涙が出て止まらなくなる。毎日見る夢の中の彼の言葉が、ずっと頭の中でなり続けて……! 私が、私のままでいることなんて」

 突然傭兵の手が彼女の頬に触れると、王女は体をひくつかせ言葉を失った。涙を拭う親指が目下を撫で、触れた感触を残す。王女は少し見上げるように傭兵を見つめた。空の端が白んできて暗さが収まりつつある中で浮かぶ傭兵の表情は、ほんの少しだけ柔らかさを見せた。

「お願いだ。少しだけでいい、重荷を私に“預けて”ほしい。私が死ぬまでは、それを背負おう。だからこらえなくていい。楽になればいい。……彼の元へ行くなら、笑っていたほうがいいだろう」

 そう言い、頬の手を退けると、王女は傭兵の腕にすがりながら崩れ落ちた。

「貴方にひどいことをして……それでも私に優しくするのは、どうしてなんだっ……」

 嗚咽交じりの小さな声と大粒の涙がこぼれる。傭兵は王女が泣き止むまで、彼女の手を握った。



「最期に聞こう。貴方は彼の元に行きたいか」

 王女は傭兵の言葉を噛みしめ、微かにうなずいて傭兵を見上げた。

「私は、アグノが思っているよりずっと弱い人間だった。……もう私には、彼を追いかけることしかできない」

「……わかった」

 傭兵はそれだけ言い、間合いを取るように彼女から二歩程遠ざかる。

「ありがとう」

 最期の言葉を受け取り、瞳を閉じた。そして、何もない場所から光が集まってできた剣を握る。あの日と同じ(つるぎ)の銀は、淡く空を染めはじめた日の光を映す。


 傭兵は無感情に、剣を振り上げた。



ここまで読んでくださってありがとうございます。

ぜんぜんうまく書けず、ずいぶん見苦しい文章だったと思います。またいずれ修正加筆していきたいとは思っています。

若干後味の悪い感じの小説になりました。もう少し書き込みたかったなあと、読み返えせば読み返すほど感じるところではありましたが、あまり考えても仕方ないので、投稿しました。

久々に書いてやはり小説って難しいなと思ったのと、これだからやめられない!と感じる部分もあり。これからまた徐々に良い物語を書いていければなと思っています。それでは!

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