シアトル
マサキがシンガポールで無事立ち上げ成功し、次の赴任先はアメリカ、シアトルであった。ここは、マイクロソフト社や飛行機のボーイング社の本社があり、アメリカ西武地区ではのどかな野心溢れる地域であった。海水の入江があちらこちらにあり、何よりも楽しいのは、住民はボートを所有しついて、気楽にサーモン釣りが出来ることであった。
マサキはここには三年赴任した。
マサキにとって海外生活は、とても興味深いものであった。日本を客観的に見るチャンスでもあった。特に家族との長期バカンスがあるのは、仕事人間にとって見れば、相当のカルチャーショックであった。家族でフロリダのディズニーワールドて過ごした時間は掛け替えのない貴重な体験であった。家族もすっかりシアトルを気に入ってしまっていた。そんな矢先にマサキは本社の人事課に急遽呼ばれ、人材研修部付けの勤務を命じられた。後で知ったのは体のいい、リストラ組みの墓場であったのだ。
マサキは何故自分がリストラ要員に選ばれたのか、さっぱり検討はつかなかった。会社には貢献してきた自負と誇りもあった。会社の決算が最悪で債務超過が数千億円あることも、情報として捉えていたが、事態はかなり深刻だったのだ。
それからはマサキは自暴自棄になり、自ら会社を去った。しかし、妻に告白したとたん、妻は娘を連れて実家に帰った。そして、裁判所から離婚調停の紙が届き、結局、財産分与として、退職金二千万余りを、渡したのだった。