表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/371

066 異国の街にて

 彼女にフラれた夏、僕は失恋のショックを癒すため、大した準備もせずに外国へと旅立った。商社に勤めているので金はあるし、彼女のいる日本じゃない何処に行ければそれでよかった。


 北欧の国で、僕は何するでなく公園のベンチに座ったまま、ただその街並みを眺める。見なれた日本じゃないために、その風景は動く美術のように新鮮で美しい。

「―― ―― ――?」

 突然、間近で女性がそう話しかけてきた。だが、異国の言葉で何もわからない。

 だか彼女は、諦めることなく身振り手振りで僕を見つめる。

 僕は持っていた電子辞書を開こうとしたが、彼女のジェスチャーを見てひらめく。

「ここにずっといるから、どうしたのって聞いてるの?」

 今度は僕が異国の言葉だったので、彼女は首を傾げた。

 僕は自分を指差して言った。

「ケン」

「ケン?」

「そう、ケン」

 彼女は嬉しそうに笑い、今度は自分を指差す。

「エレナ」

「エレナ」

 名前だけわかっただけなのに、僕らは意気投合していた。


 ジェスチャーだけでも伝わるものだ。エレナは近くのレストランのウエイトレスをしており、年は二十三歳。長時間ただ座っているだけの僕を見て、声を掛けてくれたらしい。日本語を教えてあげると、とても喜んだ。

 異国の地で、異国の人と触れ合う機会があるとは思ってもみなかった。だって僕はただ、傷心旅行に来ただけなのだから。

「ケン。アリガトウ」

 食事を共にした後、覚えたての日本語で、エレナはそう言った。

 僕は頷き、ありがとうとエレナの国の言葉で返す。

 それから僕らは、その場で別れた。会う約束もしなかったのは、明日には帰るからだ。これ以上の情などいらない。


 ホテルに戻った僕は、財布がないことに気がついた。

「やられた!」

 そう思ったが、カード類は別の場所に持っていたので無事である。財布には小銭程度しか入っていなかったから諦めがつくが、パスポートが一緒だったことを思い出し、僕は顔面蒼白でホテルを飛び出した。

 思えば、僕が女性に声を掛けられるはずがなかったんだ。でも彼女は、いい紛らしになってくれた。金はその代償と思えば、高くはない。だが、パスポートは別である。

 ホテルを出たところで、目の前にはエレナがいた。

「エレナ……!」

 エレナは眉をひそめ、僕のパスポートと財布を差し出す。

「エレナ……?」

 そう言ったところで、エレナは涙を溜めて僕に抱きついた。何が起こったのか、僕は少し身構えたままわからない。

 その時、慌てた様子の警察が、エレナの手を掴んだ。その様子から、エレナが観光客目当ての泥棒だということを悟った。

 僕は警官を静止して、エレナを庇う姿勢を取ったので、警官は静かに去っていった。

「ケン……」

 庇った僕に何度も頭を下げながら、エレナは僕の体を掴む。まるで日本に帰らないでと言っているようだ。言葉はわからなくとも、彼女が僕のパスポートを盗ったのは、僕にまた会いたかったから、そう思うことにした。

 僕はエレナを宥めながら、小指を差し出す。エレナは首をかしげながらも、自分も小指を出した。やがて絡んだ小指同士、上下に動かす。

「また会おう、エレナ」

 僕はエレナに日本の住所を教えると、涙に濡れたエレナを置いて、静かにホテルへ戻った。


 それから僕は、日本に戻った。

 日本では、僕が失恋したのを知っている人たちから慰めの連絡が入ったが、その頃にはすっかり傷も癒えており、エレナとの一日が輝いて残る。

 それからエレナには会っていない。でも、年に一度届くクリスマスカードには、変わらぬエレナの笑顔が映っており、僕の心は異国へと馳せる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ