074 敵国の恋人
敵対する者同士が恋に落ちるというのは、古代の昔からあったこと。ここにいるラミスとエマもまた、そんな苦境に立たされていた。
ラミスはとある小国の王子で、エマは敵対する隣国の娘だ。身分すら低い。
そんな二人が出会ったのは、戦を終えて帰る途中のことだった。
「美しい森だな。戦に勝ったら、我が国のものになる」
ラミスは馬に跨り、そう言って今日の寝床を探す。
「ラミス様。あんなところに小屋があります。狭いでしょうが、今夜の寝床に致しましょうか」
「そうだな。雨風が凌げる場所のほうがいいというものだ」
ラミスの命により、家臣の一人が先に小屋へと向かう。小屋の奥には、老婆が一人横たわっている。
「どうだ? 誰かいたのか?」
「はい、ラミス様。老婆が一人おります」
命じるより先に、家臣は剣を剥き出しにしている。敵国の老婆など、一撃で倒せるだろう。
「誰ですか!」
その時、ラミスたちの後ろで叫んだのは、エマであった。
長い赤毛が逆光に輝き、闘志に燃えた茶色の瞳は、奥に恐怖を兼ね備えている。
だがすぐに、エマはラミスの家臣に捕えられた。
「……ここの娘か」
ラミスの言葉に、エマは口を開く。
「そうです。おばあちゃんには手を出さないでください!」
「おい、聞いたか。じゃあおまえには手を出していいというわけか」
家臣たちが、いやらしく笑う。
だが、ラミスを睨みつけるエマに、ラミスは小さく息を吐く。
「……離してやれ」
「しかし、ラミス様」
「手荒な真似をしてすまなかった。行こう」
ただそれだけを言って、ラミスは家臣とともに家を後にした。
エマは慌てて老婆に駆け寄るが、何もされていない老婆に安心し、去っていくラミスの背中を見つめた。
その夜、ラミスはエマの家の前にある、小さな湖のほとりで休息を取った。家臣たちは少し離れたところで、火を囲んでいる。
ただ一人になりたかったこともある。家臣たちからも見えるし、ラミスは散歩するように湖のほとりを歩いた。
エマの家の近くに差し掛かった時、ちょうどエマが家から出てきた。ラミスに気付きながらも、急いで湖に水を汲みに行く。
「あの……さっきはすまなかったね」
去り際のエマに、ラミスはそう声をかけた。
「……もう、ここへは来ないでください。おばあちゃんも怖がります」
「ああ……大丈夫。みなにもそう言っておいた。今夜はあちら側で休ませてもらうよ。少し賑やかになるかもしれないが、君たちに危害は及ばせないから安心してくれ」
「……じゃあ、さっきは本当に助けてくださったのですね。隣国の方とお見受けしますのに、どうして……」
エマの質問に、ラミスは一瞬答えられなかった。どうしてだろうと思い込んで間もなく、その意思を受け入れることにする。
ラミスは足下に咲いていた小さな野の花を摘むと、膝立ちでエマに差し出す。
「どうやら君に惚れたらしい、という答えでは迷惑か?」
不器用なまでの言葉に、エマは驚きつつもその花を受け取った。
またひとつ、辛く儚い恋が始まる。