072 いもうと
章太は床についた小さな妹の手を握り、歯を食いしばった。
いくら冬とはいえ、妹の手は氷のように冷たく、血の通っている人間とは思えない。
「明子。しっかりせえ」
思えば生まれてからのほとんどを布団の上で過ごしている妹は、章太に力なく笑う。
「だいじょぶよ。兄ちゃん……」
不治の病に侵された妹。そんな妹を気遣って、妹の体調がいい時には、あやとりやおはじきで遊んだ。だがそれももう、何ヶ月も前になる。日に日に妹が弱っていくのを、章太はただじっと見つめていることしか出来ない。
「明子。ご本でも読んでやろか。それとも水でも飲みたいか」
「……あやとり」
かすれた声で、妹が答えた。
「よっしゃ。新技覚えたんやで」
章太はそう言って、棚から紐を取り出す。二人あやとりは出来ないので、章太は一人で出来るあやとりを勉強していた。
「ほら、ホウキやろ。ほんでもって東京タワー。あとな、一人あやとりもめっちゃ早く出来るようになったんやで」
「すごい……」
その時、妹が大きく咳をしたので、章太は慌てて近付く。
「明子。大丈夫か? 落ちつけ」
「うん、ごめんね、お兄ちゃん……」
「ええから、落ちつき」
体をさすり、水を飲ませ、妹はやっと落ち着きを取り戻した。
「お兄ちゃん。もう一回やって。東京タワー」
「あ? うん、ええで」
章太はあやとりで東京タワーを作って見せる。
「ええな、東京タワー。一度でいいから行ってみたいわ……」
「あほう。そんなん、俺かて行ったことあらへんもん。俺も行きたいわ」
「うん。一緒に行けたらええね」
「ああ、明子が大きくなったら、絶対に兄ちゃんが連れてったるからな。それまでに、明子は元気になること。俺は旅費を稼がなな」
「うん。ええな、行けたらええな」
そう言って、妹は静かに眠りについた。もう、妹が目を覚ますことはなかった。
あれから二十年。章太は東京を見下ろす場所にいた。東京タワーのてっぺんである。
「章太。大丈夫か?」
「はい、順調ですよ」
章太は今、東京タワーにつけられたライトを交換する仕事をしている。たった一本のワイヤーが命綱。だが章太にとってこの仕事は、危険はあるものの誇りを持ち、そして妹に会える場所のような気がした。
「見てるか、明子。展望台よりええ景色やろ。兄ちゃん、おまえを連れて来れたかな」
章太の手首には、古ぼけてボロボロになった紐が巻かれている。それは、かつて妹と交わしたあやとりの紐であった。