081 7時56分発のバスで
僕の家は田舎で、ラッシュ時にも一時間二本しかバスが来ない。小さな町、隣近所はみんな知り合いで、僕は中学校に間に合うギリギリのバスに乗る。
それが、毎朝七時五十六分発に出るバスだ。この時間にもなると、都会へ向かうサラリーマンはとっくに出ているし、この路線はどのみちあまり人が利用しない。
(そろそろだ……)
僕は一番後ろの席から、身を乗り出すようにして外を見つめた。
すると、目当ての女子が乗って来た。名前も知らない、可愛い子。
制服からして、僕が通う中学の途中にある、お嬢様学校の生徒だ。
(おはよう……)
声には出せないものの、僕はそう言って彼女を見つめる。彼女もまた、同じ時間のバスに乗る僕を知っている様子で、目が合えば会釈する。でも、ただそれだけの関係だ。
(きっかけが欲しい)
そう思ったその時、彼女は座ろうとした拍子に、ポケットから何かを落とした。生徒手帳である。
(チャンス!)
決して近くに落ちたわけではないが、僕は慌てて立ち上がる。
だが、すでにそばにいた女性に拾われ、お礼を言う彼女がいる。
(きっかけ……そうだ、きっかけがないなら、作ればいい)
僕はポケットを探る。でも、ポケットにはもちろんハンカチなんか入っていないし、生徒手帳も持ち歩いていない。鞄からわざわざ何かを取り出して落とすなんて、そんな間抜けなことも出来ない。
と、その時、僕は胸ポケットに何かがあるのを感じ、それを指で掴んだ。
しかし次の瞬間、バスが急ブレーキを踏んだ。
辛うじて何かを掴んでいた僕の指は、その拍子に思い切り振られ、あろうことか彼女の頭にぶつかった。
「あっ!」
彼女は無言でそれを拾うと、苦笑してこちらに近付いてきた。
「はい、飴」
「え、飴?」
初めて聞いた彼女の声。でも僕は、取り出したものが飴ということに驚いた。
「ごめん。でもなんで飴なんて入ってたんだろう……」
飴を入れた記憶がない。しかもその触り具合から、かなり溶けていて昔の物だと推定される。
僕は柄にもなく飴を持っていたことを先に恥じ、そして彼女にぶつけてしまったことを謝った。
「いえ」
それだけを言って、彼女の降りる停留所に着き、彼女は降りて行った。
(はあ……玉砕)
と、その時、僕の座るすぐ傍に、生徒手帳が置いてあるのを発見した。
僕は彼女がやってきた拍子にまた落としてしまったのだと気付き、慌てて立ち上がる。
でも、すでにバスは動き出しており、彼女の姿は遠くにあった。
(まあ、また明日会うだろう……)
僕はそう思うと同時に、手帳の中身が気になりだす。
そして悪いと思いながらも、その手帳を静かに開いた。
(石坂萌子……)
しっかりと彼女の名前を記憶する。中学一年生ということは、僕より一つ年下である。
手帳には何も書かれていないが、間にメモ帳のようなものが挟まっているのがわかった。
『バスにいつも乗っているあなたへ』
冒頭の文に、僕はドキッとして辺りを見回す。まるで挑戦状のような錯覚を覚えた。
『いつも一緒に乗っているあなたを、ずっと見ていました。もっとあなたのことが知りたいです。お友達になってくれませんか?』
もしかしたら、彼女は故意にこれを落としたのだろうか? もしかして、未だバスに乗っている他の誰か宛かもしれない。
だが、僕の他に学生はおらず、僕だと思いたい気持ちもあって、異常に舞い上がった。
(彼女も、僕と同じ気持ち……?)
次の日、同じバスに乗ってきた彼女は、僕に気付かないふりをして座る。
なんだがそれがじれったくて、僕は真っ直ぐに彼女のもとへと歩いて行った。
「これ、昨日落としたよね?」
「あ……すみません」
彼女は頬を染め、僕の顔を見ない。
僕は彼女の手紙が僕宛だったと確信し、彼女の前に座った。
しばらく無言のまま時が過ぎ、やがて僕は後ろを振り向く。
「僕と友達になってもらえませんか?」
その言葉を聞いて、彼女は自分の口元を押さえ、驚いている。
「……はい」
か細い彼女の声が聞こえ、僕は初めての告白の成功に喜んだ。
「実は、ずっと見てたんだ。この七時五十六分発のバスに乗るのが、楽しかった」
僕の言葉に頬を染めたまま、彼女はそっと頷く。
僕たちは明日もこのバスに乗る。七時五十六分発の、愛を乗せるバスに。