037 無敗の侍
「聞いたかい。無敗の侍が江戸にも来たってよ」
「もちろん聞いたよ。山賊が壊滅したってな」
「お上にも楯ついたそうだよ」
「すげえなあ」
江戸の酒場は大盛り上がりで、最近噂である無敗の侍の話題で持ちきりである。まるで英雄伝説のように、その雄姿は風に乗って飛んでいた。
その時、見なれない客が入ってきた。常連客が息を飲む。
「見ろよ、侍だ。まさかあいつじゃねえべ?」
声を顰めて、常連客が言った。
侍は刀は下げていてもひょろひょろで、とても戦いそうには見えない。その上、頼りなさげな気の抜けた顔をしている。
「いんや。案外ああいうのが、戦となると顔つき変わるんじゃないか?」
「そうか? 俺は百姓出の担がれた侍もどきかと思うがなあ」
その時、人相の悪い連中が入ってきた。そして侍を見つけると、駆け寄る。
「やっと見つけたぞ! なめたまねしやがって」
侍は冷や汗をかいているようだったが、深呼吸をして立ち上がる。
「おっと、ここからは出さねえぜ。すべての出入口は仲間に塞がせてもらった」
「ちょっと、やめとくれよ。うちで喧嘩おっぱじめようってのかい」
酒場のおかみが、迷惑そうに言った。
「その通りだ。店に迷惑をかけるわけにはいかない。外へ出よう」
冷静に、侍がそう言った。
だが、男たちは行く手を塞ぐ。
「そうはさせねえよ。おかみ、悪いがすぐに終わるからよ」
男たちがそう言った瞬間、侍は刀を振りかざし、そのまま出入口まで走っていった。
急なことと、凶器を手に向かってくる侍に、出入口を塞いでいた男たちも、とっさに身をよける。
「あいつ、やりやがった!」
「すげえぞ! やっぱり無敗の侍じゃないか!」
常連客が拍手をする。
「あ! あの人、お代まだじゃないか!」
おかみが言った。
「この状況下で金なんか払ってられるかよ。許してやれよ、おかみ」
そこに、人相の悪い男たちが振り向く。
「あの男は侍なんかじゃない。盗賊だよ。逃げ足の早いね。あんたらも気をつけな。うちは宿代、飲み代、全部踏み倒されたんだ」
おかみと常連客が顔を見合わせた。
無敗の侍……逃げ足の早い侍だ。