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040 妖精の少年

 小さい頃、私は妖精に出会った。

 羽根を持った小さな人間。その中の一人、少年・ジェイクとは一番仲が良かったが、私は子供心にも、住む世界が違うことを理解していたし、大きくなるにつれて、この記憶はなくなるものだとわかっていた。


 その年、小学生最後の夏、今年も私は祖父母の家に遊びに来た。

「ナナ!」

 森の入り口で、私の名を呼ぶ声がする。ジェイクである。

 この森を見つけたのも、ジェイクの声が聞こえたからである。

「おはよう、ジェイク。今日はなにして遊ぶ?」

 妖精の森は、一年に一度帰省する祖父母の家で見つけた。裏庭の茂みの側に、家の敷地を囲む壁がある。その一角に子供一人が入れるくらいの穴があり、私は茂みの中を通って、その穴から外へ出た。

 外はまるで別世界。雑草が生え放題の広い空き地だが、子供の私を隠すほどの草があったし、ジェイクがいなくても大冒険出来る場所でもあった。

 私たちは散歩したり、昼寝したり、他の妖精たちと話をしたり、ジェイクが話す冒険の話を聞いたりと、毎日を過ごしている。

「はい。今日はおみやげ」

 そう言って、ジェイクが差し出したのは、小さな赤い野いちごだった。

 私はお礼を言って、それを頬張る。酸っぱいが、感動した。

「ナナ。今年もそろそろ帰っちゃうんだろう?」

 ジェイクの言葉に、私は頷く。今日の午後、祖父母の家から帰るのだ。

「うん……」

「また一年会えないのか……」

「そうだね。来年からは中学生だし。でも、来られる時は来るようにするよ、ジェイク」

「うん。でも、今年だって僕のことを忘れかけてたじゃないか。一年もしたら忘れてしまう」

 そう言ったジェイクに、私は頷く。確かに去年会った以来、一年してからジェイクのことを忘れかけていた。毎日、学校などで頭がいっぱいになっていたせいだろう。

「忘れないよ。ジェイクのことも、今日食べた野いちごのことも。だからジェイクも、ナナのこと忘れないでね」

「僕は忘れないよ。一時だって忘れない」

「じゃあ、指きり」

 私は小指を差し出し、ジェイクは両手で私の小指につかまった。


 その日から、私はジェイクに会っていない。


 もちろん、次の年も祖父母の家へ行った。ジェイクを忘れてもいなかった。

 だが、すでにジェイクと出会った空地には新しい家が建っている。

「あそこに妖精がいたの! ジェイクも、他の妖精もたくさんいたの!」

 泣き叫ぶ私に、両親も祖父母も、頭のおかしい子だという認識しかなかったと思う。

「ジェイク……」

 その夜、私は泣きながら夢を見た。ぼやけているが、ジェイクの声がする。

「悲しまないで、ナナ。僕はいつだって、君のそばにいるんだから」

 そう言うジェイクに、私は辺りを見回す。

「でもジェイク、ぼやけて見えないわ。そこにいるの? ジェイク」

「姿は見えなくても、君は僕を覚えていてくれた。これからも、きっと覚えていて。たとえ君が忘れても、僕は忘れないよ」

「私だって忘れないよ。ジェイク」

 夢なのか現実なのか、私がジェイクの声を聞いたのも、それが最後だった。


 祖父母の家の隣にある空き地は、すっかり別の家が建った。

 私も中学生になり、祖父母の家へ足を運ぶ機会も少なくなっていく。

 そしてそれから十数年後。私はやんちゃ盛りの娘を連れて、祖父母の家へと久々に足を運ぶ。

「懐かしい……」

「ママ。早くおばあちゃんのところに行こう」

「そうね」

 急かす娘は、ひいおばあちゃんが大好きだ。

 私はジェイクのことを忘れてはいないが、おとぎ話を口にする年頃でもないため、今はもう娘にすら話すこともない。


 夕飯時、庭先で遊んでいた娘が、意気揚々と帰ってきた。

「ママ! ジェイクに会ったよ」

 娘の言葉に、私は驚きを隠せない。

「いつ? どこで!」

「今もそこにいるよ」

 娘は、池のほとりにある大きな石を指差した。

「……おばあちゃんのお手伝いして来て」

 私は娘にそう言うと、ジェイクがいるという石の前へ向かった。だが、誰もいない。何も見えない。

「……そこにいるの? ジェイク」

 返事がないからか、私の目から涙が溢れる。私は泣き崩れるように、その場にしゃがみ込んだ。

「ジェイク……」

(いるよ、ナナ。僕はここに)

 ジェイクの声は、ナナには聞こえない。

 それでもナナは、口を開く。

「ごめんなさい。私にはもう、あなたが見えないみたい……」

(わかってるよ。だって僕はずっとここにいる。何度か君とも会ったけれど、もう君は僕には気付かない)

「あなたの声も聞こえない……」

(でも、こうして話しているじゃないか。それに君は僕を覚えていてくれた。それだけで十分さ)

「私の代わりに、娘と遊んであげてね……」

(もちろんさ。もう遊んだよ)

 その時、家の窓が開き、娘が顔を覗かせた。

「ママ! 夕飯出来たよ」

「今行くわ」

 私はそう言って、涙を拭う。

「行かなきゃ……ジェイク。元気でね」

(君もね……)

 立ち上がって、私は家へと向かう。

「ナナ!」

 その時、はっきりと、ジェイクの声が聞こえ、私は振り向いた。

 だが、その姿は見えない。

「ジェイク……ありがとう」

 それからもジェイクは私を、そして私の娘を、ずっと見守っていてくれたに違いない。

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